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第42話 ― ミハルとテッサ

ミハルは街の通りを歩きながら、先ほどまでいた酒場のことを考えていた。


酒場はエレノラさんに任せてきたけど……大丈夫かな。


エレノラはミハルにとって長い付き合いの友人であり、店を任せられるほど信頼している相手だった。


しばらく歩いた後、ミハルはようやく**「獅子のギルド」**の前へと辿り着いた。


入口の前で立ち止まり、大きく息を吐く。


「ふぅ……。ここに来るのも何年ぶりかな。まさか、また入ることになるなんてね」


ミハルは手を伸ばし、扉に触れた。


その瞬間、一つの記憶が脳裏をよぎる。


彼女が初めてこの扉を押し開けたのは、まだ十七歳だった頃。


あの頃は、何もかもが違って見えていた。


しかし、その記憶は現れた時と同じように、すぐに消えていった。


ミハルは数秒間、扉を見つめる。


まるで……初めてこの扉を開けるみたい。


そして、ゆっくりと扉を押し開けた。


中へ入ると、ミハルの目に獅子のギルドの広々としたロビーが映った。


そこには何人もの冒険者たちがいて、談笑したり、休憩したり、依頼を受けたりしている。


その中には、ミハルへと数秒間視線を向ける者もいた。


何年もここへ姿を見せていなかった人物だからだろう。


ミハルは数メートルほど歩くと、受付カウンターへと目を向けた。


そして、口元に小さな笑みを浮かべる。


「そこの受付にいるのって……リシア?」


獅子のギルドの受付嬢が顔を上げる。


ミハルの姿を認めると、慌てて眼鏡を直した。


「ミ、ミハルさん……?」


ミハルはすでにカウンターの前まで来ていた。


「私、別に年寄りじゃないんだけど? 普通に名前で呼んでくれていいよ」


リシアは笑顔を浮かべる。


「ミハル! 本当にミハルなんだ! ど、どうしてここに?」


「うん……私だよ。ちょっと、またここに来ることになってね……」


リシアは目を見開いた。


「まさか……また戻ってくるの?」


「いやいや、それは忘れて」


「じゃあ……今日は何をしに来たの?」


ミハルは笑った。


「リシアと話しに来たの。ふふっ」


リシアは数秒間、黙り込んだ。


そして、ため息を吐く。


「……意味が分かりません」


ミハルは周囲を見回し、誰もこちらを気にしていないことを確認した。


それから少しだけ身を乗り出し、片手で口元を隠しながら、小声で言った。


「マツダ・レンがこのギルドに所属していることは知ってる。あの子が今どこにいるのか知りたいの」


リシアは何度か瞬きをした。


「ああ……」


そして、小さく笑う。


「そんなことしなくても大丈夫ですよ。あの頃のことはもう昔の話ですから。今なら普通に誰かの居場所を聞けばいいじゃないですか」


ミハルは自分が何をしていたのかに気づいたようだった。


「あっ……ごめん。昔の癖が抜けなくて」


リシアは頷いた。


「それで、そのマツダ・レンなんですが……彼は仲間たちと一緒に旅をしていました。私が知る限りでは、その中でも一番弱かったはずです」


ミハルは片眉を上げる。


「それは知ってるよ。数日前に本人たちを見かけたけど……私には、そこまで弱そうには見えなかったけどね」


リシアは不思議そうな顔をする。


「レンさんに何の用があるんですか?」


ミハルはカウンターに両手を置いた。


「今、あの子がどこにいるのか知りたいの。リシア、お願い」


「彼は今、依頼を受けていて……」


リシアは少し間を置いた。


「ここからかなり遠い場所にいます」


「そう……」


ミハルは微笑んだ。


「じゃあ、あの子がどこにいるのか探すのを手伝ってもらおうかな」


リシアはミハルをじっと見つめる。


ミハルはカウンターに肘をつき、両手に顎を乗せたまま、笑顔で彼女を見つめ返した。


リシアは次第に落ち着かなくなっていく。


「い、嫌です! そんなことしませんから!」


