表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/12

破之節 伍 『謀』


     Side Ormu



「噓ではないわ」


 凰鵡の心の声に、セレネが答えた。


「私だけじゃない。私と一緒に集まった仲間はみんな、あの男に家族や同胞を奪われた。ヒトを避けて静かに生きていただけの種もいた。なのに、あなたのお兄さんは、そんな人達も容赦なく殺していったのよ」

(そんな……そんな……)


 白一色の部屋がドス黒く染まったように、凰鵡には感じられた。

 セレネの視せた顕醒は、凰鵡が知るよりずっと若かった。自分を拾う以前だろう。当時の兄がどれほど苛烈だったかは、本人の口からも聞かされている。だが聞くと見るとでは大違いだ。よもやこれほどだったとは。

 逃げる者にも、無抵抗の者にも容赦のない、一方的な殺戮。それは衆でも固く禁じられている。まさに鬼の所業だ。


「そう。でも衆は彼になんの罰も与えなかった。彼の力が惜しいから、事実を隠蔽して、無かったことにして、逆に彼を闘者筆頭に祀り上げたの。それを知ったときの私の気持ちが分かって?」


 凰鵡には分からない。分かるはずもない。

 運良く破壊者から生き延びたあとも、セレネはやるせない怒りと哀しみを抱えながら、二度と彼に見つからぬよう、ずっと身を潜めて生きてきたのだろう。その一方で、大切なものを奪った仇敵は太陽のしたを堂々と歩き、あまつさえ誉れまで戴いている。セレネにとって、それは「怨めしい」という言葉では表せないほどの不条理なはずだ。


(兄さん、あなたは……)


 部屋を染めきった暗黒が、今度は凰鵡のなかの顕醒の像をも呑み込んで、歪めてゆく。


「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」


 嗚咽と一緒に雫が落ちて、床を濡らした。

 自分でも気付かないうちに凰鵡は泣いていた。


「あなたが謝る必要ないわよ。彼の弟のくせに、優しいのね」


 セレネの声が穏やかになる。凰鵡が泣いたことで、少し溜飲が下がったようだ。


「……お願いです。闘う前に、兄さんと話をしてください。いまのあの人は、あなた達に酷いことをした時とは、もう違うんです」


 かつて、顕醒は《闇羅あんら》という、怒りや憎しみを源にする殺意の念法を用いていた。それは彼に《鬼不動》という蔑称のような渾名を冠させた最大の要因でもある。

 そして《闇羅》は封じられた。その一方で、兄は《鬼不動》の名を否定しなかった。それはきっと、自分自身の過ちに対する覚悟の表れだ。誇りではなく罪として、鬼の字を背負い続けているのだ。

 表に出さないだけで、兄もまた自らの過去に悔やみ、苦しんでいる──凰鵡はそう信じたかった。

 だからセレネ達と和解できる道も、あるのではないか。

 これ以上、誰にも傷ついて欲しくない。兄のことも、セレネのことも救いたい。それが凰鵡の純粋なおもいであり、心に残った最後の光だった。

 だが、凰鵡は気付いていなかった──復讐の炎で心を灰にした者にとっては、その純粋さこそ、なによりの贄となることに。


「バカじゃないの?」


 願いは、セレネの冷たい声に一蹴された。


「反省したからなに? 生き直したからなに? それで納得するのはあなた達だけでしょ? やっぱりあなたも所詮、あの男の側よ」


 正論である。それだけに兄を信じていたい気持ちと、セレネと闘えない気持ち、相反する情念のあいだで身動きが取れなくなったまま、凰鵡の良心はただただ殴られるしかない。


「だいいち、あの男はまだ闘ってる。むしろ昔より強くなってる。それが反省した人間のやること? こっちが話し合うつもりでも、顔を合わせた途端にあいつが殺しに来たら?」

