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第二話 酒場「最後の一杯」

ガリック、ミレイア、そして蓮の三人は、街へと続く土の街道をゆっくりと歩いていた。


 遠くの地平線には、巨大な石造りの城壁が少しずつ姿を現し始める。


 蓮はその光景を黙って見つめていた。


 やがて顔を上げ、小さく息を漏らす。


「……すごい。」


 思わず口から言葉がこぼれた。


「あの城壁……ものすごく高いな。」


 ガリックはわずかに笑みを浮かべた。


「もうすぐヴァルテリスだ。」


「ヴァルテリス?」


「ドレイヴンホールド王国最大の都市さ。」


 近づくにつれ、街道は次第に賑やかになっていく。


 荷馬車いっぱいに荷物を積んだ商人たち。


 武器や防具を身につけた冒険者たち。


 旅人。


 馬に乗る騎士。


 様々な人々が行き交っていた。


 そして城門の前まで来たとき、蓮は足を止めた。


「……並んでる?」


 城門の前には十人ほどの列ができていた。


 皆、順番を待ちながら衛兵の検査を受けている。


 その様子を見た瞬間。


「あっ……」


 ガリックの表情が固まった。


 額に手を当てる。


「しまった……」


 蓮は首をかしげる。


「どうした?」


「入門検査だ。」


「検査?」


 その言葉に、ミレイアもはっとした。


「……まずい。」


 彼女は慌ててガリックを見る。


「レンは正式な召喚じゃない。」


「通行証を持ってない!」


 数秒間、沈黙が流れた。


 やがてガリックが額を叩く。


「あぁ……。」


「なんで忘れてたんだ、俺は。」


 大きくため息をついた。


「一度戻るしかないか……」


 しかしミレイアは列を見つめながら、小さく首を振る。


「今ここで引き返したら……」


「逆に怪しまれない?」


 蓮だけが状況を理解できずにいた。


「ちょっと待ってくれ。」


「さっきから言ってる通行証って何なんだ?」


 ミレイアが説明する。


「王国の住民や、入国を許可された人が持つ身分証明書よ。」


「都市に入るためには必要なの。」


 ガリックも続ける。


「ドレイヴンホールドは人族しか受け入れていない。」


 蓮は何度か瞬きをした。


「でも俺、人間だけど?」


「それじゃ駄目なのか?」


 ミレイアは静かに首を横へ振る。


「昔、魔族が人間に化けて街へ侵入した事件が何度もあったの。」


「それ以来、通行証と魔力検査が義務になった。」


 ガリックは腕を組み、しばらく考え込む。


 そして突然、何かを思いついたように目を輝かせた。


「それだ!」


 二人が彼を見る。


「通行証がなくても……」


「マナクリスタルで検査を受ければいい!」


 ミレイアの表情がぱっと明るくなる。


「そうだ!」


「それなら通れるかもしれない!」


 蓮は眉をひそめた。


「……ちゃんと説明してくれないか?」


 ミレイアは頷いた。


「最初にあなたへ使った小さな水晶、覚えてる?」


「ああ。」


「あれでは魔力がまったく反応しなかった。」


 彼女は優しく微笑む。


「門で使う正式なマナクリスタルでも反応しなければ、あなたはただの魔力を持たない普通の人間だと判断されるわ。」


「通行証を失くした、と説明すれば大丈夫なはず。」


 蓮はしばらく自分の手を見つめた。


「……その水晶、本当に重要なんだな。」


 小さく笑う。


 どこか自嘲気味だった。


「正直さ。」


「まだ全部信じられたわけじゃない。」


 空を見上げる。


「なんで俺がまだ生きてるのかも分からないし。」


「なんで君たちについて来てるのかも分からない。」


 ミレイアは少し驚いた表情を浮かべた。


「勇者様……?」


 蓮は静かに首を振る。


「でも……」


 ゆっくり息を吐く。


「もし本当に君たちが俺を救ってくれたんだとしたら。」


「これは……」


「俺に与えられた二度目の人生なのかもしれない。」


 その言葉に、ガリックとミレイアは互いに視線を交わした。


