第20章 敵の手に落ちた勇者
レナの診療所で、ミレリヤは女医と話している男を見て、目を見開いた。
次の瞬間、ミレリヤは素早く杖を手に取ると、レナの隣まで駆け寄り、男に向かって杖を突きつけた。
「先生、ここから逃げてください! 早く! 私がこいつを食い止めます。できるなら、ガリックも連れて行ってください!」
レナは困惑した表情でミレリヤを見る。
「ミ、ミレリヤ?」
ミレリヤは片腕をレナの前に出し、杖を男に向けたまま叫ぶ。
「早く行ってください! 私が相手をします!」
男は落ち着いた様子で両手を上げた。
「……どうやら、説明させてもらう必要があるようだな」
レナはミレリヤを見る。
「ミレリヤ……本当にこの人を知ってるの?」
ミレリヤの目に怒りが宿る。
「こいつがガリックに毒を盛ったのよ! こいつのせいで、私たちはここまで来るために道を大幅に遠回りする羽目になったんだから!」
レナは男を見る。
「それ、本当なの? ゴロ」
男――ゴロは、落ち着いた口調で答えた。
「まあ……そのことについては、説明させてほしい」
ミレリヤは魔法の詠唱を始める。
ゴロはそんな彼女を数秒間見つめていた。
そして、予想もしなかった行動に出た。
ゴロはその場に膝をつき、床に額をつけた。
ミレリヤとレナは、数秒間ただ呆然と彼を見つめる。
最初に我に返ったのはミレリヤだった。
「え……な、何してるの?」
ゴロは頭を下げたまま答える。
「俺のしたことは謝る。だが、俺はどうしても、あの勇者をこの地へ連れてこなければならなかった」
レナが目を見開く。
「ゆ、勇者……?」
レナは二人を交互に見たあと、ガリックへ視線を向ける。
「いったい……何が起こってるの?」
ゴロは少しだけ頭を上げた。
「俺はこの若者たちを傷つけた。だが、殺すつもりだったわけではない。大預言者から、ある予言を知らされたんだ」
レナはさらに目を見開く。
「大預言者が……あなたにそうするように頼んだの? 首領?」
ミレリヤが眉をひそめる。
「首領?」
レナはミレリヤを見る。
「ゴロは、あと四人の人たちと一緒に、ドラクサールの首領を務めているの」
ミレリヤの目が大きく見開かれる。
「ほ、本当に!?」
その時だった。
コン、コン!
二人は同時に扉を見る。
ゴロが立ち上がる。
「俺は一人で来た……誰が来たのか見てくる」
レナは腕を組んだ。
「ここは私の診療所よ。ミレリヤへの謝罪を終わらせてからにして」
ゴロの額に冷や汗が浮かぶ。
「は、はい……」
ミレリヤは、いまだ気まずそうな顔をしている。
(こ、この人……本当に首領なの……?)
レナは扉まで歩いていき、それを開けた。
「ようこそ、診療所へ~~~」
しかし、レナの言葉は途中で止まった。
目の前には、二人の人物が立っていた。
白い装備に身を包み、背中に盾を背負った戦士。
そして、紫色の髪をした弓使い。
レナは何度か瞬きをする。
「こ、こんにちは……?」
ゴロも立ち上がり、二人を見る。
「ふむ……お前たち、かなり経験を積んだ冒険者のようだな」
盾を背負った男が一歩前へ出る。
「こんばんは。俺はダーガン・ストーンハース。そして、こちらはシルヴァラ・ナイトヴェイルだ。レオンから送られた一行を探している」
シルヴァラは腕を組んだ。
「ここに来たと聞いてるけど……あなたたちがそうなの? 半人前の魔法使いと、今にも死にそうな男が?」
ミレリヤが目を見開く。
「なっ……! あんた、よくもそんなことを……!」
ダーガンはため息をついた。
「相棒の無礼を許してくれ。こいつは緊張すると、すぐに苛立つんだ」
シルヴァラはすぐさま言い返した。
「私が緊張してるですって? 自分のことを言ってるんじゃないの? あんたなんて、早く帰って焼肉を腹いっぱい食べたいだけじゃない。あんたが肉を食べてるところなんて、見てるだけで気持ち悪いわ」
ダーガンは真剣な表情でシルヴァラを見る。
ゴロは二人を数秒間観察した。
「……お前たち、ただの冒険者にしては妙すぎるな」
ミレリヤはゴロへ杖を向ける。
「みんな怪しすぎるのよ! 特にあなた、ゴロ! そんなことで私が騙されると思ってるの!?」
ゴロはため息をついた。
「外で話そう。だが、その前に……」
ゴロはガリックのもとへ歩いていく。
そして、懐から小さな瓶を取り出すと、その中身をガリックの口へ流し込んだ。
ミレリヤが目を見開く。
「彼から離れて!」
彼女はすぐに杖をゴロへ向けた。
しかし、レナがその腕を掴んだ。
「違う、ミレリヤ! 見て!」
ミレリヤはガリックへ視線を戻す。
胸に広がっていた小さな黒い血管が、一本、また一本と消えていく。
レナはその様子を注意深く観察する。
「あれは……毒の解毒薬よ」
ミレリヤは完全に呆気に取られた。
「で、でも……! いったい何なのよ、あんた! 私たちを傷つけたくせに、今度は治すっていうの!?」
ゴロは落ち着いた口調で答える。
「最初から、お前たちを殺すつもりはなかった。あの選択肢を選べるのは……勇者だけだからな」
ゴロは扉のほうへ身体を向ける。
「外で話そう。もっと落ち着いた場所のほうが、この若者の回復にもいいだろう」
その瞬間だった。
ガリックが突然、身体を起こした。
「うおおおおおおおっ!」
全員が一斉にガリックを見る。
ミレリヤが目を見開く。
「ガ、ガリック!?」
ガリックは素早くゴロへ向かって拳を振り上げた。
ゴロは目を閉じ、手を下ろす。
ドゴォン!
