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第1話 松田 蓮

夜の帳は、すでに道路一帯を包み込んでいた。


ほとんど車の走っていない国道を、一台の大型トラックが静かに走っている。


濡れたアスファルトには街灯の淡い黄色い光だけが映り込み、周囲は静寂に包まれていた。


運転席では、二十八歳の青年――松田蓮が、真っすぐ前を見つめながらハンドルを握っていた。


その表情に笑顔はない。


彼の左手には、一枚の写真が握られていた。


何度も触れられたせいで、端は少し擦り切れている。


そこには制服姿の蓮と、美咲が並んで写っていた。


二人とも、心から幸せそうに笑っている。


あの頃は――。


この時間が永遠に続くと、本気で信じていた。


蓮は親指で、ゆっくりと写真の上をなぞった。


その視線は、美咲の笑顔から離れない。


「……俺たち、本当に愛し合ってるって思ってた」


かすれるような、小さな声。


誰にも届かない独り言だった。


「でも、お前は変わった」


「新しい芸能事務所に入ってから……」


蓮は静かに目を伏せる。


「知らない奴らに囲まれて……俺の知らない世界へ行ってしまった」


再び、車内は静寂に包まれた。


蓮は写真の中の美咲の頬へ、そっと指を添える。


まるで紙越しに彼女へ触れようとするかのように。


返事はない。


聞こえるのは、遠くを走る大型車のエンジン音だけだった。


疲れたように息を吐き、蓮は運転しながらスマートフォンを手に取る。


考え事から逃げたかった。


ほんの少しだけでも。


だが――。


運命は、それすら許してくれなかった。


無意識のうちに開いてしまったのは、美咲が所属する芸能事務所の公式チャンネルだった。


画面の中には、美咲がいた。


満面の笑みを浮かべながら。


隣には、一人の外国人男性。


背が高く、整った顔立ちで、上品な雰囲気をまとっている。


二人の左手には、同じ指輪が光っていた。


幸せそうだった。


いや――。


あまりにも幸せそうだった。


美咲はイタリア語で何かを話し、大きく笑っている。


蓮には、その言葉の意味は分からない。


だが、分からなくてもよかった。


あの笑顔だけで、すべて理解してしまったからだ。


握る手が震え始める。


そして静かにスマートフォンの画面を閉じた。


車内は再び闇に包まれる。


「……蒼井の家で集まる約束……」


「もう、俺には顔を出す資格なんてないな……」


最後の言葉は、途中で途切れた。


誰も答えない。


慰めてくれる人もいない。


あるのは、深夜の静寂だけだった。


時間だけが、ゆっくりと流れていく。


ぽたり。


一滴。


床へ涙が落ちた。


また一滴。


さらにもう一滴。


蓮はしばらく動かなかった。


やがて片手で顔を覆う。


肩が、小さく震え始める。


目を強く閉じた。


溢れそうになる感情を押し殺そうとした。


だが――。


もう遅かった。


「……俺は、どこで間違えたんだ」


震える声が漏れる。


「両親を失って……ずっと引きずっていたことが、俺の間違いだったのか……」


少しだけ笑う。


悲しい笑みだった。


「冬香……」


「少なくとも、お前はもう一人で生きていけるよな……」



夜は静かなままだった。


何も変わらない。


何も気に留めることなく。


月明かりだけが、静かに運転席を照らしていた。


蓮はもう一度、写真を強く握りしめる。


そこに写る美咲の笑顔は、昔と何ひとつ変わらない。


変わってしまったのは――。


彼女自身だった。


その時だった。


遠くの暗闇から、二つの強烈なヘッドライトが現れた。


猛烈な速度でこちらへ向かってくる。


眩しい光が、一瞬で蓮の視界を覆った。


「……っ!」


思わず目を見開く。


その瞬間、ようやく異変に気付いた。


「しまった!」


大型トラックは、いつの間にか反対車線へ大きくはみ出していた。


慌ててハンドルを握り直し、力いっぱい切る。


キィィィィィィッ!!


タイヤが悲鳴を上げる。


巨大な車体が大きく揺れながらも、なんとか元の車線へ戻った。


「はぁ……はぁ……」


荒く息を吐く。


胸が苦しい。


頭の中は、まだ美咲のことでいっぱいだった。


思い出も。


後悔も。


何もかもが胸を締めつけていた。


その時――。


ビー――――――ッ!!


