第30話 ― ミレリャの記憶
ミレリャは目を閉じたまま、薄汚れた暗い牢獄の奥に座り込んでいた。
そして、幼い頃の記憶を思い出していた。
あの日――。
故郷の村が炎に包まれた後、彼女は数人の兵士に連れられ、王国へと運ばれた。
王宮へ到着すると、ミレリャは大きな赤い絨毯の上を歩いていった。
その先には王が座っており、兵士たちは一斉に頭を下げた。
そのうちの一人がミレリャにも頭を下げるよう手で合図する。
「陛下、この少女は非常に高い魔法の適性を持っています。我々自身で確認しました」
玉座に座っていたノア・アルテリオン王は答えた。
「そうか。なら、顔を上げなさい、少女よ」
ミレリャはゆっくりと顔を上げた。
その時、彼女は王の隣に立っている一人の男に気づいた。
ノアが再び口を開く。
「お前の名前は?」
少女はおどおどしながら答えた。
「わ、私は……ミレリャ……です」
ノアの隣にいた男は、しばらくミレリャを見つめてから尋ねた。
「陛下、この少女は……本当に役に立つのでしょうか?」
ノアは男へ視線を向ける。
「ドレン、お前ももう十八歳だ。この少女がどれほどの魔力を秘めているのか、感じ取れるくらいにはなっているはずだ」
ドレンはわずかに頭を下げた。
「私はまだ、陛下のようにルミナリアの祝福を受けておりませんので」
ノアは微笑んだ。
「私が王位を終え、王権の継承を行えば、お前にも女神の光が与えられる」
ミレリャは目を見開いた。
王権の……継承?
ノアはそのまま兵士の一人を呼んだ。
「侍女たちにこの少女へ我々の習慣を教えさせろ。それから、風呂にも入れてやれ。ルミナリアのためにもな」
「はっ!」
兵士と一人の侍女がミレリャへ近づき、彼女を部屋の外へ連れていった。
ミレリャは何段もの階段を上り、別の廊下へとたどり着く。
そこには二人の侍女がいた。
二人はミレリャを見て、不思議そうな顔をする。
「何、この子?」
ミレリャを連れてきた侍女が答えた。
「この子はこれから王国にとって重要な存在になるの。だから、いろいろと教えてあげないと」
もう一人の侍女が目を見開く。
「本当に……? また……?」
最初の侍女はすぐに人差し指を唇に当てた。
「しっ……。声を小さくして。私たちは命令に従わないと」
ミレリャは困惑しながら視線を落とした。
私に……何をさせるつもりなの……?
そこで、記憶は途切れた。
ミレリャは現実へと戻り、黙ったまま牢獄の向こう側を見つめていた。
すると突然、牢の前に一人の兵士が現れた。
「おい、立て」
兵士が牢の扉を開ける。
数秒間、何も言わずにミレリャを見つめていた。
そして、苛立ったように足を踏み鳴らす。
「さっさとしろ、囚人! 俺には暇なんてないんだ!」
さらに数秒が過ぎる。
それでもミレリャは何も答えなかった。
兵士は眉をひそめる。
「なんだ? 死んだのか?」
兵士は牢の中へ入り、ミレリャへ近づいた。
そして、彼女の腕に触れた瞬間――。
ミレリャが目を開いた。
「イグニス・フレイム!」
突然、兵士の全身から炎が噴き出した。
「うわあああっ! くそっ!」
男は必死に身をよじりながら、両手で炎を消そうとする。
ミレリャは素早く立ち上がり、足を引きずりながら牢の出口へ向かった。
急がないと……。時間をかけすぎたら……!
