第44話 ――見覚えのある顔
エリンドール王国のとある隠れ家。
ドラヴィオンとリオレンは、机を挟んで向かい合うように座り、書き込みや走り書きで埋め尽くされた何枚もの紙を眺めていた。
ドラヴィオンは、自ら描いた計画図を指差した。
「そして、これが俺がすべてを終わらせるための方法だ」
リオレンは片手を顎に添え、数秒間その計画を吟味する。
「ふむ……悪くない」
ドラヴィオンは片眉を上げた。
「なんだ? 理解できていないようだが」
リオレンは紙から目を離さない。
「お前は何も考えず……通った場所すべてを破壊するような奴だと聞いていた」
ドラヴィオンは小さく笑った。
「十年も監禁されていれば、少しは物事を考えるようになるさ」
リオレンがようやく顔を上げる。
「……どういう意味だ?」
ドラヴィオンは椅子に深くもたれかかった。
「昔の俺は、力ずくで王座を奪おうとした。そして、父親に敗れた。あの頃の俺は、力こそがすべてだと思っていた……」
そこで一度言葉を切り、机の上の紙へ視線を落とす。
「だが、今は違う。俺には協力者が必要だ。そして、計画もな」
ドラヴィオンは机の上の紙を指で叩いた。
「それが、この計画だ」
リオレンは目を細める。
「だから、あの人間を俺に殺させなかったのか?」
ドラヴィオンが答えるより先に、隠れ家の暗がりから声が響いた。
「俺は死ぬつもりなんてないけど……そんな計画に加担するつもりもないぞ」
ドラヴィオンが声のした方向へ顔を向ける。
そこには、両手を枷で拘束されたエドリックが床に座っていた。
ドラヴィオンは小さな魔法の光を生み出し、エドリックの顔を照らす。
「お前、エドリックって言ったな?」
「……眩しいんだけど」
エドリックは光を避けるように目を細めた。
リオレンは薄く笑う。
「人間、一つ覚えておけ。死体に名前なんて必要ない」
エドリックは苦笑した。
「はぁ……ヴァンパイアに殺されるのか……。お前が女だったら、噛まれても別に構わなかったんだけどな。妹とかいないのか?」
その瞬間――
リオレンの姿が消えた。
次の瞬間には、エドリックの目の前に立っていた。
鋭い爪が、エドリックの目からわずか二センチほどのところで止まっている。
エドリックの身体が硬直した。
そのとき初めて、リオレンの腕を掴んで動きを止めている手に気づく。
ドラヴィオンだった。
「リオレン。その人間に挑発されるな。計画にはこいつが必要だ」
リオレンは牙を剥き出しにする。
「別の人間を連れてくる。だから、こいつだけは殺させろ」
エドリックは口元を歪めた。
「お前、その悪魔に従ってるのか? 自尊心はどこに置いてきたんだ、相棒?」
リオレンの目が赤く染まる。
「貴様……死にたいのか!」
再び飛びかかろうとしたリオレンの前に、ドラヴィオンが割って入った。
「リオレン。侵入作戦に参加させられる程度には強い人間が必要なんだ。弱すぎれば、逆に怪しまれる」
ドラヴィオンはエドリックを見る。
「こいつには協力させる。もちろん、精神魔法を使ってな」
そして、再びリオレンへ視線を向ける。
「それが終わったら、好きに殺せばいい」
リオレンは苛立たしげに息を吐いた。
「……フン。首を洗って待っていろ、人間」
そう言い残すと、リオレンは背を向け、その場から離れていった。
ドラヴィオンは遠ざかっていくリオレンを見つめる。
そして、再びエドリックへ視線を戻した。
「ヴァンパイアを怒らせるなんて、あまり賢いやり方じゃないな。俺は強い人間は嫌いじゃない。だが、お前は今、自分で墓穴を掘ったぞ」
ドラヴィオンはゆっくりと反対側へ歩き始める。
「すべてが終わったら、俺にもお前を助ける余裕はない。だから、それまでの人生をせいぜい楽しむんだな、エドリック」
エドリックは何も答えなかった。
そして、ドラヴィオンが背を向けたことを確認すると、口の中に隠していたものを素早く床へ吐き出し、その上に腰を下ろした。
よし……気づいてない。
後ろポケットから鍵を口で抜き取ったことにもな。
エドリックは心の中で安堵する。
あとは隙を見てこの枷を外して、ここから逃げ出せばいい……
エドリックはちらりとリオレンを見る。
……でも、あのヴァンパイア、ずっと俺から目を離さないんだよな……
数時間前――
エドリックは床に倒れ、全身から血を流しながら苦しんでいた。