拳がゴロの顔面をまともに捉えた。
あまりにも強烈な一撃だった。
ゴロの身体は診療所の中を吹き飛び、そのまま正面の扉を突き破って外へ飛び出し、地面へ叩きつけられる。
ガリックは歯を食いしばった。
「このクソジジイィィィィッ!」
ミレリヤはすぐさまガリックを押さえる。
「落ち着いて、ガリック! 私だって何が何だか分からないけど、あの人、本当に私たちを殺そうとしてるわけじゃなさそうなの! まずは話を聞いてみよう!」
ガリックはなおも叫ぶ。
「離せ! 俺はあいつを殺す!」
診療所の外では、ゴロが何事もなかったかのように立ち上がり始めていた。
「若いというのはいいものだな……。解毒薬が効いたばかりだというのに、もう元気いっぱいか。ふふっ」
ガリックはミレリヤを引きずるように歩き始める。
ミレリヤは後ろから必死に彼を止めようとする。
「ガリック! あの人、あなたに解毒薬を飲ませたんだよ!」
その言葉を聞いた瞬間、ガリックは力を抜いた。
そして下を向き、数秒間考え込む。
やがて眉をひそめ、ゴロを見る。
「……本当なのか?」
ミレリヤはため息をついた。
「服を着て。それから、あの人の話を聞きましょう」
ガリックはダーガンとシルヴァラを見る。
「分かった……。それで、俺はいったいどこにいるんだ?」
その頃――。
レンは地面に倒れ伏していた。
しばらくして、ゆっくりと身体を起こす。
「お前……何者だ?」
リオレンはレンへ手を差し出した。
「勇者よ。私と一緒に来てほしい。頼む」
レンは差し出された手を見る。
「へえ。俺を馬から突き落としておいて、今度はずいぶんと礼儀正しいんだな」
レンは戦闘態勢を取る。
「お前が誰なのかは知らない。でも、無傷でここを出たいなら、俺の前から消えろ」
リオレンは落ち着いたままだった。
「さっきの少女が、お前の仲間に必要なものを運んでいるようだな?」
「私は、ただお前に一緒に来てもらって、少し手伝ってほしいだけだ」
レンはリオレンの長い犬歯と赤い瞳を見る。
「……断る」
レンは全力で地面へ拳を叩きつけた。
ドゴォォォン!
凄まじい衝撃によって地面に大きなクレーターが生まれ、大量の土煙が空へ舞い上がる。
レンは心の中で呟いた。
(よし……これで逃げる)
レンは、リセラの乗った馬が向かった方向へ走り出した。
しかし、数歩進んだところで――
レンは足を止めた。
目の前には、リオレンが立っていた。
「その手は私には通用しない……」
レンは目を見開く。
「な……なんで俺がいる場所が分かるんだ?」
リオレンは落ち着いた口調で答える。
「諦めて、私と来い」
レンは眉をひそめ、数秒間リオレンを見つめた。
そして言った。
「なあ、俺はお前を傷つけたくない。でも、もう仕方ないみたいだな……」
レンはリオレンへ向かって拳を繰り出した。
リオレンはその攻撃を軽々とかわす。
そして次の瞬間、レンの腕を掴んだ。
「私も、お前を傷つけたくはなかった」
レンは目を見開いた。
いつの間にか、リオレンはレンのすぐ隣に立っている。
「お、お前……その牙……まるで……吸血鬼みたいだ!」
リオレンはわずかに目を細めた。
「ほう……?」
レンはもう一度、拳を繰り出す。
しかし――
リオレンの姿が、レンの目の前から消えた。
そして、数メートル後ろに再び姿を現す。
「お前は吸血鬼について、何を知っている?」
「お前は……異世界から来た勇者なんだろう?」
レンは驚いた。
「ああ……俺の世界には吸血鬼の物語やゲームがある。お前、かなりそれに似てるぞ」
そこでレンは、はっとしたように目を見開く。
「……待て。お前、俺の血を吸うつもりなのか?」
リオレンは不思議そうな表情を浮かべる。
「物語……?」
少しの間、考え込む。
「そうか……我々は本当に、お前の世界へ繋がっていたのか。知らなかった」
レンは歯を食いしばる。
「もういい! 吸血鬼なんかに血を吸われてたまるか!」
レンは両足で地面を蹴り、跳躍した。
空中で右拳を引き、リオレンを狙う。
(たとえこいつに攻撃を当てられなくても、もう一度地面を殴ればいい。下から逃げられるはずだ!)