ようやく牢の外へ出たミレリャは、廊下を見渡した。
そして――固まった。
そこには二人の兵士が立っていた。
そして、その隣には――。
アルテリオン王、ドレン本人が立っていた。
ミレリャの目が大きく見開かれる。
ドレンは笑った。
「上出来だ。お前は本当に根性があるな」
その瞬間、炎に包まれていた兵士がどうにか火を消し、ふらつきながら牢から出てきた。
「へ、陛下……?」
ドレンは彼へ視線を向ける。
「お前は降格だ、兵士。今すぐここから出ていけ」
「は、はい……!」
兵士は頭を下げ、慌ててその場を去っていった。
ドレンは再びミレリャへ視線を戻す。
「行くぞ、ミレリャ。お前も規則は知っているだろう?」
ドレンはゆっくりと歩き出す。
「脱走は死刑だ。最後の言葉でも考えておくんだな」
ミレリャは王を睨みつけた。
「ルミナリアなんて……ただの偽物よ」
ドレンの足が止まった。
次の瞬間――。
彼の身体を白いオーラが包み込む。
それまで穏やかだった瞳が、冷たいものへと変わった。
ドレンはミレリャを見つめる。
「もう最後の言葉は決めたのか?」
彼は冷たく笑った。
「なら、ちょうどいい」
ドレンはミレリャへ近づき、その首を掴んだ。
そして、力いっぱい締め上げる。
「ぐっ……!」
ミレリャは息を詰まらせた。
「陛下! 儀式が!」
兵士たちが慌てて止めようとする。
しかしドレンは彼らを見ることすらしなかった。
「知るか。今ここで終わらせても問題ない」
ミレリャは必死にもがき、なんとか逃れようとする。
その時――。
秘書官が廊下を走ってきた。
「た、ただいま……! 陛下! 儀式の準備が整いました!」
それでもドレンはミレリャの首を掴んだままだった。
「こいつは女神ルミナリアを侮辱した。そんな真似をした者を私は決して許さん」
秘書官は怯えながら近づいた。
「へ、陛下、どうかおやめください! すでに全ての貴族が集まっております。このままでは皆が激怒します! 最悪の場合、陛下に反旗を翻す者まで出るかもしれません!」
ドレンはミレリャを見た。
彼女はすでに力を失いかけていた。
しばらく沈黙した後――。
ドレンは彼女の首から手を離した。
ミレリャはその場に崩れ落ち、咳き込みながら必死に呼吸を取り戻す。
「はぁ……っ、はぁ……っ……」
アルテリオン・ドレンはため息をついた。
「私に逆らう者を全員始末しなければならないとなると、あまりにも面倒だ。さっさとこの儀式を終わらせるぞ」
秘書官は深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございます、陛下……!」
ドレンは苛立ったように手を振る。
「はいはい。もういい。ここから出て、儀式を始めろ」
「はっ!」
ミレリャは立ち上がろうとした。
しかし、足元がふらつき、再び床へ倒れ込んでしまう。
ドレンは彼女へ近づくと――。
その腹を蹴り飛ばした。
「ぐっ……!」
ミレリャはその場で吐き出した。
ドレンは彼女の腕を掴む。
「さっさと行くぞ。お前の冒涜のせいで、私は一刻も早くお前を始末したくて仕方がない!」
そう言ってミレリャを腕で引き上げ、前へと押しながら歩き始めた。
廊下の突き当たりまで来ると、ドレンは大きな扉を開いた。
その先には、巨大な楕円形の広間が広がっていた。
周囲には何列もの椅子が並んでいる。
そして広間には、中央広場へ直接つながる大きな開口部があった。
その下では、すでに大勢の民衆が集まり、処刑を見ようとしていた。
秘書官が近づく。
「し、死刑執行人……どうか――」
ドレンが遮る。
「いや。今回は私自身が執行人になる。これは譲らん」
死刑執行人は頭を下げた。
「か、かしこまりました、殿下……」
大勢の民衆が見守る中、アルテリオン・ドレンはミレリャを自分の前に跪かせた。
ミレリャの顔には大きな青あざができており、片方の目は腫れて閉じていた。
服は汚れ、身体中が傷だらけだった。
その姿は、広場にいる誰からもはっきりと見えていた。
突然――。
ベチャッ!
腐ったトマトがミレリャの顔へ直撃した。
ミレリャが顔を上げる。
そこには叫んでいる男がいた。
「脱走者め!」
別の人間が腐った果物を投げる。
そして、また一つ。
さらに一つ。
次々と投げつけられていく。
ほんの数秒のうちに、何十もの物がミレリャへ向かって飛んできた。
ドレンは彼女の背後から大声で言った。
「この脱走者には、死ぬ前にあらゆる屈辱を味わわせる必要がある!」
「これが、同じことを考えている者たちへの見せしめとなるのだ!」
そしてドレンはミレリャの腕を掴んだ。
「お前は、この腕であの杖を握るのが好きだったな」
ドレンは彼女の腕を強く握り込む。
「なら――こうしよう」
ミレリャの身体が震えた。
「な、何をするの……?」
バキッ!