「それは……ボクが、止めます!」


 幼女の嘲笑が室内を埋めた。


「噓ばっかり。その自信がないことくらいお見通しよ」


 図星だった。思えば、表だって顕醒に反抗してきた経験が凰鵡にはない。その必要が無かったと言えばそれまでだが、根底に〝兄に逆らうことへの恐れ〟が無かったかと言えば噓になる。

 もし兄がまたセレネを攻撃したとして、自分は真っ向から彼と敵対できるか? その末路には敗北と破滅しか見いだせない。彼を遙かに上回る霊力を持ち、不動の真髄をも教わり、あの雲水を唯一怯ませたという自負があっても、いまだ凰鵡にとって顕醒は追いかける背中であり、超え得ざる壁として君臨し続けている。


「そう、あなたも怖いのね。私もそう。いまでも、あの男が怖いの。それに、あなたのこともね。不動ってなんなの?! どういう力なのよ? 神通力でもない。念動力でもない。あなた達は、いったい何なのよ?!」


 締め付けるような痛みが凰鵡の胸に広がる。

 考えたこともなかった。顕醒だけでなく、《不動》そのものがこうも恐れられていたとは。

 否、不動の代名詞である《練気》の真実を聞いたとき、自分も同じように戦慄したではないか。


 「これは、意志そのものだ」


 手のひらに出した気弾を指して、兄はそう言った。

 この世の《ことわり》を超越して己の意志を自他に繁栄させ、〝因のない結果〟を生み出す──それが不動の《気》なのだ、と。

 そしてオメガ事件ののち、本格的な修行を始めるに際して兄はこうも説いた。

 「お前の好きなゲームで例えよう」

 兄の口からゲームの話が出た意外性に一瞬心が躍ったものの、そんなものは直後に掻き消えていた。

 「超能力や神通力は、どれほど超常的に見えても、通常の操作で敵を撃破したり、自身を強化するのと同じ──ゲーム内に設定された因果率の範疇だ。しかし不動の力はチートコマンドを打ち込んで相手を無理やり消去したり、設定にない数値やアイテムを作りだすことに近い」


「なによそれ……」

(しまった!)


 凰鵡は首を振って今の思考を頭から追い出そうとする。会話の流れから、つい思い浮かべてしまった記憶を見透されたのだ。


「待って! ボクは決して──」


 あなたを消そうなんて思ったりしない、と言いきる暇さえ与えられなかった。よしんば言えたところで、セレネにすれば脅迫以外の何物でもなかっただろうが。


「黙れバケモノ! 動くな!」


 凰鵡の息が止まった。

 これまで浴びたどんな言葉よりも痛かった。

 化け物──自分でも、一度だけそう思ったことがある。だがその思いは翔達の優しさや、兄からの教えで得た自信によって克服したはずだった。

 だが本当は違った。ただ考えないよう、意識の奥底に埋めていただけだった。その秘めた懊悩は今ふたたび掘り起こされ、串刺しにされた。

 そしてセレネが放った杭は凰鵡の心に留まらず、その肉体をも釘付けにしていた。


(ボクは────あ)


 声を発そうとしても出せず、手足は石になったかのように硬直した。かろうじて出来ることは、息をすることと、目を動かすことだけだ。

 これもアグイの力なのか。黙れ、動くな、と言われたから、喋れなくなり、動けなくなったのか。まるで言霊だ。

 どうすれば……焦躁は加速し、呼吸と心音が胸のなかで暴れ狂う。

 だが恐怖に怯えているのは凰鵡だけではなかった。


「有り得ない。有り得ないわよ……! でも噓は言ってない……」


 視線を左右へ泳がせながら、セレネは呪詛を吐くように独り言つ。


「ミリアン! 私は《室長》に報告してくる。コイツはこのままにしときなさい」

「へぇ。ポニテちゃんのほうは?」

「好きにしな!」


 息も荒く捲し立てるや、セレネは闇の塊となって部屋から消えた。


(待て──!)


 凰鵡の叫びは自身のなかで虚しく反響する。


「いきなりブルッちゃって、何があったんだか」


 それまでじっとしていたミリアンが歩み寄ってくる。好色そうな笑みは、凰鵡の横でうずくまる朱璃へと注がれていた。


「じゃぁ、お言葉通り、好きにしていいよね?」

(させない──!)


