第四話 森のダンジョン
ライオンズギルドの広間。
ミレイリア、ギャリック、そして松田蓮は、巨大な依頼掲示板の前に立ち、所狭しと貼られた無数の依頼書へ視線を巡らせていた。
掲示板には、実にさまざまな依頼が並んでいる。
荷物の配達。
護衛依頼。
魔物討伐。
そして――到底達成できそうにない危険な任務まで。
蓮は一枚一枚眺めていたが、やがて一枚の依頼書の前で足を止めた。
少し身を乗り出しながら目を輝かせる。
「おお……」
依頼書を指差した。
「見てくれよ。」
『氷竜討伐』
「うわぁ……Sランク依頼じゃん。」
まるでゲームの中に入り込んだような表情だった。
ギャリックも依頼書を見上げ、小さくため息をつく。
「あれは俺たちにはまだ早い。」
蓮は苦笑しながら頷いた。
「だよなぁ……そんな気はしてた。」
その間もミレイリアは真剣な表情で掲示板を見続けていた。
やがて一枚の依頼書を丁寧に外す。
「あった。」
依頼内容を確認してから二人へ向ける。
「『森のダンジョン・ゴブリン討伐依頼』」
「ランクはCです。」
ギャリックが依頼書を受け取り、内容をざっと確認した。
「ゴブリンなら基本的には弱い魔物だ。」
そして蓮を見る。
「勇者――」
言いかけて言葉を止める。
少し笑って言い直した。
「……蓮の実戦経験にはちょうどいい。」
蓮は笑いながら肩をすくめた。
「ゲームに出てくるゴブリンと同じなら、たぶん何とかなるだろ。」
ミレイリアは依頼書を丁寧に畳いた。
「それじゃ、この依頼を受けましょう。」
三人は受付へ向かった。
カウンターではマリがすぐに三人へ気付いて笑顔を見せる。
「もう依頼を決めたんですね?」
ミレイリアは依頼書を差し出した。
「はい。」
マリは内容を確認すると、少し楽しそうに笑った。
「あら、ゴブリン討伐ですか。」
そのまま三人のギルドバッジへ視線を移す。
「ブロンズが一人。」
続いてギャリックを見る。
「アイアン――」
そこで自分の言い間違いに気付き、小さく笑った。
「あ、ごめんなさい。ゴールドでした。」
最後にミレイリアを見る。
「そして、こちらがプラチナ。」
にやりと笑う。
「ふふっ……なかなか面白い組み合わせですね。」
蓮は苦笑した。
「まぁ……そういう見方もあるか。」
するとミレイリアが少し照れたように微笑む。
「わ、私たちは……」
「ちゃんとパーティですから。」
その笑顔はどこか嬉しそうだった。
その時だった。
「森のダンジョンへ向かうの?」
静かな女性の声が背後から聞こえてきた。
三人は同時に振り返る。
数メートル先。
フードを深く被った人物が立っていた。
黒い布で口元を隠し、その奥から鋭い視線だけがこちらを見つめている。
蓮は数秒その姿を眺める。
「……女の人、かな。」
ギャリックが一歩前へ出た。
「そうだ。」
「それがどうした?」
自然と警戒の色が浮かぶ。
フードの女性は落ち着いた口調で答えた。
「そのダンジョンへ向かうパーティを探している。」
ミレイリアは彼女の胸元に付けられたギルドバッジへ視線を落とした。
少し首を傾げる。
「でも……」
「そのバッジ。」
「ゴールドですよね?」
不思議そうに続ける。
「どうして一人で行かないんですか?」
女性はしばらく黙っていた。
そして静かに口を開く。
「……一人では。」
その短い言葉に、どこか引っ掛かるものを感じたミレイリアは優しく笑う。
「もしかして……」
「魔法使いなんですか?」
女性はミレイリアをじっと見つめた。
しかしすぐには答えない。
代わりに、全員の顔を順番に見渡していく。
ギャリック。
蓮。
ミレイリア。
そして受付のマリ。