耳をつんざくようなクラクションが夜を裂いた。


バックミラーを見る。


後続車が激しく警笛を鳴らし続けていた。


蓮は反射的にアクセルを踏み込む。


片手で涙を乱暴に拭いながら、小さく呟いた。


「……こんなところで止まってる暇なんてない」


しゃがれた声だった。


「俺は……まだ――」


言葉は最後まで続かなかった。


ふと視線を前へ戻した、その瞬間。


血の気が引いた。


「……え?」


目の前には、急カーブ。


あまりにも近い。


近すぎた。


道路脇のカーブ標識が、視界の端を一瞬で通り過ぎる。


「どうして……!」


息が止まる。


「なんで気付かなかった……!」


頭の中が真っ白になる。


「目を閉じていた……?」


いや。


違う。


考え事に飲み込まれていた。


その一瞬の隙が、すべてだった。


蓮はブレーキを思い切り踏み込む。


ゴォォォォォッ!!


巨大な車体全体が激しく震える。


タイヤが焼けるような音を立てる。


焦げたゴムの臭いが車内へ流れ込む。


だが――。


止まらない。


車体は重すぎた。


速度は速すぎた。


カーブは、もう目の前だった。


「やばい……!」


トラックはガードレールへ一直線に突っ込んでいく。


その瞬間。


蓮は悟った。


もう、間に合わない。


もう、避けられない。


助かる道は――


どこにもない。


瞳が小さく揺れる。


そして、これまでの人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。


冬香。


友人たち。


会社の仲間。


笑い合った日々。


何気ない会話。


自分を大切にしてくれた人たち。


「……冬香」


かすれた声が漏れる。


「みんな……」


「美咲……」


――ドォォォォォンッ!!