 セレネの呪縛を解こうと凰鵡は全身に力を籠める。無駄だった。

 ミリアンが朱璃をどうするかなど考えたくもない。絶対に止めなければならない。

 だが凰鵡の必死さを嘲笑うかのように、悪い予感は、目の前で現実のものとなりつつあった──それも予想外の衝撃をともなって。


「はい」


 すっ、と朱璃が立ち上がった。


「どうぞ、好きにしてください」


 その声が誰のものなのか、凰鵡には一瞬、判別がつかなかった。


「いいの? 彼氏は?」

「いいんです。もう、信じられなくなりましたから」


 頭を強打したときのような目眩が凰鵡を襲った。


(どうして……)


 疑いようもなく、朱璃の発した言葉だった。


「へぇ、なんでまた?」

「顕醒さんのこと、ずっと変だなって思ってたんです。今日、ハッキリと分かりました。あの人は間違ってる。だから、あの人を許してる衆もおかしい、って」

(朱璃さん、そんな……)


 アグイの真実を知ってなお顕醒と衆を信じるか、否か。凰鵡はギリギリで前者に踏みとどまった。だが朱璃は後者を選んだのだ。


「じゃぁ彼氏も?」

「もう、どうでもいいです。悪魔みたいな人や組織に可愛がられて尻尾を振ってるだけで、私のことも守ってくれない、ただの愚かな犬ですから」


 凰鵡は耳をもぎ取ってしまいたくなる。現実とは思えなかった。涙が溢れて止まらない。これまで信じ、目指し、そして成してきたものが否定されたのだ。

 いや、たとえセレネに同じことを言われたとしても、こうまで哀しくはならない。朱璃──楽しいときも、つらいときもずっと一緒にいてくれた愛おしい人だからこそ、その讒侮ざんぶは凰鵡の心の奥深くを簡単に刺し貫き、斬り刻んでしまう。


「あーあ、失恋はつらいね。オレが癒やしてあげようか?」

「はい。あなたのお望み通りに」


 ミリアンが差し出した掌に、朱璃は自分の手を重ねる。

 おかしい──凰鵡ははじめて違和感を覚えた。

 朱璃は人慣れしやすい性格ではない。たとえ衆への疑念で自暴自棄になっているとしても、こうまで容易く相手の──それも異性の──手に触れるだろうか。

 そう考えると、さっきから朱璃の言葉は、彼女でありながらも別人のようだ。まるで何かに操られているかのような────


(アグイ!)


 確信が凰鵡の哀しみを裂く。間違いない。自分が動きを封じられたように、朱璃もまた、どこかのタイミングで心に入り込まれ、感情や意志に〝刷り込み〟を受けたのだ。


「いい子だね。じゃぁ善は急げってことで」


 ミリアンが朱璃を抱き寄せた。


(やめろ! 朱璃さん、目を覚まして!)


 呼び掛けは届かない。恋人の身と心が蹂躙されてゆくさまを、ただ黙って見ていることしか出来ない。せめて心の声だけでも、朱璃に届けられたなら──


(──竜王!)


 その存在をにわかに思い出し、念で呼びかける。

 だが、世界のどこにいても引き寄せられるはずの宝剣は、現れない。


(なんで?!)


 疑念と焦躁が凰鵡から冷静さを奪ってゆく。

 ミリアンの両手が朱璃の頭を撫で、背をまさぐる。


(やめろ! やめろやめろやめろ! だめだ──!)


 それは陵辱者への警告であると同時に、自分への戒めでもあった。

 ドス黒い渦が、凰鵡のなかに流れ込んできていた。

 憎かった。相手の非道さも、自分の無力も、肝心なときに飛んでこない宝剣も。すべての元凶たる兄のことさえ、憎いと感じた。


(やめて……お願いだから……!)


