第五章 森のダンジョン
ゴロの家を後にした四人は、再び森に囲まれた細い道を歩き始めた。
しばらくの間、誰も口を開かない。
その静寂を破ったのはリセラだった。
「……変わった人だったわね。」
ギャリックが横目で彼女を見る。
「お前もな。」
リセラはわずかに眉を上げた。
「……何か言いたいことでも?」
「ああ。」
ギャリックは一切ためらわず答えた。
「どうして俺たちなんだ?」
リセラは首を少し傾げる。
「俺たち……って?」
二人の空気が険しくなり始めたのを見て、ミレイリアが慌てて間に入った。
「ギャリックが言いたいのはね……」
彼女は穏やかに微笑む。
「どうして私たちのパーティーに入りたいと思ったの?」
リセラは数秒間黙っていた。
静かな視線が、一人ずつ四人を見渡す。
やがて落ち着いた声で答えた。
「あなたたちが……この国の人じゃないように見えたから。」
少し間を置く。
「それに……」
視線をわずかに伏せた。
「暗殺者っていうだけで偏見を持たれることも多いから。」
一行は歩き続ける。
ギャリックが再び尋ねた。
「なら、どうしてまだこの王国にいる?」
リセラは小さく口元を緩めた。
「よく見てるのね。」
その答えに、今度はミレイリアが興味深そうに口を開く。
「もしかして……別の王国から来たの?」
その問いのあと――
誰も何も言わなかった。
再び森は静寂に包まれる。
その空気を壊したのはレンだった。
前方を指差しながら声を上げる。
「みんな……!」
全員が彼の視線の先を見る。
木々の間に、
巨大な穴がぽっかりと口を開けていた。
まるで森の一部が、そのまま崩れ落ちてしまったかのようだった。
レンは思わず目を見開く。
「うわ……。」
「あのでかい穴……。」
ミレイリアはしばらく眺めたあと、
地図を取り出して確認する。
そして安心したように微笑んだ。
「場所も合ってる。」
「着いたわ。」
「ここが森のダンジョンよ。」
ギャリックは腕を組み、
巨大な穴を見下ろした。
「奥まで行く必要はない。」
その声は真剣だった。
「ゴロさんが言っていた通りだ。」
リセラが一歩前へ出る。
その瞳は揺るがない。
「ゴブリン……。」
口元に小さな笑みが浮かぶ。
「行きましょう。」
レンは暗闇へ続く巨大な入口を見つめた。
思わず唾を飲み込む。
「お、俺たち……」
「本当に大丈夫かな?」
リセラは彼を見る。
「私が守るわ。」
くすっと笑った。
「ふふ。」
レンは照れくさそうに笑う。
「あ……」
「い、いや、大丈夫。」
「ちゃんと自分で何とかするよ。」
ミレイリアは杖を握り直した。
「中へ入る前に……」
深く息を吸う。
「みんなに結界魔法をかけるわ。」
三人は少し距離を取る。
ミレイリアはゆっくりと目を閉じた。
数秒間、
まったく動かない。
胸の前で杖を抱き、
静かに魔力を練り上げていく。
やがて――
杖を空へ掲げた。
足元に緑色の魔法陣が浮かび上がる。
幾重ものルーンがゆっくりと回転し、
淡い光の粒子が四人の周囲へ舞い散っていく。
柔らかな緑の光が、
ダンジョンの入口を静かに照らした。
ミレイリアは目を開く。
「――バリア。」
音もなく魔力が広がり、
四人の身体を優しく包み込んだ。
レンは自分の身体を見回す。
腕を動かし、
足を曲げ伸ばししてみる。
首を傾げた。
「……あれ?」
ミレイリアを見る。
「何も変わった感じがしないけど。」
彼女は微笑む。
「この魔法はね。」
「怪我をしそうになった時にだけ反応するの。」
再び杖を地面につく。
レンは少し目を丸くした。
「すごく便利じゃない、それ。」
ミレイリアは苦笑した。
「便利なのは確かだけど……」
軽く胸に手を当てる。
「四人分となると、思った以上に魔力を使うの。」
深く息を吐いた。
「この結界がある間は……」
「本当に強い相手じゃない限り、みんなを守れるわ。」
三人を順番に見渡す。
「だから、できるだけ早く依頼を終わらせましょう。」
ギャリックは剣の柄へ手を添えた。
「ゴブリン相手なら使うこともないだろうが……」
「助かる。」
ゆっくりと剣を抜く。
刀身が、
入口から差し込むわずかな光を反射した。
そして彼は、
巨大な穴の縁まで歩いていく。
下を覗き込み、
笑った。
「俺が先に行く。」
そう言うや否や――
迷うことなく飛び降りた。
レンは目を見開く。
「えっ!?」
ギャリックが飛び降りてから数秒後――
下の方から彼の声が響いてきた。
「問題ない!」
「降りてこい!」
レンは大きく息を吸う。
「よし……。」
拳をぎゅっと握り締めた。
「俺も行く!」
勢いをつけて、
そのまま穴へ飛び込んだ。
宙へ身体が投げ出された瞬間――
ようやく自分が何をしたのか理解する。
(うわあああ……!)