ミハルは首を傾げる。


「お願い、リシア。こんな遠距離から人を追跡できるのは、あなたくらいなんだから」


「この能力はギルドの仕事にだけ使うようにしてるんです。お願いですから、分かってください」


ミハルはしばらく黙っていた。


そして、笑みを浮かべる。


「十年前に私があなたのために何をしたか……覚えてる?」


リシアは視線を落とした。


数秒間黙り込んだ後、口を開く。


「私……ミハルさんが、そんな人だとは思いませんでした……」


ミハルはため息を吐いた。


「だから、私はそんな人じゃないって」


その表情が真剣なものへと変わる。


「でも、本当にマツダ・レンを探さないといけないの!」


リシアはミハルを見つめた。


その瞳には、明確な決意が宿っていた。


数秒後、リシアはついにため息を吐く。


「……分かりました。隣の部屋へ行きましょう」


そう言って、別の受付嬢へ声をかける。


「ねえ、ヴェルカ! 少しの間、ここをお願いできる? すぐ戻るから」


ヴェルカと呼ばれた別の受付嬢が答える。


「はいはい。でも急いでね。レオンマスターがいつ来るか分からないから」


リシアは頷いた。


二人はそのまま、ギルド内の部屋へ向かって歩き始めた。


ミハルがふと思い出したように口を開く。


「そういえば……レオンがまだ来てないのも変だね。出かけてるの?」


「うん。でも、どこへ行ったのかは分からない」


リシアは歩きながら答える。


「ギルドで一番腕の立つ冒険者二人を連れて出ていきました」


「ふーん……」


しばらくして、リシアは小さな部屋の扉を開けた。


「ここです。蝋燭をつけますね」


部屋へ入り、ミハルを見る。


「それと……一つお願いしたいことがあります!」


ミハルも部屋へ入った。


「もちろん。何でも言って」


リシアは扉を閉めた。


そして片手を上げる。


「フローティング・ライト」


二人の間に小さな光の球が現れ、部屋を柔らかく照らし始めた。


リシアは部屋のあちこちに置かれた蝋燭へ火を灯していく。


その途中で、彼女は尋ねた。


「ミハルさん……以前、ヴァンパイアと戦ったことがありますよね?」


ミハルの表情が一瞬で変わった。


笑顔が消える。


「ヴァンパイア……?」


彼女は真剣な眼差しでリシアを見る。


「どうしてそんなことを聞くの、リシア? 何かあったの?」


リシアは最後の蝋燭に火を灯した。


そして数秒間、その場に立ったまま壁を見つめる。


「……」


ミハルは眉をひそめた。


「リシア?」


数秒待つ。


「……もしもし?」


次の瞬間、リシアがミハルのところへ駆け寄り、両腕を掴んだ。


「お願いです! 誰にも言わないでください!」


ミハルは目を見開いた。


「ちょ、ちょっと落ち着いて。ふふ……何があったの?」


ミハルはリシアの手を優しく自分の腕から外す。


リシアは深く息を吸った。


「数日前の夜……見たんです」


ミハルは数秒間、彼女を見つめる。


「み、見たって……?」


目を細める。


「本当に?」


リシアは頷いた。


「私の部屋に現れたんです」


ごくりと唾を飲み込む。


「白い髪に……とても白い肌。それから、血のように赤い目をしていました」


そして、リシアの頬が少し赤くなる。


「でも、それ以外は……ものすごく綺麗な人で……それに――」


途中で言葉を止めた。


ミハルはすでに二メートルほど後ろへ下がっていた。


その手は、いつの間にか剣の柄へ伸びている。


「なるほど……」


ミハルは目を細める。


「じゃあ、こういうこと?」


「え?」


「そのヴァンパイアに……あなたは眷属にされた?」


リシアは慌てて首を横に振る。


「ち、違います! 違います、そんなことされてません!」


ミハルはなおも彼女を見つめる。


「ヴァンパイアがあなたの部屋に現れた……」


しばらく沈黙する。


……クリムゾン・ヴェイルは、リシアに何の用があったの?