しばらくして――
女性はゆっくりとフードへ手を伸ばした。
静かにそれを外す。
肩まで伸びた栗色の髪がさらりと揺れた。
左目は黒い眼帯で覆われている。
首元には白い包帯が巻かれ、その一部は服の中へと消えていた。
彼女は軽く頭を下げる。
「リセラ。」
「私の職業は――」
「暗殺者。」
一瞬。
ギルドの空気が静まり返った。
蓮はただ彼女を見つめる。
ミレイリアも同じだった。
だが――
ギャリックだけは違った。
その目が細くなる。
拳が、ほんのわずかに握られる。
ミレイリアはその変化を見逃さなかった。
小さく横目でギャリックを見る。
カウンターの向こうではマリが腕を組んでいた。
「もしこの人たちが断るなら……」
肩をすくめる。
「リセラ、別の依頼を探した方がいいわ。」
「待って。」
その場にいた全員が声のした方を見る。
蓮だった。
彼はリセラを見てから、ギャリックとミレイリアを見る。
「一緒に来てもいいんじゃないか?」
ミレイリアは思わず冷や汗を流した。
ぎこちなく頬をかきながら、そっとギャリックへ視線を向ける。
ギャリックは長いため息をついた。
「蓮……。」
腕を組み、真っ直ぐリセラを見据える。
「この国じゃ、暗殺者は歓迎される存在じゃない。」
視線は一度も逸らさない。
「今まで散々問題を起こしてきた連中だからな。」
リセラはゆっくりと目を閉じた。
数秒間――まったく動かない。
何も言わない。
その沈黙を破ったのはミレイリアだった。
彼女は柔らかな笑みを浮かべながら尋ねる。
「リセラさん。」
「どうして私たちと一緒に行きたいんですか?」
再び――
リセラはすぐには答えなかった。
静かな視線がその場にいる全員へ向けられる。
ギャリック。
蓮。
ミレイリア。
マリ。
全員の顔を確かめるように見回したあと、静かに口を開いた。
「……ゴブリンを。」
「一緒に討伐したい。」
マリはほとんど間を置かずに答える。
「あなたのランクなら、一人でも十分でしょう?」
リセラは静かに首を横へ振った。
「このランクは……。」
「速さだけで得たもの。」
視線を落とす。
「でも私は……まだ力の加減ができない。」
少しだけ間を置く。
「だから。」
「一人では危険。」
その場に再び静寂が流れた。
蓮は数秒間リセラを見つめる。
そして穏やかに笑った。
「それなら大丈夫だ。」
「俺は一緒に来ても構わない。」
少し冗談っぽく笑う。
「それにさ。」
「ゴブリン相手に全滅なんて、さすがに格好悪いだろ?」
リセラは眉をわずかにひそめた。
「格好悪い……?」
じっと蓮を見る。
「あなた。」
「一人で行けば死ぬ。」
「そう思わないの?」
蓮は苦笑しながら頭をかいた。
「うっ……。」
「それは否定できないな。」
マリは何か言おうと口を開く。
「でも、それを決めるのは、このパーティで一番弱――」
「私は蓮くんを信じます。」
マリは言葉を止めた。
遮ったのはミレイリアだった。
彼女は優しく蓮へ微笑む。
「蓮くんが大丈夫だと言うなら……。」
「私はその判断を信じます。」
マリは目を丸くした。
「えっ?」
「でも……一番弱いのは彼でしょう?」
ギャリックはもう一度ため息をついた。
そしてリセラを真っ直ぐ見つめる。
「いいだろう。」
「だが――」
腕を組み直す。
「俺たちは常にお前を見ている。」
その瞬間だった。
リセラの無表情が、ほんのわずかに崩れる。
見えている右目が少しだけ大きく開かれた。
「私……。」
声がかすかに震える。
「本当に……一緒に行っていいの?」
マリは四人を交互に見つめ、大きく息を吐いた。
「はぁ……。」
「まあ。」