(俺、飛び降りちゃった!!)
(何やってるんだあああ!!)
地面が一気に近づいてくる。
「うわああああああ!!」
ドスンッ!!
レンは両足でしっかりと着地した。
衝撃で土埃がふわりと舞い上がる。
そのまま数秒間、
ぴくりとも動かなかった。
何度か瞬きをする。
ゆっくりと自分の足を見る。
「……。」
「生きてる?」
ギャリックが歩み寄る。
「大丈夫か、レン?」
レンは安堵したように息を吐いた。
「だ、大丈夫……。」
もう一度上を見上げる。
「あれ?」
「もっと深いと思ってた。」
その時、
上からミレイリアの慌てた声が響いた。
「だ、誰か助けてぇ!」
高い崖の縁に立ったまま、
彼女はすっかり足がすくんでいた。
「た、高すぎる……!」
「やっぱり無理かも……!」
レンは顔を上げて笑う。
「飛び降りて大丈夫!」
「見た目ほど高くないよ!」
ギャリックも上を見上げる。
「俺が受け止める。」
両腕を広げた。
「さあ、来い!」
しかしミレイリアは縁から動けない。
何度も深呼吸を繰り返し、
ローブをぎゅっと握り締める。
しばらくして、
小さな声で言った。
「で、でも……。」
ギャリックを見る。
「その……」
「目を閉じてもらわないと……。」
ギャリックは何度も瞬きをした。
「……は?」
首を傾げる。
「目を閉じたままでどうやって受け止めるんだ?」
そのやり取りを、
リセラは黙って見ていた。
小さくため息をつく。
「……仕方ないわね。」
ミレイリアを見上げる。
「ミレイリア、だったわよね?」
一歩前へ出る。
「私が受け止める。」
ミレイリアは驚いたように目を丸くした。
「あ……。」
それから安心したように微笑む。
「ありがとう……。」
次の瞬間――
リセラは迷いなく穴へ飛び降りた。
「危ない!」
レンは思わず叫ぶ。
「そんな飛び方――!」
反射的に数歩駆け出す。
リセラが地面へ近づいた瞬間、
レンは両腕で彼女を受け止めた。
衝撃は驚くほど軽かった。
ほとんど重さを感じない。
その一瞬だけ――
まるで時間がゆっくり流れたようだった。
二人の視線が重なる。
ほんの目と鼻の先。
最初に我に返ったのはレンだった。
慌てて彼女を地面へ降ろす。
「だ、大丈夫?」
「怪我してない?」
リセラは何も答えず、
じっとレンを見つめていた。
唇がわずかに開く。
何かを言おうとしているようだった。
しかし、
言葉は出てこない。
レンは不思議そうに首を傾げる。
「どうした?」
リセラは何度か瞬きをした。
それから小さく首を振る。
「……何でもない。」
そのまま上を見上げた。
ミレイリアへ向かって両腕を広げる。
「飛んで。」
そしてギャリックとレンへ視線を向けた。
「あなたたち二人は――」
「向こうを向いて。」
ギャリックは腕を組む。
「断る。」
再びミレイリアを見上げた。
「なあ、ミレイリア。」
「一体どういうことなんだ?」
リセラは呆れたように目を細める。
「早くして。」
「この鈍感。」
ギャリックは眉をひそめた。
「……何だと?」
また言い合いになりそうになった、その時。