レンがリオレンまであと数センチというところまで迫った瞬間――
リオレンは素早くレンの横をすり抜けた。
そしてレンの顔へ手を添えると、そのまま一気に地面へ叩き落とした。
「うわあああああっ!」
レンは激しく地面へ叩きつけられた。
血を流しながら、何が起きたのか理解しようとする。
「な……何が起きた……? み、見えなかった……」
口から血が流れ落ちる。
リオレンはレンを見下ろした。
「言っただろう……。私はお前を傷つけたくなかった。だが、お前が私に選択肢を与えなかった」
少し間を置いて、リオレンは続ける。
「だが、お前について一つ、貴重なことが分かった」
レンが目を見開く。
リオレンはしゃがみ込み、レンと目の高さを合わせる。
「お前の力は……凄まじい」
そして、わずかに目を細める。
「だが、防御力は極端に低い……」
リオレンはレンを持ち上げ、そのまま肩に担いだ。
そして歩き始める。
「お前を分析できる者のところへ連れていく」
意識が薄れていく中、レンはかすかに呟いた。
「く……そ……」
そして目を閉じた。
診療所では、全員が一人ずつ外へ出始めていた。
レナはガリックを見る。
「ガリック。これから数日は、できるだけ身体に負担をかけないようにしたほうがいいわ」
ガリックは頭を下げる。
「ありがとうございます、先生」
レナは小さく微笑む。
「ど、どういたしまして」
やがて、全員が診療所の外へ集まった。
ダーガンがゴロを見る。
「お前……ゴロ、だったな?」
「そうだ……」
ミレリヤはゴロを指差し、憤慨した様子で言う。
「さあ、説明して!」
ガリックはミレリヤの腕を下げさせる。
「お前は結局、何がしたいんだ? ゴロ」
ゴロはガリックを真剣な目で見つめる。
口を開き、何かを言おうとした。
その瞬間――
シルヴァラが割り込んだ。
「勇者はどこ?」
ミレリヤが答える。
「レンなら、別の仲間と一緒に王都へ向かったわ。ガリックの解毒薬を取りに行ったの」
シルヴァラは頷く。
「じゃあ、そこへ行きましょう」
ゴロは二人を数秒間見つめてから尋ねた。
「お前たちは、いったい何をしにここへ来た?」
ダーガンはゴロを見る。
「レオンの一行を援護するために来た」
ゴロは目を細める。
「ふむ……。俺はレンにここまで来てほしかった。だが、お前たちはレンの仲間ではないな」
少し間を置く。
「なら、もう一度聞こう。お前たちは何をしにここへ来た?」
今度のゴロの目は、明らかに真剣だった。
空気が完全に変わったように感じられた。
周囲の空気さえ、重く静まり返っていく。
ダーガンの額に冷や汗が浮かぶ。
「俺たちの任務は……」
その時――
「解毒薬! 解毒薬よ!」
リセラが馬に乗ったまま現れ、大声で叫んだ。
彼女は急いで馬から降りると、診療所の外に集まっている全員を見て目を見開く。
「ガリック? 何があったの?」
そしてゴロに気づく。
「ええっ!? そいつから離れて! みんな、どうしたの!?」
ミレリヤが片手を上げる。
「落ち着いて! この人、私たちに全部説明してくれるって。でも……ガリックに解毒薬を飲ませてくれたの」
リセラは困惑したように瞬きをする。
「……え?」
シルヴァラはリセラをじっと観察していた。
そして、腰に取り付けられた小さな袋へ手を伸ばす。
ゴロは、その動きをすぐに察知した。
ダーガンが尋ねる。
「レンはどこだ?」
リセラは目を見開く。
「あっ! 急がないと! 男の人がレンを馬から引きずり下ろしたの! レンに、ガリックへ解毒薬を届けるように言われて、私はここへ来たの!」
ガリックが目を見開く。
「何だと!? 男がレンを馬から引きずり下ろした? どういうことだ!?」
「二人は戦い始めた……たぶん」
ミレリヤはすぐに杖を手に取る。
「だったら、レンを助けに行くわよ!」
シルヴァラは依然として、リセラを真剣な表情で見つめていた。
「ダーガン……」
ダーガンはすぐに彼女の意図を理解した。