「パーティの判断なら仕方ないわね。」
新しい書類を取り出す。
「リセラも依頼メンバーとして登録しておくわ。」
リセラは静かに頭を下げた。
その口元には、小さく自然な笑みが浮かんでいた。
「……ありがとう。」
「本当に。」
蓮も笑顔を返す。
「道中でいろいろ話そう。」
ミレイリアも嬉しそうに頷く。
「もちろんです。」
「私たちもリセラさんのことをもっと知りたいですから。」
マリは書類を書き終えると、依頼書を四人へ差し出した。
「はい。」
「これで四人とも正式にこの依頼の参加者よ。」
依頼書を指差す。
「依頼人の情報と、ダンジョンの場所も書かれているわ。」
帳簿を閉じる。
「頑張ってきてね。」
蓮は依頼書を受け取り、小さく胸を張った。
「よし。」
「それじゃ――」
「行こう。」
四人はギルドをあとにし、ヴァルテリスの賑やかな街並みを歩き始めた。
街は相変わらず活気に満ちていたが、中心部を離れるにつれ、建物の数は徐々に少なくなっていく。
しばらく歩いた頃――
リセラが初めて沈黙を破った。
そっと蓮へ視線を向ける。
「……ありがとう。」
「私を信じてくれて。」
蓮は彼女の方を向く。
「ん?」
リセラは前を見たまま続ける。
「レン。」
「みんな……そう呼んでいた。」
蓮は穏やかに笑った。
「ああ。」
「それが俺の名前。」
「レンって呼んでくれればいい。」
リセラは少しだけ首を傾げた。
「レン。」
「……変わった名前。」
蓮は思わず笑う。
「面白いな。」
「俺もちょうど同じことを思ってた。」
リセラが眉を上げる。
「?」
「リセラって名前も、俺のいた場所じゃかなり珍しいんだ。」
その言葉を聞いた瞬間――
ギャリックが肘で軽く蓮の腕を小突いた。
表情は真剣そのものだった。
その視線は、言葉を使わずに警告している。
――余計なことは話すな。
蓮は小さく息を吐いた。
「あー……。」
首の後ろをかきながら言い直す。
「つまり。」
「俺が昔住んでた町では、ってこと。」
「珍しい名前だなって思っただけ。」
リセラは数秒間、蓮をじっと見つめていた。
何かを見抜こうとしているような視線だった。
しかし最後には、小さく頷くだけだった。
「……そう。」
しばらくの間、沈黙が流れた。
やがてレンは、彼女の顔をほとんど覆い隠している大きなフードへと視線を向けた。
「……一つ聞いてもいい?」
リセラは少しだけ顔を向ける。
「いいわ。」
レンは遠慮がちにフードを指差した。
「その……」
「それを着ていて暑くないの?」
「その服、ほとんど全身を隠してるよね。」
「鼻まで隠れてるし。」
リセラの眉がわずかに寄る。
その表情が、一瞬だけ険しくなった。
「あなた――」
言いかけたその時だった。
ミレイリアが慌てるように会話へ割って入る。
「レン……」
困ったように苦笑しながら言った。
「人の服装についてあまり言わないほうがいいと思うわ。」
レンはすぐに、自分が不用意なことを口にしてしまったと気づいた。
「あっ……」
「ご、ごめん。」
「ただ、ちょっと気になっただけなんだ。」
歩き続けていたギャリックが、そのまま前を向いたまま口を開く。
「戦争が絶えない地域も多い。」
視線は道の先から動かない。
「いろんな理由で、自分の顔を隠して生きている者もいる。」
少しだけ間を置いて続ける。
「傷跡を隠している者もいれば――」
「……誰にも顔を知られたくない者もいる。」
その言葉のあと、一行は静まり返った。
リセラは前方の道を見つめたまま。
何も言わない。
一方でギャリックは、一度だけ後ろを振り返った。
何か返事が返ってくるのを待っているようだった。