「――ああああああっ!」
ミレリャは激痛に叫び声を上げた。
ドレンが腕を離す。
その瞬間、民衆が王を称える声を上げ始めた。
「王万歳!」
「アルテリオン王万歳!」
「王万歳!」
その中で、ある貴族が声を上げた。
「陛下、もう終わりにしていただけませんか? このような若い女性が苦しむ姿を見るのは、さすがに心が痛みます」
別の貴族が振り返る。
「なら、なぜ来たんだ、ロメオ? お前は腰抜けだな!」
ロメオは怒りながら立ち上がった。
「なんだと!?」
ドレンが片手を上げる。
「まあ、落ち着け。もうすぐ終わる」
そしてミレリャへ近づき、背後からその首を掴んだ。
「ミレリャ……お前と出会えてよかったよ」
ミレリャの瞳には涙が溜まっていた。
彼女はただ、床を見つめていた。
その瞬間――。
ミレリャの脳裏に、自分の人生が走馬灯のように蘇り始めた。
最初に浮かんだのは、幼い頃の自分だった。
故郷の村で、無邪気に遊んでいる。
そして――。
記憶が切り替わった。
ミレリャはすでに王国の中にいた。
今では高位の魔術師という称号を与えられている。
他の魔術師たちと一緒に王宮の廊下を歩いていたミレリャは、一人の兵士を見つけた。
ガリックだった。
ミレリャは一瞬足を止める。
わずかに眉を寄せながら彼を見つめた。
しかし、ガリックはミレリャの存在に気づいていない。
「おい、ミレリャ。どうした?」
隣を歩いていた別の魔術師の声で、ミレリャは我に返った。
ミレリャは再び歩き始め、前を向く。
「な、なんでもない」
それでも、彼女は一瞬だけガリックへ視線を向けた。
今度は――。
ガリックも彼女の存在に気づいていた。
彼は驚いた表情でミレリャを見つめている。
ミレリャはすぐに視線を逸らし、そのまま歩き続けた。
ごめんなさい、ガリック……。でも、あなたがどうしてここに……?
そして、また別の記憶が浮かび上がった。
ミレリャは王国の大広間にいた。
他の魔術師たちと一緒に、新たな王の戴冠式を見守っている。
その前では、アルテリオン・ドレンが新たな王として戴冠されていた。
ミレリャの隣にいた魔術師が呟く。
「本当に……戴冠されたのね……」
別の魔術師が答えた。
「当然でしょう。父親が亡くなったんだから」
「まだ二十八歳なのに……。アルテリオン王ドレンは、歴代最年少の王よ」
その後ろにいた三人目の魔術師が近づき、声を潜めた。
「他の貴族たちに、何があったのか伝えないと……。ノア王は自分の寝室で、首に手の跡が残った状態で発見されたらしいわ……」
別の魔術師がすぐに彼女を遮った。
「黙って! そんなことを話しているのを聞かれたら、私たちまで殺されるわ!」
ミレリャはドレンを見つめた。
「でも……彼にはルミナリアの力がないんじゃないの……?」
魔術師の一人が答える。
「実は、王が死んだ時、その力は儀式を必要とせず、後継者へ受け継がれることがあるらしいわ」
ミレリャの隣にいた魔術師が目を見開いた。
「じゃあ……自分の父親を、力のために殺したっていうの?」
全員が黙り込んだ。
視線が一斉にドレンへ向けられる。
王の椅子に座っている彼の身体は、淡い白い光に包まれていた。
そして、彼は口を開く。
「この王国には、今、新たな王が誕生した」
「これからは、全員が私の要求に従うことを望む」
広間にいる者たちが一斉に答えた。
「はっ!」
再び、記憶が切り替わる。
ミレリャは巨大な召喚の間にいた。
そこには、彼女を含めて四人の高位魔術師がいた。
儀式を始めてから、すでに十分ほどが経過している。
床には巨大な魔法陣が輝いていた。
そして――。
突然、その中央に一人の人影が現れた。
二十歳ほどの青年だった。
奇妙な服を着た青年は、驚いて後ずさる。
「うわああっ! ここはどこだ!? き、君たちは誰なんだ!?」
ミレリャは青年をじっと観察した。
この人も……今まで召喚してきた者たちと同じ……
その時、ドレンが拍手を始めた。
「パチパチパチ。素晴らしいぞ、我が魔術師たちよ」
「もう休んでいい」
魔術師たちはすぐに力を抜き、その場で息を整え始めた。
ドレンは召喚されたばかりの青年へ視線を向ける。
「私の言葉が理解できるな?」
青年は緊張した様子で答えた。
「は、はい……」
ドレンは微笑んだ。
「女神ルミナリアのおかげで、我々はお前の言葉を理解できる。もちろん、お前も我々の言葉を理解できる」
「本当に賢明な女神だと思わないか?」
「ル、ルミナリア……?」
「お前の名前は?」
青年は少し躊躇してから答えた。
