第14話 灰となってなお残るもの
家庭の事情で少し忙しくなってしまい、更新が遅くなってしまいました。申し訳ありません。落ち着き次第、また毎日の更新を再開する予定です。これからもよろしくお願いいたします。
三つある人間国家の一つ――ドレイヴンホールド王国。
深く帽子をかぶり、顔のほとんどを隠した一人の男が、人混みの中を静かに歩いていた。
果物の屋台や工芸品、香辛料を売る露店の間を抜けながら、大通りをまっすぐ進んでいく。
およそ一キロほど歩いた先で、彼はようやく堂々たる王城の前へとたどり着いた。
男はためらうことなく、長い石階段を上り始める。
「おい! 何をしている!」
門番の一人が剣を抜き、男へと突きつけた。
男は何も言わず、帽子へ手を伸ばしてゆっくりと外す。
その瞬間――
衛兵の動きが止まった。
二秒ほど固まったあと、慌てて剣を鞘へ収める。
「も、申し訳ございません……! 陛下、お許しください!」
男は小さく微笑んだ。
「気にするな、ヴァニ。」
そのまま歩き続ける。
「これからも、その職務を立派に果たしてくれ。」
王が通り過ぎたあとも、衛兵は深々と頭を下げたままだった。
「ありがとうございます、セドラン・ヴォルフ国王陛下! 本当にあり――」
バターン!!
巨大な扉が閉まり、衛兵の言葉は最後まで続かなかった。
セドランは静かな廊下を歩き続ける。
(今年は砂糖の生産量が大きく落ち込んでいる……)
(このままでは価格はさらに上がる。)
(東部では、すでに飢えに苦しむ家族も出始めている……)
(商人たちの中には、倒産寸前の者もいる。)
彼は顎に手を添えた。
(しばらくの間、税を軽くする必要があるな……)
(今ここで負担を増やせば、多くの店が立ち行かなくなる。)
(まずは経済を立て直さなければ。)
考え込みながら廊下を歩き続ける。
(あの女性向けの新しい店……)
(かなり人を集めている。)
(何か支援策か提携を持ちかけてみるのも悪くない。)
(あの一帯の商業が活性化すれば、周囲の店にも良い影響が出るはずだ。)
ふっと口元が緩む。
(結果として、税率を上げずともコルヴェンの税収は自然と増えていくだろう。)
その時だった。
廊下の向こうから、一人の女性が慌てて駆け寄ってくる。
「はぁっ……! やっと見つけました、陛下!」
セドランは頭を掻きながら笑った。
「ああ……ノリコか。」
ノリコは腕を組み、呆れたような表情を浮かべる。
「そんな顔をしても無駄ですよ。」
「領主様方との会議に遅れています。」
セドランはため息をついた。
「あぁ……。」
「今度は何の用だ?」
「また領地でも欲しいと言うつもりか?」
「少し欲張りすぎじゃないか?」
ノリコは落ち着いた口調で答える。
「皆様は、この国の生産の大部分を担っておられます。」
「お話を聞くくらいは当然ではありませんか、セドラン・ヴォルフ陛下。」
セドランは肩をすくめた。
「分かった。」
「話は聞こう。」
ノリコは小さく微笑む。
「陛下の治世は、とても順調ですよ。」
セドランは数歩歩いてから口を開いた。
「ノリコ。」
彼女は視線を向ける。
「次に城下へ出る時は……」
「君も一緒に来てくれ。」
「もちろん、変装してな。」
ノリコはすぐに眉をひそめた。
「またお忍びですか?」
「陛下、そのような無茶はもうおやめください!」
「君は外で本当に何が起きているのかを見たら、きっと驚くぞ。」
セドランは少し間を置いた。
「実を言うとな……」
「君は何かを私に隠している気がする。」
「いつも良い知らせしか持ってこないだろう?」
ノリコは拳をぎゅっと握った。
「へ、陛下は心配しすぎなんです!」
セドランは小さく笑った。
「私はただ、自分の民のために最善を尽くしているだけだ。」
「それ以上でも、それ以下でもない。」
そう言うと、正面の廊下を指さした。
「さあ行こう。」