 二人とも何も言わなかった。


 三人はそのまま列の最後尾へ並ぶ。


 少しずつ順番が近づいていく。


 やがて城門の前へ。


 ガリックが一歩前へ出た。


「こんにちは。」


 腰から通行証を取り出して差し出す。


 衛兵は書類を確認すると、頷いた。


「問題ない。通れ。」


 ガリックは門をくぐる。


 次は蓮だった。


 衛兵が手を差し出す。


「身分証を。」


 蓮は後頭部をかいた。


「あー……」


「なくしました。」


 衛兵は目を細める。


 続いて彼の服装へ視線を向けた。


「妙な格好だな。」


 もう一人の衛兵も近づいてくる。


「本当に人間だという証拠は?」


 蓮の手のひらに汗がにじむ。


 そのとき。


 後ろからミレイアが落ち着いた声で言った。


「でしたら、マナクリスタルで確認してください。」


 最初の衛兵は冷たい目を向ける。


「余計な口を挟むな。」


「……失礼しました。」


 ミレイアは素直に口を閉じた。


 もう一人の衛兵は肩をすくめる。


「まあ、いいだろう。」


 腰から透明な水晶を取り出した。


「ここへ手を。」


 蓮は深呼吸し、ゆっくりと手を伸ばす。


 指先が水晶へ触れた。


 数秒。


 誰も口を開かない。


 しかし――


 水晶はまったく反応しなかった。


 光らない。


 色も変わらない。


 沈黙が流れる。


 やがて衛兵が頷いた。


「問題なし。」


「通っていい。」


 蓮は胸をなで下ろした。


「……ありがとうございます。」


 門をくぐったその時。


 背後から衛兵の声が聞こえた。


「ただの一般人か。」


「いや……普通すぎるくらい普通だな。」


 蓮は苦笑いを浮かべるしかなかった。


 続いてミレイアも通行証を提示し、無事に門を通過する。


 三人は城門から少し離れたところで足を止めた。


「はぁぁ……」


 蓮は大きく息を吐く。


「助かった……。」


 ガリックは笑いながら言う。


「実は俺、駄目だったら二人を抱えて逃げるつもりだった。」


 ミレイアは呆れたように肩を落とす。


「本当にやめてよ。」


 三人は再び歩き始めた。


 角を曲がったその瞬間。


 蓮の足が止まる。


 目を大きく見開いた。


「……すごい。」


 思わず息を呑む。


「この街……」


「生きてる。」


 ミレイアは嬉しそうに微笑んだ。


「ようこそ。」


「ヴァルテリスへ。」



ヴァルテリスの街並みは、蓮が想像していたものを遥かに超えていた。


 石畳の大通りには、人々が忙しそうに行き交っている。


 露店では果物や布地、装飾品、工芸品が所狭しと並べられ、商人たちの威勢のいい呼び声があちこちから聞こえてきた。


「安いよ安いよ!」


「焼きたてのパンだ!」


「新鮮な果物はいかがですか!」


 鍛冶屋では鉄を打つ音が絶え間なく響き、真新しい鎧を身につけた冒険者たちが笑いながら店先を歩いていく。


 どこからともなく焼いた肉の香ばしい匂いと、焼きたてのパンの甘い香りが風に乗って流れてきた。


 蓮は辺りを見回しながら歩く。


 目に映るものすべてが新鮮だった。


 まるでゲームや映画の世界へ入り込んだような感覚だった。


 ミレイアはそんな彼の様子を見て、小さく笑う。


「レン。」


「もう口、閉じてもいいのよ?」


 蓮は慌てて口を閉じる。


「あ……悪い。」


 少し照れ笑いを浮かべる。


「こんな街、生まれて初めて見たんだ。」


 ガリックは腕を組んだ。


「まずは服だな。」


「その格好じゃ目立ちすぎる。」


 蓮も自分の服を見下ろす。


 事故のときに着ていたシャツ。


 ジーンズ。


 スニーカー。


 周囲では誰一人として似たような服装をしていない。


「……確かに。」


「完全に浮いてるな。」


 三人は歩き続ける。


 その途中――


 蓮の視界に、一人の女性が入った。


 長い耳。


 透き通るような白い肌。


 美しい金髪。


 人間ではない。


(……エルフ?)