「ぼ、僕は……高梨カズキです」
ドレンは頷いた。
「ああ、そうか。高梨君」
「では、我が国の民に紹介してやろう」
ドレンはカズキの肩へ手を置き、そのまま彼を部屋の外へ連れ出していく。
向かう先は――中庭だった。
ミレリャは儀式の疲労で息を切らしていた。
「はぁ……はぁ……。彼は……はぁ……舞台に……?」
床に横たわり、疲れ切っている魔術師の一人が答えた。
「当然でしょ……。他にどこへ行くっていうの……? はぁ……」
ミレリャは深呼吸すると、急いで後を追った。
中庭へ到着すると、ドレンが青年を群衆の前で紹介していた。
「見よ! 我らの英雄だ!」
「この世界を魔族から解放するために召喚された者である!」
ドレンはカズキの腕を高く掲げた。
「我らの英雄の名は――!」
「高梨カズキ!」
群衆から歓声と拍手が巻き起こる。
「英雄万歳!」
「英雄万歳!」
ミレリャはその光景を信じられないような表情で見つめていた。
「この国の人たち……どうかしてるの?」
「今月だけで、もう三人目の英雄よ……」
「誰一人として戻ってきていないのに……。どうして誰も気づかないの?」
隣にいた魔術師が答えた。
「おかしいわよね……」
「私には敵意のある魔力なんて、一度も感じられない。それも、遠くからですら……」
「なのに、どうして彼らは何の痕跡も残さず消えてしまうのかしら?」
ミレリャは彼女を真剣な目で見つめた。
「もうやめたほうがいいわ、ルシア」
「もし、あなたがこの件を調べていることが知られたら……」
「何が起こるかなんて、考えたくもない」
ルシアは黙り込んだ。
ミレリャは再び英雄へ視線を戻す。
あなたのこと……少し気になってきたわ。
英雄たちは……一体どうなっているの?
記憶はさらに続いていく。
ミレリャは階段を下りていた。
そして、扉の前で警備についているガリックを見つけた。
彼は一人で立っていた。
ミレリャは手を上げ、さりげなく手を振った。
ガリックはすぐに視線を逸らす。
ミレリャは小声で早口に話しかけた。
「ごめんなさい、ガリック」
「兵士と魔術師が話すことは禁止されているの」
「ここに来てもう数週間になるんでしょう? なら、もう知っているわよね?」
「私は、これから少し調べたいことがあるの」
ガリックは心配そうな顔をした。
「俺はお前のことが心配だった」
「お前に無視された時、俺はてっきり……」
バンッ!
突然、扉が開いた。
一人の兵士が姿を現した。
ミレリャはすぐに歩き始め、ガリックの横を通り過ぎる。
二人は、まるで何も話していなかったかのように振る舞った。
兵士はガリックへ近づく。
「厳しいよなぁ。あんな美人の魔術師たちがいるっていうのに、話すことすら許されないんだから」
ガリックはただ笑った。
兵士は続ける。
「まあ、見るだけなら殺されないだろ? へへ」
ガリックは冷や汗を流した。
「あ、ああ……そうだな。もちろん……」
ミレリャは部屋へ入り、背後で扉を閉める。
そして、呆れたように首を横に振った。
数日後。
ミレリャは、小さな守備隊が英雄を護衛し、アルテリオン王国と魔族領の国境へ向かうための馬車の後ろに身を隠していた。
そこへ、アルテリオン王ドレン本人が現れた。
彼も英雄を国境まで送り届けるつもりらしい。
ミレリャは遠くからその様子を観察していた。
ここからは離れたほうがいい……
それにしても、ルシアからあの視界魔法を教えてもらっておいてよかった……
ミレリャは城の近くまで走り、片手を掲げる。
「マキシマム・ビジョン!」
小さな魔法のポータルが、彼女の目の前に開いた。
その向こうには、国境の光景が映し出されている。
ミレリャはその光景を見つめた。
ドレンが兵士たちへ合図を送っている。
すると、兵士たちは引き返し始めた。
ミレリャは眉をひそめた。
「全員戻っている……?」
「じゃあ、国境に残ったのは王と英雄だけ……」
「どうして……?」
その瞬間――。
ドレンの身体が強烈な白い光に包まれ始めた。
彼は英雄の胸へ手を当てる。
すると――。
カズキの身体が完全に動かなくなった。
目は開いたままだった。
しかし、その瞳は何もない空間を見つめている。
ドレンはそのまま英雄の身体を掴んだ。
そして――。
魔族領へ向かって、カズキを投げ飛ばした。
ミレリャは思わず口元を手で覆った。
「何を……したの……?」
目を見開く。
「お……王は……英雄に何をしたの……?」
記憶が最後に切り替わった。
ミレリャは一室にいた。