「領主たちを待たせるわけにはいかない。」
そこで何かを思い出したように口を開く。
「そういえば……」
「アーサーはどこだ?」
ノリコは自然な口調で答えた。
「分かりません。」
「たぶん仕事中だと思います。」
セドランは笑みを浮かべた。
「秘書が二人いるというのは、本当に助かるな。」
「ふっ。」
その頃――
獅子のギルドの馬車は、ドラクタール王国へ向かって街道を進んでいた。
数分後――
全員が再び馬車へ戻っていた。
しばらくして御者も戻ってくる。
馬車へ乗り込もうとしたその時、ノブがリンゴを一つ放り投げた。
「良い一日を!」
御者は空中でそれを受け止める。
「あなたも、ノブ。」
蓮は微笑んだ。
「知り合いだったんですか?」
御者は笑いながら答えた。
「ああ、もう長い付き合いですよ。」
馬車が再び走り出す。
しばらくして、蓮が口を開いた。
「それで……」
「ドラクタール王国って、どんなところなんですか?」
ミレイリアは肩をすくめた。
「私も行ったことはないけど……」
リセラが答える。
「他の王国とはかなり違います。」
「さまざまな亜人種が共に暮らしている国なんです。」
蓮は彼女を見た。
「行ったことがあるんですか?」
「一度だけです。」
「本当に短い滞在でしたけど。」
思い出すように話し始める。
「リザードマンを見ました。」
「犬人族の女性もいました。」
「それ以外にも、本当にたくさんの種族がいました。」
彼女は微笑む。
「みんな、とても自由に暮らしているように見えました。」
蓮は首を傾げる。
「自由?」
ガリックが説明する。
「ドラクタールには王がいないんだ。」
ミレイリアも頷く。
「そうなの。」
「他の王国とは全然違うわ。」
蓮は少し笑った。
「俺の世界でも、今では王様が国の中心っていう国は少ないよ。」
ミレイリアは興味深そうに尋ねる。
「えっ?」
「じゃあ、誰が国を治めているの?」
蓮は答えた。
「基本的には、国民が選んだ人たちだよ。」
少し笑う。
「簡単に言えば、そんな感じかな。」
ガリックは感心したように頷いた。
「レンの世界って、本当に面白そうだな。」
その時、リセラが窓の外へ目を向けた。
「もう日が暮れ始めています。」
すると馬車が急に進路を変えた。
蓮は御者を見る。
「え?」
「どうしたんですか?」
御者は落ち着いた声で答えた。
「今日はこの辺りで止まりましょう。」
「この先は、夜になると狩りを始める魔獣が出ますので。」
それから苦笑する。
「それに……」
「お尻がもう、この座席の形になってしまいました。」
蓮は思わず笑った。
「ああ……」
「それは仕方ないですね。」
ミレイリアは周囲を見回した。
「じゃあ、今日は野宿?」
その瞬間――
ぐぅぅぅ……
ガリックは御者の方を見る。
「もう寝てるのか?」
全員が馬車から降りた。
馬たちはすでに水を飲み始めており、十分な量の餌も用意されている。
ガリックは笑った。
「この場所には慣れてるみたいだな。」
「安心できそうだ。」
蓮は夜空を見上げた。
「じゃあ……」
「明日にはドラクタールへ着くんですよね?」
リセラは頷く。
「何も起きなければ……」
「はい。」
蓮は大きくあくびをした。
「じゃあ俺は寝るよ。」
そのまま毛布を敷いた草の上へ寝転がる。
それから馬車を見て言った。
「ああ……」
「二人は馬車の中で寝た方がいいよ。」
リセラはすぐに頷く。
「は、はい。」
「外は硬すぎますから……」
ガリックは笑った。
「当たり前だろ。」
「まさか二人を外で寝かせるわけないじゃないか。」
リセラは目を丸くした。
「ガ、ガリック……」
ミレイリアはくすっと笑う。
「こんな時まで真面目なんだから。」
「おやすみ、ガリック。」
「おやすみ、レン。」
蓮も笑顔で返した。
「おやすみ。」
そして再び夜空へ目を向ける。
「まだ、この二つの月には慣れないな……」
