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第18章 解毒薬

夜の帳は、ドラクサールの街をどこか異様な静けさで包み込んでいた。


その静寂を破るのは、石畳を急ぎ足で駆ける足音だけだった。


レンはギャリックの肩を支えながら歩いていたが、戦士はもはや自力で立っているのがやっとという状態だった。身体は鉛のように重く、呼吸も刻一刻と苦しくなっていく。


少し前では、リセラとミレイアが、スザリク・ヴェシュに教えられた診療所を探して足早に進んでいた。


角を曲がると、灰色の毛並みと黄金色の瞳を持つ、大柄で筋骨隆々の獣人が腕を組み、不審そうな目で彼らを見つめた。


「おい、お前たち。街の入口で誰かと話したのか?」


ミレイアは一歩前へ出ると、丁寧に答えた。


「はい。スザリク・ヴェシュさんとお話ししました。診療所を探しています。」


その名を聞いた瞬間、獣人は肩の力を抜き、小さく微笑んだ。


「ああ……スザリクと会ったのか。なら話は早い。診療所なら、すぐそこだ。」


彼は通りの奥を指差した。


石造りの建物が立ち並ぶ中に、一軒だけ小さな白い家が建っている。


飾り気はないが、驚くほど清潔で、入口には控えめな木製の看板が掛けられていた。


レナ診療所


「ありがとうございます!」


ミレイアは笑顔で礼を言った。


レンはギャリックを支え直し、再び歩き始める。


「行こう、ギャリック。もう少しだ。」


そのとき、レンは心の中で思った。


(この世界にも診療所なんてあるんだな……。もっと、この世界について知らなきゃいけない。)