 思わず見つめてしまう。


 女性も蓮の視線に気付き、一瞬だけ目を合わせた。


 しかしすぐに目を逸らし、そのまま歩き去っていった。


 蓮は思わず振り返る。


「……本当にいるんだ。」


「エルフ。」


 ミレイアが振り返る。


「珍しい?」


「いや……。」


 蓮は苦笑した。


「俺の世界じゃ、おとぎ話の存在だから。」


 ガリックは首をかしげる。


「おとぎ話?」


「あとで説明するよ。」


 三人は再び歩き始めた。


 ミレイアが話を続ける。


「さっき話していた召喚魔法だけど……。」


 少し視線を落とした。


「あれは、とんでもない量の魔力を必要とするの。」


 苦笑する。


「ほとんど全部使い切っちゃった。」


「丸一日かけて準備したのよ。」


 そしてガリックを見る。


「彼が手伝ってくれなかったら……」


 小さく息を吐いた。


「魔法を完成させる前に、王国の騎士に捕まっていたと思う。」


 蓮は静かに聞いていた。


 しばらく黙って歩く。


 するとガリックが周囲を見渡しながら低い声で言った。


「この話はここまでにしよう。」


 周囲には多くの人がいる。


「街中で話す内容じゃない。」


 蓮も頷いた。


「そうだな。」


「でも全部聞かせてもらうから。」


 ミレイアは優しく微笑んだ。


「もちろん。」


「まずは食事にしましょう。」


「落ち着いて話せる場所があるから。」


 数分後。


 三人は一本の通りで足を止めた。


 そこには木造二階建ての建物が建っている。


 入口には大きな看板。


 蓮は書かれた文字をゆっくり読んだ。


「……『最後の一杯亭』?」


 ガリックを見る。


「変わった名前だな。」


 ガリックは笑う。


「そのうち理由が分かる。」


 扉を開ける。


 途端に温かな空気と、美味しそうな匂いが三人を包み込んだ。


 店内はかなり広い。


 木のテーブルが並び、多くの冒険者や商人、旅人たちで賑わっていた。


 笑い声。


 酒場らしい談笑。


 木製ジョッキがぶつかる音。


 どこか落ち着く雰囲気だった。


 カウンターの奥では、一人の若い女性がこちらへ振り向く。


 白銀にも見える淡い白髪。


 透き通るような青い瞳。


 彼女はエプロンで手を拭きながら柔らかく微笑んだ。


「いらっしゃいませ。」


「お好きな席へどうぞ。」


「ご注文はあとで伺います。」


 三人は窓際の席へ腰を下ろした。


 蓮は店内をぐるりと見回す。


 そして苦笑する。


「正直さ……」


 ガリックを見る。


「店の名前を聞いた時は、酔っ払い同士が殴り合ってるような酒場を想像してた。」


 ガリックは真顔で答えた。


「普段はそうだ。」


 蓮は思わず目を丸くする。


「本当に?」


「ああ。」


「今日は運が良かっただけだ。」


 蓮は吹き出した。


「ははは。」


 笑いながら肩の力を抜く。


 そして両肘をテーブルについた。


 表情が少し真剣になる。


「さて……」


 ミレイアとガリックを交互に見る。


「今度こそ、ちゃんと全部聞かせてもらおうか。」


 二人も静かに頷いた。


 ガリックはゆっくりと頷いた。


「さっき話していた続きだが……。」


 腕を組み、少しだけ視線を落とす。


「俺たちは最初から勇者を召喚するつもりだった。」