「分かってる……。今は待とう」
ゴロは二人を見る。
「お前たちも来い。勇者を援護しに来たんだろう?」
ダーガンとシルヴァラは、冷や汗を流しながら数秒間視線を交わした。
シルヴァラはますます苛立った様子を見せる。
「さっさとレンを助けに行きましょう。そのあとで、あんたたちは恋愛ごっこの続きをすればいいわ」
ガリックは眉をひそめる。
「……お前、何なんだよ?」
「話が長いと眠くなるの。ほら、行くわよ! レンはどこにいたの、そこのフード女!」
リセラは少し気まずそうに左右を見る。
「わ、私の名前は……」
シルヴァラがまた遮る。
「名前なんてどうでもいいから、早く言って。行くわよ!」
ミレリヤは眉をひそめ、拳を握る。
「あんた、ちょっと横暴すぎない?」
すると、リセラは一方向を指差した。
「レンは……あっち!」
シルヴァラはリセラの指差した方向を見る。
「よし、やっと分かった!」
そして、彼女は他の者たちより先に走り出す。
「大男、援護して!」
ダーガンはため息をつきながら走り始める。
「くそ……俺は重いって何度も言ってるだろ……」
彼は彼女の後ろを、少し遅れて走っていく。
ゴロはガリックを見る。
「俺も一緒に行っていいか?」
ガリックはゴロを睨む。
「先に答えろ。お前は何が目的なんだ?」
ゴロの表情が真剣になる。
「俺はドラクサールの首領の一人だ。そして、レンは大預言者によって――」
ゴロは続けた。
「……この国の未来に関わる勇者として予言された」
そして、ゴロは言葉を続ける。
「俺には、あいつが必要なんだ。あいつには、本当に未来について話を聞いてもらわなければならない」
リセラは歯を食いしばる。
「ちっ……分かった。だったら、早く行きましょう!」
そして、全員が走り始めた。
それから数分後――。
すでに何人かは疲れ始めていた。
しかし、シルヴァラは肺が限界まで苦しくなっているにもかかわらず、それでも尋ねることができた。
「はぁ……はぁ……それで? 本当にこっちで合ってるの?」
ミレリヤも息を切らしている。
「はぁ……はぁ……どうして……はぁ……あんたは……はぁ……疲れないのよ……?」
リセラも苦しそうに呼吸しながら答える。
「こ、こっちだったはず……はぁ……」
シルヴァラは周囲を見回す。
「死体も血も見当たらない。もしかしたら、あの魔法使いなら空気中に残った魔力を感じ取れるんじゃない?」
ミレリヤは息を切らしながら答える。
「言われなくても……分かってるわよ……はぁ……」
そこへ、ダーガンとゴロが並んで到着した。
ダーガンは驚いたようにゴロを見る。
「はぁ……はぁ……ゴロ、お前……疲れてないのか?」
ゴロは平然と答える。
「ここには……かなり大きなクレーターがあるな。しかも、これは最近できたものだ」
ゴロはリセラを見る。
「お前は、レンがここで戦っていたと言ったな? なら……あいつは負けたのかもしれない」
ガリックが目を見開く。
「何だと!? レンが? そんなはずない!」
ミレリヤがすぐに答える。
「もちろんよ! あいつは、あのドラ……」
ミレリヤは、そこで言葉を止めた。
「……あいつは、かなり強いわ」
シルヴァラとダーガンは、わずかに目を細めた。
しかし、何も言わなかった。
その時、ゴロが地面に何かを見つける。
一本の白い糸。
ゴロはそれに近づき、しゃがみ込んで拾い上げた。
「これは……髪か?」
ゴロは目を見開く。
「……まさか!」
ゴロは立ち上がった。
「もしかすると、あいつはかなり遠くまで連れていかれたのかもしれない」
ダーガンが尋ねる。
「どうしてそう思う?」
ゴロは地面を指差した。
「ここに足跡がある。戦闘が起きたように、あちこちに乱れている。そして……この妙な灰色の髪の毛を見つけた」
その瞬間――。
シルヴァラは素早く腰の袋から刃物を抜き、リセラへ向かって飛びかかった。
リセラも即座に短剣を抜く。
ガキィン!