ギャリックは苦しそうに呼吸をしながら、小さくうなずくだけだった。


診療所へ到着すると、ミレイアが扉を叩いた。


コン……


コン……


数秒後、扉の向こうから女性の声が聞こえた。


「今行きます!」


その声を聞き、一同は安堵したように顔を見合わせる。


「やっと……。」


ミレイアはほっと息をついた。


レンはギャリックへ視線を向けた。


「この毒、もっと時間をかけて進行すると思ってた。」


リセラは静かに首を横へ振る。


「人によって症状の進み方は違うのよ、レン。」


やがて扉が開いた。


現れたのは、大きな白いエプロンを身につけ、丸眼鏡をかけた猫耳の女性だった。


茶色の髪は後ろで簡単にまとめられ、その穏やかな緑色の瞳からは落ち着いた雰囲気が感じられる。


彼女は訪問者たちを見ると、少し眉を上げた。


「人間……?」


続いて、一人ひとりを見回す。


「スザリクと話してきたの?」


「はい……。」


ミレイアが答える。


女性は控えめに微笑んだ。


「あの人……時々患者さんを私のところへ送ってくるのよ。」


しかし、その笑みはギャリックの様子を見た瞬間に消え去った。


レンが一歩前へ出る。


「彼の容態がかなり悪いんです。毒に侵されています。」


女医の表情が一変する。


「急いで。診察台まで運ぶのを手伝って。」


四人は慎重にギャリックを診療所の中央にある木製の診察台へ寝かせた。


鎧を外しながら、女性は口を開く。


「私はレナ。この街で医者をしています。」


彼女はゆっくりとギャリックの服をめくった。


その胸を見た瞬間――


彼女の目は大きく見開かれた。


数秒間、まったく動かない。


黒い血管はすでに胸のほとんどを覆い尽くし、まるで皮膚の下を生き物のようにゆっくりと這い回っているかのようだった。


レナは深く息を吸う。


「感染してから、どれくらい経っているの?」


ミレイアは指を折りながら数えた。


「今日を入れて……三日です。」


レナは眉をひそめる。


「三日……。」


さらに顔を近づけ、患部をじっと観察した。


「もう少し早く来られなかったの?」


レン、リセラ、ミレイアはギャリックの胸へ視線を落とした。


診療所は静まり返る。


最初に口を開いたのはレンだった。


「お、俺たちは……そう言われて……。」


彼は拳を強く握り締める。


「いや……もう胸のほとんどまで広がってる……。」


レナはゆっくりと目を閉じた。


「これは……良くないわ。」


彼女は薬瓶が並ぶ小さな棚へ向かう。


一本取り出し、確認する。


次の一本も確認する。


そして、小さくため息をついた。


「……ここにはシルサラ・エッセンスがないわ。」


その言葉に、その場の全員が凍りついた。


「そんな……。」


ミレイアがかすれた声でつぶやく。


「でも、カル=ズール・ドラクサールには一本あるはずよ。」


レンはすぐに顔を上げた。


「ここから遠いんですか?」


「馬で一時間ほどよ。」


ミレイアはうつむいた。


「そんな……。」


腕を組んだリセラが不安そうに尋ねる。


「他に方法はないんですか?」


レナはゆっくり首を横へ振った。


「残念だけど、ないわ。このヴェイルスリクスという毒は、昔の戦争ではよく使われていたものなの。」


レンは深く息を吸った。


そして、一歩前へ出る。


「分かりました。」


全員が彼を見る。


「俺が解毒薬を取りに行きます。」


ミレイアは目を大きく見開いた。


レナはすでに一枚の紙に何かを書き始めていた。


手早く書き終えると、その紙を丁寧に折り、レンへ差し出した。


「これを、この診療所へ持って行って。」


レンは紙を受け取り、尋ねる。


「何と言えばいいんですか?」


「私の使いだと伝えるだけでいいわ。すぐに分かってもらえるはずよ。」


レンは小さく微笑んだ。


「ありがとうございます。」


そう言うと、手の中の紙をしっかりと握り締める。


「できるだけ早く戻ります。」


「待って!」


リセラが一歩前へ踏み出した。


「私も一緒に行く。」


レンは彼女を見つめる。


「リセラ……」


リセラは腕を組み、真っすぐレンを見返した。


「誰かが一緒に行って、あなたを手伝わないと。」


ミレイアは少し俯き、静かに口を開く。


「私も行きたかった……」


そして、診察台で苦しそうに横たわるギャリックへ目を向けた。


「でも、私はここでギャリックの症状を抑え続けないといけないから。」


レンは小さく息を吐いた。


「……分かった。」


そして穏やかに笑う。


「行こう。」


レナは診療所の裏手を指差した。


「厩舎に馬を用意してあるわ。自由に使って。」


二人はすぐに診療所の裏へ向かって走り出した。


診療所の裏には、一頭の美しい栗毛の馬が静かに待っていた。


月明かりを浴びた濃い栗色の毛並みは艶やかに輝き、長く手入れの行き届いた黒い鬣が夜風に優しく揺れている。


たくましい四肢と厚い胸板は力強さを感じさせ、その知性を宿した茶色い瞳は、近づく二人を静かに見つめていた。


吐く息は夜の冷たい空気の中で白く霞となって漂う。


リセラは慣れた様子で馬へ近づくと、その首を優しく撫でた。


そして軽やかに鞍へ飛び乗る。


続いてレンへ向かって手を差し伸べた。


レンは照れくさそうに後頭部を掻く。


「馬で行くって言ったけど……」


困ったように笑う。


「実は、一度も乗ったことがないんだ。」


リセラは思わず小さく笑った。


「大丈夫。」


彼女は鞍の後ろを軽く叩く。


「私の後ろに乗って。」


レンは差し出された手を握り、慎重に馬へ跨った。


腰を下ろした瞬間、互いの距離が思っていた以上に近いことに気付く。


「ご、ごめん……こんなに近くて。」


リセラは振り返らず、小さな声で言った。