だがリセラは何も答えず、
ただ静かに歩き続けるだけだった。
完全な沈黙の中で。
◇
しばらくして、リセラがぽつりと口を開いた。
「……あなた。」
「紋章を見る限りでは弱そうだけど……意外と強そうね。」
レンは小さく笑った。
「そう見えるだけだよ。」
照れくさそうに首の後ろをかく。
「実はさ……」
「俺、戦い方なんて全然知らないんだ。」
リセラは素早く彼のほうを見る。
そして小さく微笑んだ。
「……本当に?」
レンも笑い返す。
「ま、まあ……」
「パンチくらいなら強いと思うよ。」
「ゴブリン相手なら負ける気はしないけどね。ははっ。」
二人は小さく笑い合った。
少し前を歩いていたギャリックは、そのやり取りを静かに見ていた。
彼の視線は、長い間リセラから離れない。
隣ではミレイリアも無言のまま歩いている。
やがてギャリックが、小さな声で呟いた。
「……あの妙な女には気をつけておけ、ミレイリア。」
ミレイリアは彼の方を見る。
少し眉をひそめた。
「だ、大丈夫よ……」
「ちゃんと二人とも見てるから。」
ギャリックは長く息を吐いた。
「……そうか。」
二人は数秒ほど黙ったまま歩く。
やがてミレイリアが口を開いた。
「何か言いたいことでもあるの?」
ギャリックは前を見据えたまま答える。
その表情は少しだけ真剣だった。
「考えていた。」
短く間を置く。
「……いつ、あいつに話すつもりなんだ。」
ミレイリアの目がわずかに見開かれる。
「ギャ、ギャリック……」
彼女は少しだけ身を寄せ、小声で言った。
「もっと声を小さくして。」
しかしギャリックは腕を組んだままだ。
「いずれは知ることになる。」
ミレイリアは視線を落とす。
「……分かってる。」
「でも……まだその時じゃない。」
深く息を吐き、
再び前を向いた。
その時だった。
リセラが前方を見つめながら、
ほんの一瞬だけ二人へ視線を向けていることに気づく。
ミレイリアと目が合うと、
リセラはかすかに笑みを浮かべた。
本当にわずかな、
気づかなければ見逃してしまうほどの微笑みだった。
ミレイリアは数秒間、彼女を見つめる。
困惑しながら。
(……今の話、聞こえてた?)
そう思った次の瞬間には、
リセラは何事もなかったかのように再び前を向き、
レンの隣を静かに歩いていた。
しばらく歩いたあと、リセラが再び口を開いた。
「……レン。」
レンは彼女のほうを向く。
「ん?」
「あなたは……あの二人を信頼しているの?」
あまりにも唐突な質問だった。
レンはすぐには答えられず、少し考えてから笑みを浮かべる。
「そうだな……」
「俺が目を覚ましたとき、二人とも助けてくれたんだ。」
少し言い直すように続ける。
「いや、それだけじゃない。」
「本当にいろんなことで助けてもらってる。」
レンはミレイリアとギャリックへ視線を向ける。
「だから……」
「信頼してるよ。」
リセラはしばらく黙っていた。
そして再び尋ねる。
「二人とは……長い付き合いなの?」
レンは思わず笑う。
「いや。」
「実は知り合ってまだそんなに経ってないんだ。」
リセラはわずかに眉を上げた。
「そんなに?」
レンは頷く。
「うん。」
「どうして?」
その返事に、リセラは本気で驚いたようだった。
ゆっくりと片手を上げる。
そして顔を覆っていた布を少しだけずらした。
隠れていた素顔が、ほんの少しだけ覗く。
「……どれくらい?」
レンはそのまま彼女を見つめた。
そして――
数秒間、
完全に言葉を失う。
(……綺麗だ。)
思わずそんな言葉が頭に浮かぶ。
柔らかな茶色の髪が頬に沿って流れ、
澄んだ瞳は思わず目を奪われるほど美しかった。
