第33話――慈悲深い馬車
マイコネコは、自分の手のひらをじっと見つめているレンを見つめた。
「何を見てるの?」
レンは自分の手をぎゅっと握った。
「誰かが……俺の手を握ったような気がしたんだ」
マイコネコは少し眉をひそめた。
「ん? 誰もレンの手なんて握ってないよ……」
レンは、未だに目を閉じたまま横になっているミレリアへ視線を向けた。
「分からない……ただ、そう感じたんだ。でも……知ってる誰かに握られたような感じがした」
マイコネコは不思議そうにレンを見つめた。
レンは再びミレリアへ視線を戻す。
「ミレリアが目を覚ましたら、腕を診てもらわないとな」
マイコネコは頷いた。
「もうすぐ宿の主人が添え木を持ってきてくれるよ。私が頼んでおいたの。あの子、たぶん腕を折ってるから」
レンは拳を強く握りしめた。
「あのクズ……」
すると、マイコネコが尋ねた。
「あの凄まじい一撃を放つ前に……アルテリオン・ドレンとは知り合いだったの?」
レンは首を横に振った。
「いや。あいつについて少し聞いていただけだ。まさか、あんな化け物だとは思わなかった」
マイコネコはしばらく黙ってから、説明を始めた。
「アルテリオンという姓は、女神ルミナリア自身が王家の血を引く者たちに与えたものなの。ルミナリアは、この国にも自分の名を与えたと言われている」
レンは彼女を見る。
「なんでそんなことを俺に?」
マイコネコは話を続けた。
「古い聖典によれば、エリュンドス宮殿は諸国を守る盾。そしてアルテリオンは……剣」
レンは少し考えた。
「じゃあ、ドレイヴンホールドは?」
マイコネコは答えた。
「ドレイヴンホールドは……魂、かな」
レンは考え込んだ。
「その女神が本当に全部を作ったのか? 国まで?」
マイコネコは肩をすくめた。
「まあ、聖典にはそう書いてある。でも、私自身は少し疑ってるところもあるけどね」
レンは興味を持った。
「例えば?」
マイコネコは答える。
「時々、何もないところから現れる物品。あれが女神ルミナリアからの贈り物だとは、私は思ってない」
レンは自分の服を見下ろした。
「俺が着てるこのシャツも……確かにこの世界の物には見えない。俺がいた場所の物みたいなんだ」
マイコネコはすぐにレンのシャツへ視線を向けた。
「それ、まさに聞きたかったの。どうしてその服を持ってるの?」
レンは答えた。
「ガリックの解毒薬を探してた時に、リセラからもらったんだ」
マイコネコは顎に指を当て、数秒間考え込んだ。
レンはその反応に気づいた。
「どうした?」
マイコネコはレンの方を向いた。
「そのリセラって……レンと一緒にいる暗殺者クラスの女の子でしょ? その服をくれたのも、彼女自身なの?」
レンは頷いた。
「ああ……それがどうした?」
マイコネコは再び考え込んだ。
「うーん……その服、どこで手に入れたって言ってた?」
レンは眉をひそめる。
「なんでそこまで服を気にするんだ?」
マイコネコは数秒間黙り、やがて口を開いた。
「私、あんな力を持った人を見たことがないの。別の勇者ですらね」
レンは少し困惑しながら答えた。
「急にそんな話をされても……俺だって、どうしてこうなるのか分からない。ただ……感じるんだ」
マイコネコは少し考えた。
「アルテリオン・ドレンをあんなふうに吹き飛ばしたのは、魔王カエルタールくらいだよ」
レンは驚いた。
「俺、あいつにはもう会ったことがある。俺の中に何かがあるって言われた」
マイコネコは少し眉をひそめた。
「だから、あの子にも違和感を覚えたのね……レンと一緒にいる魔族の女の子。リセラ……じゃなくて、ライセラだったよね?」
レンは頷いた。
「ああ、そうだ」
マイコネコは興味深そうにレンを見つめる。
「じゃあ、自分の中に何があるのか、全然分かってないの? それで、予言者アウレリアは何て言ってた?」
レンは答えた。
「誰にも話すなって」
マイコネコは眉を上げた。
「へぇ……あの子がそんなことを言うなんて珍しいね」
その時、突然ドアが開いた。
ライセラとリセラが一緒に姿を現した。
ライセラはレンを見るなり、すぐに異変に気づいた。
「レン? どうして目が赤いの?」
レンは視線を逸らした。
「ああ……何でもない」
マイコネコはリセラを見る。
「リセラだよね? よかったら、いくつか技を教えてあげようか? 私たち二人とも暗殺者クラスだし」
リセラは数秒間、言葉を失った。
「ほ、本当に? リーダーから教えてもらえるの……?」
マイコネコは微笑んだ。
「この子には医者が必要だからね。仕方ないよ。もう少し落ち着いたら、一緒に訓練しよう。どう?」
リセラはすぐに頷いた。
「う、うん……お願いします」
レンは腕を組んだ。
「落ち着くのは、ガリックのペンダントを取り戻してからだ」