二本の刃が激しくぶつかり合った。
周囲にいた全員が、金属音に驚いて身をすくませる。
リセラは目を見開く。
「な、何してるの!?」
シルヴァラはリセラの短剣に自分の刃を押しつけたまま言う。
「あんた、暗殺者のクラスでしょ! まさか、本当にあいつを殺すのを手伝ってないでしょうね?」
ダーガンはすぐに盾を構えた。
「俺も怪しいと思う。それに……こいつからは吸血鬼の臭いがする」
全員が目を見開いた。
シルヴァラは続ける。
「私たちは以前、そいつらと一度戦ったことがある……。そして、もう少しで死ぬところだった」
リセラはさらに困惑する。
「な、何ですって!? ち、ちょっと待って! 吸血鬼? その男は私のすぐ近くまで来て、私の後ろからレンを連れ去ったのよ!」
シルヴァラはさらに力を込めて刃を押しつける。
「なら、これを説明してみなさい!」
「ま、待って!」
ミレリヤが心配そうに一歩前へ出る。
その瞬間――。
シルヴァラの腕の上に、誰かの手が置かれた。
ゴロだった。
「もうやめろ。彼女はレンの仲間だ」
ゴロは軽く力を加えるだけで、シルヴァラの刃を下げさせた。
シルヴァラは完全に言葉を失った。
(い、いつの間に……?)
(しかも……全然、強そうに見えなかったのに……!)
ダーガンはため息をついた。
「もういい、シルヴァラ。勇者を探そう。あいつが死んだとは限らない」
ダーガンは腕を組む。
「髪の毛一本か……。もし高位の魔法使いがいれば、このレンを連れ去った者を追跡できるんだがな」
その時だった。
全員が、ミレリヤの詠唱を聞いた。
ミレリヤは杖を高く掲げる。
「この世界に残された痕跡よ。時を超えてなお残り続けるその本質よ……我が探し求める者への道を示せ!」
ミレリヤは杖を、その髪の毛へ向ける。
「追跡!」
全員が驚いたようにミレリヤを見る。
それまで何の変化もなかった杖の先端が、赤く輝き始めた。
その光は、まっすぐに髪の毛へ向かって伸びている。
ミレリヤは自分の杖を見つめる。
「私……これ……かなり強い奴を相手にしてるのかも」
シルヴァラが目を見開く。
「こ、こんなことができるの?」
リセラは不思議そうにミレリヤを見る。
「追跡魔法って、そんなに難しいものなの?」
ガリックが説明する。
「距離の問題だ。魔法は対象を見つけた瞬間に発動するが、その分、魔力を一気に大量に消耗する」
リセラは目を見開く。
「そういうこと……」
そして、ミレリヤを見る。
「ミレリヤ!」
ミレリヤは汗を流し、荒い呼吸を始めていた。
やがて、片膝を地面につく。
リセラはすぐに彼女のもとへ駆け寄り、身体を支えた。
「私が支える!」
ミレリヤは横目でリセラを見る。
そして、わずかに微笑んだ。
「はぁ……はぁ……ありがとう、リセラ」
ガリックは自分の身体に手を当てる。
まだ毒の影響が残っている。
「俺も……まだ完全には回復してない」
ゴロはガリックを見る。
「今のお前では、戦えるのは明日になってからだ。さっき妙な反応を見せただけで、まだ完全には回復していない。診療所に残っていろ」
ガリックは首を横に振った。
「そんなことできるか。レンは俺たちのために危険を冒したんだ。俺だけ助けに行かない言い訳を作るなんて、絶対に嫌だ!」
全員が驚き、ガリックを見る。
シルヴァラが尋ねる。
「もし戦いになって、あんたが役に立てなかったらどうするの?」
ガリックはわずかに笑った。
「最低でも……俺の身体を盾にして、お前たちを守る」
ダーガンは数秒間、目を見開いたままガリックを見つめた。
その場にいた全員が黙り込む。
そして――。
ゴロが拍手を始めた。
「パチ、パチ、パチ! 見事だ! これぞ戦士というものだ。分かった。俺も一緒に行こう」
ミレリヤがゴロを見る。
「え?」
ゴロは答える。
「本当は一緒に行くつもりはなかった。だが……ガリック、お前は本当に死ぬわけにはいかないんだろう?」
ガリックは笑う。
「助かる」
すると、ゴロはゆっくりと頭を下げた。
「毒を盛ったことは……すまなかった。俺はただ、勇者が……」
そこで一瞬、言葉に詰まる。
「……お前たちが、ここまで来る必要があったんだ」
ガリックは答える。
「だ、大丈夫だ。顔を上げろ。今はレンを見つけることだけが大事だ」
その瞬間、ミレリヤが突然顔を上げた。
「見つけた!」
彼女は杖を、木々が生い茂る一帯へ向ける。
「レンは……あっち。ここから数キロ先よ!」
ダーガンは示された方向を見る。
「だが、あの方向は……」
シルヴァラが言葉を続けた。
「魔王国よ!」
リセラはごくりと息を呑む。
「ま、魔王国……?」
ミレリヤはその方向へ歩き始める。
「は、早く行きましょう!」
リセラは全員を見回しながら考える。
(私たち三人だけで来てたら……絶対に詰んでた!)
