第4話 私は一歳だが、零歳児らしい
朝から、家の空気が少し慌ただしかった。
母はいつもより早く着替え、父は髪を直し、私は新しい服を着せられていた。
白い襟のついたふりふりの服である。
動きにくい。
しかも母は、私の髪に小さなピンをつけようとしている。
「ひーちゃん、今日は保育園の見学だからね。かわいくして行こうね」
ひよりだ。
そして、かわいくして行く必要がある場所とは何なのか。
私は母の手から髪を守るため、顔を横に向けた。
だが母は慣れている。
私の抵抗をものともせず、あっさり髪にピンのような何かを装着した。
頭部への無断設備追加である。
将来的に、正式な抗議文を提出する必要がある。
「零歳児クラス、雰囲気よさそうだといいね」
母が父に言った。
私は動きを止めた。
零歳児クラス。
今、聞き捨てならない言葉が出た。
私は一歳である。
正確な月齢までは知らないが、少なくともこの家では誕生日にケーキらしきものが出され、大人たちが「一歳おめでとう」と騒いでいた。
つまり、私はすでに零歳ではない。
にもかかわらず、零歳児クラスとはどういうことか。
年齢詐称である。
「あー」
私は抗議した。
意味としては、「私は一歳であり、零歳扱いには明確に異議がある」である。
「ひーちゃん、行くよー」
母は聞いていない。
この家では、私の発言権を軽視する傾向にある。
*
保育園は、家から少し歩いたところにあった。
門の前には、色とりどりの小さな靴が並び、奥から子どもたちの声が聞こえてくる。
私は母に抱かれたまま、静かに施設全体を観察した。
ここが保育園。
つまり、複数の幼児を一か所に集め、食事、睡眠、排泄、遊戯をまとめて管理する巨大行政施設である。
玄関で先生が出迎えた。
「こんにちは。見学の方ですね」
母が頭を下げた。
「はい。よろしくお願いします」
父も頭を下げた。
私は先生を見た。
知らない大人である。
だが笑顔が安定している。
声もやわらかい。
母ほどではないが、抱っこ経験値は高そうだ。
油断はできないが、敵意はなさそうである。
「あら、ひよりちゃん。こんにちは」
先生が言った。
私は目を見開いた。
ひよりちゃん。
正しい。
初対面で、正式名称を使った。
この先生、できる。
「あっ」
私は返事をした。
意味としては、「貴殿の呼称選択を高く評価する」である。
「あ、返事してくれた。かわいいですね」
かわいいかどうかは別として、評価は受け取っておく。
*
私たちは、もも組という名の零歳児クラスの部屋に案内された。
部屋の中には、マット、低い棚、絵本、音の鳴る玩具が整然と置かれていた。
清掃状態は良好。
危険物は見当たらない。
床はやわらかい。
転倒しても被害は限定的だろう。
悪くない。
ただし問題は、部屋にいた構成員である。
寝ている者。
転がっている者。
座っている者。
よだれを垂らしながら玩具を握っている者。
全体的に、統治意識が低い。
私は母の腕の中で背筋を伸ばした。
ここが本当に私の配属先だというなら、相当な改革が必要になる。
「途中入園だと、ひよりちゃんは零歳児クラスになりますね」
先生が説明した。
なるほど。
制度上の問題か。
私は一歳だが、四月時点では零歳だったため、零歳児クラスに分類されるらしい。
年齢とは何か。
誕生日とは何か。
制度とは、ときに現実を置き去りにする。
父が小声で言った。
「ひより、一歳なのに零歳児って不思議だな」
その通りだ。
父よ、珍しく本質を突いた。
母は「そういうものだからね」と納得している。
納得するな。
そういうもの、で済ませていたら制度改革は進まない。
先生が私を床に下ろしてもいいかと確認し、母がうなずいた。
私はマットの上に座らされた。
すぐ近くに、丸い顔をした赤子がいた。
彼は私を見て、持っていた布の玩具を振った。
「あう」
おそらく挨拶である。
私は軽く手を上げた。
「あ」
意味としては、「私は視察に来た。現時点で敵対の意思はない」である。
彼は布の玩具を口に入れた。
早い。
判断が早すぎる。
挨拶の直後に備品を食べるな。
いや、食べられるかどうかを確認する姿勢自体は理解できる。
私も何度か行った。
だが、視察団の前でやることではない。
別の赤子が、棚の前で絵本を引きずり出していた。
一冊、二冊、三冊。
読む気はない。
ただ出している。
完全な棚卸しである。
さらに奥では、先生が一人の赤子を抱き上げ、もう一人に玩具を渡し、別の子のよだれを拭いていた。
早い。
判断が早い。
母が一対一対応の専門職だとすれば、この先生は多人数運営の管理官である。
赤子が泣く前に動き、玩具紛争が起きる前に別資源を投入し、転倒リスクを事前に潰している。
有能だ。
私は先生への評価をさらに上げた。
「ひーちゃん、楽しそう?」
母が言った。
ひよりだ。
だが、今は訂正している場合ではない。
私はこの施設の人員配置、資源配分、危機管理能力を見極めている。
楽しそうかどうかという個人的感情で判断する段階ではない。
*
その時、私の前に黄色いボールが転がってきた。
黄色。
悪くない色である。
私はそれに手を伸ばした。
だが、横から別の赤子の手も伸びる。
児童館で学んだ通り、資源があれば争いが生まれる。
私は一瞬考えた。
ここは見学先である。
初日から強硬姿勢を見せれば、母の心証に影響する可能性がある。
私はボールを押した。
相手の方へ。
「あ」
貸与である。
譲渡ではない。
相手の赤子はボールを受け取り、満足そうに叩いた。
母が小さく声を上げた。
「今、貸してあげた?」
違う。
長期的な統治を見据えた外交判断である。
だが、母がうれしそうなので、そういうことにしておく。
*
見学が終わるころ、先生は園での生活について説明していた。
食事、午睡、外遊び、連絡帳。
私は母の腕の中で聞きながら、ここが完全な敵地ではないことを理解した。
食事が出る。
昼寝の場所がある。
玩具もある。
先生は正式名称を使う。
これだけ条件がそろえば、入園も検討に値する。
ただし、零歳児扱いだけは納得していない。
「ひよりちゃん、また来てね」
先生が手を振った。
私は手を上げた。
「あっ」
意味としては、「次回までに零歳児という分類について再検討しておくように」である。
帰り道、母が父に言った。
「よさそうだったね」
「うん。ひよりも落ち着いてたし」
ひより。
父が正しく呼んだ。
見学の緊張で、うっかり正式名称が出たのかもしれない。
私はベビーカーの中で目を細めた。
保育園。
零歳児クラス。
知らない赤子たち。
有能な先生。
そして、黄色いボール。
悪くない。
だが私は忘れない。
私は一歳である。
たとえ制度が何と言おうと、私の中ではすでに一歳児政権が発足している。
零歳児クラスに入るとしても、気持ちまで零歳に戻るつもりはない。
私は小さく息を吐いた。
「あー」
新たな統治先が、見えてきた。