ガードレールが粉々に吹き飛ぶ。


大型トラックは、そのまま崖下へ投げ出された。


世界が反転する。


金属が軋む音。


ガラスが砕け散る音。


激しい衝撃。


トラックは何度も何度も横転した。


一度。


二度。


三度。


衝突するたびに、世界そのものが壊れていくようだった。


そして――


すべての音が消えた。



体の感覚は、もう何も残っていなかった。


痛みもない。


地面に倒れている感覚もない。


風も。


寒さも。


何も感じない。


まるで、自分の意識だけが存在しているようだった。


……


「……ここは」


「どこだ……?」


目を開こうとする。


だが、不思議なことに、すでに目は開いているような感覚があった。


それでも――


何も見えない。


光もない。


闇ですらない。


上も下も。


前も後ろも。


時間さえ存在しない、果てしない無の空間。


その静寂の中――


遠くから、女性の声が聞こえた。


「……成功した。」


穏やかで、どこか安心したような声。


続いて、もう一人。


さらに柔らかく、どこか神秘的な声が響く。


「ようこそ――」


「……私の世界へ。」


蓮は反射的に周囲を見回した。


「誰だ……?」


返事はない。


再び静寂だけが広がる。


……


その瞬間だった。


ふっと呼吸が戻る。


肺に空気が流れ込む感覚。


鼻先をくすぐる、古びた木材の匂い。


蝋燭のほのかな香り。


乾燥させた薬草の匂い。


蓮はゆっくりと目を開いた。


目の前に広がっていたのは、木造の天井だった。


しばらく瞬きを繰り返す。


頭がぼんやりしている。


ゆっくりと体を起こし、周囲を見渡した。


「……病院じゃ、ない?」


そこは質素な木造の小屋だった。


小さな机。


古びた本棚。


天井から吊るされた薬草。


壁際には木箱や樽が並び、窓からは柔らかな朝日が差し込んでいる。


病院とは似ても似つかない場所だった。


「ここは……」


その時――


ギィ……


木製の扉が静かに開いた。


最初に入ってきたのは、灰白色の長い髪をした若い女性。


その後ろから、褐色の肌と銀色の髪を持つ青年が姿を現した。


二人は蓮が起き上がっているのを見ると、同時に足を止めた。


女性は安堵したように微笑む。


「目が覚めたんですね。」


蓮は二人を交互に見つめた。


そして、その服装に視線が止まる。


どちらも、まるで物語の中に出てくるような衣装だった。


革の装備。


見慣れない装飾。


腰には武器まで下げている。


蓮は深く息を吸った。


「……なあ。」


少し震える声で尋ねる。


「ここって病院……じゃないよな?」


一瞬言葉を探すように口ごもり、


「……それより、俺……」


自分の体を見下ろした。


腕も。


足も。


ちゃんと動いている。


「なんで生きてるんだ……?」


女性は小さく首を傾げた。


「……びょういん?」


その言葉自体が分からないようだった。


部屋の中に短い沈黙が流れる。


やがて彼女は軽く一礼した。


「私はミレリアと申します。」


隣の青年へ視線を向ける。


「こちらはガリックです。」


そして、蓮を真っすぐ見つめながら告げた。


「私たちが――」


「あなたを召喚しました。」



「――私たちが、あなたを召喚しました。」


部屋の中が静まり返る。


蓮はミレリアの顔を見つめたまま、数秒間まったく動かなかった。


「……は?」


間の抜けた声が漏れる。


ミレリアは真剣な表情を崩さない。


「あなたは別の世界から召喚された勇者です。」


蓮は彼女を見つめたまま、ゆっくりと首を傾げた。


「……いや。」


「ちょっと待ってくれ。」


額に手を当て、大きく息を吐く。


「俺、トラックで事故を起こしたんだ。」


「崖から落ちた。」


「だから……」


自分の胸に手を当てる。


「死んだ……はずなんだけど。」


ミレリアは静かに頷いた。


「ええ。」


「勇者様は、こちらへ召喚されたあと、数時間ほど意識を失っていました。」


「正直……」


少しだけ視線を伏せる。