その頃――。
ゴロも心の中で考えていた。
(今日の会議は欠席することになるな……。だが、それだけの価値はある。ふふっ)
ダーガンはシルヴァラの後ろを歩きながら、小声で話しかける。
「シルヴァラ、あいつらは何か隠している」
「私も気づいてるわ。何かを言いかけて、危うく秘密を口にしそうになったところで、慌てて言い直してた……。どうする、巨漢?」
ダーガンは少し考える。
「今は、とりあえず一緒に行こう。それに……あのガリックの言葉は本気だった!」
シルヴァラが彼を見る。
「え? 何の話?」
「あいつは、本当にここにいる誰かのためなら自分を犠牲にするつもりだ。目を見れば分かる。お前は気づいていないと思ったから言ったんだ」
シルヴァラは答える。
「私だって気づいてるわ。でも……そんなことはさせない」
ダーガンは眉をひそめる。
「お前……誰かを守ろうとしてるのか?」
シルヴァラは顔をしかめると、ダーガンの前を歩き始めた。
「早く行くわよ、ダーガン。魔法使いはもうあんなに先に行ってるんだから!」
ダーガンは遠くにいるミレリヤを見る。
(あの魔法使いも……あれほどの距離にいる人間を、ほとんど消耗せずに追跡できるのか?)
(いったい……こいつらは何者なんだ?)
そしてダーガンも、全員の後を追って歩き始めた。
一方――。
リオレンはレンを肩に担いだまま、リセラの城へ近づいていた。
(少し時間がかかったが……とりあえず、到着したな)
城の前まで辿り着くと、リオレンは建物へ向かって走り出す。
そして片脚を曲げた。
ヒュオッ!
超常的な勢いで跳躍し、城へ向かって飛んでいく。
そして、音もなく窓の前へ着地した。
リオレンは窓を開け、城内の廊下へ入り込む。
物音を立てないように軽い足取りで廊下を進み、やがて一枚の灰色の扉の前まで辿り着いた。
リオレンは扉を開ける。
その向こうには、ライセラの研究室があった。
彼女は部屋の中で、いくつかの薬瓶を弄りながら作業している。
リオレンはレンを肩に担いだまま、研究室へ入った。
「勇者を連れてきた」
ライセラは驚いて飛び上がり、手にしていた薬瓶の一つを落とした。
「きゃっ! び、びっくりした!」
彼女はリオレンを見る。
そして、彼が担いでいる人物に気づき、目を見開いた。
「ええっ!? この人が勇者なの!? あなた、彼に何をしたの!?」
ライセラは急いで担架を取り出し、吸血鬼のほうへ押していく。
リオレンはレンを担架の上へ寝かせた。
ライセラは怒ったように彼を見る。
「傷つけないでって言ったでしょう!」
リオレンは落ち着いた口調で答える。
「お前は『殺すな』と言った。だから、その通りにした」
彼は背を向ける。
「俺は約束を果たした。あとはお前の番だ」
ライセラは彼を見る。
「分かった。でも、私には先にやらなきゃいけないことがたくさんあるの」
その時――。
ドンッ!
まるで誰かが怒りに任せて扉を叩いたかのような、強烈な音が響いた。
ライセラはリオレンを見る。
彼はすでに扉に手をかけ、部屋から出ようとしていた。
「お前は自分の役割を果たしたほうがいい。お前はただの近道に過ぎない、ライセラ……そのことを忘れるな」
ライセラは眉をひそめる。
「わ、分かったわよ……。何なのよ、急に?」
リオレンは何も答えず、そのまま歩き去っていった。
レンは今、担架の上に横たわっていた。
その身体には、いくつもの魔法の結晶が向けられている。
そのすぐ隣には、ライセラが立っている。
やがて――。
レンがゆっくりと目を覚ました。
「……ああ、起きた?」
ライセラが声をかける。
「この結晶が、あなたの身体に存在するものを全部調べてるの」
レンは目を見開く。
「え? ここは……どこだ? ここ、何なんだ?」
レンは数秒間ライセラを見つめる。
彼女はレンをじっと観察していた。
レンは少し困惑する。
「こ、これは……夢なのか?」
ライセラは不思議そうに眉をひそめる。
「夢? あなたは気絶して、今は私の研究室にいるのよ」
彼女は近くのいくつかの結晶を指差す。
「あなたを傷つけるつもりはない。でも、この結晶にあなたを分析させる必要があるの」
レンは結晶を見る。
「この結晶が? そんなことできるのか?」
「それで……俺に何をするつもりだ?」
ライセラは落ち着いた様子で答える。
「あなたを分析して、あなたが何者なのかをもっと知る。それと……この世界に関係する奇妙な現象についてもね」
レンはライセラがペンを取り出し、クリップボードに何かを書き始めるのを見る。
「ちょ、ちょっと待て……この世界、なんていうか……昔の時代みたいだったのに、今度は俺、こんな技術的な研究室にいるのか? 何なんだよ、これ……」
ライセラは書き続ける。
「ああ、私はこの王国の周辺に存在するものを、ほとんどすべて集めてきたの」
レンは目を見開く。
「集めてきた? どういう意味だ?」
「きっとあなたも、一度くらい見たことがあるでしょう?」
ライセラはレンを見る。
「何の前触れもなく、何かが現れたり消えたりしたこと。あるいは、今まで見たこともない奇妙な物が、突然現れたりとか」
レンは考え込む。
そして、以前パイナップルを売っていた商人が言っていたことを思い出す。
(あの時、みんなが食べたパイナップルみたいなことか?)