「私の……腰につかまって。」


レンは目を丸くする。


「で、でも……そんなことしなくても……」


その時、リセラは少しだけ顔を横へ向けた。


「レン。」


その声には、静かな強さがあった。


「ちゃんとつかまらないと、落ちるわ。」


そう言ったあと、彼女は恥ずかしそうに視線を逸らす。


「は、早く……」


レンは小さく息を吐いた。


「ごめん、リセラ。」


彼はそっと両腕を伸ばし、彼女の細い腰へ優しく回した。


その瞬間――


「きゃっ……」


かすかな声が耳元で聞こえた。


レンは驚いて瞬きをする。


「リセラ?」


彼女は前を向いたまま答えない。


「つ、強く掴みすぎた?」


リセラは慌てて首を横に振る。


「ち、違う……」


その声は、ささやきのように小さかった。


「行きましょう。」


レンは小さく笑う。


「うん。」


リセラは手綱を握り直した。


「ハッ!」


馬は高らかにいななくと、石畳の道を勢いよく駆け出した。


銀色の月明かりの下、二人は遠く離れた都市――カル=ズール・ドラクサールへ向かって夜の街道を駆け抜けていく。


ギャリックの命を救うため、一分一秒が惜しかった。


一方その頃――


レンとリセラが月明かりの下を駆けていた頃、はるか南方では、二つの人影が魔獣たちの縄張りである深い森を静かに進んでいた。


巨大な木々はまるで天然の柱のように天を支え、その枝葉は月明かりのほとんどを遮っている。


吹き抜ける風が枝を軋ませ、森の奥からは正体の知れない物音が幾重にも響いていた。


シルヴァラ・ナイトヴェイルは足を止める。


長い紫色の髪が夜風に揺れ、彼女はゆっくりと木々の頂上を見上げた。


その隣では、ダーガン・ストーンハートが巨大な盾を肩に担ぎ、自信に満ちた笑みを浮かべながら森を眺めていた。


「それで?」


ダーガンが口を開く。


「何匹か仕留められそうか?」


シルヴァラは口元だけで笑った。


「誰に向かって言ってるつもり?」


彼女はゆっくりと片手を空へ掲げる。


「オープンボックス」


黒い魔法陣が静かに空中へ浮かび上がった。


空間そのものが音もなく裂け、小さなリュックほどの大きさの黒いポータルが姿を現す。


シルヴァラは迷うことなく腕を中へ差し入れた。


数秒後――


彼女は漆黒の美しい弓を引き抜く。


シルヴァラが取り出した弓は、息を呑むほど美しかった。


漆黒の金属で補強された深い黒木から削り出されたその弓身には、黄金色の細い装飾がまるで光る血管のように全体を走り、繊細な古代ルーンが刻まれている。


両端には湾曲した小さな刃が取り付けられており、優雅さと同時に恐ろしい殺気を漂わせていた。


弦は純粋な魔力そのものから形作られているかのようで、控えめな黄金の輝きを放っている。


ダーガンは思わず笑みを浮かべた。


「相変わらず、いい武器だな。」


シルヴァラは返事をすることなく、静かに弓を構える。


弦をゆっくりと引き絞ると、彼女の指先には黄金色に輝く一本の魔力の矢が生まれ始めた。


深く息を吸い込む。


そして木々の梢へ照準を合わせる。


「エンハンス」


その瞬間、黄金の矢は眩い黄色の光に包まれた。


輝きが周囲の森を淡く照らす。


シルヴァラは小さく微笑んだ。


「何匹仕留められるかしら。」


――ビィィィィィン!!


放たれた矢は雷鳴のような勢いで夜空を切り裂いた。


あまりにも凄まじい速度だったため、放った本人であるシルヴァラの身体さえわずかに後ろへ揺れる。


再び森に静寂が訪れる。


ほんの数秒だけ。


ダーガンは腕を組み、大笑いした。


「はははっ! 魔獣たちも怒り狂うぞ。」


シルヴァラは彼を見ることなく、遠くの闇を見つめ続ける。


そして静かに口を開いた。


「六匹。」


その直後――


ドサッ。


一体の魔獣が木の上から落下した。


続いて、


ドサッ。


さらに一体。


ドサッ。


また一体。


そのさらに奥でも、


ドサッ。


ドサッ。


次々と魔獣たちの身体が木々の間へ落ちていく。


ダーガンは目を丸くした。


「おお……。」


目を細めながら森の奥を見つめる。


「五十メートル先から先は何も見えないな……暗すぎる。」


シルヴァラは新たな矢を番えながら答えた。


「でも、聞こえるでしょう?」


その直後――


「グオォォォォォォッ!!」


森全体を震わせるような巨大な咆哮が響き渡った。


続いてもう一つ。


さらにもう一つ。


巨大な木々が激しく揺れ始める。


ダーガンは嬉しそうに笑った。


「今度は俺の番だ。」


彼は巨大な盾を頭上へ掲げる。


「ウォール!」


――ドゴォォォォン!!


盾が大地へ叩きつけられた。


轟音と共に地面が激しく震える。


その瞬間、大地が裂け、巨大な石の壁が何十メートルにもわたって一気に隆起した。


木々の間を完全に塞ぐ巨大な防壁。


追ってきた魔獣たちは慌てて壁を飛び越えようと跳び上がる。


ダーガンは再び盾を身体の前へ構えた。


「空は任せた。」


シルヴァラは小さく笑う。


「いつも通りね。」


彼女はもう一本の矢を番える。


今度は真上へ向けた。


「マルチプライ」


――シュウウウウウウッ!!


黄金の矢は一直線に夜空へ飛び上がる。


何十メートルも昇ったところで――


完全に静止した。


シルヴァラは軽く指を鳴らす。


「今。」


一筋の黄金の光が眩く輝いた。


そして次の瞬間――


一本だった矢は分裂する。


二本。


五本。


十本。


二十本。


五十本。


百本を超える黄金の矢が、一瞬にして夜空いっぱいへ広がった。


まるで黄金の流星群。


――シュウウウウウウッ!!


無数の矢が一斉に森へ降り注ぐ。


一本一本が、それぞれ別々の標的へ向かって飛んでいく。


ドスッ!


ガンッ!


ズシャッ!