レンがそっとギャリックの肩に手を置いた。
「あ、あの……」
「言う通りにした方がいいと思う。」
ギャリックは二秒ほどレンを見つめる。
そして深いため息をついた。
「……分かった。」
「ミレイリアが怪我したら、お前たち二人の責任だからな。」
そう言って横へ数歩移動する。
「着地する音が聞こえたら――」
「その時に振り向く。」
崖の上では、
ミレイリアが深呼吸をしていた。
目をぎゅっと閉じる。
「い、行きます……!」
意を決して飛び降りた。
リセラは軽々と彼女を受け止める。
そのまま静かに地面へ降ろした。
ミレイリアはゆっくり目を開ける。
ほっと息をついた。
「ありがとう……。」
リセラは小さくうなずくだけだった。
「これで全員ね。」
レンは笑顔になる。
「よし。」
周囲を見回した。
巨大な洞窟がどこまでも続いている。
「それで……」
「これからどうする?」
ギャリックは前へ歩き出し、
再び剣を構えた。
「さて――」
「ゴブリンどもを片づけるとするか――」
言葉の途中で、
ぴたりと止まる。
視線が前方へ釘付けになった。
レンはすぐ異変に気づいた。
「どうした?」
しかし、
ギャリックは答えない。
ミレイリアも静かに目を閉じる。
その表情が一変した。
「私……。」
胸へ手を当てる。
「何種類もの魔力を感じる……。」
ゆっくりと目を開く。
その顔から血の気が引いていた。
「そんな……。」
彼女はすぐ杖を掲げる。
「――フラッシュ!」
杖の先から光球が生まれ、
一直線に前方へ飛んでいく。
洞窟全体が一気に照らし出された。
そして――
全員が、その光景を目にした。
数十体ものゴブリン。
棍棒を持つ者。
錆びついた鎖を握る者。
どのゴブリンも、
物音ひとつ立てず、
四人を見つめていた。
ギャリックは口元を吊り上げる。
「ようやくだ。」
剣を構える。
「――強化。」
赤いルーンが刀身を包み込む。
次の瞬間、
剣は真紅の魔力に覆われた。
まるで炎をまとったように。
ギャリックは一切ためらわず突撃した。
「ま、待て!」
レンが手を伸ばぶ。
だが――
もう遅かった。
ザシュッ!!
ギャリックの剣が、一体目のゴブリンの胸を貫く。
その勢いのまま速度を落とすことなく身体をひねり、
すぐ隣にいた別のゴブリンへ蹴りを叩き込んだ。
「ギャアッ!」
小柄な魔物は勢いよく壁へ吹き飛ばされる。
次の瞬間――
ギャリックの剣が再び振り下ろされた。
ゴッ!!
三体目のゴブリンの頭部が、
石の床へ叩きつけられ、砕け散る。
その様子を見た四体のゴブリンが一斉に襲いかかる。
棍棒を高く振り上げ、
同時に飛びかかった、その瞬間――
彼らの背後に、
四つの火球が浮かび上がった。
ドォォォン!!
爆炎が洞窟内へ轟く。
四体のゴブリンは炎に飲み込まれた。
「ギャアアアアァァァッ!!」
断末魔がダンジョン中へ響き渡る。
レンは大きく息を吸った。
「俺も……。」
拳を強く握る。
「やってみる!」
目を閉じ、
一直線に駆け出す。
そして、
渾身の一撃を放った。
ドォン!!