「でも、俺の世界より星が少ない気がする。」
ガリックも空を見上げた。
「村にいた頃は、よく野宿してた。」
「時々、この景色の美しさを忘れてしまうんだ。」
その時だった――
突然、ガリックの体から力が抜けた。
その場に膝をつく。
蓮はすぐに立ち上がった。
「おい!」
「大丈夫か?」
ガリックは苦しそうに息をしながら答える。
「分からない……」
「足が……」
「くっ……!」
蓮はガリックの首筋に、黒い筋のような血管が浮かび上がっているのを見つけた。
その表情が険しくなる。
「毒だ……」
「一刻も早くドラクタールへ着かないと。」
ガリックは無理に笑みを作る。
「大丈夫だ。」
「明日には着く。」
そして蓮を見る。
「ありがとう……」
「また助けられたな。」
蓮は微笑んだ。
数秒間、夜空を見上げたあと、小さく呟く。
「この世界も……」
「案外、悪くないな。」
レンはしばらくガリックを見つめていた。
そして静かに尋ねる。
「ガリック……家族って、どんな人たちだったんだ?」
ガリックは少しの間黙っていた。
やがて星空へ視線を向け、ゆっくりと口を開く。
「俺たちはただの農民だった。」
「毎日必死に働いていたけど……夜になると、いつもみんなで歌を歌っていた。」
懐かしそうな笑みが浮かぶ。
「妹は、その頃よくミレイリアと遊んでた。」
レンは微笑んだ。
「じゃあ、二人は子供の頃からの知り合いなんだ?」
「ああ……」
ガリックは静かに頷く。
「ミレイリアの家は、うちの近くだった。」
少し間を置く。
「でも正直に言えば……」
「俺とあいつは、それほど仲が良かったわけじゃない。」
小さく笑う。
「本当に仲が良かったのは、妹の方だった。」
レンはゆっくりと頷いた。
「そうだったのか……」
しばらくの間、二人は黙って夜空を眺めていた。
やがてガリックがレンへ視線を向ける。
「レンは?」
「どんな家族だったんだ?」
レンはすぐには答えなかった。
少しだけ視線を落とす。
「俺の家族は、とても良い家族だった。」
その瞳は遠くを見つめるようだった。
「でも、大人になって間もない頃……」
ゆっくりと息を吸う。
「母さんが重い病気になって……亡くなった。」
声が少しだけ小さくなる。
「父さんは、その悲しみに耐えられなくて……」
「自ら命を絶った。」
少しだけ俯く。
「それからは……」
「俺と妹、二人だけになった。」
その言葉を聞いた瞬間、ガリックは勢いよく身を起こした。
目を大きく見開く。
「レン……」
しばらく言葉が出なかった。
ようやく口を開く。
「お前……大丈夫なのか?」
レンは穏やかに笑う。
「大丈夫。」
静かに頷いた。
「あれは八年前のことだから。」
「時間はかかったけど……」
「ちゃんと乗り越えられたよ。」
ガリックはしばらくレンを見つめていた。
やがて視線を暗い街道へ戻す。
深く息を吐いた。
「俺が……母さんも亡くなったって話したの、覚えてるか?」
「ああ。」
レンは頷く。
「どれほど辛かったか……想像もできない。」
ガリックは数秒間黙っていた。
そして再び話し始める。
「昔……アルセリオンの先代国王が俺たちの村へ来たことがあった。」
「魔力の高い人間を探していたんだ。」
「村人を一人ずつ調べていった。」
「でも、誰一人として興味を持たれなかった。」
乾いた笑みを浮かべる。
「ミレイリアが見つかるまではな。」
レンは少し目を見開く。
「それで彼女は王国の魔導士になったのか?」
「ああ……」
ガリックは頷いた。
「そう言っていい。」
レンは彼の表情に違和感を覚えた。
「でも……」
「まるで悪いことでも起きたみたいな言い方だな。」
ガリックは深く息を吐く。
「レン。」
「お前が来てから、俺たちは色々なことを一緒に乗り越えてきた。」
「もう互いを信じてもいい頃だと思う。」
レンは静かに頷く。
「ああ。」
「思ってた以上にな。」