その目の前にはリオレンが立っている。
今にも、とどめを刺そうとしていた。
エドリックは、もはや目を開けていることすら難しかった。
「テッサ……ごめん……」
ゆっくりと目を閉じる。
その瞬間――
「待て、リオレン。この男は使える。俺の計画にはこいつが必要だ」
エドリックはゆっくりと目を開けた。
目の前にはドラヴィオンが立ち、リオレンを真っ直ぐ見つめていた。
リオレンは歯を食いしばる。
「そいつは俺たちの仲間を殺した。大切な友人だったんだ。こいつには、その代償を払わせる必要がある」
ドラヴィオンは冷静に答えた。
「そのつもりだ。だが、それまではこいつが必要なんだ」
ドラヴィオンはエドリックへ目を向ける。
「こいつは、俺が厄介な人間だと判断するギリギリの強さを持っている」
リオレンは眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
ドラヴィオンは説明する。
「俺たちにとって脅威になるほど弱くはない。だが、強すぎて役に立たなくなるほどでもない」
そして、少し間を置く。
「侵入作戦では、こいつを利用する。こういう人間には、うってつけの役割だと思わないか?」
リオレンはすぐに意味を理解した。
口元に笑みが浮かぶ。
「囮……か。フッ、なるほどな」
エドリックは床に倒れたまま動かなかった。
死ぬと思った……
記憶が途切れると、エドリックは再びリオレンを黙って見つめていた。
リオレンはその視線に気づき、わずかに眉をひそめる。
「……何を見ている?」
ドラヴィオンも横目でエドリックを見る。
そのときだった。
静まり返った部屋に、ゆっくりと扉が軋む音が響いた。
ギィィィ……
全員が一斉に音のした方向を見る。
扉の隙間から、女性の手が現れ、ゆっくりと扉を押し開けていく。
ドラヴィオンは目を細めた。
近くに誰かがいる気配なんて、感じなかった……
女は部屋の中へ入ってきた。
全身を黒い外套で覆い、フードが顔の一部を隠している。
「あなたから呼び出されたから来たわ、リオレン。よほど重要な話なんでしょうね?」
リオレンは驚いたように立ち上がる。
「ヴァレラ! 久しぶりだな!」
ヴァレラはドラヴィオンへ視線を向けた。
「まさか、悪魔族が私たちに加わるなんてね」
「だが、こうなったのは悪くない」リオレンが答える。「今の俺たちには、共通の目的がある」
ドラヴィオンは薄く笑い、ヴァレラへ手を差し出した。
「よろしく頼む」
ヴァレラは差し出された手を数秒間見つめた。
そして、ゆっくりとドラヴィオンの顔へ視線を上げる。
「言っておくけど、リオレンは私の友人よ。でも、あなたは違う。私たちはただ、やるべきことをやりましょう」
ドラヴィオンは静かに手を引いた。
「そうか。悪かったな。少し距離を縮めすぎたようだ」
「まあまあ、ヴァレラ。こいつは信用できる」
リオレンがそう言うと、ヴァレラは腕を組んだ。
「私は悪魔族を信用しないわ、リオレン……。それより、どうしてこの部屋に人間がいるの?」
全員の視線がエドリックへ向く。
エドリックは居心地悪そうに身じろぎしたが、全員が自分を見ていることに気づくと、ぴたりと動きを止めた。
「ん……? 何だよ?」
ヴァレラはゆっくりとフードを下ろした。
その下から現れたのは、青白く美しい顔。
赤い瞳が妖しく輝き、唇の隙間から鋭い二本の牙が覗いている。
彼女は微笑んだ。
「私の食事を用意してくれたの?」
ヴァレラはエドリックへ向かって歩き始める。
エドリックの背筋を悪寒が走り、冷や汗が流れた。
「えっと……こ、こんにちは……」
リオレンが大笑いする。
「ハハハハ! よかったな、人間! お前が望んでいたヴァンパイアだぞ!」
ヴァレラは楽しそうに首を傾げる。
「あら……噛まれ方にも好みがあるの?」
さらにエドリックへ近づいていく。
「安心して。ちゃんと血を一滴残らず吸ってあげるわ」
「悪いが、少し待ってもらおう」
ドラヴィオンがヴァレラの肩に手を置いた。
「この人間は俺の計画に必要だ」
ヴァレラが足を止める。
しばらくの間、ドラヴィオンに背を向けたまま動かなかった。
そして、低い声で呟く。
「……手を離して」
「まあ、落ち着け。お前が自制できるなら――」
「――横一閃!」
ヴァレラが身体を翻し、鋭い爪でドラヴィオンへ斬りかかった。
ヒュッ!
