第24話 世界が動き出す
エリンドール王国では、国王アルドリック・ヴェイルソーンが側近たちを集め、最近起きた出来事について話し合っていた。
一人の側近が王のもとへ歩み寄り、報告する。
「陛下、アルテリオン王国の兵士三名が、我が国の領土を横断しているところを発見されました!」
別の側近がすぐに尋ねた。
「この侵入に対処するため、部隊を派遣いたしましょうか?」
アルドリック王は片手を上げ、皆を落ち着かせる。
「落ち着け。諸君。我々はドレイヴンホールドやアルテリオンと比べれば、小さな国だ。それでも、ただ黙って見過ごすわけにはいかない」
先ほどの側近は数秒考えてから、再び尋ねた。
「では、こちらからもアルテリオンへ間者を送り込むべきでしょうか?」
全員の視線が彼に集まった。
アルドリックは顎に手を当て、考え込む。
「そうだ。ただし、慎重に行動しろ。何があっても、我が国を危険にさらすような真似はするな。それと、他の王国とも会談の場を設けるつもりだ」
すると、別の側近が尋ねた。
「それでは、王妃様はいかがなさいますか?」
アルドリックは一瞬黙ってから答えた。
「もし何かあった場合は、王妃と王女を王宮内の安全な場所へ避難させる。二人には可能な限り最高の護衛をつけろ」
側近たちは互いに顔を見合わせ始めた。
「そ、それでは……陛下が判断できるよう、腕の立つ間者を集めてまいります」
アルドリックは片眉を上げた。
「私が判断するだと? では、お前たちは何のためにいる? 自分たちの仕事くらい、きちんとやれ!」
側近たちはすぐに頭を下げた。
「はっ!」
そうして側近たちは部屋を出ていった。
アルドリックはしばらく椅子に座ったまま、すぐ隣にある半開きの扉を見つめていた。
そして、ため息をつく。
「そろそろ個人授業の時間じゃないのか、リナラ・ヴェイルソーン?」
扉がゆっくりと開いた。
その向こうから、一人の少女が顔を覗かせた。
年齢は十六歳ほど。
金色のウェーブがかった髪に、茶色の瞳をしている。
少女は部屋の中へ少しだけ顔を出し、答えた。
「あ……。お父様が私のことをそう呼ぶのって、怒っているときだけですよね」
アルドリックはため息をついた。
「いつか、この国はお前に託されるんだ。時間を潰している暇があるなら、国を治めるための勉強にもっと励みなさい、リナラ!」
「でも、お父様……いえ、陛下。私はお父様を見ながら勉強しています」
そのとき、リナラの背後から、とても美しい女性が姿を現した。
アルドリックは彼女を見ると、わずかに目を見開いた。
「ああ……セルミラ?」
リナラが後ろを振り返る。
「お、お母様? じゃなくて……王妃様?」
セルミラは娘に一瞥を向けるだけで、そのまま部屋へ入ってきた。
アルドリックが尋ねる。
「どうした、セルミラ?」
「少し噂を聞いたのです。私たちの領土が、少しばかり侵入されたとか」
アルドリックは首を横に振った。
「大したことではない。何人かの兵士が我が国の領土に入り込んだだけだ。だが、何を企んでいるのかはすぐに突き止める」
二人の会話を聞いていたリナラが、おずおずと手を上げる。
「お父様がそこへ行くんですか? 私も一緒に行っていいですか?」
アルドリックとセルミラは、真剣な表情でリナラを見つめた。
そして、二人は同時に答えた。
「もちろんダメだ!」
リナラは一瞬、目を見開いた。
セルミラはため息をつき、娘へ近づく。
「娘よ。授業に戻りなさい」
アルドリックは妻を見る。
「すまないな、セルミラ」
セルミラは軽く頭を下げた。
「大丈夫です」
そしてリナラの腕をつかむと、そのまま部屋の外へ連れていこうとする。
「もう子供ではないでしょう、リナラ。もうすぐ大人になるのよ。あなたくらいの年齢の頃には、私にはもう婚約者がいたのですから」
リナラは不満そうに母を見る。
「でも、お母様の場合は、ご両親に無理やり結婚させられたんでしょう?」
セルミラは真剣な表情のまま答えた。
「それは王国と、私たちの血筋のためよ。私はただ選ばれただけではない。この国にとって最もふさわしい人物だと判断されたの。そして……あなたの番も、もうすぐ来るわ」