リシアは続けた。


「怖かったです……でも、同時に……不思議と安心する感じもあって」


ミハルはゆっくりと剣から手を離した。


「どういうこと?」


「それから……そのヴァンパイアも、マツダ・レンについて聞いてきたんです」


ミハルの目が見開かれる。


「何ですって!?」


リシアがびくっと跳ねる。


「お、落ち着いて!」


ミハルは彼女へ詰め寄った。


「そんな話を聞いて落ち着いていられるわけないでしょ!」


声がさらに真剣になる。


「レンがどこにいるのか、あいつに教えたの? 他の誰かにも話した?」


リシアは慌てた様子で答える。


「わ、私はレオンマスターに話そうとしました……」


両手を握りしめる。


「でも、マスターはただ肩をすくめて……私が何かを想像しているだけだって……」


ミハルは数秒間黙り込んだ。


そして、力強く言う。


「今すぐマツダ・レンの居場所を探して!」


リシアは心配そうにミハルを見る。


「ミ、ミハルさん……誰かに話すんですか?」


「話さない。絶対に」


ミハルはリシアを指差す。


「だから、早くやって、リシア!」


その声にリシアはびくっとする。


「わ、分かりました! そんなに怒鳴らなくても……」


リシアは能力を使う準備を始めた。


その間、ミハルは片手を頭に当てる。


クリムゾン・ヴェイルは、マツダ・レンを殺そうとしてるの?


でも……どうして?


彼女は部屋の中を行ったり来たりし始めた。


まさか……もう殺されてるんじゃ……?