 自分はどうなってもいい。だから朱璃だけは──そう願ったところで、暴漢の手は止まるはずもない。

 ゆえに、止めようのない激情は凰鵡のすべてを抱き込んで、暴流のように狂おしくのた打ち回り、心をぐちゃぐちゃに掻き乱す。理性や良心という名の堤防はすでに限界を迎えて、悲鳴とともに沈んでゆく。

 そうして溢れ出した衝動の水面に、最後の一撃は叩き込まれた。

 朱璃の唇が、男のそれに覆われた。


(ぅあああああ──!!)


 凰鵡のなかに雷霆が炸裂した。閃光が黒い渦を炎の海に変え、灼熱の爆風をもって、すべてを灼いた。



     Side ??? and Yui



 ──数分前。

 言ってしまえば、それは〝地の底〟だった。

 広大な長方形の縦穴である。やや歪な窟壁のそこいらじゅうから、ありとあらゆるものが飛び出してした。

 幾本ものロボットアーム。鉄塔のようなアンテナ。無数の導管。大小のケーブルの群れ、そして蜘蛛の巣のように張り巡らされた注連縄しめなわ──しかも節々から垂れ下がっているのは純白の紙垂しでではなく、物々しい呪符である。


「妙なこと?」


 《室長》は部下の言葉をオウム返しにして、強化ガラスの窓から地の底を見下ろす。縦穴の最上部に設けられたこの管理室からは、牢獄(、、)が一望できた。

 視線の先では、巨大な肉体がその四肢を壁に埋め込まれ、磔にされていた。

 額から伸びる禍々しい角ゆえに、その獄徒を目にした者は一様にこう形容するだろう。

 《鬼》である。


「はい。《母体》が《きめらわ》を産出するペースが、ここ数時間で急速に上昇しています」


 そう語る部下の男は、宮司用の黒い衣冠を身に纏っていた。管理室には彼以外にも数名の職員が詰めているものの、みな研究者風の白衣である。

 と、宮司が説明するあいだにも、彼らの眼下で、その現象は起こっていた。

 《鬼》の下腹部で、女体が震えた。

 奇怪極まりないことだが、《鬼》の肉体の一部から女の体が生えているのだ。しかもその腹は臨月の域をはるかに超えて、小柄な成人ならひとり入れそうなまでに大きく膨れ上がっていた。

 その腹が、下から裂けた。

 どば……と、赤い粘液がほとばしり、穴底にあつらえられた巨大な祭壇に撒き散らされる。

 続いて、真っ白な肉体が滑り落ちた。

 母体は「ああ」とも「うん」とも云わず、わずかに身を震わせただけだった。腹の裂け目もジッパーを閉じるかのようにひとりでに塞がって、いまの今まで孕んでいたとは思えないくびれをつくる。