ガリックは手の中のペンダントをそっと握り締める。
「あの村で……」
「選ばれたのは、ミレイリアただ一人だった。」
再び静寂が訪れる。
しばらくして、ガリックはゆっくりと言った。
「先代国王は……」
「ミレイリアに金貨二十枚を提示した。」
レンの体が固まる。
「そんな……」
声はほとんど囁きだった。
「あり得ない……」
ガリックは目を閉じる。
「彼女の両親は、その場で断った。」
「娘を渡すつもりなんてなかった。」
「でも……」
その続きを口にしようとした瞬間――
ガチャッ。
馬車の扉が開いた。
「えっと……」
リセラが半身だけ外へ出す。
「ま、まだ起きてたんですか?」
レンは笑った。
「少し話してただけだよ。」
「もう寝ようと思ってた。」
リセラは慌てて頷く。
「わ、私……ちょっと戻ってきます。」
そう言って馬車から降り始めた。
ガリックが眉をひそめる。
「どこへ行くんだ?」
リセラは振り返りもせず答える。
「か、関係ありません。」
「すぐ戻ります。」
そのまま木々の方へ歩いて行った。
ガリックは首を傾げる。
「……何だ?」
レンは思わず笑う。
「木の陰に行ったんだよ。」
「こんな街道の真ん中で止まるのは、女の子にはちょっと大変だからさ。」
ガリックは「ああ」とだけ答え、小さく頷いた。
ガリックはしばらく黙っていた。
やがて深く息を吸い、再び話し始める。
「ある日……」
「朝早く目が覚めて、一番魚が釣れる湖へ行った。」
懐かしそうな笑みが浮かぶ。
「村からはかなり遠かったけど……そんなことは気にならなかった。」
記憶を辿るように目を細める。
「釣りをしていると……」
「地平線の向こうに、何本もの黒い煙が立ち上っているのが見えた。」
その声は次第に重くなる。
「煙は……俺の村の方角だった。」
レンは黙って耳を傾ける。
ガリックは続けた。
「俺は全力で村へ走った。」
「父さんの釣り竿も、そのまま湖に置いてきた。」
拳を強く握り締める。
「村へ戻った時には……」
一度目を閉じる。
「村はもう炎に包まれていた。」
呼吸がゆっくりになる。
「母さんは……」
言葉が詰まる。
「どうやって見分けたのか、自分でも分からない。」
喉を鳴らした。
「でも……」
「母さんだって分かった。」
ゆっくりとうつむく。
「地面に倒れていて……」
「妹を抱き締めたまま、動かなかった。」
レンは目を見開いた。
何も言葉が出ない。
数秒後、ガリックは再び口を開いた。
「あとで聞いた話では……」
「父さんは村を襲った連中に立ち向かったらしい。」
その瞳が鋭くなる。
「でも……」
「炎の中で命を落とした。」
レンは静かに視線を落とした。
そして小さな声で言う。
「……心から、お悔やみを。」
「本当に。」
ガリックはゆっくりと目を閉じる。
「あれは虐殺だった。」
全身に力が入る。
「俺は……」
「どうしても前へ進めなかった。」
再び目を開く。
そこには強い決意が宿っていた。
「あの日、俺は誓った。」
「必ず、あいつらに償わせるって。」
大きく息を吐く。
「だから、一人で鍛え続けた。」
「何年も。」
「そして……アルセリオン王国の近衛兵になった。」
レンはガリックを見つめる。
「さっき……」
少し間を置く。
「一瞬だけ、すごく執着しているように見えた。」
首を少し傾ける。
「俺の気のせいじゃなかったんだな。」
ガリックは何も答えなかった。
ただ静かに黙っている。
レンは続ける。
「でも……」
「復讐が目的なら……」
少し眉をひそめる。
「どうして王国の近衛兵になったんだ?」
ガリックは長いため息をつく。
「魔王国は確かに残酷だ。」
「でも、長い間……」
遠くを見るような目になる。
「村を滅ぼしたのは、クリムゾン・ヴェールだと言われ続けていた。」
レンは驚いて目を見開く。
「えっ……」
「クリムゾン・ヴェール?」