ミハルが足を止める。


表情が険しくなる。


いや……


一瞬だけ目を閉じる。


もしあの子が死んでいたなら……私は分かるはず。


ゆっくりと手を握りしめる。


絶対に……分かる。


その頃、リシアの額にはうっすらと汗が浮かんでいた。


目を閉じたまま、彼女が呟く。


「……見つけました」


そして片腕を上げる。


「リビール!」


リシアの身体から青いオーラが放たれ始めた。


そのエネルギーは空中へ集まり、少しずつ一枚の小さな王国の地図へと形を変えていく。


ミハルは目を見開いた。


「待って……これ、エリンドール王国じゃない?」


リシアは突然力を失い、その場に膝をついた。


同時に、空中に浮かんでいた地図が消滅する。


彼女は両手を床につき、荒い息を吐き始めた。


「はぁ……はぁ……はぁ……正確な場所までは特定できませんでした……はぁ……はぁ……でも……どうやらドレイヴンホールドへ向かっているみたいです……」


ミハルは彼女へ近づき、立ち上がるのを手伝う。


「ちょっと腕が鈍ってるんじゃない?」


リシアは深く息を吸う。


「まあ……はぁ……この魔法を使うのも久しぶりですから……」


ミハルは腕を組む。


「またヴァンパイアに遭遇したら、絶対に逃げて。純血種のヴァンパイアは、とんでもなく強いから」


リシアは少し考え込む。


「そういえば……ミハルさんは、どうやってヴァンパイアを倒したんですか?」


ミハルは片眉を上げる。


「テッサから聞いてないの?」


リシアは首を横に振った。


「はい」


ミハルはため息を吐く。


「私とテッサ、それからエドリックの三人で、持てる力を全部使って戦ったの。でも最後は、テッサが私たちを気にせず戦えるように、私とエドリックが離れた」


少し間を置く。


「戻ってきた時には……そのヴァンパイアの首が、テッサの槍に突き刺さってた」


リシアは目を見開く。


「すごい……一人で倒したんですか?」


「もちろん違うよ!」


ミハルはすぐに否定した。


「私たちが離れた時点で、あいつはかなり消耗してた。それに……もう十二年も前の話だからね」


リシアは数秒間黙り込む。


「でも……本当に彼らは悪い存在なんでしょうか? 私と話したヴァンパイアは、優しそうな人でした」


ミハルの表情が険しくなる。


「騙されちゃ駄目、リシア。彼らは怪物よ。ヴァンパイアによっては……悪魔よりも危険な存在になることだってある」


ミハルは扉へ向かって歩き始めた。


「じゃあ、私は行くね」


リシアは頷く。


「は、はい……また来てくださいね」


ミハルは歩きながら答えた。


「またレオンの顔まで見なきゃいけないんでしょ? それは嫌。でも、あなたには会いに来てもいいかな。ふふ」


リシアは小さく笑った。


ミハルは扉の前まで来ると、外へ出る前に一度だけ立ち止まった。


そして最後に、獅子のギルドのロビーを振り返る。


彼女の視線が、一つのテーブルに止まった。


その瞬間――


目の前の現在が消えた。


何年も前。


同じ場所で、ミハルはテッサ、エドリック、そしてもう二人の仲間と一緒に座っていた。


皆でパンを食べながら、楽しそうに話し、笑っている。


ミハルは小さく微笑んだ。


「……あの頃が懐かしいな」


その笑顔が、ゆっくりと消えていく。


「でも……同時に……」


記憶が変わった。


ミハルは地面に膝をついていた。


両手は血にまみれている。


身体全体が震えていた。


「マ、マリア……リョウ……」


目の前には、二人の身体が倒れている。


少し離れた場所では、テッサが槍を手に立っていた。


その身体は炎に包まれている。


彼女の前には、数十人もの敵が倒れ、無残な姿を晒していた。


ミハルは深く息を吸う。


「もういい、テッサ……。マリアとリョウを埋葬しよう」


テッサがゆっくりと振り返った。


その顔には、何の感情も浮かんでいない。


一言も発することなく、テッサはミハルへ向けて槍を構えた。


ミハルの目が見開かれる。


……私を攻撃するつもり?


テッサは槍の軌道を変え、そのまま突進してきた。


ミハルは一瞬だけ目を閉じる。


身体術・七式――獣身(じゅうしん)。


その身体が、まるで獣のように動いた。


一瞬でミハルは前へ踏み込み、テッサとの距離を詰める。


「精神術・三式――明鏡(めいきょう)」


ミハルの知覚が完全に研ぎ澄まされる。


そして気づいた。


槍の軌道を……また変えた。私を狙ってる!


最後の瞬間、ミハルは片手を地面へ叩きつけた。


ズドォォォン!


地面が隆起し、目の前に小さな壁が形成される。


テッサの槍がその障壁へ叩き込まれた。


ドガァァァン!


炎が壁を包み込み、槍が石壁を貫通していく。


ミハルは、槍が障壁を突き破り、石を焼きながら進んでいく様子を見つめた。


そして――


ザシュッ!


槍が反対側へと突き抜けた。


テッサは一瞬、動きを止める。


その視線は、ミハルがいるはずだった場所へ向けられていた。


次の瞬間、テッサは素早く首を回す。


「……何?」


ドスッ!


