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第4話 私は一歳だが、零歳児らしい

 朝から、家の空気が少し慌ただしかった。

 母はいつもより早く着替え、父は髪を直し、私は新しい服を着せられていた。

 白い襟のついたふりふりの服である。

 動きにくい。

 しかも母は、私の髪に小さなピンをつけようとしている。


「ひーちゃん、今日は保育園の見学だからね。かわいくして行こうね」


 ひよりだ。


 そして、かわいくして行く必要がある場所とは何なのか。


 私は母の手から髪を守るため、顔を横に向けた。

 だが母は慣れている。

 私の抵抗をものともせず、あっさり髪にピンのような何かを装着した。

 頭部への無断設備追加である。

 将来的に、正式な抗議文を提出する必要がある。


「零歳児クラス、雰囲気よさそうだといいね」


 母が父に言った。


 私は動きを止めた。


 零歳児クラス。


 今、聞き捨てならない言葉が出た。


 私は一歳である。

 正確な月齢までは知らないが、少なくともこの家では誕生日にケーキらしきものが出され、大人たちが「一歳おめでとう」と騒いでいた。

 つまり、私はすでに零歳ではない。


 にもかかわらず、零歳児クラスとはどういうことか。


 年齢詐称である。


「あー」


 私は抗議した。

 意味としては、「私は一歳であり、零歳扱いには明確に異議がある」である。


「ひーちゃん、行くよー」


 母は聞いていない。


 この家では、私の発言権を軽視する傾向にある。



 保育園は、家から少し歩いたところにあった。

 門の前には、色とりどりの小さな靴が並び、奥から子どもたちの声が聞こえてくる。

 私は母に抱かれたまま、静かに施設全体を観察した。


 ここが保育園。


 つまり、複数の幼児を一か所に集め、食事、睡眠、排泄、遊戯をまとめて管理する巨大行政施設である。


 玄関で先生が出迎えた。


「こんにちは。見学の方ですね」


 母が頭を下げた。


「はい。よろしくお願いします」


 父も頭を下げた。

 私は先生を見た。


 知らない大人である。


 だが笑顔が安定している。

 声もやわらかい。

 母ほどではないが、抱っこ経験値は高そうだ。

 油断はできないが、敵意はなさそうである。


「あら、ひよりちゃん。こんにちは」


 先生が言った。


 私は目を見開いた。


 ひよりちゃん。


 正しい。


 初対面で、正式名称を使った。


 この先生、できる。


「あっ」


 私は返事をした。

 意味としては、「貴殿の呼称選択を高く評価する」である。


「あ、返事してくれた。かわいいですね」


 かわいいかどうかは別として、評価は受け取っておく。



 私たちは、もも組という名の零歳児クラスの部屋に案内された。

 部屋の中には、マット、低い棚、絵本、音の鳴る玩具が整然と置かれていた。

 清掃状態は良好。

 危険物は見当たらない。

 床はやわらかい。

 転倒しても被害は限定的だろう。


 悪くない。


 ただし問題は、部屋にいた構成員である。


 寝ている者。

 転がっている者。

 座っている者。

 よだれを垂らしながら玩具を握っている者。


 全体的に、統治意識が低い。


 私は母の腕の中で背筋を伸ばした。

 ここが本当に私の配属先だというなら、相当な改革が必要になる。


「途中入園だと、ひよりちゃんは零歳児クラスになりますね」


 先生が説明した。


 なるほど。


 制度上の問題か。


 私は一歳だが、四月時点では零歳だったため、零歳児クラスに分類されるらしい。

 年齢とは何か。

 誕生日とは何か。

 制度とは、ときに現実を置き去りにする。


 父が小声で言った。


「ひより、一歳なのに零歳児って不思議だな」


 その通りだ。


 父よ、珍しく本質を突いた。


 母は「そういうものだからね」と納得している。


 納得するな。


 そういうもの、で済ませていたら制度改革は進まない。


 先生が私を床に下ろしてもいいかと確認し、母がうなずいた。

 私はマットの上に座らされた。


 すぐ近くに、丸い顔をした赤子がいた。

 彼は私を見て、持っていた布の玩具を振った。


「あう」


 おそらく挨拶である。


 私は軽く手を上げた。


「あ」


 意味としては、「私は視察に来た。現時点で敵対の意思はない」である。


 彼は布の玩具を口に入れた。


 早い。


 判断が早すぎる。


 挨拶の直後に備品を食べるな。

 いや、食べられるかどうかを確認する姿勢自体は理解できる。

 私も何度か行った。

 だが、視察団の前でやることではない。


 別の赤子が、棚の前で絵本を引きずり出していた。

 一冊、二冊、三冊。

 読む気はない。

 ただ出している。

 完全な棚卸しである。


 さらに奥では、先生が一人の赤子を抱き上げ、もう一人に玩具を渡し、別の子のよだれを拭いていた。


 早い。


 判断が早い。


 母が一対一対応の専門職だとすれば、この先生は多人数運営の管理官である。

 赤子が泣く前に動き、玩具紛争が起きる前に別資源を投入し、転倒リスクを事前に潰している。


 有能だ。


 私は先生への評価をさらに上げた。


「ひーちゃん、楽しそう?」


 母が言った。


 ひよりだ。


 だが、今は訂正している場合ではない。

 私はこの施設の人員配置、資源配分、危機管理能力を見極めている。

 楽しそうかどうかという個人的感情で判断する段階ではない。



 その時、私の前に黄色いボールが転がってきた。


 黄色。


 悪くない色である。


 私はそれに手を伸ばした。

 だが、横から別の赤子の手も伸びる。

 児童館で学んだ通り、資源があれば争いが生まれる。


 私は一瞬考えた。


 ここは見学先である。

 初日から強硬姿勢を見せれば、母の心証に影響する可能性がある。


 私はボールを押した。

 相手の方へ。


「あ」


 貸与である。


 譲渡ではない。


 相手の赤子はボールを受け取り、満足そうに叩いた。


 母が小さく声を上げた。


「今、貸してあげた?」


 違う。


 長期的な統治を見据えた外交判断である。


 だが、母がうれしそうなので、そういうことにしておく。



 見学が終わるころ、先生は園での生活について説明していた。

 食事、午睡、外遊び、連絡帳。


 私は母の腕の中で聞きながら、ここが完全な敵地ではないことを理解した。

 食事が出る。

 昼寝の場所がある。

 玩具もある。

 先生は正式名称を使う。

 これだけ条件がそろえば、入園も検討に値する。


 ただし、零歳児扱いだけは納得していない。


「ひよりちゃん、また来てね」


 先生が手を振った。


 私は手を上げた。


「あっ」


 意味としては、「次回までに零歳児という分類について再検討しておくように」である。


 帰り道、母が父に言った。


「よさそうだったね」


「うん。ひよりも落ち着いてたし」


 ひより。


 父が正しく呼んだ。


 見学の緊張で、うっかり正式名称が出たのかもしれない。


 私はベビーカーの中で目を細めた。


 保育園。

 零歳児クラス。

 知らない赤子たち。

 有能な先生。

 そして、黄色いボール。


 悪くない。


 だが私は忘れない。


 私は一歳である。


 たとえ制度が何と言おうと、私の中ではすでに一歳児政権が発足している。

 零歳児クラスに入るとしても、気持ちまで零歳に戻るつもりはない。


 私は小さく息を吐いた。


「あー」


 新たな統治先が、見えてきた。

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