レンが目を開ける。
その瞬間――
身体が固まった。
「……え?」
目の前にいたはずのゴブリンが、
消えていた。
そのさらに奥。
石畳には、
一メートル近い深さの巨大な穴が穿たれている。
ゴブリンの姿はどこにもない。
残っていたのは、
周囲へ飛び散った肉片だけだった。
戦場が、
一瞬にして静まり返る。
ギャリック。
ミレイリア。
そしてリセラまでもが、
動きを止めてレンを見ていた。
リセラは目を大きく見開く。
「……レン?」
最初に我へ返ったのはミレイリアだった。
彼女はすぐ周囲へ視線を巡らせる。
まだ何体ものゴブリンが残っている。
杖を構え、
力強く叫んだ。
「リセラ!」
その声で、
リセラは我に返る。
「まだたくさんいるわ!」
暗殺者は何度か瞬きをした。
まるで夢から覚めたように、
深く息を吸う。
「……分かった。」
腰に差していた二本の短剣を静かに抜く。
その瞳から感情が消えた。
「――インビジブル。」
魔法を唱えた瞬間、
彼女の存在感が薄れていく。
完全に姿が消えたわけではない。
しかし、
気配が極端に希薄になり、
まるでダンジョンの影へ溶け込んだようだった。
続けて二つ目の魔法を唱える。
「――スピード。」
赤い魔力が脚へ絡みつく。
次の瞬間――
彼女の姿は消えた。
シュッ――!
一体のゴブリンは、
反応する間もなかった。
短剣が喉を切り裂く。
別のゴブリンが振り返る。
しかし、
すでに遅い。
ザンッ!
二体目が崩れ落ちる。
リセラは残像のように駆け抜ける。
現れ、
消え、
また現れる。
ゴブリンたちが彼女の位置を捉えた頃には、
もう背後へ回り込まれていた。
レンは思わず息を呑む。
「すごい……。」
「あんなに速いのに……。」
「魔力の制御が苦手って言ってたよな……。」
その間も、
ギャリックは剣を振るい続けていた。
一撃ごとに、
一体、二体とゴブリンが倒れていく。
後方ではミレイリアが援護を続ける。
ゴブリンが近づこうとするたび、
小さな火球が現れ、
行く手を阻む。
レンも再び拳を握る。
「俺も手伝わないと!」
二発目の拳を繰り出そうとした、その時――
「レン!」
ミレイリアの声が飛んだ。
レンは振り返る。
「ん?」
ミレイリアは苦笑いを浮かべる。
「その力は……」
「少し加減して使って!」
レンは自分の拳を見る。
「でも、まだゴブリンが――」
言いかけて、
周囲を見渡した。
何度か瞬きをする。
「あれ?」
「……どこ行った?」
ダンジョンは、
急に静まり返っていた。
ギャリックは剣についた血をゆっくり払い、
鞘へ納める。
「残った連中は逃げた。」
暗い通路の奥を指差した。
「さらに奥へ逃げ込んだみたいだ。」
レンは安堵の息をつく。
「じゃあ……終わったのか。」
リセラは暗い通路をじっと見つめていた。
その瞳は鋭い。
「……いいえ。」
落ち着いた声で言う。
「あいつらは仲間を呼びに行ったのよ。」
ミレイリアは通路の入口まで歩いていく。
闇を見つめ、
ゆっくり息を吐いた。
「ゴロさんも……」
「気をつけろって言ってたものね。」
リセラは腕を組む。
「この依頼はランクC。」
声は落ち着いていた。
「いるのはゴブリンだけのはず。」
ギャリックを見る。
「多少強い個体がいるくらいでしょう。」
それからレンへ視線を向ける。
「でも、私たちなら十分対処できる。」
ギャリックはリセラを見る。
「お前……。」
「魔力の制御が苦手だって言ってなかったか?」
少し間を置く。
「だが、今の戦いを見る限りじゃ……」
「かなり戦えていたぞ。」
リセラはわずかに首を傾げた。
「その……。」
一瞬だけ目を逸らす。
「敵が少ないうちは問題ないの。」
静かに息を吸う。
「でも……。」
「戦闘が長引くほど――」