ガリックは静かに頷く。
「世界中に名を知られた暗殺者集団だ。」
「さっきも言ったように……」
「俺は長い間、それを信じていた。」
少し間を置く。
「本当の犯人を知ったあとでさえ……」
拳を握る。
「俺はクリムゾン・ヴェールを憎み続けていた。」
「他にも、多くの人たちが奴らの犠牲になっていたからだ。」
レンは静かに尋ねる。
「……それで?」
「何が言いたいんだ?」
ガリックは答えなかった。
その視線は馬車の中へ向けられる。
ミレイリアは、眠っているように横になっていた。
レンは再び口を開く。
「ガリック……」
「そのあと、何があったんだ?」
ガリックは長く息を吐く。
「ああ……」
「悪いな、レン。」
「少し話しすぎた。」
苦笑を浮かべる。
「まだ知りたいことがあるなら……」
「ミレイリア本人に聞いた方がいい。」
レンは頷いた。
「分かった。」
少し考え込む。
「そういえば……」
後頭部を軽く掻く。
「昨日、ミレイリアが俺の部屋に来て……」
「ほとんど迫ってきたんだけど。」
ガリックを見る。
「いつもあんな感じなのか?」
ガリックは目を見開いた。
「……は?」
◇ ◇ ◇
その頃――
リセラは馬車へ戻ってきた。
「お、おやすみなさい……」
静かに扉を閉め、向かい側の座席へ横になる。
そしてミレイリアへ視線を向けた。
「……眠れないんですか?」
目を閉じたまま、ミレイリアが答える。
「どうして分かったの?」
リセラは微笑む。
「寝たふりをしている人って……何となく分かるんです。」
ミレイリアはゆっくり目を開いた。
「実は……」
「なかなか眠れなくて。」
リセラは少しためらう。
それでも意を決したように口を開く。
「ミレイリア……」
「一つ、聞いてもいいですか?」
ミレイリアは彼女を見る。
「いいわ。」
「何?」
リセラは深呼吸した。
「あなた……」
包帯の下で少し頬を赤くする。
「レンのこと……好きなんですか?」
ミレイリアは勢いよく起き上がった。
「えぇっ!?」
リセラは気まずそうに笑う。
「ご、ごめんなさい……」
「昨日、薄い寝間着でレンの部屋へ入っていくのを見ちゃって……」
「だから、その……」
ミレイリアはさらに目を見開く。
「なっ!?」
「あなたまで!?」
今度はリセラが困惑した。
「"あなたまで"って……どういう意味ですか?」
ミレイリアは腕を組む。
「最初はレンが、私が部屋へ来たって言って……」
「今度はあなたまで?」
細い目で見つめる。
「レンに何か吹き込まれたの?」
リセラは顔を真っ赤にした。
「ち、違います!」
「私はただ気になって……」
少し間を置く。
「待ってください……」
じっとミレイリアを見つめる。
「本当に……レンの部屋へ行ったことを覚えていないんですか?」
ミレイリアは即座に答える。
「もし本当にレンの部屋へ行ったなら――」
「そんなこと、忘れるわけないでしょう、リセラ!」
二人の間に沈黙が流れる。
その時、外からレンの声が聞こえた。
「えっと……」
「二人とも、大丈夫?」
ミレイリアは慌てて返事をする。
「だ、大丈夫よ、レン!」
「何でもないから!」
彼女はリセラへ顔を寄せ、小声で囁く。
「あなたもレンも同じことを言うけど……」
「それってどういう意味?」
リセラも小声で返す。
「だって、本当にあなたがレンの部屋へ入るのを見たんです!」
再び気まずい沈黙が流れる。
外からガリックの声がした。
「話したいなら……」
「外へ来てもいいぞ。」
リセラは慌てて答える。
「も、もう寝ます!」
「すみません!」
彼女は再びミレイリアを見る。
「本当に……」
「夢遊病には見えませんでした。」
「レンも見ていますし……」
「私も見ました。」
慎重に言葉を選ぶ。
「もし本当に覚えていないなら……」
「一度、治癒師に診てもらった方がいいかもしれません。」
ミレイリアは真っ赤になって視線を逸らす。