「実は王国も、昔から同じことを繰り返してきた。」


 蓮は静かに耳を傾ける。


 ガリックは続けた。


「異世界から勇者を呼び、この世界を救ってもらう。」


「それが、この世界では長い間続いてきた方法なんだ。」


「だけど――」


 彼は小さく息を吐いた。


「不思議なことに、召喚された勇者たちは、いつの時代も姿を消してしまう。」


「理由は誰にも分からない。」


 蓮は数秒間黙ったまま考え込んだ。


 そして静かに右手を見つめる。


「……つまり。」


「君たちは本気で俺を勇者だと思ってるんだな。」


 手をゆっくり握る。


「だから、あの妙な力も……。」


 ミレイアは申し訳なさそうに首を振った。


「実は……」


「私たちにも分からないの。」


 蓮は顔を上げる。


「え?」


「勇者は一人ひとり違う力に目覚めるって伝えられているわ。」


「でも、それ以上のことは誰も知らない。」


「どんな能力が現れるのか。」


「いつ目覚めるのか。」


「それすら分かっていないの。」


 蓮は苦笑した。


「つまり……」


「召喚した本人たちも、詳しく知らないってことか。」


 ミレイアは少し照れくさそうに笑う。


「……うん。」


 三人の間に、しばらく静かな時間が流れた。


 やがて蓮が再び口を開く。


「そうだ。」


 彼はミレイアを見つめた。


「一つ聞いてもいいか。」


「俺は……」


「トラックで事故を起こした直後に召喚されたんだよな?」


 その瞬間。


 ミレイアの笑顔が消えた。


 ガリックも真剣な表情になる。


 二人は顔を見合わせた。


 少しの沈黙。


 やがてミレイアが首をかしげる。


「レン……。」


「トラックって……何?」


 蓮はぽかんとした。


 数秒間固まる。


 そして苦笑した。


「あぁ……。」


「そうだった。」


「君たちは知らないんだったな。」


 額をかく。


「俺の世界の乗り物なんだ。」


「ものすごく大きな荷物を運ぶ車で――」


 途中まで説明しかけて、首を振る。


「いや。」


「説明しても想像できないか。」


 ガリックは眉をひそめる。


「さっきから気になっていたが……。」


「俺たちをからかってるわけじゃないよな?」


 蓮は慌てて両手を振った。


「違う違う!」


「そんなつもりじゃない!」


「ごめん。」


「俺の世界では当たり前だったから……。」


 ミレイアは優しく微笑んだ。


「大丈夫。」


「私も説明するね。」


 彼女は小さく息を吸った。


「私が使った召喚魔法は、王国の宮廷魔導師たちが使うものと同じ術式よ。」


「だから分かっていることも、その程度しかないの。」


 少し視線を伏せる。


「伝承では――」


「勇者を召喚しても、元の世界で命を落とすわけではないと言われている。」


 蓮は眉をひそめた。


「……ということは。」


「俺は死んでない可能性もある?」


 ガリックはゆっくり首を振る。


「それも分からない。」


「誰も確かめようがないからな。」


 蓮は黙り込む。


 事故の瞬間が頭をよぎる。


 雨。


 急カーブ。


 横転するトラック。


 砕け散るガラス。


 身体を襲った衝撃。


 そして――


 何も感じなくなった、あの静寂。


(……あれで助かるとは思えない。)