その声は少し小さくなった。
「自分の動きを抑えられなくなる。」
しばらく沈黙する。
そして、
ゆっくりレンへ視線を戻した。
少し間を置いて尋ねる。
「そういえば……。」
彼女の視線が、
レンの拳へ向く。
「あの力は……何?」
レンは自分の両手を見る。
何度か拳を開いたり閉じたりした。
「俺も……。」
照れくさそうに笑う。
「知りたいくらいだよ。」
ミレイリアは二人の横をゆっくりと通り過ぎる。
杖を胸の前で構えたまま、
暗い通路の奥へ視線を向けていた。
「この通路がどこまで続いているのか……」
自分に言い聞かせるように呟く。
「確かめましょう。」
できるだけ落ち着いた声を出そうとしていた。
だが、
その声音には隠しきれない緊張が滲んでいる。
リセラはミレイリアの後ろ姿をじっと見つめていた。
冷たい視線。
どこか探るような眼差し。
しかし、
何も言わない。
やがて四人は再び歩き始めた。
ダンジョンの奥へ。
一歩進むごとに、
闇はより深くなっていく。
天井から落ちる水滴の音だけが、
静かな通路に反響していた。
空気も少しずつ冷たさを増していく。
二十分ほど歩いただろうか。
その間――
ゴブリンは一体も姿を現さなかった。
沈黙を破ったのはギャリックだった。
「ここまで何も出てこないってことは……」
慎重に周囲を見渡す。
「やっぱり、この辺りにいるのはゴブリンだけなのかもしれないな。」
ミレイリアの方を振り返る。
「もう少し先を照らせるか?」
彼女は素直に頷いた。
「もちろん。」
杖をゆっくり掲げる。
「――フラッシュ。」
杖の先から眩い光球が放たれ、
一直線に通路の奥へ飛んでいく。
光は何十メートルも先まで進み――
やがて、
広大な空間を照らし出した。
その瞬間。
四人の足が止まる。
静寂が再びダンジョンを支配した。
レンはゆっくりと目を見開く。
声は、
ほとんど囁きだった。
「……なんだ。」
唾を飲み込む。
「あれは……?」
誰一人として動けない。
誰も言葉を発しない。
ミレイリアの光が照らしていたのは、
巨大な生物の一部だけだった。
レンは自分の目を疑う。
ダンジョン最深部の広間を埋め尽くすほど巨大な影。
漆黒に近い鱗。
その隙間には深い蒼色が混じり、
魔法の光を受けて静かに輝いている。
巨大な翼は身体に折り畳まれ、
長い尾は石床の上へ静かに伸びていた。
ゆっくりと、
胸が上下する。
吸って、
吐く。
まるでダンジョンそのものが、
その呼吸に合わせて生きているかのようだった。
レンは目を離せなかった。
「……あれって。」
もう一度呟く。
「あれは何なんだ……?」
ギャリックは素早く手を上げる。
静かにしろ、
という合図だった。
その視線は巨大な生物から離れない。
「……音を立てるな。」
声は極めて小さい。
「ここを離れる。」
レンは小声で尋ねる。
「でも……」
「あれは何なんだ?」
誰もすぐには答えなかった。
やがて、
ミレイリアが震える声で口を開く。
「あれは……」
深く息を吸う。
「ドラゴン。」
少し間を置く。
「少なくとも……」
「ドラゴンにしか見えない。」
レンの背筋を冷たいものが走る。
「ド……」
「ドラゴン?」
もう一度巨大な生物を見る。
それからミレイリアへ視線を戻した。
「ゲームとかに出てくる……」
「あのドラゴン?」
リセラはすぐ人差し指を唇へ当てた。
「シッ。」
「静かに。」
四人はゆっくりと後退を始める。
一歩ずつ。
決して音を立てないように。
誰もドラゴンから目を離さない。
その時だった。
ミレイリアが何かに気付く。
その顔から血の気が引いた。
ゆっくり前を指差す。
「……見て。」
三人もその先を見る。
二体のゴブリンが、
ドラゴンの方へ歩いていた。
どちらも、