 片や、仔のほうは床のうえでビクビクと震えつつも、さながら子馬のように、早くも立ち上がらんとしていた。

 くいと上を向いた容貌も、肢体も、顕醒が《姉》と呼んだ女に瓜ふたつだった。

これこそが《室長》達の言う《鬼女童きめらわ》なのだ。

 すると、大きな筒を備えたアームが伸びてくるや、掃除機よろしく新たな鬼女童を吸い込んでいった。


「システムもまだ起動させていないのに? 原因は?」


 悍ましい出産の光景に、《室長》も宮司も眉ひとつ動かさない。彼女らにとって、それは日常のひとコマに過ぎないのだ。


「不明です。強いて言えば、早まりだしたのは、衆の各対象を捕獲した時間帯と重なります」

「彼女らを連れてきたのが原因? 直接の関連はないはずよ──少なくとも今はまだね。因果関係を検討し直しなさい。産出された鬼女童に異常は?」

「見られません。念のため手つかずで保留してありますが、いかがしましょう?」

「問題がないのなら、通常通りのスケジュールで調整して運用なさい」

「かしこまりました。第二フェーズも予定通り実行されますか?」

「当然です。準備ができ次第、起動を始めます」


 《室長》は振り向き、壁のモニターに目を移す。

 画面には球形の部屋が映し出されていた。内部は鱗状の銀膜に覆われて、その中央には鬼女童がひとり、静かに佇んでいる。


「チェック完了しました。各部正常。システム起動します」


 職員の手がコンソールのキーを叩く。

 モニターの情景に変化が起こった。内壁の銀膜がいっせいに発光し、渦を巻きはじめた。

 光が勢いを増すにつれ、中央の鬼女童はヒトの形を失ってゆく。首から下がねじれて、紙縒こよりを作るかのように細く縮む。一方で頭部は放射状に分裂し、花弁のような弧を描く。その形は彼岸花によく似ていた。肉で作られた彼岸花だ。

 広がる花弁の真ん中に眼球が浮いていた。

 やがて、変化はモニターの向こうだけでなく、ガラス窓の外にも現れはじめた。

 《鬼》を埋めた壁に、光が広がってゆく。


「力場の流入確認。展開率、七パーセント。なおも上昇中」

「《鬼》の生体反応上昇。既存ライフラインを縮小させます」

「触媒への負荷値三〇。想定より過負荷です」

「仕方ないわね。出力を下方修正。力場の展開率は二五パーセントに留めなさい」


 冷静に部下達へと指示を下しつつも、《室長》は唇の端をわずかに歪めていた。計画ではふたつ手に入るはずの触媒が片方しか得られなかったのは、彼女らにとって手痛い誤算だった。


「了解。力場展開率の目標値を二五パーセントに修正」

「ゲート、活性化します」


 広がってゆく光に、今度は〝色〟が交じる。しかし、それが何色なのかを説明できる者は、ヒトのなかには誰ひとりとしていない。彼らに分かるのは、その色が〝何を意味するのか〟だけだ。

 世界を喰らう光。現世と〝向こう側〟とをつなぐゲート──異界への門である、と。


「既存ライフラインの切断完了」

「新規ライフライン同調。《鬼》の生体反応三〇で安定」

「システム、正常に運転中。成功です」


 おおお……と、押し殺された歓声が部屋のなかに満ちた。


「よろしい。引き続き管理と監視を怠らないように」


 《室長》は声を張って命じると、また別のモニターへと向き直った。


「さて。上級闘者と言われているあなたでも、さすがに驚いているようね」

「ッたり前でしょ。アンタら何やる気? 戦争?」


 スピーカーから維の声が返ってくる。画面の向こうの本人は、触手に四肢を封じられつつも、視線で射殺さんとばかりに《室長》を睨みつける。


「まぁ、そんな怖い顔をしないでちょうだい。私達の目指すところは、あなた方と同じなのだから」

「もったいぶった言いかたすンじゃないわよ」


 隙あらば噛みついてくる捕虜に眉根を顰めつつも、室長は「ふふ」と微笑んでみせた。


「すべては、この国を守るためよ」



     Side ???



 黄金色の大地は静寂に包まれていた。

 美龍・天奉──不抜の源──超力星・蓬座──千里討・日谷間──そして途中から戦線に加わった桔梗の隊員達。誰も彼もが指一本とて動かせぬほど疲弊し、砂原に伏していた。

 そんな彼らを見下ろすともなく、雲水は佇んでいる。


「殺せ」


 大の字に倒れたまま、天奉は冷たい声で告げた。鋭い眦の奧の瞳はなおも敵を見据えているようでいて、そのじつ何も見てはいない。他も似たようなありさまだ。何人かは意識を手放してすらいた。