身体にはボロ布しかまとっておらず、両手と両足には鎖が繋がれていた。
身体にはいくつもの傷が残っている。
彼女は、部屋のベッドを整えている侍女を必死に見つめた。
「た、助けて……」
しかし侍女は聞こえないふりをして作業を続けていた。
その時、扉が開いた。
ドレンが入ってくる。
彼は侍女を見る。
「出ていけ」
侍女は頭を下げ、部屋から出ていった。
ドレンは自分の鎧と王冠を外した。
そして、ミレリャを見る。
「今日はどうだった?」
ミレリャは何も答えない。
虚ろな目で床を見つめ続けている。
ドレンはベッドに腰を下ろした。
「お前は、この王国でも最高クラスの魔術師だった」
「欲しいものは何でも手に入る立場だったはずだ」
「それなのに……なぜ、余計なところに首を突っ込んだ?」
ミレリャはわずかに顔を上げる。
「……英雄に……何をしたの?」
声が震えていた。
「ま、まさか……今までの英雄たちにも……同じことを?」
ドレンは冷たく答える。
「そんなこと、お前には関係ない」
彼はミレリャへ近づき、口づけをする。
そして、すぐに離れた。
「お前が望むなら、贅沢な暮らしを送ることだってできる」
ミレリャは顔を背けた。
「私は……そんなもの欲しくなかった……」
「ただ……村に帰りたかっただけ……」
ドレンは笑った。
「お前の村だと?」
「それで、お前が持っている才能を無駄にするつもりだったのか? ははは!」
ミレリャはドレンを睨みつけた。
「私の才能を見つけたのは……あなたの父親よ!」
「あなたと、あの人たちが私を見つけてくれた!」
「あなたなんて……私が存在していることすら知らなかったでしょう!」
ドレンはため息をつく。
「ああ、もう謝っただろう」
「あの頃の私は、まだルミナリアの力を持っていなかった」
「それに――」
バンッ!
突然、扉が勢いよく開いた。
一人の侍女が慌てて部屋へ駆け込んでくる。
「申し訳ありません、陛下! 北の砦が襲撃を受けたようです!」
ドレンはすぐに立ち上がった。
「何? 襲撃だと?」
彼は鎧を掴み、そのまま部屋から出ていく。
扉が閉じられた。
ミレリャは目を閉じた。
数秒間、静寂が続く。
そして――。
再び扉が開いた。
先ほどの侍女だった。
今度は、ミレリャをまっすぐ見つめている。
彼女はミレリャのもとへ走り、鎖の錠を外し始めた。
「あなたには、ここから逃げるための時間が数分しかありません」
「外にはあなたの友人の兵士が一人で待っています」
「これは……ルシアからの贈り物だと思ってください」
侍女は立ち上がり、そのまま部屋を走り去った。
ミレリャの目から涙がこぼれた。
「ル、ルシア……ありがとう……」
彼女は窓へ走った。
下を見る。
そこには門のそばに立つガリックの姿があった。
ミレリャは迷わなかった。
窓を開け――。
そのまま飛び降りた。
身体が落下していく。
地面へ激突する直前――。
「反重力魔法!」
ミレリャは魔法を発動させ、落下の勢いを殺した。
そして、そのまま必死にガリックのもとへ走った。
「逃げるわよ!」
ガリックは目を見開く。
「ミレリャ!? お前……一体何があった!?」
ミレリャは答えなかった。
涙を流しながら、ガリックの手を掴む。
しばらくして。
二人は一軒の小さな小屋へ逃げ込んでいた。
そこでようやく、ミレリャは口を開いた。
「アルテリオン王が英雄たちに何をしているのか……正確には分からない」
「でも……どうやら、力も意思も奪っているみたいなの」
「うまく説明できないけど……」
ガリックは真剣な表情になった。
「本当なのか?」
「それで……俺たちはどうする?」
ミレリャはガリックをまっすぐ見つめた。
その瞳には強い決意が宿っていた。
「私たち自身で……英雄を召喚するの」
ガリックは目を見開いた。
ミレリャは続ける。
「その英雄を導いて、この世界を正す」
「王が隠していることはたくさんある」
「私は……真実を知りたい」
「本当は何が起きているのか……全部」
ガリックは考え込んだ。
「つまり……その英雄は、すべてを知るための橋渡しになるってことか?」
ミレリャは答えた。
「そう」
ミレリャは再び、自分の幼い頃の記憶を思い出した。
炎が村を焼き尽くしていた。
空は分厚い煙に覆われている。
両親は地面に倒れ、すでに息絶えていた。
その前には、一人の兵士が立っていた。
片手には剣。
そして、もう片方の手には――。
アルテリオン王国の旗。
ミレリャはその日の光景を思い出しながら、拳を強く握り締める。
ガリックと共にいたミレリャは、机を見つめていた。