ミハルがテッサの背後に現れ、その首筋へ正確な一撃を叩き込んだ。


テッサはその場に崩れ落ちる。


手から槍が滑り落ちた。


身体を包んでいた炎も消え、彼女の姿が元へ戻っていく。


ミハルは荒い息を吐いていた。


「はぁ……はぁ……」


倒れたテッサを見下ろす。


「最後は……手加減してたんだね……はぁ……」


ミハルはテッサの隣に膝をついた。


「テッサ……目が覚めたら、ちゃんと話そう」


そこで記憶が途切れた。


ミハルは何度か瞬きをした。


彼女はまだ、獅子のギルドの入口に立っていた。


その表情は真剣だった。


そして扉を開き、外へ出る。


「マツダ・レンを見つけたら……」


ミハルはドレイヴンホールドの街を歩き始めた。


「まずはライサと連絡を取らないと。あの子なら、あいつが何を学ぶべきなのか分かるはず。私は一応、ヒョーレンなんだから」


そう考えながら、ミハルはドレイヴンホールドの城門へ向かって歩いていった。


しばらく歩いていると、隣から一台の馬車が近づいてきた。


ミハルは少し横へ避け、御者へ目を向ける。


そこにいたのは猫人族の女性だった。


ミハルは軽く頭を下げる。


「こんにちは。いい午後ですね」


御者の女性も笑顔で答える。


「こんにちは。いい午後ですね」


馬車はそのままミハルの横を通り過ぎていく。


ミハルは数秒間、その馬車を目で追った。


あの人……ドラクサールの人みたいだったな。


じゃあ、入口付近でマツダ・レンを待ってみようかな。


一方、その頃……


馬車はドレイヴンホールドの街中を進んでいた。


御者席ではマイコネコが手綱を握り、他の一行は馬車の中にいた。


ガリックが前方を見る。


「そろそろ着きそうだな」


マイコネコは目を細める。


「前方にギルドが見える……獅子って書いてあるね」


ミレーヤも同じ方向を見る。


「そこよ」


マイコネコは手綱を引き、馬車を止めた。


「降りていいよ。私は馬車を置いてくる場所を探してくる」


一行は次々と馬車から降りていく。


レンは周囲を見回した。


「思ったより早かったな」


そして、リュセラを見る。


「リュセラは、フードを被って顔を隠したほうがいい。悪いけど……」


リュセラは笑顔でレンの言葉を遮った。


「大丈夫よ、レン。言いたいことは分かってるから。ふふ」


アウェレンは馬車をしばらく眺める。


「セドランが私たちに馬車を一台貸してくれた時は、本当に驚いたわ」


レンは口元に手を当て、数秒間考え込む。


リュセラがそれに気づいた。


「どうしたの、レン?」


「ドラクサールのあのおじさん……俺たちに馬車を貸してくれた人……あの人、どうする?」


リセラが目を見開く。


「あっ! あの人……そういえば、馬車をどこに置いたんだっけ?」


ミレーヤは顎に手を当てる。


「レン、よくあのおじさんのことを思い出せたわね。わ、私は完全に忘れてた……」


レンは首を横に振る。


「俺も今思い出した。なんでだろうな」


その隣にいたマイコネコが眉をひそめる。


「……何の話?」


ガリックが他のメンバーを見る。


「ドラクサールで、あるおじさんから借りた馬車の話か?」


マイコネコは彼らを見つめる。


「それで、なんでみんなで言い争ってるの?」


ミレーヤは気まずそうに答えた。


「その……馬車を返すって約束したんだけど……どこに置いてきたのか、誰も思い出せなくて……」


マイコネコは呆れたように首を振った。


「全員まとめて頭を小突いてやりたいところだけど……ここまで色々あったことを考えたら、今回は見逃してあげる。誰なのか教えてくれれば、私が新しい馬車を用意して返しておくよ」