 八人がかりになっても、雲水にはかすり傷ひとつ付けられなかった。


「貴様が何者で、何が目的かは皆目かいもくはんじえん。だがこれだけの力を結集して、ただのひとりに完敗したとあらば、われらのほまれもこれまでよ」


 反意の声は上がらなかった。このうえ何を言っても状況は好転するまい。自分達は敗れ、生殺与奪の権は握られたのだ。

 やがて、死屍累々も同然の八人に向けて、雲水は右腕を掲げた。

 その掌に錫杖が現れた。

 がしゃん──杖先が大地を突き、遊環の音が世界を揺らした。


「……?!」


 天奉達は目を瞠った。

 土と木々の匂い。少し白んだ青い空。

 何処とも知れぬ山深く──それでも間違いなく、彼らがもといた世界だった。

 そして怪僧の姿は、どこにもなかった。



     Side Kanone



 事実上の用済みか。その部屋に放り込まれた瞬間、香音は己の立場を察した。

 薄暗い照明。粘つくようなアロマの匂いと、それでも塗り潰せないくらいに饐えきった汗まみれの空気。カーテンで仕切られたベッドの列は野戦病院のようですらある。

 それらのシーツの上で繰り広げられているのが何なのかは、安っぽい幕を開かずとも、音と声だけで判った。

 ここは《ピット》の職員達が欲望を吐き出すための、快楽の園なのだ。

 そして相手役はどうやら、すべて鬼女童らしい。

 妖種とはいえ見た目は十代半ばの少女である。その肉体を嬉々としてもてあそぶ男達に、香音は複雑な嫌悪を覚える。利用者の要求に応えられるよう、鬼女童らには何某かの調整が加えられているのだろう。少数の倒錯者の仕業か、エスカレートした加虐欲求のはてか、開きっぱなしのベッドのいくつかには、手脚の欠損した者や、蚯蚓腫れにまみれた者が、人形のように投げ出されている。

 しかし、そんな〝生きた人形〟にも飽いていたのか、男達は香音に殺到した。

 さっきまでは妖種に、今度はヒトに。そのヒトにすら香音は抵抗出来なかった。

 対色者としての力はすべて、妖種達によって封じられていた。心身に擦り込まれた催眠と毒物が脳神経の一部をマヒさせていた。《積霊法》は封じられ、体力は消耗させられる一方だった。

 加えて、この部屋の男達の膂力りょりょくも常人とは思えないものだった。明らかに戦闘員ではない者ですら、いっぱしのレスラー並の力で押さえ込んできた。特殊な訓練を積んだようには見えない。催眠か薬物か。ひとりなら何とか反撃の機も見い出せようが、集団に組み伏せられてはどうしようもなかった。

 自力での脱出は絶望的だ。維はどうなるだろう。自分と交代するかのように妖種達の前へと連れて来られた彼女の身を案じるほか、今の香音に出来ることはなかった。



     Said Kensei , Yui & Weilan



「《鬼盡計画(きじんけいかく)》……〝連中〟はそう言っていた」


 顕醒に問われるままに、罠役は己の知るすべてを語っていた。

 ……ことは、およそ二十五年前に端を発する。

 その年のある日、罠役が〝連中〟と呼ぶ一団は《鬼》の捕獲に成功した。

 本来ならば容易なことではない。『鬼』の名を冠する妖種は数多あれど、その性質はほぼ一様に「極めて凶暴かつ強壮」とされている。

 だが、その《鬼》は発見された時点でひどく傷ついており、瀕死に近い状態だった。彼らは他組織や対妖者に気取られることもなく秘密裏に《鬼》を回収し、《ピット》と呼ばれる、科学と霊学の粋を集めて造り上げた本拠地の奥深くに拘束した。

 そして厳重な秘匿工作のもと、彼らは《鬼》の生態と能力を徹底的に研究し、やがて二十年もの長きに渡る実験のすえに、ひとつの結論を導き出した。

 ──『《鬼》の制御は可能』

 こうして、ある計画が極秘裏に発動された。

 《鬼盡計画》──その目的は《鬼》の力を管理運用し、国家安定の要となる【食料】【エネルギー】そして【国防】の三項を一挙に解決すること。

 すなわち、妖種の資源化である。




「正確には、私達が活用しようとしているのは《鬼女童》達のほう。《鬼》はさしずめ〝賢者の石〟といったところかしら」


 滔々と語られる《室長》の話の一言一句を、維は噛み締めるように聞いていた。

 賢者の石──錬金術において金を生み出すとされる究極の物質。それと同じように、妖種の力をヒトのために活かそうという研究が、両種の共存を認めない〝反共生派〟のあいだで盛んに行われているのは紛れもない事実だ。まして相手は人に仇を成す凶暴な《鬼》である。共存の望みは最初からゼロに等しい。どうせ殺すならばいっそ資源として活用しようという発想は極めて合理的に聞こえる。