「二人とも……」
「私をからかってるんでしょう。」
「絶対そうよ。」
ふくれながら言う。
「私が、そこら辺の男に簡単に飛びつくような女だと思ってるの?」
リセラは首を傾げた。
「あれ……?」
「じゃあ、レンは"そこら辺の男"なんですか?」
ミレイリアは固まる。
「えっ!?」
慌てて両手を振る。
「ち、違う!」
「レンはそんな人じゃない!」
「信頼できる人で……」
そこで自分の言葉に気づく。
「あっ……!」
リセラを指差す。
「話を逸らさないで!」
リセラは小さく笑った。
再び横になる。
「そろそろ寝ます。」
「嫌な思いをさせたなら、ごめんなさい。」
「でも、どうしても聞きたかったんです。」
ミレイリアも横になる。
天井を見つめながら呟く。
「もう、そんな変なこと言わないで。」
「全然面白くないんだから。」
ゆっくりと目を閉じる。
(そういえば……)
(あの夜、変な夢を見た気がする。)
(誰かが……私の部屋へ入ってきたような――)
しばらく走ると、街道脇に小さな果物屋が見えてくる。
御者は速度を落とした。
「この先に果物屋があります。」
「何か買っていきますか?」
ガリックは仲間たちを見回した。
「どうする?」
ミレイリアは頷く。
「持って行く分も買っておきましょう。」
リセラは地平線へ目を向けた。
「この速度だと、まだ一日半くらいはかかりそうですね。」
ガリックは笑った。
「もっとゆっくり進むと思ってたよ。」
「レオンがこの馬車を用意してくれて本当に助かった。」
御者は手綱を引く。
「少し止まります。」
「水を飲みすぎましてね。」
ミレイリアが笑う。
リセラも小さく微笑んだ。
「ふふ。」
「それじゃあ、その間に果物を買いましょう。」
馬車が止まる。
御者は荷台から降りた。
「すぐ戻ります。」
そう言うと、近くの木立の奥へと歩いて行った。
蓮は小さな果物屋を見つめる。
「どんな果物があるんだろう?」
真っ先に屋台へ近づいていく。
店主は満面の笑みで迎えた。
「いらっしゃい!」
「ようこそ!」
「私はノブと申します!」
ミレイリアは見慣れない果物へ視線を向けた。
「ノブさん……」
「わあ!」
「この果物は何ですか?」
ノブはその果物を一つ持ち上げる。
「少し前から、この近くの木に突然実るようになったんですよ。」
「まだ名前も付けられていませんが……」
笑顔で続ける。
「とても美味しいですよ。」
蓮は少し目を見開いた。
「ん?」
「でも、これってパイナップルじゃ……」
全員の視線が一斉に蓮へ集まる。
ガリックがすぐに尋ねた。
「レン、この果物を知ってるのか?」
蓮は頷いた。
「ああ。」
「何度か食べたことがある。」
ミレイリアが瞬きをする。
「でも私たち、ずっと一緒にいたよね……」
そこで言葉を止める。
「あ……」
彼女はそっと蓮へ近づいた。
「……向こうの世界で?」
蓮も小声で答える。
「ああ。」
そして改めて果物を見る。
「待って……」
「この世界にはないの?」
ミレイリアは首を横に振った。
「少なくとも私は見たことがないわ。」
蓮は少し考え込む。
「不思議だな……」
それから微笑んだ。
「じゃあ二つください。」
ガリックも続けて言う。
「俺はリンゴを三つ。」
ミレイリアとリセラは、まだ何を買うか迷っていた。
蓮は一つのパイナップルを手に取り、その場で真っ二つに割る。
果肉を取り出し、そのまま口へ運んだ。
リセラは首を傾げる。
「そうやって食べるんですか?」
蓮は笑って、二人へ果肉を差し出した。
ノブも笑う。
「どうぞ。」
「きっと気に入りますよ。」
二人は恐る恐る一口食べる。
その瞬間――
二人の目がぱっと輝いた。
「……!」
ミレイリアは思わず笑みを浮かべる。
「私も一つください!」
リセラも頷いた。
「私は……」
「パイナップル一つと、リンゴもお願いします。」