ライセラは続ける。
「あなたは変わった勇者ね。ここへ来た他の勇者たちとは、行動が違う。それに……ドラクサールは、あなたについて私たちが知らない何かを知っているみたい」
レンは目を見開く。
(ドラクサール……俺はドラクサールにいるんじゃないのか?)
ライセラはそこで、自分のことを名乗った。
「あなたが今いるのは、魔王国よ。私はライセラ。ライセラ・ヴェイロン。現魔王であるカエルタール・ヴェイロンの娘よ」
レンはさらに目を見開いた。
「あ……。俺が読んでた漫画に出てくるのと同じようなやつか?」
ライセラはわずかに首を傾げる。
「漫画? それは何?」
レンはごくりと唾を飲み込む。
「お、お前……俺を解剖するのか?」
ライセラは先ほどと変わらない落ち着いた声で答える。
「あなたを開く? そんな必要はないわ」
レンは彼女をじっと見る。
(そんなこと……そんなに平然と言うか?)
ライセラは続ける。
「この結晶があなたの持つエネルギーと、その一部の知識を吸収している間に、あなたと話をするの。そこへ共鳴を組み合わせて……」
ライセラは小さく笑う。
「説明するより、実際にやったほうが早いわ。ふふっ」
レンは横になったまま、ただ彼女を見る。
しばらくして、レンが呟いた。
「……身体が重い」
ライセラは答える。
「すぐに楽になるわ。それに、今は一応拘束してあるし、出血も処置しておいたから」
ライセラは続ける。
「この結晶についてだけど、昔はかなり使われていたの。すごく優秀なのよ!」
レンは眉をひそめる。
「昔? 今は使わないのか?」
ライセラはため息をつく。
「みんな使わなくなったのよ。女神ルミナリアの戒めによってね。その戒めは、彼女の教えを刻んだ石に魔法として現れたの」
レンは困惑する。
「教えの石? 俺……全然分からないんだけど」
ライセラはレンを見て笑う。
「人間の王国のことすら、ろくに知らないの? 何なのよ、その勇者。あはは!」
レンは少し頬を膨らませる。
「お、俺はこの世界に現れただけなんだ。ここで生まれたわけじゃない!」
ライセラは一瞬、黙り込む。
「そう……それは知ってる。それで、あなたは自分の世界を覚えてる?」
「うん。覚えてる」
ライセラは興味深そうに尋ねる。
「それで、どうやってここへ来たの? 何か覚えてる?」
レンは天井を見上げ、記憶を辿る。
「全部覚えてるよ。トラックを運転してた……トラックっていうのは、馬がいなくても動く大きな荷台みたいな車だ。それを運転してて、俺の不注意で事故に遭った」
レンは少し間を置く。
「ミサキのことも、友達のことも覚えてる。妹も……今は一人なんだ」
ライセラがわずかに目を見開く。
「う、馬のいらない馬車? それに……ミサキ? 妹の名前は?」
レンは答える。
「妹の名前は松田トウカ。俺より三歳年下だった。今、あいつが一人でいると思うと……胸が締めつけられる」
ライセラは一つの結晶を見る。
紫色の結晶が、かすかに輝き始める。
レンは続ける。
「あいつが俺の手を握ってるような気がするんだ。まるで、すごく強く握ってるみたいに。時々、俺は大丈夫だって言ってるあいつの声が聞こえる……でも、そんなの全部くだらないよな。俺はもう死んで、今ここにいるんだから」
別の結晶――今度は赤い結晶が、かすかに輝き始めた。
ライセラは少し驚いた様子で親指の爪を口元に当て、結晶を見つめる。
レンはそんな彼女を見る。
「それで、ライセラの家族は?」
ライセラは瞬きをする。
「え? 私? どうしてそんなことを聞くの?」
レンはわずかに笑う。
「俺が自分の家族の話をしたんだから、今度はお前の話も聞けたらいいなって」
ライセラも小さく笑う。
「私の父親は魔王。そして兄は、破壊のことしか考えていない狂ったろくでなし。母親は父に仕えていた人だった。十歳を過ぎてから、一度も会ってない。……はい、これで終わり」
レンは彼女の表情に気づく。
「あ……なんか、嬉しそうじゃないな。悪い。聞いちゃいけなかったか」