リセラは首を傾げた。
「ああ、あのペンダントね」
レンは答える。
「ポータルに入ろうとして走ってた時に、盗まれたんだと思う」
ライセラは何かを思い出したようだった。
「エルフに盗まれた……」
レンは頷く。
「ガリックが気を取られたって覚えてるのは、あの時だけだからな」
ライセラは考え込む。
「あのエルフの服装からして……普通のエルフじゃなかったと思う」
レンは眉をひそめた。
「どういう意味だ? 俺には普通に見えたけど。まあ、ゲームに出てくるようなエルフを普通って言うならだけど」
マイコネコが眉をひそめた。
「ゲームって何?」
レンはため息をついた。
「……何でもない」
ライセラは不思議そうにレンを見る。
「レン、あなた……エルフのことを知ってるみたいな言い方をするのね」
「レン、あなたはエルフのことを何も知らないでしょう。あの服装から考えて、あの子はエルフの国――エラリオンの指導者層に属している可能性が高いわ」
レンは驚いた。
「マジか? じゃあ、なんでガリックのペンダントなんか盗んだんだ?」
ライセラは肩をすくめた。
「私が知るわけないでしょう?」
マイコネコが二人の会話に割って入った。
「はいはい、一つずつね。まずはミレリアの治療が先」
レンはミレリアを見る。
「ああ。さっきより少し良くなってるみたいだ。ありがとう、マイコネコ」
マイコネコの尻尾が左右に揺れ始めた。
レンはそれを見た。
「あ……そういえば、お前って猫人だったな」
マイコネコはすぐにレンへ近づいた。
「そのペンダントを取り戻したら、ドラクサールに来てよ。私が王国を案内してあげる」
レンは笑った。
「ああ、分かった。でも、俺はエルフの国で精神系のことを学ぶように勧められてるんだ」
マイコネコが尋ねる。
「誰に?」
ライセラが答えた。
「私の父よ」
マイコネコはしばらくライセラを見つめ、無言で観察した。
そして数秒後、目を少し見開いた。
「あなたの父親……なるほどね。あの青い髪に、その変わった雰囲気……あなた、魔王の娘なの?」
ライセラは迷わず答えた。
「そうよ。何か問題でも?」
マイコネコは肩をすくめた。
「別に。でも、これで一つ分かった」
ライセラは眉をひそめた。
「何が分かったの?」
マイコネコはレンを見て、クスッと笑った。
そしてレンの顔を両手で包むようにして近づき、小声で囁いた。
「レンは私がドラクサールを案内してあげるね……二人きりで」
ライセラは即座にレンの腕を引っ張った。
「ちょっと、猫! 彼と私は……婚約者なのよ」
マイコネコの目が一瞬だけ細くなった。
レンは驚いた。
「え? あれって偽物じゃなかったのか?」
マイコネコは二人を交互に見る。
「ふ、二人が……婚約者?」
レンは慌てて説明しようとした。
「いや、それは……俺たちが婚約者のふりをして――」
ライセラはレンを遮り、彼を抱き寄せると、その頭を自分の胸元に押しつけた。
レンは必死にもがき、息をしようとする。
ライセラは続けた。
「ほら、私たちは愛し合ってるの! それに……彼はいつもこうやって私に抱きつくのが好きなのよ!」
するとマイコネコもレンを自分の方へ引き寄せ、同じように彼の頭を胸元へ押しつけた。
「私は妾でも構わないよ。レンの好みを教えてくれてありがとう」
ライセラの額に青筋が浮かんだ。
「この……猫! 覚悟しなさい!」
リセラはついに我慢の限界に達した。
「もう、二人ともやめて!」
二人は同時にリセラを睨んだ。
その間も、レンは必死にマイコネコの腕から抜け出そうとしていた。
「んんっ……は、離せ……く、苦し……」
リセラがレンを引き離す。
ようやく解放されたレンは、必死に空気を吸い込んだ。
「はぁぁぁ! 空気……やっと吸えた!」
ライセラはマイコネコを指差した。
「あなた、私の婚約者を殺すつもりだったの!?」
マイコネコは平然と答えた。
「死なないよ。でも、もし死んだとしても……幸せなまま死ねるよ!」
ライセラはマイコネコへ歩み寄る。
「もういい! 調子に乗りすぎよ! 紫炎――」
レンは慌てて二人の間に入り、ライセラとマイコネコの肩にそれぞれ手を置いた。
「お前ら……さっきは少し笑えた。重かったこの宿の空気が、ちょっとだけ軽くなったよ」
二人はレンを見つめた。
レンは続ける。
「でも、今はそんなことをしてる場合じゃない。二人とも、心配してくれてるのはありがたい。でも、ミレリアには医者が必要なんだ。彼女がこんな状態なのに、この宿に居続けるわけにはいかない」
レンはガリックを見る。
「それに、ガリックも……気を取られて、母親との唯一の形見をなくしたことを自分で馬鹿みたいだと思ってるんだろう」
マイコネコは少し目を伏せた。