リナラはすぐに母の手を振りほどいた。
「い、嫌! そんなふうに結婚するなんて嫌!」
そう言うと、転ばないようにドレスの裾を指でつまみながら、廊下を走っていった。
セルミラは数秒その場に立ち尽くし、片手を顔に当てる。
「リナラ……」
その後ろでは、アルドリックが黙って廊下を見つめていた。
「時が経つのは早いな……」
セルミラが肩越しに振り返る。
「あら、アルドリック……」
彼は数歩近づき、口を開いた。
「もしこの国に何かあれば、お前たち二人は王宮の外へ避難させることになる。それは分かっているな?」
セルミラはため息をつく。
「すべて……私の予知の力があるからですか?」
「お前の予知の力……それに、王位継承のこともある」
セルミラはしばらく黙っていた。
そして、廊下の先にある開口部へ視線を戻す。
そこには壁に大きな窓が開いており、王都の街並みを見渡すことができた。
「いつか、リナラも自分の運命を知らなければならない……。永遠の盾としての運命を」
アルドリックはゆっくりとうなずいた。
「ああ。それも務めの一つだ。私も、私の父も、その前にこの役目を背負った者たちも、皆そうしてきた。我々は、あの化け物たちが再び深淵から地上へ戻ってくることを、決して許してはならない。二度とな」
セルミラは街へ向けていた視線を外し、アルドリックを見つめる。
「あなたは……その運命を、残酷だとは思わないのですか? 永遠に……見張り続けるなんて」
アルドリックは数秒間黙ったあと、答えた。
「アルテリオンが剣なら、エリンドールは盾だ。私は自分の使命を後悔していない」
セルミラはただ彼を見つめていた。
二人はしばらく黙っていた。
やがて、アルドリックがわずかに微笑む。
「それに……私にはお前がいる」
セルミラは驚いたように眉をひそめる。
「私? それは……私の予知の力があるから?」
「お前の予知は、すでにこの国を二度も救っている。どれほどお前に感謝しているか、言葉では言い表せない」
セルミラは一瞬、言葉を失った。
アルドリックは小さく笑い、それから付け加えた。
「まあ、その力があるなら、あの結婚式のときの出来事くらいは避けてほしかったがな。へへ」
セルミラはすぐに笑い出した。
「あなた、まだあの転倒のことを忘れていないの?」
「忘れられるわけがないだろう。私はお前の上に落ちたんだぞ!」
「それで、式が始まる数分前だというのに、二人とも服が泥だらけになったのよ!」
そう言って、セルミラは笑った。
アルドリックも、そのときのことを思い出して笑う。
「両親はひどく怒っていたな……。だが、私は気にしなかった。何しろ、お前と一緒だったからな」
セルミラは微笑んだ。
二人は互いを見つめ、静かに微笑み合った。
ほんの数瞬だけ、二人が背負っているすべての責務の重さが消えたように感じられた。
しかし、そのとき――
廊下から声が響いた。
「陛下! どちらにいらっしゃいますか!」
アルドリックの表情が一瞬で変わった。
すぐに姿勢を正し、大声で答える。
「分かった、今行く! ここだ!」
セルミラは小さく笑った。
「良い会議を」
一方その頃、エドリックとテッサの宿では、二人がいつものように客たちの相手をしていた。
エドリックがカウンターの奥でいくつかの物を整理しながら、ふと口にする。
「あの一行は、いつになったらここへ戻ってくるんだろうな」
テッサは微笑んだ。
「ああ……私も会いたいな。まだそんなに時間が経ったわけじゃないけど」
エドリックは店内を見渡す。
「それにしても、今週はいつもより忙しいみたいだな」
「そうね……。結構お客さんが来てるから」
彼女が言い終える前に、宿の扉が開いた。
二人は入口へ目を向ける。
一人の人影が店の中へ入ってきた。
背中には、何本もの魔法の杖が掛けられている。
その人物は一言も発することなく、最も奥にあるテーブルへ向かい、腰を下ろした。
テッサは目を細める。
「ねえ……あれって……あの使者じゃない?」
エドリックはうなずいた。