両手は机の上に置かれたまま、微動だにしない。
「……あの日のことを思い出さない日は、一日だってない」
その声は小さかった。
しかし、そこには強烈な憎しみが込められていた。
「私は……復讐する」
ガリックはしばらく黙っていた。
そして口を開く。
「ミレリャ……アルテリオン王は、あまりにも強すぎる」
「英雄が二人、三人いたところで、あいつと互角に戦えるとは思えない」
ミレリャはゆっくりと顔を上げた。
「分かってる」
少しだけ間を置く。
「でも……歴史上、この世界には一人だけ……あいつと互角に戦った存在がいる」
ガリックの身体が止まった。
数秒間、言葉が出てこない。
そして、何かに気づいたかのようにゆっくりと立ち上がった。
「ま、まさか……お前が言っているのは……」
彼は唾を飲み込む。
「ま、魔王……?」
ミレリャは再び机へ視線を落とした。
答えなかった。
二人の間に、重苦しい沈黙が流れる。
ガリックが声の調子を変えた。
「お前……戦争を起こすつもりなのか?」
ミレリャは黙ったままだった。
「ミレリャ! これは一部の人間の命だけが懸かっている話じゃない!」
「失敗すれば、国そのものが滅びるんだぞ!」
ミレリャは顔を上げた。
疲れ切った瞳。
それでも、そこには恐ろしいほどの決意が宿っていた。
「……それしかないの」
ミレリャはゆっくりと拳を握る。
「私自身の命を差し出すことになっても……構わない」
ガリックは歯を食いしばった。
「俺は……構う!」
ミレリャは驚いた。
二人は数秒間、黙って見つめ合った。
やがてガリックは長いため息を吐き、顔を手で覆った。
「……仮に、本当にそれをやるとしよう」
ガリックはミレリャを見つめる。
「どうやってやるつもりなんだ?」
ミレリャは深く息を吸ってから答えた。
「英雄をここへ召喚する」
「そして、その英雄と一緒に魔族領のいくつかの拠点を襲撃する」
ガリックは目を細めた。
ミレリャは続ける。
「その襲撃した場所に……アルテリオン王国の旗を残すの」
ガリックは黙り込んだ。
そして、小さく呟く。
「俺たちは……未来永劫、呪われるかもしれないな」
ミレリャは迷いなく答えた。
「それでもいい」
「あの暴君が好き勝手するのを放っておくよりは……ずっとマシよ」
ガリックは眉をひそめた。
「じゃあ、どうやって英雄を俺たちの計画に協力させる?」
「まさか、全部正直に話して……俺たちが戦争を起こそうとしているなんて言うつもりじゃないだろうな?」
ミレリャは考え込む。
「何か……考えるわ」
そして視線を逸らした。
「そうね……」
「私の両親が魔族領に捕らえられている、とでも言えば……」
ガリックは数秒間、彼女を見つめた。
そして立ち上がる。
「分かった」
ミレリャが顔を上げる。
ガリックは剣を手に取り、鎧を身につけ始めた。
「何をしているの?」
「本当にやるなら、まずドレイヴンホールドへ行く必要がある」
ミレリャは驚いた。
「ドレイヴンホールド?」
「あの国はかなり協力的だ」
「俺も何年かあそこで暮らしていた。力を貸してくれる人間を何人か知っている」
ミレリャはしばらく黙っていた。
「……分かった」
ガリックは鎧を整えながら続ける。
「それと……魔力結晶を手に入れられる奴も知っている」
ミレリャが彼を見る。
「魔力結晶?」
「お前が自分たちだけで召喚を行うつもりなら、召喚用のルーンを刻むために必要なんだろ?」
ミレリャはガリックの反応に驚いた。
「そ、そう……」
彼女は視線を落とした。
「私もそれは考えていた。でも、どこで結晶を手に入れればいいのか分からなかったの」
ガリックは鎧を着終える。
「なら、手に入れよう」
そして、真剣な表情でミレリャを見る。
「ただ……これ以上、関係のない人間を巻き込まないことを祈るよ」
ミレリャは黙っていた。
ガリックは続ける。
「それと……いつかは英雄に真実を話さなきゃならない」
「ええ」
ミレリャは頷く。
「この嘘を墓場まで持っていくつもりはないわ」
ガリックは一瞬黙った。
「俺も……」
ミレリャは眉を上げる。
「俺も……何?」
ガリックは彼女を見る。
その表情は、いつもの彼とは少し違っていた。
「俺も……復讐したい」
ミレリャは動きを止めた。
ガリックは続ける。
「お前は……俺にとって、家族に一番近い存在だからな」
ミレリャの瞳に涙が浮かんだ。
彼女は机の前に座ったまま、顔を隠そうとする。
「……ありがとう、ガリック」
ガリックは微笑んだ。
「ほら、立て」