「失敗したのかと思いました。」


蓮は言葉を失う。


ガリックが腕を組みながら口を開いた。


「お前は別の世界から来たんだろ?」


「ミレリアの召喚魔法でここへ来た。」


「だが、お前はしばらく目を覚まさなかった。」


「だから俺たちも、不安だった。」


蓮は何も答えられなかった。


ただ呆然と立ち尽くす。


やがてゆっくりと顔を伏せると、片手で額を押さえた。


「……意味が分からない。」


小さく呟く。


「何なんだよ、これ……」


そのまま二人の横を通り過ぎる。


ギィ……


木の扉を開け、小屋の外へ出た。


冷たい風が頬を撫でる。


蓮は十メートルほど歩くと、その場で立ち止まった。


それから落ち着かない様子で歩き始める。


右へ。


左へ。


何度も同じ場所を行き来しながら、一人で呟いた。


「どういうことなんだ……」


「俺はトラックごと落ちたんだぞ……」


「死んだのか?」


「いや……」


「奇跡的に助かった?」


首を横に振る。


「違う。」


「それなら病院にいるはずだ。」


両手で髪をかき上げる。


「夢か?」


「幻覚か?」


「いや……」


周囲を見回す。


森。


木々。


見たことのない草花。


どこからか聞こえる鳥の鳴き声。


遠くに見える山々。


どれも現実としか思えない。


「分からない……」


「何一つ分からない。」


「……あの高さだった。」


静かに空を見上げる。


「あんな事故で、生きてるわけがない。」


少し考え込む。


「何年も意識不明だった?」


「……いや。」


「そんな感じでもない。」


再び深く息を吐く。


「本当に……」


「別の世界なのか……?」


少し離れた場所から、その様子をミレリアは静かに見守っていた。


しばらくしてから、優しい声で呼びかける。


「勇者様……」


蓮はゆっくり振り返る。


ミレリアは少しだけ微笑んだ。


「大丈夫ですか?」


蓮は困ったように笑う。


「いや……」


「大丈夫じゃない。」


頭を掻きながら空を見上げる。


「じゃあ聞くけど……」


「ここも地球なんだよな?」


ミレリアは不思議そうに首を傾げた。


「……チキュウ?」


その単語自体を知らないようだった。


「この世界の名前は――」


彼女は胸に手を当てる。


「レイア。」


「この星は、レイアと呼ばれています。」


蓮はしばらく黙っていた。


やがて苦笑しながら呟く。


「……人生で、ここまで常識が壊れたのは初めてだ。」



ミレリアは蓮の表情を見つめたまま、小さく頷いた。


「勇者様。」


「まずは、あなたの力と魔力を調べましょう。」


蓮は首を傾げる。


「……魔力?」


思わず聞き返した。


「待ってくれ。」


「そんなもの、本当にあるのか?」


少し苦笑する。


「俺が知ってる魔力なんて、ゲームや物語の中だけなんだけど。」


「ゲーム?」


ガリックが興味深そうに反応した。


蓮は彼を見る。


「知らないのか?」


ガリックは素直に首を横へ振る。


「聞いたことがない。」


「ゲームとは何だ?」


蓮は一瞬説明に困った。


「えっと……」


「遊びみたいなものだよ。」


「その中では魔法を使ったり、魔物と戦ったりするんだ。」


ガリックは腕を組んだまま考え込む。


「……よく分からん。」


ミレリアは小さく笑った。


「その話は後でゆっくり聞かせてください。」


そう言うと、彼女は静かに杖を構える。


「私はプラチナ級魔導士です。」


その言葉と同時に、足元へ青白い魔法陣が浮かび上がった。


杖の先から淡い光が溢れ始める。


「アクアランス。」


次の瞬間――


杖の先から一本の鋭い水の槍が放たれた。


一直線に飛んだそれは、離れた岩へ激突する。


ドォンッ!!


水しぶきとともに岩の表面が大きく砕け散った。


蓮は思わず目を見開いた。


「……すごい。」


「本当に魔法だ。」


ガリックは少し笑うと、近くにあった大きな岩の前へ歩いていく。


拳を軽く握る。


「次は俺だ。」


深く息を吸い――


岩へ向かって拳を振り抜いた。


ドォン!!