「あいつらはいつも姿が違うからな。俺が行ってくる。あの一行が来る前の最後の注文、もう済ませただろ?」
「気をつけてね」
エドリックは覆面の人物へ近づいた。
「こんにちは。何になさいますか?」
男は答えなかった。
代わりに、小さな紙切れをエドリックへ差し出した。
エドリックはそれを見る。
「いつものか?」
覆面の人物は、ただうなずいた。
そして、低い声で答える。
「今は……優先してくれ」
エドリックはうなずいた。
「分かった。すぐに持ってくる」
紙切れを受け取ると、エドリックは厨房へ向かった。
中へ入ると、エドリックは周囲を確認しながら、そっと紙を開いた。
そこには、こう書かれていた。
『アルテリオンの兵士がエリンドールへ侵入した。理由を探れ』
エドリックは数秒間、黙っていた。
そこへ、空になったトレイを持ったテッサが現れる。
「すぐ戻ってくる?」
エドリックは紙をしまった。
「諜報任務だ。少し時間がかかるかもしれない」
テッサは心配そうに彼を見る。
「本当に手伝わなくていいの?」
「大丈夫だ。宿に集中してくれ。それが、いつかこの件を終わらせるためにも必要なんだ」
テッサは腕を組む。
「分かった。でも、帰ってきてもマッサージはしてあげないからね。痛みが引くまで一人で我慢しなさい!」
エドリックは不満そうな顔をする。
「で、でも、俺は頼んでないぞ。誰がそんなもの……」
テッサはカウンターに置かれていたおたまを手に取った。
「何か言った?」
エドリックは頭をかく。
「な、何でもない。へへ。でも、すぐ戻ってくるからな?」
するとテッサは、いくつかの布で包まれたものを手に取り、エドリックへ渡した。
「はい。旅の途中で食べなさい。まさか、空腹のまま仕事に行くつもりじゃないでしょうね?」
エドリックは微笑んだ。
「ありがとな、姉ちゃん」
テッサは扉を指差す。
「ほら、早く行きなさい。私、あの使者たち嫌いなの。なんだか変だもの」
エドリックは再び微笑み、厨房を出ていった。
しかし、店内へ戻ると、先ほどの使者はすでに姿を消していた。
エドリックは驚いたように辺りを見回す。
「どうやら……もう任務は始まっているらしいな……」
一方その頃、アルテリオン王国では、まったく別の出来事が起きていた。
アルテリオン王国の王、ドレンは、ドラグタールの住人を前に立っていた。
一切の容赦なく、王はその男へ拳を叩き込んだ。
ドゴッ!
「お前ら……この汚らわしい種族が……! よくも俺の国を歩けるものだな!」
ドゴッ!
さらにもう一発。
王直属の護衛たちは、すぐそばでその様子を見ていたが、誰一人として止めようとはしなかった。
王は男を殴り続け、その手が血に染まるまでやめなかった。
息を荒くしながら、ドレンは拳を握りしめる。
ようやく一人の護衛が勇気を振り絞って尋ねた。
「陛下……大丈夫ですか?」
ドレンはゆっくりと顔を向ける。
「そのゴミをここから連れ出せ」
そう言うと、トカゲのような顔をした男の顔を蹴り飛ばした。
男は苦痛に呻きながら、地面へ倒れ込む。
ドレンは布を手に取り、血に染まった手を拭き始めた。
「この汚らわしい化け物の血が、俺の手についている……。クソッ!」
そのとき、王の秘書官がその場へ入ってきた。
「陛下。エリンドールへ派遣した兵士たちは、すでに最寄りの街へ入り、配置についております」
王は数秒間、黙っていた。
そして、指を拭きながら、ゆっくりと笑みを浮かべる。
次の瞬間、ドレンは秘書官をつかみ、自分のほうへ引き寄せた。
「それは素晴らしい知らせだ。気に入った。そのまま続けろ」
秘書官は息を呑む。
「ですが、まだ我々が送り込んだ二人からの報告がありません」
ドレンは秘書官を放し、平然と答えた。
「死んでいないのなら問題ない。奴らなら、きっとあの裏切り者を見つけるだろう」
そして、笑みを浮かべる。
「あの女は、自らの命でその罪を償うことになる!」
そう言うと、ドレンは女神ルミナリアの像へ目を向けた。
「そうだろう? 女神ルミナリア」
王はゆっくりと秘書官から離れ、像を見つめ続ける。
「彼女は、あなたの名のもとに生贄として捧げる。私が約束しよう」