凛とした表情は、
繊細な顔立ちをより際立たせている。
レンは返事も忘れ、
しばらく彼女を見つめ続けてしまった。
その空気を破ったのはミレイリアだった。
前方を指差しながら言う。
「依頼人の家は、あの道の先よ。」
全員の視線が前へ向く。
そこには、
背の高い木々に囲まれた細い土の道が続いていた。
まるで森が、その道を飲み込もうとしているかのようだった。
レンは何度か瞬きをして、
ようやく我に返る。
「あっ……」
「じゃあ、行こう。」
それ以上誰も話すことなく、
四人は細い道へ足を踏み入れた。
風が葉を優しく揺らし、
遠くでは鳥たちのさえずりが静かに響いている。
進めば進むほど、
街の気配は完全に消えていった。
今、この場所にあるのは――
森だけ。
そして、
四人の足音だけだった。
四人はそのまま細い土道を歩き続ける。
時間が経つにつれて、
森はさらに深くなっていく。
木々の枝葉は空を覆い隠し、
葉の隙間から差し込むわずかな木漏れ日だけが道を照らしていた。
周囲は静まり返っている。
二十分ほど歩いた頃、
木々の隙間から小さな建物が姿を現した。
簡素な木造の家だった。
年季は感じられるものの、
きちんと手入れされていることが一目で分かる。
煙突からはゆっくりと煙が立ち上り、
誰かが家にいることを物語っていた。
ギャリックが歩調を緩める。
数秒間その家を眺め、
口を開いた。
「……依頼人はここに住んでいるのか?」
ミレイリアはマリから渡された小さな地図を取り出す。
現在地と照らし合わせると、
安心したように微笑んだ。
「ええ。」
家を指差す。
「地図によれば、ここで間違いないわ。」
四人はそのまま家の入口へ向かった。
近づくにつれ、
一人の老人が縁側の近くに立っているのが見えてくる。
しかし、その立ち姿にはどこか違和感があった。
身体をわずかに片側へ傾けたまま立っており、
まるで普通とは違う形で体重を支えているように見える。
レンは小さく眉をひそめた。
(……何があったんだろう。)
最初に声をかけたのはギャリックだった。
「こんにちは。」
老人はゆっくりと顔を上げる。
四人の姿を認めると、
穏やかな笑みを浮かべた。
ミレイリアは依頼書を見せながら尋ねる。
「ゴロさん……で間違いありませんか?」
老人は静かに頷く。
「ああ。」
「わしがゴロじゃ。」
もう一度優しく微笑んだ。
ミレイリアはほっと息をつく。
「依頼書には、ダンジョンへ入る前にお話を伺ってほしいと書かれていました。」
ゴロは頷く。
「その通りじゃ。」
縁側の横に置かれた木の椅子を指差した。
「まあ、少し座りなさい。」
「先に話しておきたいことがある。」
四人は互いに顔を見合わせる。
だが誰かが返事をするより先に、
リセラが一歩前へ出た。
その表情は相変わらず真剣だった。
「失礼ですが。」
彼女は真っ直ぐ老人を見つめる。
「私たちはゴブリンを討伐しに来ました。」
ゴロは小さく笑う。
「ずいぶん急いでおるようじゃな。」
ゆっくりと髭を撫でる。
「若いというのは、いいものじゃ。」
しかしリセラは微動だにしなかった。
「できるだけ早く向かいたいんです。」
老人は穏やかに笑みを浮かべたままだった。
「そうか。」
深く息を吸ってから話し始める。
「この土地は古い。」
「それも、とても古い土地じゃ。」
その視線は、
しばらく森の奥へ向けられていた。
「もちろん……あの森のダンジョンもな。」
ミレイリアは静かに頷いた。
「そのダンジョンの話なら、何度か聞いたことがあります。」
「何千年も前から存在しているって……」