魔獣たちは何が起きたのか理解する暇もなく貫かれていった。


何体かは身体ごと射抜かれ、


何体かは木へ縫い付けられるように突き刺さる。


その間にも、


地上では魔獣たちが勢いよく突進を続けていた。


一体が巨大な爪を振り上げ、ダーガンへ飛び掛かる。


しかし届く寸前――


――バキィィッ!!


地面が突然崩れ落ちた。


魔獣は巨大な穴の中へ飲み込まれていく。


その直後、後ろから走ってきた別の魔獣は、突如現れた岩に足を挟まれ、その場でもがき始めた。


さらに後続の魔獣たちは仲間の身体を踏み台にして障害物を越えようとする。


ダーガンは動かず、その瞬間を待っていた。


ダーガンは静かに構えたまま、その瞬間を待っていた。


魔獣たちがあと数メートルの距離まで迫る。


その瞬間――


彼は腰をひねり、全身の力を込めて巨大な盾を横薙ぎに振るった。


――ドォォォォン!!


轟音が森中に響き渡る。


巨大な盾は一度に何体もの魔獣を吹き飛ばした。


直撃を受けた魔獣たちは宙を舞い、何本もの大木をへし折りながら森の奥へと消えていく。


その一方で、シルヴァラはすでに次の矢を番えていた。


今度の矢は、先ほどまでとは比べものにならないほど巨大だった。


全長はおよそ二メートル。


黄金色の魔力が矢全体を包み込み、その圧倒的な力によって周囲の空気までもが震え始める。


シルヴァラはいたずらっぽく微笑んだ。


「マルチプライ。」


巨大な矢は、際限なく魔力を吸収し始める。


空気が急激に重くなり、地面の小石が震え、木々の葉が激しく揺れた。


ダーガンはシルヴァラを見た。


次に巨大な矢を見る。


そしてもう一度、彼女へ視線を戻した。


目を大きく見開く。


「おい!」


シルヴァラは平然と答える。


「なに?」


「正気か!?」


しかし彼女は構わず魔力を注ぎ続ける。


「面白そうじゃない。」


ダーガンは森全体を指差した。


「この辺りの地形を変える気か!?」


シルヴァラは肩をすくめる。


「少しだけかも。」


「少しじゃ済まない! 森の半分が吹き飛ぶぞ!」


シルヴァラは頬を少し膨らませた。


「むぅ……。」


小さくため息をつくと、巨大な矢へ集めていた魔力をゆっくりと霧散させる。


黄金の光は静かに消えていった。


「あなたって、本当にいつも私の楽しみを邪魔するのね。」


ダーガンは豪快に笑った。


「誰かが止めないとな。」


そう言うと、再び巨大な盾を構え、残っていた魔獣たちへ向ける。


「インパルス。」


――ドォォォォォォン!!


盾の正面から巨大な衝撃波が一気に放たれた。


圧倒的な魔力の奔流が一直線に森を駆け抜ける。


最後まで残っていた魔獣たちは枯れ葉のように吹き飛ばされ、抵抗する間もなく彼方へ消えていった。


やがて森は静寂を取り戻す。


二人の周囲には、もはや元の景色は残っていなかった。


折れた巨木。


無数の大穴。


辺り一面に散らばる岩。


激しい戦闘の跡だけが残されている。


シルヴァラは腕を組み、呆れたように周囲を見渡した。


「それで、私のことを大げさだって言うの?」


彼女はダーガンを見る。


「あなたのほうこそ、この有様じゃない。」


ダーガンは肩をすくめた。


「それでも――」


苦笑を浮かべる。


「君が撃とうとしていたものよりは、ずっと被害は小さい。」


シルヴァラは思わず笑った。


「まあ、何匹か逃げちゃったけどね。」


彼女は再び小さな黒い魔法陣を開き、美しい黒い弓をその中へ収納する。


「これで、少なくとも私たちを甘く見ることはないでしょう。」


ダーガンはすぐに首を横へ振った。


「甘く見る?」


彼は壊滅した森を振り返る。


そして静かに笑った。


「いや……。」


少し間を置く。


「あれは敬意なんかじゃない。」


さらに一拍置いて言った。


「恐怖だ。」


シルヴァラも小さく笑みを浮かべた。


二人はそれ以上何も言わず、夜の森をゆっくりと歩き始める。


森のさらに奥――


木々の隙間からは、何十もの光る瞳が静かに二人を見つめていた。


しかし、一匹として近づこうとはしない。


ただ息を潜め、圧倒的な力を持つ二人の姿が闇の中へ消えていくのを見送るだけだった。


その頃――


遠く離れた場所では、レンとリセラがギャリックを救う唯一の解毒薬を求め、カル=ズール・ドラクサールへ向かって夜道を馬で駆け続けていた。

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