鈍い衝撃音が響く。


巨大な岩は真っ二つに割れ、そのまま崩れ落ちた。


蓮は口を開けたまま固まる。


「いやいや……」


「十分化け物じゃないか。」


ガリックは肩をすくめる。


「今度はお前の番だ。」


蓮は目の前の岩を見る。


そして自分の拳を見る。


深いため息をついた。


「……いや。」


「どう考えても無理だろ。」


苦笑しながら拳を軽く握る。


「本気で殴ったら、壊れるのは岩じゃなくて俺の手だ。」


ミレリアは穏やかに微笑んだ。


「大丈夫です。」


「軽い怪我なら、私が治療できます。」


蓮は彼女を見た。


「いや、そういう問題じゃなくて……」


「なんで殴らなきゃいけないんだ?」


ガリックが当然のように答える。


「勇者だからだ。」


「勇者の力を確かめる必要がある。」


蓮は苦笑しながら首を横へ振る。


「俺は勇者なんかじゃない。」


視線を落とす。


「ただの普通の人間だ。」


少しだけ間を置いて続けた。


「人生だって、何一つうまくいかなかった。」


拳をゆっくり握る。


「勇者っていうのは……」


「誰かを救える人のことだろ。」


自嘲するように笑う。


「俺は誰一人救えなかった。」


「……情けない人間なんだ。」


その場に静寂が流れた。


ミレリアは何か言おうとして、小さく手を伸ばく。


しかし――


ガリックは静かに首を横へ振った。


ミレリアは小さく息をつき、言葉を飲み込む。


代わりに腰の小袋から、小さな透明の水晶を取り出した。


「それなら……」


「先に魔力を測ってみましょう。」


蓮は水晶を見る。


「これは?」


「簡易魔力測定具です。」


「王国で使われる正式なものほど正確ではありませんが、魔力の有無くらいなら分かります。」


そう言って、水晶を差し出した。


「ここへ手を置いてください。」


蓮は素直に従う。


透明な水晶へ、ゆっくりと右手を乗せた。


数秒が過ぎる。


……


何も起こらない。


光らない。


色も変わらない。


沈黙だけが流れた。


蓮はミレリアを見る。


「……それで?」


ミレリアは不思議そうに眉を寄せた。


「おかしいですね……」


「普通なら、少しは光るはずなんですが……」


ガリックも腕を組みながら水晶を見つめる。


「故障か?」


ミレリアはゆっくり首を振った。


「昨日までは正常に動いていました。」


ガリックはしばらく考え込んだあと、小さく頷いた。


「……だったら。」


「ヴァルテリスの町まで行こう。」


蓮は首を傾げた。


「ヴァルテリス?」


ミレリアが説明する。


「この近くで一番大きな人間の町です。」


「そこには王国公認の魔力測定器があります。」


ガリックが続ける。


「正式な測定器なら、お前の魔力が分かるはずだ。」


ミレリアも頷いた。


「ええ。」


「きっと何か分かると思います。」


ガリックは再び先ほどの大岩へ視線を向けた。


「……だが、その前に。」


「やっぱり力も確認しておこう。」


蓮は思いきりため息をついた。


「まだやるのか……」


ミレリアは優しく微笑む。


「勇者の中には、生まれつき膨大な魔力を持つ方もいれば……」


「圧倒的な身体能力を持つ方もいます。」


「どちらなのか確認する必要があります。」


蓮はしばらく岩を見つめていた。


そして苦笑する。


「分かったよ。」


ミレリアへ振り返る。


「もし手が折れたら、本当に治してくれるんだよな?」


ミレリアは力強く頷いた。


「もちろんです。」


「約束します。」


蓮はゆっくりと岩の前へ歩いていく。


目の前には、自分の身長をはるかに超える巨大な岩。


軽く拳を握る。


「……よし。」


深く息を吸い込む。


全身に力を込める。


そして――


拳を振り抜いた。


ドォォォォォォォン!!