「もっと昔からかもしれない、とも。」
ゴロは満足そうに頷く。
「その通りじゃ。」
そう言って森の方を指差した。
「ここから二キロほど進めば――」
「そこにいるのはゴブリンだけじゃ。」
ギャリックは腕を組む。
「つまり、入口の近くで戦えばいいということだな?」
ゴロは少しだけ考え込むような表情を浮かべた。
それから、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開く。
「……本来なら。」
「そう言うべきなんじゃろうな。」
その返答に、
一瞬だけ場が静まり返る。
しかし老人はすぐに笑顔を取り戻した。
「まあ……」
「お前さんたちも急いでおるようじゃ。」
軽く頷く。
「行ってきなさい。」
だがレンだけは、
なおもゴロを見つめていた。
胸の中に引っかかるものがある。
やがて彼は口を開いた。
「あの……」
全員の視線がレンへ集まる。
「どうして、この依頼が出されたんですか?」
少し考えながら言葉を続ける。
「話を聞いてると……」
「むしろ、俺たちのほうがゴブリンたちの縄張りに入っていくみたいに思えて。」
「ゴブリンは……何かしたんですか?」
その瞬間、
ゴロの笑みは消えた。
表情が一変し、
静かな怒りが滲む。
「ああ。」
深く息を吸う。
「奴らは家を襲う。」
自宅へ視線を向けながら続けた。
「百メートルほど先に住んでいた隣人の家にも押し入り――」
「食料をすべて奪い……」
「そのあと、家族全員を殺した。」
レンは息を呑む。
ゴロはなおも静かに語り続けた。
「家畜を奪い……」
「農具も持っていく。」
少しだけ間を置く。
そして目を伏せた。
「抵抗する者がいれば……」
「家ごと火をつける。」
その場に重苦しい沈黙が落ちる。
レンは何も言えなかった。
やがてゆっくりと頷く。
「……そうだったんですね。」
「それなら、本当に放ってはおけない。」
ミレイリアは小さく拳を握った。
「この依頼……」
「私たちが必ず終わらせます。」
そう言って、
真っ先に森へ向かって歩き出す。
残る三人も、そのあとに続いた。
家から少し離れたところで、
再び老人の声が背後から響く。
「おーい!」
四人は足を止め、
振り返る。
ゴロは片手を上げていた。
「気をつけて行くんじゃぞ。」
穏やかな笑みを浮かべる。
「終わったら、またここへ寄りなさい。」
ギャリックは頷いた。
「分かった。」
だが歩き出す前に、
もう一度だけ老人を見た。
まだ気になっていたことがある。
「ゴロさん。」
老人は首を少しかしげる。
「なんじゃ?」
ギャリックは控えめに尋ねた。
「さっきから気になっていたんだが……」
「その立ち方だ。」
「どうして、あんな不自然な姿勢で立っていた?」
ゴロは数秒間黙っていた。
やがて肩を揺らしながら小さく笑う。
「ああ……」
照れくさそうに頭をかいた。
「それか。」
その笑みが、
どこか意味ありげなものへ変わる。
「それは……」
「お前さんたちが戻ってきたら話そう。」
少しだけ笑みを深めた。
「だから――」
「死ぬんじゃないぞ。ほっほっほ。」
誰も答えなかった。
四人は互いに一度だけ顔を見合わせる。
そして再び森の奥へ向かって歩き始めた。
その背中を、
ゴロはじっと見送っていた。
やがて四人の姿が木々の間へ消えていく。
それを確認すると、
老人の笑みはゆっくりと消えていった。
そして――
ほんの一瞬だけ。
その瞳には、
先ほどまで決して見せなかったほど深い憂いが宿る。
「……ここまで、よく来たな。」
誰もいないはずの森へ向かって、
老人は静かに呟いた。
「勇者よ。」