 自然と視線がテーブルへ落ちる。


 拳を握った。


 それでも。


 もう一つだけ聞かなければならないことがあった。


 蓮は静かに顔を上げる。


「じゃあ……。」


「どうして君たちは。」


「俺が協力してくれると思った?」


 その言葉に。


 二人は完全に言葉を失った。


 ミレイアの肩が小さく震える。


 ガリックも何も言えない。


 数秒の沈黙。


 蓮は困ったように笑った。


「誤解しないでくれ。」


「責めてるわけじゃない。」


「俺は今まで誰かと戦ったことなんてない。」


「剣なんて持ったこともない。」


「急に勇者だって言われても……。」


 彼は苦笑する。


「中身は、ただのトラック運転手なんだ。」


 静かに息を吐く。


「それに……。」


 目を伏せた。


「できれば。」


「元の世界へ帰りたい。」


 ゆっくりと二人を見る。


「帰る方法はあるのか?」


 再び、重い沈黙が流れた。



ガーリックは少しだけ表情を引き締めると、静かに続けた。


「俺たちの目的は、最初から勇者を召喚することだった。」


「王国も、昔から何度も勇者召喚を行ってきた。」


「……だが、なぜか召喚された勇者たちは、最後には皆いなくなってしまう。」


「詳しいことは、誰にも分かっていない。」


レンは黙ったまま、その言葉を受け止めた。


しばらくして、自分の手のひらを見つめながら呟く。


「……じゃあ、本当に俺は勇者なんだな。」


彼は軽く拳を握った。


「だから、あんな馬鹿みたいな力が出たのか?」


ミレリアは首を横に振る。


「実は……そこも、まだ分からないんです。」


「勇者ごとに目覚める力は違う、と言われています。」


「ある人は圧倒的な身体能力。」


「ある人は強力な魔法。」


「ある人は特殊な加護や、固有の能力。」


レンは苦笑した。


「つまり……。」


「君たちもよく分かってないんだ。」


ミレリアも苦笑いを返す。


「はい……。」


「正直に言えば、その通りです。」


三人の間に、短い沈黙が流れた。


やがてレンが、ふと思い出したように口を開く。


「そうだ。」


彼はミレリアを見つめる。


「俺を召喚したって言ってたよな。」


「ってことは……。」


「トラックが横転した、あの直後だったのか?」


その瞬間だった。


ミレリアの笑みが消えた。


ガーリックも真剣な顔になる。


二人は視線を合わせ、小さく頷き合う。


そしてミレリアが、おそるおそる尋ねた。


「レン……。」


「その……。」


「"トラック"って……何ですか?」


レンは何度か瞬きをした。


二人の顔を見比べる。


そして、小さく息を吐いた。


「ああ……そうか。」


「この世界じゃ、そんなものないよな。」


ガーリックが眉をひそめる。


「今、俺たちを馬鹿にしたか?」


「違う違う!」


レンは慌てて両手を振る。


「そういう意味じゃない!」


「ごめん。」


「悪気は全然ない。」


ガーリックは数秒レンを見つめたあと、小さく肩をすくめた。


「……ならいい。」


ミレリアは静かに話を戻した。


「私が使ったのは、王国の宮廷魔導士たちが使う召喚術式と、ほぼ同じものです。」


彼女は少し目を伏せる。


「私たちが知る限りでは……。」


「勇者を召喚しても、その人は元の世界で死ぬわけではありません。」


レンは少し考え込んだ。


そして、ゆっくり口を開く。


「……じゃあ。」


「どうして俺が協力すると思った?」


空気が止まった。


ミレリアは答えられない。


ガーリックも黙ったまま。


レンは二人の反応を見ると、少し困ったように頭を掻いた。


「いや……。」


「責めてるわけじゃない。」


「でもさ。」


「俺、戦ったことなんて一度もないんだ。」


「変な力があるとしても……。」


「中身は、ただのトラック運転手だ。」


彼は小さく笑った。


その笑みは、とても寂しかった。


「正直……。」


「俺は元の世界に帰りたい。」


レンは二人を見つめる。


「帰る方法はあるのか?」


再び沈黙。


今度はさっきより重かった。


ガーリックが先に口を開いた。


「……知る限りでは。」


「極めて難しい。」


ミレリアが続ける。


「ほとんど……不可能です。」


レンの眉がぴくりと動く。


「どうして?」


ミレリアは両手を膝の上で握りしめた。


「勇者を呼ぶことより……。」


「送り返す方が、ずっと難しいからです。」


「魂が世界を渡った、その瞬間の軌跡を、完全に再現しなければならないと言われています。」


彼女は力なく笑う。


「それでも……。」


「成功する保証はありません。」


ガーリックが低い声で続けた。


「これまでに、元の世界へ帰ろうとした勇者は二人だけいた。」


「だが……。」


彼は視線を落とした。


「帰れたのか。」


「途中で消えたのか。」


「誰にも分からない。」


レンは静かに俯いた。


言葉が出ない。


心の中で、事故の光景が蘇る。


横転するトラック。


砕けるガラス。


ミサキの写真。