轟音が森中へ響き渡った。


衝撃波とともに巨大な土煙が舞い上がる。


ガリックは咄嗟に腕で顔を覆う。


ミレリアも思わず目を閉じた。


数秒後。


ミレリアが杖を掲げる。


「ヴェントゥス。」


風の魔法が発動する。


強い風が土煙を一気に吹き飛ばした。


視界が晴れる。


その瞬間――


三人とも言葉を失った。


そこにあったはずの巨大な岩は……


跡形もなく消えていた。


残っていたのは――


巨大なクレーター。


地面は深くえぐれ、周囲の草木まで吹き飛んでいる。


少し離れた場所では、何本もの木が根元から折れ倒れていた。


蓮は自分の拳を見つめる。


小刻みに震えている。


「な……」


「なんだよ……これ。」


震える声が漏れた。


「どうして……」


「俺が……?」


ガリックは巨大なクレーターから目を離せなかった。


「どう見ても……」


「力特化型の勇者だな。」


しかしミレリアはすぐに首を横へ振る。


「違います。」


その声は真剣だった。


「これは……」


「人間の力じゃありません。」


彼女は息を呑む。


「まるで……」


少しだけ言葉をためらう。


「魔族のようです。」


ガリックも無言で頷いた。


二人の視線が蓮へ向けられる。


蓮は一歩後ずさった。


「ち、違う!」


慌てて首を振る。


「俺は魔族なんかじゃない!」


一瞬止まり、


恐る恐る尋ねる。


「……っていうか。」


「魔族って、本当にいるのか?」


ガリックは静かに答えた。


「普通の人間なら、こんなことは絶対にできない。」


少し考えてから続ける。


「いや……」


「一人だけ例外がいる。」


彼はクレーターを指差した。


「アルセリオン王。」


「もしかしたら、あの方なら同じことができるかもしれない。」


しかし蓮は、その言葉をほとんど聞いていなかった。


ただ自分の拳を見つめ続ける。


「俺は……」


小さく呟く。


「ただの普通の人間だったんだ。」


「なのに……」


「なんでこんな力が……」


ミレリアはゆっくり近づき、優しく微笑んだ。


「少なくとも……」


「この力があれば。」


「私たちは、魔王軍に立ち向かえるかもしれません。」


蓮は驚いたように顔を上げる。


「えっ……」


「二人とも。」


「俺のこと……怖くないのか?」


ガリックは迷わず答えた。


「勇者召喚を決めた時点で。」


「俺たちは、もう何度も国の法律を破っている。」


ミレリアも頷く。


「その中には……」


「死刑になるものもあります。」


彼女は穏やかに笑った。


「だったら。」


「魔王軍に世界を滅ぼされるのを待つくらいなら。」


「最後まで足掻いて死んだ方がいい。」


蓮は黙って二人を見つめた。


やがて深く息を吐く。


「どうして……」


「俺をこんなことに巻き込んだんだ。」


「俺は、この世界のことなんて何も知らない。」


視線を落とす。


「元の世界へ……」


「帰れるのか?」


ミレリアは少し困ったような表情を浮かべる。


「帰る……?」


その言葉自体が理解できないようだった。


ガリックが静かに口を開く。


「まずは、この村を出よう。」


「ここに長くいるのは危険だ。」


「詳しい話は、そのあとだ。」


少し笑って続ける。


「ヴァルテリスまで行こう。」


「途中に酒場がある。」


「飯でも食いながら、全部説明してやる。」


「何でも聞けばいい。」


「そのうえで、お前がどうするか決めればいい。」


そう言って歩き始める。


少し歩いたところで、ガリックが振り返った。


「俺たちは、お前の世界を知らない。」


「だから、お互いに話す必要がある。」


蓮はその背中を見つめながら思う。


(異世界なんて……)


(全部、作り話だと思っていた。)


(でも今の俺は――)


(本当に別の世界にいる。)


しばらく立ち尽くしたあと、小さく息を吐いた。


そして二人に追いつく。


「……分かった。」


苦笑しながら言う。


「どうせ。」


「もう帰る場所なんて、ないしな。」


三人はゆっくり歩き始めた。


しばらくして蓮が口を開く。


「そういえば。」


「俺の名前は、松田蓮。」


「トラックを運転していたんだけど……」


「事故に遭った。」


「絶対に死んだと思ってた。」


ガリックとミレリアは顔を見合わせる。


数秒後、ガリックが尋ねた。


「レン。」


「その……トラックというのは何だ?」


蓮は思わず立ち止まる。


「え?」


「知らないのか?」


ミレリアは目を輝かせる。


「魔法の馬ですか?」


蓮はぽかんと口を開ける。


「魔法の……馬?」


ガリックは呆れたようにため息をついた。


「その話は後だ。」


歩きながら言う。


「長旅になる。」


「まずは金を稼がないとな。」


ミレリアは首を傾げた。


「どうやって?」


少し疑うような目を向ける。


「……まさか。」


「盗みなんて考えてませんよね?」


ガリックは思わず顔をしかめた。


「そんなわけない。」


首を横へ振る。


「ヴァルテリスの冒険者ギルドで登録する。」


「依頼を受けるんだ。」


ミレリアは「あっ」と声を上げる。


「そうでした!」


「冒険者ですね!」


蓮は興味深そうに尋ねる。


「ギルド?」


「依頼を受けたり、ダンジョンへ行ったりする……」


「そういう場所か?」


ガリックは少し驚いたように笑う。


「へぇ。」


「ずいぶん詳しいな。」


「本当にこの世界へ来るのは初めてか?」


蓮は苦笑した。


「初めてだよ。」


「俺の世界にも、そういう話はあるんだ。」


「本やゲームの中だけだけど。」


ガリックは小さく笑う。


「またゲームか。」


首を振る。


「道中で、そのゲームというものを教えてくれ。」


その時だった。


蓮はふと足を止める。


ゆっくり空を見上げた。


そこには――


二つの月が並んで輝いていた。


夜風が静かに吹き抜ける。


蓮はしばらく、その光景から目を離せなかった。


そして、誰に言うでもなく、小さく呟く。


「……俺は。」


「一体、どこへ来てしまったんだ……?」

作者あとがき


『君を想いながら死に、非現実の世界へ転生した』 をお読みいただき、本当にありがとうございます。


本作は、前作 『さよならと永遠のあいだで』 の間接的な続編です。同じ世界観や一部の登場人物を共有していますが、前作を読んでいなくても、本作だけで物語を十分に楽しんでいただけます。


この作品は、一つの物語として独立して楽しめるように執筆しました。同時に、前作を読んでくださった方には、より深く世界を感じられるような繋がりや小さな発見も用意しています。


レンの旅を楽しんでいただけたら嬉しいです。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

皆様に素晴らしい冒険がありますように。

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