ドラヴィオンは難なく攻撃をかわし、数メートル後方へ飛び退く。
ヴァレラの目が大きく見開かれた。
その瞳は小刻みに震えながら、ドラヴィオンの顔を見つめている。
「な……何……? あなた……一体、誰なの……?」
その瞬間――
ドラヴィオンの瞳が、完全な黒に染まった。
そして、その口元に浮かんでいた笑みも変化する。
瞳も、口も。
まるでその奥に底のない虚無が広がっているかのようだった。
顔そのものが、深淵へと変わったように見える。
ドラヴィオンの背後から、リオレンが声を張り上げる。
「もういい、ヴァレラ! こいつが強いことは分かっただろ! やめろ!」
ヴァレラは両手で目を擦り、何度も瞬きをした。
そして、もう一度ドラヴィオンを見る。
そこには、いつもの顔が戻っていた。
「あなた……今のは……どうやったの? その顔……」
ドラヴィオンは自分の顔に手を当てる。
「俺の顔がどうした?」
ヴァレラは頭を押さえ、目を閉じた。
「……きっと幻覚を見たのね。少し頭が混乱しているみたい……。あの人間の血を少しだけ飲むわ」
「だから、さっきから――」
そのとき、リオレンが突然、エドリックのいた場所へ視線を向けた。
目を大きく見開く。
「――あの人間はどこだ!?」
全員が床を見る。
そこには、外された枷と、その横に落ちている鍵だけが残されていた。
リオレンは信じられないという顔をする。
「どうやって鍵を手に入れた……?」
ドラヴィオンはすでに扉へ向かっていた。
「そんなことは後だ。俺が追う」
ドラヴィオンは扉を開け、そのまま走り去った。
そして、後ろ手に扉を閉める。
リオレンもすぐに後を追おうとした。
しかし、ヴァレラが彼の腕を掴んだ。
「何だ、ヴァレラ!?」
ヴァレラは、ドラヴィオンが出ていった扉を見つめていた。
「さっき……あの悪魔族の顔を見たとき……私、あの顔を見たの」
リオレンは眉をひそめる。
「……何?」
「遥か昔の……あの深淵の顔を……」
リオレンはしばらく黙り込んだ。
「まさか……」
ヴァレラが言葉を続ける。
「あの悪魔族……もしかしたら、ヌッツと何か関係があるのかもしれない」
「ヴァレラ。俺はあの悪魔族を地下牢で見つけたんだ。何年もそこに閉じ込められていた」
「私はただ、自分が見たものを伝えているだけよ。でも……その顔は、すぐに消えた」
リオレンは片手で顔を覆い、考え込む。
「そうか……。なら、しばらく奴を監視する。もし本当なら、俺たちも警戒しなければならない」
ヴァレラは腕を組む。
「だったら、あいつを殺して今まで通りにすればいい」
リオレンはヴァレラを睨む。
「一生逃げ続けるのがお前は楽しいのか? 俺はそんなの御免だ! 俺は、俺たちの仲間を解放したい!」
ヴァレラは一瞬、視線を逸らした。
「私だってそうしたい……。でも、もし全部、あの……『何か』の計画通りだったら?」
リオレンは深く息を吐いた。
「もしあいつに少しでも怪しい動きがあれば、俺たちの仲間を解放した直後に殺す」
拳を強く握りしめる。
「そして世界中に知らしめるんだ。あの忌々しいルミナリアが、俺たちに何をしたのかを!」
ヴァレラは数秒間黙っていた。
そして、静かに頷く。
「……分かった」
その頃、外では――
少し離れた場所を、エドリックがふらつきながら木々の間を走っていた。
かなり離れたな……。あの騒ぎがなかったら、今頃まだあそこにいた。運がよかった……
エドリックは必死に走り続ける。
すると、木々の間を歩いている人影が見えた。
人だ! もしかしたら助けてもらえ――
だが、すぐに気づく。
その人物はフードを被っていた。
……待て。フードを被ってる。
エドリックの心臓が跳ね上がる。
まずい。逃げなきゃ……。もう見つかったのか?
エドリックはさらに速度を上げた。
しかし――
突然、目の前に黒い影が現れた。
フードを被った人物が、道を塞ぐように立っている。
エドリックは急停止した。
そして、横を見る。
さっきまでそこにいた人物は、もういなかった。
「お前……」
エドリックは息を切らしながら声を絞り出す。
「はぁ……はぁ……。俺を助けに来てくれたんだよな? 頼む……」
男は何も答えない。
ただ、腰に差していた剣へ手を伸ばし、ゆっくりと引き抜いた。
「お前……俺が向かおうとしていた方向から走ってきたな」
剣身が、木々の隙間から差し込む僅かな光を反射する。
「リオレンから逃げているのか? 人間」
男が顔を上げる。
フードの奥から、赤い片目が覗いた。
エドリックは凍りついた。
「……ああ、クソ……」
そして、一歩後ずさる。
「……またかよ……」