リセラが小さく笑う。


「随分と慈悲深いのね」


アウェレンは焦った様子で皆を見る。


「あなたたち、ここへ何をしに来たんだっけ? 時間がないんでしょう!」


レンが目を見開く。


「あっ、そうだった! 依頼の報告に来たんだった!」


ミレーヤが獅子のギルドの扉を開く。


「失礼します……」


彼女は二歩ほど中へ入った。


カウンターの向こうでは、リシアが片手を頭に当て、ぼんやりと遠くを見つめていた。


しかし、突然ミレーヤたちの存在に気づく。


「あっ! 『輝きの魔術師』……ミレーヤさん?」


フードの下に顔を隠しているリュセラが首を傾げる。


「……『輝きの魔術師』?」


ミレーヤはその言葉を無視した。


「依頼の報告に来ました」


リシアはため息を吐く。


「ああ……レオンマスターなら、今は出ています」


マイコネコは、レンが後ろにいる状態で、口の端から問いかける。


「どんな依頼だったの?」


レンは数秒間、マイコネコを見る。


「えっと……ドラクサールが魔族側と手を組んでいるのかどうか、それを確認する依頼だったんだ」


マイコネコはレンを見つめる。


数秒間、沈黙。


そして突然、笑い始めた。


「え? あははははは!」


ギルド内にいた何人かがマイコネコへ視線を向ける。


ガリックが彼女の肩を軽く叩いた。


「い、いや……もうやめたほうがいいと思うぞ。ここの人たち、ちょっと変な目で見てる」


リシアは真剣な表情になる。


「その依頼……秘密だったんじゃありませんか? レオンマスターが戻るまで待ってください」


マイコネコは重い足取りでカウンターへ向かって歩き始める。


ドン……ドン……ドン……


そしてリシアの目の前で立ち止まった。


「私はマイコネコ。ドラクサールの指導者の一人よ。そして……私たちは魔族と手を組んでなんかいない」


ギルド内が完全な静寂に包まれる。


ガリックは片手で顔を覆った。


「……もう終わった」


リシアは目を見開く。


「え……?」


ミレーヤが微笑む。


「本当よ」


リシアはため息を吐き、皮肉っぽく答えた。


「ああ、そうですか。じゃあ私は女神ルミナリアです」


マイコネコはすぐに、自分が持っていた証章を見せた。


リシアはそれをじっと見つめる。


マイコネコが言う。


「それが偽物じゃないことくらい、あなたも分かってるでしょう?」


リシアの身体が震え始めた。


「ほ、本当に……マイコネコさん……?」


慌てて髪を整える。


「も、申し訳ありませんでした!」


レンは両手を上げる。


「まあまあ、落ち着いて。俺たちはただ依頼の報告に来ただけだから。しばらくここには来ないようにするつもりだし……な?」


リシアは瞬きをする。


「ど、どうしてですか?」


レンは少し考える。


「別の場所へ……訓練に行くんだ」


「訓練……? で、でも……もう一度、依頼掲示板を見て新しい仕事を受けていきませんか?」


ガリックがすぐに声を上げる。


「おいおい! 俺たちは受けた仕事をちゃんと終わらせたんだぞ。報酬をもらいたい!」


リシアは困ったような表情を浮かべる。


「こ、この依頼は掲示板に貼られていたものではありませんから……正式に報酬を支払えるのはレオンマスターだけなんです。すみません」


レンはその場を離れ、依頼掲示板へ向かった。


リュセラが彼を見る。


「レン、何してるの?」


レンは答えない。


依頼掲示板をじっと見つめ、何かを考えている。


そして突然――


一枚の依頼書を引き剥がした。


そのままカウンターへ戻り、リシアの前に紙を置く。


その場にいた全員の背筋に悪寒が走った。


リシアは依頼書を手に取り、内容を読む。


そして目を見開いた。


「ちょ、ちょっと! 正気ですか!? どうしてこんな依頼を受けるんですか! あなたはこの中で一番弱いんですよ!」


そして他のメンバーを見る。


「それに……人数も増えてるじゃないですか!」


ガリックが笑う。


「仲間が増えたからな」


リシアは依頼書を掲げる。


「人数が増えたところで関係ありません! 相手は成竜なんですよ!」


ミレーヤがレンを見る。


「どうしてこの依頼を受けたの、レン?」


レンは落ち着いた様子で答えた。


「これが唯一……エラリオンへ行ける依頼だから」


一同が驚く。


アウェレンはすぐに腕を組んだ。


「私はこんなの手伝わないからね……」


ガリックが答える。


「別にいい。お前は俺たちをそこまで連れて行ってくれればいい」


そしてカウンターへ近づく。


「それと……そろそろ言ってもいいよな」


リセラは依頼書を見る。


「本当に……ドラゴンを倒すつもりなの?」


リュセラは驚いた。


「この依頼……マスター向けのダイヤモンド級じゃない!」


ガリックはカウンターに両手をつく。


「それでだ……あの二人。最強だって言われてた奴ら。ダルガンとシルヴァラ。あいつら、このギルドの所属だよな?」


リシアの表情が一瞬で変わった。


額に冷たい汗が浮かぶ。


レンは目を細め、拳を握る。


ガリックは続けた。


「あいつら……ここのお気に入りの魔術師を誘拐して、ひどい場所へ連れて行ったんだろ?」


「俺たちがその子を助けた。そして今、俺は……」


拳を強く握りしめる。


「あの二人の顔面をぶん殴ってやりたい!」


リシアの顔がさらに青ざめる。


「あ、あの二人は……他のギルドからも頻繁に依頼を受けていますから……あはは……今はここにはいません」