そして——。


『俺は、本当に死んだのか……?』


『それとも……。』


『もう戻れないのか……。』


彼はゆっくり目を閉じた。


静かな店内に、小さなため息だけが残った。


レンが黙り込んだまま俯いていると、


ミレリアも何も言えなかった。


テーブルの上で両手をぎゅっと握り締める。


その指先は、小さく震えていた。


やがて、彼女は意を決したように口を開く。


「……レン。」


声はとても小さかった。


「お願いです。」


「私たちには……本当にあなたの力が必要なんです。」


レンはゆっくり顔を上げた。


ミレリアは真っ直ぐ彼を見つめていた。


その青灰色の瞳には、不安と覚悟が入り混じっている。


「あなたが望んで、この世界へ来たわけじゃないことは分かっています。」


「突然知らない場所へ連れて来られて……。」


「戸惑うのも当然です。」


彼女は唇を噛んだ。


少しだけ目が潤む。


「でも……。」


「私の家族は、魔王軍に連れ去られました。」


その一言で、


レンの表情が変わった。


「……家族?」


ミレリアは小さく頷く。


「父も。」


「母も。」


「妹も。」


「誰一人、帰ってきませんでした。」


店内の賑やかな話し声が、まるで遠くの出来事のように聞こえる。


ミレリアは俯いたまま続けた。


「王国へ何度も助けを求めました。」


「でも……。」


「辺境の村なんて後回しだ、と。」


「今は戦力を割けない、と。」


彼女の声が少し震える。


「だから私は……。」


「自分で何とかするしかありませんでした。」


レンは何も言えなかった。


ガーリックも静かに話し始める。


「ミレリアは一人で禁術を調べ始めた。」


「勇者召喚。」


「もちろん、そんなものは王国の許可がなければ使えない。」


「見つかれば、重罪だ。」


レンは思わず聞き返す。


「そこまでして……。」


ガーリックは頷いた。


「それでも諦めなかった。」


「だから俺も協力した。」


彼はミレリアを見た。


「放っておけなかったんだ。」


ミレリアは少しだけ困ったように笑う。


「ガーリックがいなければ……。」


「私は途中で捕まっていたと思います。」


ガーリックは照れくさそうに鼻を掻いた。


「大したことはしてない。」


「魔力なんて、ほとんど役に立たなかったしな。」


「荷物を運んだり、見張りをしたり。」


「その程度だ。」


ミレリアは首を横に振る。


「そんなことありません。」


「あなたがいてくれたから、最後までやり遂げられたんです。」


ガーリックは何も答えず、小さく笑った。


その空気を見て、


レンも少しだけ表情を緩める。


「……二人は昔から知り合いなのか?」


「うん。」


ミレリアは頷いた。


「子どもの頃から、一緒でした。」


「腐れ縁だ。」


ガーリックが苦笑する。


「ずっと振り回されっぱなしだけどな。」


「もう。」


ミレリアが少し頬を膨らませる。


「そんな言い方しないでください。」


二人のやり取りを見て、


レンは自然と笑ってしまった。


「……なんだ。」


「本当に仲がいいんだな。」


「そう見えますか?」


「見える。」


レンは小さく頷いた。


「少なくとも、悪い人には見えない。」


ミレリアは少し安心したように笑った。


「ありがとうございます。」


レンは静かに息を吐く。


「……分かった。」


「すぐに返事はできない。」


「でも。」


彼はミレリアを見る。


「君たちの話はちゃんと聞く。」


「そして、自分で決める。」


ミレリアの表情が明るくなる。


「はい!」


その時だった。


「ご注文のお料理です。」


明るい女性の声が響く。


白銀の髪を揺らしながら、


青い瞳の店員――ミハルが、大きな木製のトレーを持ってやって来た。


「お待たせしました。」


彼女は慣れた手つきで料理を並べていく。


香草でじっくり焼き上げられたロースト肉。


黄金色に焼かれたバター風味のじゃがいも。


彩り豊かな炒め野菜。


焼きたての田舎パン。


そして、


玉ねぎと香辛料の香りが立ちのぼる、濃厚なスープ。


最後に、大きな木製ジョッキへ入ったリンゴジュースが置かれた。


レンは思わず目を丸くする。


「……うわ。」


「すごいな。」


彼はナイフとフォークを手に取った。


肉を一切れ切り、


ゆっくり口へ運ぶ。


しっかりと噛み締める。


肉汁と香草の香りが口いっぱいに広がった。


思わず笑みがこぼれる。


「……美味しい。」


ミハルは腕を組み、


少し得意そうに笑った。


「当然です。」


「私が作りましたから。」



レンは笑顔を浮かべた。


「本当に美味しいです。」


「ごちそうになります。」


ミハルは少し照れくさそうに笑う。


「ありがとうございます。」


「ゆっくり召し上がってください。」


レンはもう一口、肉を口へ運ぶ。


「うん……。」


「柔らかい。」


「この味付けも好きだな。」


ミハルは満足そうに頷いた。


「気に入っていただけて何よりです。」