「レン……ごめん。ただ、少しでも空気を明るくしたかったんだ。あなた……本当に仲間を大切にしてるんだね」
ライセラはため息をついた。
「休戦にしましょう。レンの言う通りよ」
その時、階段から足音が聞こえてきた。
全員が音の方へ視線を向ける。
ガリックが階段を下りてきた。
「……休んでなんていられない」
彼は一階に集まっている全員を見た。
レンが声をかける。
「ガリック、お前もか?」
ガリックはため息をついた。
「ミレリアの状態も……あのクソ王のことも……それにペンダントのことも、頭から離れないんだ」
マイコネコは数秒考えてから口を開いた。
「それなら、今すぐ出発してもいいよ。ここからセドラン王の宮殿までは、歩いて一日くらいだから」
その時、宿の主人が現れた。
彼は少し微笑んでいた。
「お前たちを見てると、昔の自分を思い出すよ……あちこちを歩き回っていた頃をな。懐かしいもんだ」
そして、宿の裏手を指差した。
「古い馬車なら、裏に置いてある。よかったら使いな」
レンは目を見開いた。
「本当に?」
「おう。ただし、ちゃんと返してくれよ? あげるんじゃないからな。貸すだけだ!」
ガリックは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。本当に……何とお礼を言えばいいのか」
宿の主人は小さく笑った。
「あの娘を早く医者に連れて行ってやれ。それじゃあ、行きな。へへ」
一行は馬車へ向かった。
裏手へ行くと、そこには八頭の馬がいた。
宿の主人はそのうちの二頭を指差した。
「そいつらを使いな。今日はちゃんと餌も食わせてある」
マイコネコは頷いた。
「分かりました!」
彼女とガリックは二頭の馬を馬車につなぎ、それから全員が乗り込んだ。
しばらくの間、宿の主人はその場に立ったまま、走り出す馬車を見つめていた。
そして一瞬だけ――
彼は自分がその馬車の中にいて、四人の仲間に囲まれている光景を思い出した。
……懐かしいな。
彼は視線を落とした。
もう三十年も、みんなに会っていないのか……
やがて馬車は走り出した。
マイコネコとガリックが前方に座り、他の者たちは馬車の中へ。
ミレリアは腕に添え木を当てた状態で、座席の一つに横たわっていた。
マイコネコは宿の主人へ手を振った。
「じゃあねー! おじさん、またね!」
宿の主人も手を振り返す。
「おう! とにかく急げよ! ははは!」
こうして一行は、セドラン・ヴォルフの宮殿へ向けて出発した。
セドラン王宮
その頃、セドラン・ヴォルフは王宮の中を落ち着きなく歩き回っていた。
そこへ、彼の秘書であるアーサーとノリコがやって来た。
「陛下、大丈夫ですか? それに、彼女も陛下のことを気に入っていたようですよ」
セドランは立ち止まった。
「明日は二回目のデートだ。絶対に失敗したくない」
ノリコは平然と答えた。
「この国の女性なら、陛下となら誰でも二つ返事で結婚すると思いますけどね。何しろ、陛下は王なのですから」
セドランは首を横に振った。
「でも、前にも言っただろう、ノリコ。俺は本当にお互いの間に気持ちがあってほしいんだ。王という立場だけを理由に結婚してほしくない」
アーサーはため息をついた。
「はぁ……本当に、あなたは父親とは大違いですね」
セドランは彼を見る。
「それ、褒めてるんだよな?」
アーサーは面倒くさそうな顔をした。
「ええ……たぶん」
セドランは再び歩き始めた。
「さて、今日は国民たちの話を聞くつもりだ。何か困っていることや、要望がないか直接聞いてみたい」
アーサーは頷いた。
「陛下が国民の声を聞く日を作ってから、少なくとも彼らは以前より陛下を信頼するようになったみたいですよ」
セドランは小さく笑った。
「それくらいは当然だ。国をもっと豊かに、もっと良い場所にするために、まだまだやることはたくさんある」
するとアーサーが振り返った。
「では、今日はこれで失礼します」
しかし、部屋を出る直前に何かを思い出した。
ノリコが口を開く。
「あ、陛下。アルテリオン・ドレン王から贈られた、あの像はご覧になりましたか?」
セドランは答えた。
「ああ、見たよ。庭に置いてある。あいつが言うには、女神ルミナリアは強大な力を持っていて、その像を通して彼女の声を聞くことができるらしい」
ノリコは腕を組んだ。
「それだけ強いのも納得ですね。戦場では、あの方は魔王本人と互角に渡り合えるほどの力を持つと言われていますから」
セドランは頷いた。
「ああ、それは俺も聞いたことがある」
アーサーとノリコは、ようやく部屋を後にした。
セドランはしばらく一人で佇んでいた。
そして、考え込むように窓の外を見つめた。
あの女神……どうして、あんなサイコパスに力なんか与えられるんだ……?