彼は腰に剣を差した。
「こんな国に、これ以上一秒だっていたくない!」
ミレリャは急いで涙を拭い、立ち上がった。
記憶が再び切り替わる。
ミレリャの目の前に――。
レンが立っていた。
彼は心からの笑顔を浮かべながら、ミレリャへ手を差し伸べていた。
「大丈夫だ、ミレリャ」
「俺が君の両親を助ける」
ミレリャは黙って彼を見つめていた。
その笑顔。
その声。
ほんの一瞬だけ――。
すべてが上手くいっているような気がした。
しかし、その記憶は徐々に消えていく。
レンの声も、少しずつ遠ざかっていく。
「俺が……助ける……」
「俺が……」
そして、完全に消えた。
ミレリャは目を開いた。
再び、あの群衆の前で跪いている。
民衆は叫び続けていた。
腐ったトマトが次々と彼女へ投げつけられる。
一つが顔に当たった。
もう一つが肩に当たる。
それでもミレリャは反応しなかった。
彼女の視線は、遠いどこかを見つめていた。
レン……
「ご、ごめん……」
ドレンは眉をひそめた。
「謝る?」
「それがお前の最後の言葉か?」
彼は鼻で笑う。
「はっ……もう遅い」
ミレリャは目を閉じた。
「……レン……」
ドレンの動きが止まる。
「何?」
「レン……?」
ミレリャは顔を上げた。
声は完全に震えていた。
「ご、ごめん……レン……」
「つ、伝えたかった……!」
ドレンの額に青筋が浮かぶ。
「なんという度胸だ……」
「そのレンという奴が誰なのかは知らんが、お前はここで終わりだ!」
ミレリャは再び目を閉じた。
その瞬間――。
上空数メートルの場所に、突然ポータルが出現した。
その場にいた全員が、空に開いた巨大な裂け目を見上げる。
ドレンも顔を上げた。
「アルタイル。誰かがこんなものを開く予定はあったか?」
評議会の一人、アルタイルがすぐに答える。
「いいえ、陛下……」
その時――。
何かが聞こえた。
声。
低い声。
まるで遠くから響いてくる叫び声のようだった。
秘書官の顔が青ざめる。
「へ、陛下……これは……危険なのでは……」
ドレンは笑った。
「ここで危険なのは――私だ」
叫び声が徐々に大きくなっていく。
ミレリャは、唯一開いていた目を大きく見開き、ポータルを見つめた。
この声……
さらに声が大きくなる。
「グオオオオオオオオオッ!」
そして――。
ついに、誰かがポータルから飛び出した。
レンだった。
そのすぐ後ろから、ガリック、リセラ、そしてリセラが続いていた。
ミレリアは目を見開いた。
だが――リセラのすぐ後ろから、さらにもう一人が姿を現した。
レンだった。
レンは、凄まじい勢いで落下していた。
「どっけぇぇぇぇぇぇ……!」
全員が驚いて空を見上げる。
レンはドレンに向かって拳を突き出した。
「近くに……!」
そして、叫び切る。
「ミレリアがいるんだぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ドゴォォォォォン!!
レンの拳が、ドレンの顔面を直撃した。
その瞬間、大地に亀裂が走る。
凄まじい衝撃によって周囲の空気が弾け飛び、まるで本物の爆発が起きたかのような轟音が響き渡った。
ドレンの身体は、宮殿へ向かって猛烈な勢いで吹き飛ばされる。
そのまま何枚もの壁を突き破り、建物の奥へと消えていった。
ガリックはミレリアの片腕を掴んだ。
リセラも反対側の腕を支えようとする。
だが――触れた瞬間。
「きゃあああああっ!」
ミレリアが悲鳴を上げた。
リセラが目を見開く。
「どうしたの……? 折れてるの? そ、その腕……」
レンはミレリアを見つめた。
「ミレリア! 顔が……身体が……それに、その腕……!」
ガリックはすぐさま両腕でミレリアを抱きかかえ、自分の身体で彼女を庇う。
「レン、ここから離れるぞ!」
レンは宮殿へと視線を向けた。
「で、でもガリック……見ろよ。あいつらがミレリアに何をしたのか……!」
ガリックは歯を食いしばった。
「俺がここにいる連中を皆殺しにしたくないとでも思ってるのか!?」
その言葉に、全員が沈黙した。
ガリックは深く息を吐き、再び歩き出す。
「逃げるのを手伝ってくれ、レン。あの石像たちを……頼む!」
レンは小さくため息をついた。
「……そうだな。ガリックの言う通りだ」
そして、レンは拳を高く掲げた。
「この技の名前は……爆裂インパクトだ!」
衛兵たちが一斉にレンへ剣を向ける。
「捕らえろ!」
レンは拳を地面へ叩きつけた。
「爆裂インパクトォォォォ!!」
ドゴォォォォォン!!