レンはふと彼女の顔を見つめた。


特に深い意味はなかった。


ただ、その澄んだ青い瞳を見ているうちに、一人の少女の顔が頭に浮かんだ。


「あの……。」


ミハルが首を傾げる。


「はい?」


レンは少しだけ笑う。


「その……。」


「あなたの目を見ていたら。」


「昔からの友達を思い出しました。」


ミハルは瞬きをする。


「そうなんですか?」


「はい。」


レンは懐かしそうに微笑んだ。


「アオイっていう友達なんです。」


「あなたと同じように、すごく綺麗な青い目をしていて。」


ミハルはくすりと笑った。


「それは……。」


「少し強引な口説き文句ですね。」


ガーリックは思わず吹き出しそうになり、


慌てて口を手で押さえる。


肩だけが小刻みに震えていた。


レンは一瞬固まる。


「……え?」


数秒後。


顔がみるみる赤くなった。


「ち、違います!」


「そういう意味じゃなくて!」


「本当に友達なんです!」


「勘違いさせるつもりは全然……!」


ミハルは笑いながら手を振る。


「冗談ですよ。」


「ちゃんと分かっています。」


レンは胸を撫で下ろした。


「あぁ……。」


「びっくりした……。」


ガーリックはついに笑いをこらえきれなかった。


「はははは!」


「レン、お前面白いな。」


「いや、本当に違うんだって!」


レンは必死に弁解する。


その様子に、


ミレリアも思わず笑ってしまう。


「ふふっ……。」


「レンさんって、意外と慌てるんですね。」


「そりゃ慌てるよ!」


レンは苦笑した。


「誤解されたままなのは困る。」


ミハルは優しく微笑みながら答える。


「安心してください。」


「本当に口説こうとしている人の顔じゃありませんでしたから。」


レンはようやく安心して息を吐く。


「助かった……。」


ミレリアは少し首を傾げた。


「その……。」


「アオイさんという方は。」


「レンさんにとって、大切な人なんですか?」


レンは少しだけ黙った。


フォークを置く。


しばらく料理を見つめていたが、


やがて静かに笑った。


「そうだな。」


「大切な友達だ。」


「俺の……。」


彼は窓の外を見た。


賑やかなヴァルテリスの街並みが広がっている。


「もう一つの故郷で出会った、大切な仲間たちの一人。」


その一言で、


ミレリアもガーリックも何も聞かなかった。


二人とも、


その言葉の重さだけは理解できたからだ。


少しだけ静かな時間が流れる。


やがてミハルが話題を変えるように尋ねた。


「そういえば。」


「皆さんは冒険者ですか?」


ミレリアは頷く。


「これから登録に行く予定です。」


「おすすめのギルドはありますか?」


ミハルは迷うことなく答えた。


「それでしたら。」


「《獅子のギルド》ですね。」


「初心者にも評判が良くて、今もちょうど新しい冒険者を募集しています。」


ミレリアは嬉しそうに微笑む。


「ありがとうございます。」


ミハルは続けた。


「登録したら、またこちらへ来てください。」


「ギルド証を見せてもらえれば、お食事も宿泊も割引になります。」


「それと、この先を数区画進んだ場所にも、私たちの系列店があります。」


「そちらはもっと広いので、大人数でも利用できますよ。」


ガーリックは笑顔で頷いた。


「助かります。」


「ありがとう、ミハルさん。」


ミハルは軽く会釈した。


レンはリンゴジュースを一口飲みながら呟く。


「獅子のギルド、か……。」


苦笑いを浮かべる。


「本当にゲームみたいだ。」


ガーリックが笑う。


「またその言葉だ。」


「ゲームって何なんだ?」


ミレリアも興味津々に身を乗り出した。


「それに……。」


「さっきから気になっていたんですけど。」


「トラックって、結局どんなものなんですか?」


レンは思わず笑ってしまう。


「はは……。」


「そうだった。」


「まだ説明してなかったな。」


彼は椅子にもたれながら、


ゆっくりと話し始めた。


「じゃあ。」


「今度は俺の世界の話をしようか。」


「車とか。」


「電気とか。」


「魔法の代わりに発達した文明のことを。」


ミレリアとガーリックは目を輝かせながら、


レンの言葉に耳を傾け始めた。



レンはゆっくりと椅子にもたれかかった。


「じゃあ……。」


「今度は俺の世界の話をしようか。」


ミレリアとガーリックは同時に身を乗り出した。


まるで子どもが昔話を聞くような目をしている。


レンは少し笑う。


「まず、トラックっていうのは……。」


「荷物を運ぶための、とても大きな乗り物なんだ。」


二人は首を傾げた。


「乗り物……?」


ガーリックが尋ねる。


「馬車みたいなものか?」


「似てるけど、違う。」


レンはパンを一切れちぎりながら説明を続けた。


「馬はいない。」


「人が引くわけでもない。」


「鉄でできた大きな箱が、自分で走るんだ。」


二人は固まった。


「……自分で?」


「そう。」


「魔法じゃなくて?」