ガリックは眉をひそめる。


「何? あいつらは一つのギルドにしか所属してないんじゃないのか?」


リシアはこっそり汗を拭う。


「ダ、ダイヤモンド級に昇格した冒険者は、一つのギルドに限定されなくなるんです。複数のギルドに所属することもできますし……あの二人はいつも各地を旅しています」


ガリックはカウンターを軽く叩いた。


「なら、ドラゴンの依頼を受けるぞ」


そしてリシアを指差す。


「それから……あの二人には二度と俺たちの前に現れてほしくない。もし現れたら……俺が殺す。そう伝えておいてくれ」


レンは心配そうにガリックを見る。


「ちょ、ちょっと待てよ。さすがに言い過ぎじゃないか?」


ガリックはそのまま背を向けた。


リシアはごくりと唾を飲み込む。


「わ、分かりました……。依頼を登録しておきます」


ミレーヤは依頼書を見る。


「ドラゴンが相手……」


リシアはため息を吐く。


「ほ、本当ならこんな自殺行為みたいな依頼、受けさせるべきじゃないんですけど……あなたたちがそうしたいなら……どうか、無事に帰ってきてください」


レンたちはギルドを出ていった。


リシアは彼らの姿が見えなくなるまで見送った。


そして、大きく息を吐く。


「……今日は、本当に変な一日だった……」


それから数分後。


ギルドの扉が再び開いた。


リシアが顔を上げる。


三人の人物がこちらへ歩いてくる。


リシアはすぐに彼らの正体に気づいた。


「あっ! お帰りなさい、レオンマスター、ダルガンさん、シルヴァラさん!」


シルヴァラが笑顔を浮かべる。


「あら、こんにちは、リシア。あとでちょっと一緒に出かけない?」


リシアは眉をひそめる。


「出かける?」


シルヴァラは笑った。


「ええ、ええ。あなたに話したいことがいくつかあるの」


レオンが口を挟む。


「リシアを仕事から引き離すな、シルヴァラ」


リシアは冷や汗をかきながら、慌てて答える。


「は、はい……あとでお話ししましょう……」


ダルガンは扉へ向かって歩いていく。


「じゃあ、俺は休ませてもらう」


しかし、レオンはリシアを注意深く見つめていた。


「……リシア。何か変だな。どうした?」


リシアは一瞬、シルヴァラとダルガンを見る。


それからレオンへ視線を戻した。


「疲れているのか?」とレオンが尋ねる。


「は、はい……少し……」


レオンは目を細める。


「ふむ……何か隠しているように見えるが?」


ダルガンは扉へ向かっていた足を止め、さりげなく振り返る。


シルヴァラもまた、疑うような目でリシアを見つめていた。


「な、何でもありません……」


リシアが答える。


シルヴァラはしばらく目を細めた。


「リシア……あなた、嘘をつくのが下手ね」


リシアはため息を吐いた。


「……分かりました」


そしてレオンへ向き直る。


「じ、実は……あの特別依頼を調査していたグループが……」


レオンの目がわずかに見開かれる。


「何? あの連中がここへ来たのか?」


「はい……」


ダルガンとシルヴァラが短く視線を交わす。


レオンは深く息を吐いた。


「そうか。随分と時間がかかったな。詳しい話は全部、俺の部屋で聞こう」


そしてダルガンとシルヴァラを見る。


「お前たちは、あいつらがいくつかの問題を片付けていると言っていたな」


ダルガンが答える。


「元々あの依頼は俺たちが受けたものだ。少し問題が起きて、途中で別れることになったが……あいつらはそのまま依頼を続けた」


「そうか、そうか。それなら、リシアから聞いた話を詳しく聞かせてもらおう」


シルヴァラは腕を組む。


「私たちのことを信用してないの?」


レオンは首を横に振る。


「もちろん信用している。ただ、正式な記録として残しておく必要があるだけだ」


リシアは少し躊躇った。


そして口を開く。


「実は……彼ら、エラリオンのドラゴン討伐依頼を受けました」


シルヴァラの目が見開かれる。


「え!? どうしてそんなことを許したの!?」


リシアは視線を逸らす。


「そ、それについては……私には話す権限が……」


レオンが頷く。


「その通りだ。そもそも、その規則を作ったのは俺自身だからな。さあ、リシア。行くぞ」


リシアはレオンの後を追い、階段を上っていく。


二人が二階へと姿を消していく。


その様子を見送ったシルヴァラが、ダルガンへ近づいた。


「……それで、どうする?」


ダルガンは数秒間黙り込む。


「……あのドラゴンを見に行くしかなさそうだな」


シルヴァラは目を見開いた。


「正気? 私たちがあそこへ行くわけにはいかないでしょう!」


「だが……俺たちがアルテリオンからあの依頼を受けたことを知られるわけにはいかない」


シルヴァラはため息を吐いた。


「逃亡者を連れ戻すなんて……本当に簡単じゃなかったわ」


「どちらにせよ、俺はこの街には残らない。お前も同じようにすることを勧める」


シルヴァラは肩をすくめる。


「じゃあ、コリルの街で会いましょう。私がどこにいるかなんて、その時にならないと分からないけどね」


「またな」


ダルガンは扉を開け、そのまま外へ出ていく。


そして扉を閉めた。


シルヴァラはその場に数秒間立ち尽くした。


やがて木製のベンチへ腰を下ろし、リシアが消えていった階段を見つめる。


「リシア……あなたとは、少し話をしないとね」

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