奇妙なほど曲がった木の杖を持っている。
その歩みには恐れがない。
まるで、
目の前の巨大な怪物が、
日常の一部であるかのようだった。
ギャリックは剣の柄を強く握る。
「眠ってる……。」
小さく息を吐く。
「今のうちに出よう。」
その表情が険しくなる。
「あの爺さん……」
小さく舌打ちした。
「こんなこと、一言も言ってなかったぞ。」
ミレイリアは首を横に振る。
「たぶん……」
再びドラゴンを見る。
「ゴロさんも知らなかったんだと思う。」
レンは巨大なドラゴンを見つめ続けていた。
完全に圧倒されている。
やがて、
小声で尋ねる。
「ドラゴンって……」
ギャリックを見る。
「火を吐くんだよね?」
話しながらも、
四人はゆっくり後退を続けていた。
ギャリックも囁くように答える。
「種類はいろいろいる。」
「でも……」
「ああ。」
「大半は火を吐ける。」
そう言った直後、
ふと眉をひそめた。
レンを見る。
「……待て。」
何度か瞬きをする。
「お前の世界にもドラゴンがいるのか?」
レンは何も考えず、
自然に答えた。
「いや。」
「俺の世界じゃ伝説の生き物だよ。」
その瞬間。
空気が止まった。
ギャリックは、
ぴたりと足を止める。
二度、
三度と瞬きを繰り返した。
表情が固まる。
やがて、
ゆっくりと額へ手を当てた。
(……しまった。)
(今ので俺……。)
(こいつが異世界から来たって認めたようなものじゃないか。)
彼の視線はすぐにリセラへ向く。
リセラはすでに少し離れた場所まで後退していた。
意識は完全に、
この危険な場所から脱出することへ向いているようだった。
しかし――
その時。
背後から音がした。
コツ……
小さな足音。
続いて、
もう一つ。
コツ……
コツ……
ギャリックがゆっくり振り返る。
その表情が一変した。
「……くそっ。」
低く唸るように吐き捨てる。
「ゴブリンだ!」
レン、ミレイリア、そしてリセラも同時に後ろを振り向く。
四人が通ってきた通路は――
完全に塞がれていた。
五十体を優に超えるゴブリンたち。
棍棒を構える者。
錆びついた鎖を握る者。
その全員が、
醜く歪んだ笑みを浮かべながら四人を見つめている。
ミレイリアは思わず胸元を押さえた。
「ど、どうしよう……?」
リセラは二本の短剣を握り直す。
「……戦うしかないわね。」
レンはゴブリンの群れを見る。
そして、
眠っているドラゴンへ視線を移した。
静かに息を吐く。
「だったら……。」
ドラゴンをそっと指差す。
「……あっちと戦うよりはマシだ。」
そう言うと、
返事を待つことなく走り出した。
「レン!」
ギャリックが叫ぶ。
しかし、
レンはもう止まらない。
右拳へ力を込める。
先頭のゴブリンめがけ、
思い切り拳を突き出した。
ドゴォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃音がダンジョン中へ響き渡る。
先頭のゴブリンは跡形もなく吹き飛び、
そのまま後方のゴブリンたちを巻き込みながら一直線に突き抜けていく。
まるでドミノ倒しのように、
何体ものゴブリンが次々と吹き飛ばされた。
リセラは完全に動きを止めた。
口が少し開いたまま、
レンを見つめる。
「……レン?」
ギャリックは深く息を吸う。
再び剣を抜いた。
「ミレイリア!」
ゴブリンから目を離さないまま叫ぶ。
「さっきと同じだ!」
ミレイリアはすぐに頷く。
「うん!」
半透明の緑色の結界が彼女の身体を包み込む。
同時に、
杖の周囲へいくつもの火球が浮かび上がった。
前衛を援護するように、
近づいてくるゴブリンへ次々と放たれていく。
レンも再び拳を振るう。
二発目。
ドォォン!!
三発目。
ドゴォォォン!!