レンは苦笑する。


「いや。」


「魔法は存在しない世界だから。」


ミレリアが思わず声を上げた。


「魔法がないのに、どうやって動くんですか!?」


「エンジンっていう仕組みがあって……。」


説明しかけたレンは途中で止まる。


「……いや。」


「たぶん説明しても分からないな。」


ガーリックは真剣な顔で腕を組んだ。


「つまり……。」


「魔法を使わずに動く魔道具、みたいなものか?」


レンは少し考えてから頷いた。


「そんな感じ。」


「その方が伝わりやすいか。」


ミレリアは目を輝かせる。


「すごい……。」


「そんなものが本当にあるんですね。」


レンはリンゴジュースを一口飲んだ。


「俺たちの世界じゃ珍しくも何ともないよ。」


「空だって飛べるし。」


今度は二人とも完全に止まった。


「…………。」


「…………。」


ガーリックがゆっくり口を開く。


「……空?」


「飛ぶ?」


「うん。」


「飛行機っていう乗り物がある。」


「何百人も乗せて空を飛ぶ。」


ミレリアは口をぽかんと開けたまま固まっている。


「何百人も……?」


「え?」


「鳥じゃなくて?」


レンは笑う。


「もちろん人間。」


「それに何千キロも移動できる。」


ガーリックは額を押さえた。


「レン。」


「お前の世界の方がよっぽど魔法みたいだ。」


レンは肩をすくめた。


「よく言われる。」


「俺からすれば、この世界の方が十分おかしいけどな。」


ミレリアは思わず笑ってしまう。


「ふふっ。」


「確かに。」


「私たちは魔法が当たり前だから。」


「逆に魔法がない世界なんて想像できません。」


レンは窓の外を眺めた。


通りでは魔法の灯りがゆらゆらと揺れ、


荷車が行き交い、


冒険者たちが笑いながら歩いている。


「……面白いな。」


「何がですか?」


ミレリアが尋ねる。


レンは少しだけ微笑んだ。


「お互いに。」


「自分たちの世界が普通だと思ってる。」


「でも。」


「相手から見たら全部不思議なんだ。」


ガーリックも小さく笑う。


「確かにな。」


その時だった。


ミハルが空になった皿を見て近づいてきた。


「お口に合いましたか?」


レンは笑顔で頷く。


「はい。」


「本当に美味しかったです。」


「久しぶりに、ちゃんと食事を楽しめました。」


ミハルは優しく微笑んだ。


「それは良かったです。」


彼女は皿を手際よく重ねながら尋ねる。


「この後はギルドへ?」


ミレリアが頷く。


「はい。」


「登録を済ませて、それから宿を探そうと思っています。」


ミハルは少し考えてから言った。


「もし宿が決まっていなければ。」


「うちにも部屋がありますよ。」


「冒険者割引もありますし。」


「しばらく滞在するなら、おすすめです。」


ガーリックは嬉しそうに笑った。


「助かる。」


「ありがとう。」


ミハルは軽く頭を下げる。


「お気をつけて。」


「ヴァルテリスは平和な街ですが……。」


「夜になると酔っ払いも増えますから。」


ガーリックが苦笑した。


「だから店の名前が《最後の一杯》なのか。」


ミハルはくすっと笑う。


「ええ。」


「最後の一杯で終われる人ばかりじゃありませんけどね。」


レンも思わず吹き出した。


「ははは。」


「どこの世界も同じなんだな。」


三人は席を立った。


レンは最後にもう一度店内を見渡す。


旅人。


冒険者。


商人。


笑い声。


食器の音。


焼きたてのパンの香り。


そのすべてが、


この世界で初めて感じる「日常」だった。


『……少しだけ。』


『本当にここで生きていくことになるのかもしれない。』


そんな考えが、


ほんの一瞬だけ頭をよぎる。


レンは静かに首を振った。


『まだ決めるのは早い。』


『まずは、この世界を知らないと。』


店の扉を開けると、


午後の柔らかな陽射しが三人を包み込んだ。


ガーリックが大きく伸びをする。


「さて。」


「次は獅子のギルドだ。」


ミレリアも笑顔で頷いた。


「レン。」


「いよいよ冒険者登録ですよ。」


レンは苦笑しながら空を見上げる。


青空の向こうには、


昼間でもうっすらと二つの月が浮かんでいた。


「……本当に。」


「異世界なんだな。」


そう呟くと、


三人は並んで石畳の大通りを歩き始めた。


その先には、


巨大な獅子の紋章が掲げられた建物が、堂々とそびえ立っていた。

作者あとがき


第二話を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!


もしレンの物語を楽しんでいただけたら、ぜひブックマークやお気に入り登録をしていただけると嬉しいです。


皆さんの応援が、この作品をより多くの読者へ届ける力になり、そして私が書き続ける大きな励みになります。


それでは、また次の話でお会いしましょう!

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