まるで爆発が起きたかのように、大地が大きく裂ける。
凄まじい衝撃波が周囲の衛兵たちをまとめて空中へと吹き飛ばした。
レンはその隙を逃さない。
「今だ! 行くぞ!」
一行は一斉に走り出した。
リセラが両手を掲げる。
「紫炎!」
次の瞬間、黒紫色の炎がいくつも生み出され、彼らが通ってきた道へと広がっていく。
一行はそのまま走り続け、ようやく人通りの多い大通りへと飛び出した。
人々を避けながら、必死に馬車を探す。
その頃――ドラグサールでは。
ゴローが安堵の息を吐いた。
「なんとか成功したな。最後までよく頑張ってくれた。助かったぞ」
先ほど気絶していた魔術師は、地面に倒れたまま苦しそうに息をしていた。
「はぁ……はぁ……い、いえ……どういたしまして……」
ヴォラクが周囲を見回す。
「ところで、ミコネコはどこだ?」
ドラカリが答えた。
「あいつのことだ。何か企んでるんじゃないか……」
すると、フェンルルが口を開いた。
「おそらく、あの連中と一緒に行ったんだろう。ポータルが閉じた瞬間、あいつの気配も消えた」
ゴローは額に手を当てた。
「……ああ、もう……」
――一方、レンたちは。
ミレリアが涙を流していた。
「あ、ありがとう……。私……もう……諦めたんだと思ってた……。全部……」
ガリックが答える。
「まだ礼を言うのは早い、ミレリア。レン、前方に衛兵だ!」
レンが前を見る。
「爆裂インパクト!」
ドゴォォォン!!
衛兵たちがまとめて空中へと吹き飛ばされる。
だが、先へ進もうとしたその時――。
何人かの冒険者たちが道を塞ぐように現れた。
「おいおい、ちょっと待ちな!」
そして――。
黄金の鎧を身にまとった三人の騎士が、彼らの前に立ちはだかった。
そのうちの一人が一歩前へ出る。
「逃げるのは、もう終わりだ」
レンはニヤリと笑った。
「これくらいなら余裕だ! 俺に任せ――」
「レン、ダメだ!」
ガリックがレンを遮る。
「そいつらは普通の衛兵とは違う! あの金色の鎧を着た連中は、そう簡単にはいかないぞ!」
レンは三人の騎士を見つめた。
「……やってみなきゃ分からないだろ」
リセラが両手を掲げる。
「紫炎!」
次の瞬間、黒紫色の炎がいくつも放たれ、騎士たちへと襲いかかる。
レンはその隙を狙った。
「爆裂インパクト!」
衝撃波が騎士たちを直撃し、何人かが後方へ吹き飛ばされる。
――だが。
レンの目が大きく見開かれた。
三人の騎士は、まだ立っていた。
しかも、彼らは剣を使って紫炎を消し去っていた。
リセラも驚きを隠せない。
「どうやって……!?」
騎士の一人が剣を構えながら答える。
「我らの剣は対魔法の力を持っている! 貴様のような魔族め!」
レンは歯を食いしばった。
「遠距離じゃ効かないか……。だったら――直接ぶち込めばどうだ?」
その時、レンの背後から女の声が響いた。
「それなら上手くいくかもしれない。でも、ちょっと危険ね。ここは私に任せたほうがいい!」
次の瞬間――。
ミコネコがレンの前へと着地した。
彼女はニッコリと笑う。
「こいつらは私に任せて。私にとっては、たいした相手じゃないわ!」
騎士の一人が鼻で笑った。
「そんなことを言われても、獣人の女一人に――」
ビシャッ!
次の瞬間。
騎士の身体が三つに切り裂かれ、そのまま地面へと落ちた。
残された二人の騎士は、即座に戦闘態勢へ入る。
一人が目を見開いた。
「こ、この猫女……普通じゃない! 気をつけろ!」
ミコネコは小さく首を傾げる。
「あなたたちに三秒だけ時間をあげるわ」
騎士たちは剣を強く握り締める。
「先に貴様を殺してやる!」
ミコネコは静かに数え始めた。
「三……」
「二……」
「一……」
そして――微笑んだ。
「……残念ね」
次の瞬間。
二人の騎士は、一瞬にして無惨に切り刻まれた。
その身体は、まるで紙を引き裂いたかのようにバラバラになり、地面へと落ちていく。
レンは完全に固まっていた。
ミコネコの身体は、衛兵たちの血で真っ赤に染まっている。
レンは恐る恐る彼女を見つめた。
(か、可愛い女の子に見えてたのに……)
(今は……あの吸血鬼、リオレンよりもずっと恐ろしく見える……)