ライセラは突然笑い始める。
「あはははは!」
レンは困惑する。
「え、え? 何だよ?」
ライセラはレンを見る。
「人間に謝られたの、初めてなのよ」
レンは少し目を見開く。
「あ……そうなのか? お前、そもそもあんまり外に出ないのか?」
ライセラは首を傾げる。
「どうして?」
「俺が目を覚ましてからずっと、ここに籠もってるように見えるから」
ライセラはため息をつく。
「まあ……実際、あまり外には出ないわ。研究に縛られてるの。もっとこの世界のことを知りたいから」
ライセラは続ける。
「この女神ルミナリアの戒めには、語られていない真実がたくさんあるのよ」
そして、彼女は笑った。
「それから、あとでその馬のいらない馬車について、もっと詳しく教えてね?」
レンは答える。
「俺の友達が無事かどうか分かってからなら、いいよ」
ライセラはレンを数秒間見つめる。
「あなた……本当に友達を大切にするのね。そのミサキっていう子も、あなたの友達だったの?」
レンの表情が一気に曇る。
「ミサキは……俺の彼女だった。何年か前に別れたけど、それとは別に、俺には友達のグループもいた」
ライセラは少し驚く。
「彼女だったの……なるほど。あなたの……事故のことを知ったら、きっとすごく辛かったでしょうね」
レンは小さく笑う。
「たぶん、俺が死んだことすら知らないと思う。あいつは別の国にいて、新しい仕事を楽しんでて……それに、婚約者もいたから」
ライセラはわずかに目を見開き、レンと紫色の結晶を交互に見る。
「別の人と……一緒にいるの? その話をして、ごめんなさい」
レンは小さく笑い始める。
「へへ……」
ライセラは不思議そうに彼を見る。
「どうして笑ってるの?」
レンは答える。
「悪魔に謝られたの、初めてだから」
ライセラは二秒ほど完全に固まった。
そして、笑みを浮かべる。
「そ、それ、私の言葉を盗んでるでしょ? あはは!」
レンも笑う。
「ちょっとだけな。へへ」
ライセラは、徐々に輝きを弱めていく紫色の結晶を見る。
そして尋ねた。
「それで……あなたの友達は? 名前を覚えてる?」
レンは即座に答える。
「もちろん覚えてる。学校にいた頃から、二十五歳になるまで、ずっと一緒に会ってたんだ。山田リク、神崎ミオ、藤本タケオ、山本ソウマ、高瀬ヒナ、黒沢ハナエ、タクミ、それから坂本アオイ……あ、でもアオイは結婚したから、今は山本アオイだ。あいつら……すごく懐かしいな」
ライセラはわずかに俯く。
「と、友達……」
レンは彼女を見る。
「ん?」
ライセラはすぐに誤魔化した。
「な、何でもない。もう少しだけ、いい?」
レンは答える。
「うん……」
ライセラは紫色の結晶を密かに観察する。
(紫の結晶……レンが心を乱した時に何かが反応する。いったい何なの?)
レンはふと尋ねる。
「じゃあ、お前は? 家族以外に友達とか……特別な人はいるのか?」
ライセラは少し考える。
「友達に近いのは、ここの警備兵たちかな。それと……特別な人、ね」
彼女は小さくため息をつく。
「私たち悪魔は、人間みたいに愛で関係を築いたりしないの。力や地位で決まることが多いわ。結婚だって同じ」
レンは目を見開く。
「マジか? あ……」
ライセラは続ける。
「父は、私に早く婚約者を紹介しろって言ってるの。そうしないと……王国を、あのサイコパスの兄に譲るつもりなのよ」
その瞬間――。
ライセラは目を見開き、手にしていたペンとクリップボードを落とした。
「待って!」
レンは驚く。
「うわっ! 俺、もう寝たままなんだから、そんな大声で待てって言わなくてもいいだろ!」
ライセラは素早くレンの顔へ近づく。
その瞳は輝き、顔には満面の笑みが浮かんでいた。
そして――。
「ねえ……私の父に、私の婚約者として紹介されてみない!?」
レンは黙り込んだ。
部屋が完全に静まり返る。
数秒が過ぎる。
そして――。
レンが叫んだ。
「ええええええええっ!?」