轟音がダンジョン全体を揺らした。
拳から生まれた衝撃だけで、
ゴブリンたちは近づくことすらできず吹き飛ばされていく。
やがて、
戦場は静かになった。
レンは自分の拳を見つめる。
(……すごい。)
(本当に何なんだ、この力。)
(俺にもさっぱり分からない……。)
ギャリックは肩で息をしながら叫ぶ。
「レン!」
「その拳は危険すぎる!」
「ダンジョンが崩れるかもしれないし、音も大きすぎる!」
「少し加減しろ!」
レンは慌てて振り向く。
「あっ!」
頭をかく。
「ご、ごめん!」
「俺、ただ手伝おうと――」
言葉が止まる。
周囲を見回した。
笑顔が消える。
「……あれ?」
「ミレイリアは?」
ギャリックも辺りを見渡す。
そして、
ゆっくり後ろを見る。
その顔から血の気が引いた。
リセラも息を呑む。
「さっきまで……。」
必死に周囲を見渡す。
「ここにいたのに……。」
ギャリックは両手で頭を押さえた。
「くそっ……!」
その時だった。
ギャリックの視線が、
ドラゴンの方へ向く。
彼は目を見開いた。
「……待て。」
レンとリセラもそちらを見る。
先ほどドラゴンへ近づいていた、
あの二体のゴブリン。
曲がった木の杖を持っていた彼らは――
今度は杖ではなく、
棍棒を両手で握っていた。
そして、
眠っているドラゴンへ向かって、
何度も振り下ろしている。
ゴンッ!
ゴンッ!
ゴンッ!
レンは目を丸くした。
「えっ……。」
「あいつら……。」
「ドラゴンを叩いてるのか?」
その瞬間――
ダンジョンの最奥から、
悲鳴が響いた。
「きゃあああああああっ!!」
続いて、
洞窟全体を震わせる咆哮が轟く。
GRRRRRRRRRRROOOOOOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAARRRRRRRRRRRRRRRRRR!!!
空気そのものが震え、
足元の岩まで揺れ始める。
全員が凍りついた。
ギャリックは目を見開く。
「あの悲鳴……。」
息を呑む。
「ミレイリアだ。」
リセラは短剣を強く握り締めた。
「それに今の咆哮……。」
暗い通路の奥を見る。
「ドラゴン……。」
ギャリックはすぐ彼女を見る。
「お前、ドラゴンの鳴き声を聞いたことがあるのか?」
リセラは首を横に振った。
「ない。」
静かに息を吐く。
「でも……。」
再び暗闇を見る。
「あんな声は、生まれて初めて聞いた。」
レンは一歩前へ踏み出した。
その瞳には迷いがなかった。
「……行くんだよね?」
ギャリックは一瞬たりともためらわなかった。
「ああ。」
剣の柄を強く握り締める。
「俺は行く。」
力強く言い切った。
「前にも言っただろ。」
「俺はミレイリアに大きな借りがある。」
リセラはしばらく黙っていた。
その横顔には複雑な感情が浮かんでいる。
やがて静かに口を開いた。
「……私たちは。」
少し間を置く。
「ドラゴンと戦う義務なんてない。」
ギャリックは振り返ることなく答えた。
「だったら帰れ。」
その声に迷いはない。
「止めはしない。」
リセラはぴくりと眉を動かした。
わずかに苛立ったような表情を浮かべる。
しかし、
それ以上は何も言わなかった。
次の瞬間、
ギャリックは地面を蹴る。
「ミレイリアァッ!!」
叫びながら、
暗い通路の奥へ駆け出していく。
レンはリセラへ視線を向けた。
「もし外で待っていたいなら……」
小さく微笑む。
「それでもいいよ。」
少しだけ間を置く。
「でも……。」
その表情が真剣になる。
「俺もミレイリアには借りがあるんだ。」
リセラは何も言わず、
じっとレンを見つめていた。
数秒の沈黙。
やがて、
大きく息を吐く。
「……レン。」
小さく首を振った。
「仕方ないわね。」
腰の短剣を一本だけ鞘へ戻す。
「行きましょう。」
レンの表情が明るくなる。
「ああ!」
力強く頷いた。
「ミレイリアを助けよう!」
その言葉を聞いたリセラは、
ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……あとで後悔しなければいいけど。」
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
少しでも「面白い」と感じていただけたら、ぜひ作品のブックマークや評価をしていただけると、とても励みになります。
また、感想やご意見も大歓迎です。
一つひとつ大切に読ませていただきます。
これからもレンたちの旅を見守っていただけたら嬉しいです。
次回もよろしくお願いします!