 それでも、維は苛立ち、奥歯を軋らせてしまう。


 「けれど、賢者の石とて永久機関ではないわ。働いてもらうには相応の燃料を供給する必要はあるものね。《鬼》がなにを養分にしているか御存知? 怒り、怨み、哀しみ……いわゆる〝負の情念〟というものよ。けれど最初は苦労したわ。その人ごと食べないと、感情を吸収してくれないもの」


 霊力を糧にするために他者ごと喰らう妖種は存外にも珍しくない。《鬼》の場合は、その糧がある種の感情というわけだ。

 だが次に《室長》が放った言葉は、維にとって完全に予想外のものだった。


「だから私達は《鬼》を祀ったの。神として崇め、儀式を定め、肉体を捧げずとも感情を供物に出来るようにね」


 驚愕すると同時に、感心せずにはいられなかった。鬼も悪霊も祀れば神。そして住処と供物が得られる限り、神が人に仇を成すことはない。

 そうやって《室長》達は《鬼》を制御下に置いた──いや、それはもはや〝飼い慣らした〟というべきか。


「ようやく理解してくれたみたいね。人の情念を食べてくれる。それだけでも素晴らしいことよ。この世界のすべての人の心から、怒りや怨みを取り払うことも出来るのだから」


 《室長》が口角を広げてニタリと笑んでみせる。その様相があまりにも作り物めいていて、維は寒気を覚えた。


「けれど、どれほど鬼盡計画が素晴らしくても、それを受け容れて協力してくれるほど、世界はまだ賢くはないわ。だから私達はまず、この《ピット》だけですべてを完成させるように〝無限の供給源〟を確保することにしたの」


 ぞくり……《室長》の笑顔で冷えた維の背筋が、さらに凍りつく。

 《鬼》と異界門。ようやく話が見えたのだ。


「あなた達の言う〝向こう側〟──《妖界》。あるいは〝地獄〟とでも呼びましょうか」




「そう、地獄だ」


 罠役の口から淡々と紡がれる言葉は、まるで地に打ち棄てられた亡者の嘆きのようですらあった。


「貴様がのうのうと生きている限り、《人界》だろうが《妖界》だろうが、俺達にとっては地獄に変わりない。だから連中の話に乗った。俺達はせっせと《鬼》に怨みを喰わせ、その見返りに力を得た。なかには怨みを食い尽くされて腑抜けた奴もいたが、俺はそうはならなかった。連中に都合よく利用されただけかもしれないが、どうでもいいことだ。生きるも地獄、死ぬも地獄。どうせ地獄なら、だ。分かったか? すべては貴様が起こした戦いなのだ。衆の鬼めがァ!」


 体を〝くの字〟に曲げて罠役は叫んだ。


「アアアおのれ! オノレ鬼メ! 鬼めガァ! こんな力まであるト知っていたラ、むざむざと捕まるまえニ、自分デ死んでやったものヲ!」


 それまで抑揚のなかった口調を一変させて怒鳴り散らす。顕醒の力から解放されたのか、自力で意識を取り戻したのか。いずれにせよ暴露した記憶が残されているとあっては、その口惜しさも至極当然と言える。


「《ピット》はどこにある?」


 顕醒の問いに、罠役は哄笑を返した。やっと一矢報いられたのが嬉しくてたまらないという様子だ。


「無駄ダ。行き方は知っていても、場所は俺も知らン。鬼女童を使うしか……」


 愉快げに語る罠役だったが、その声は唐突に途切れた。

 顕醒の掌が光を噴き、形を成した。

 罠役を正面から見つめるそれは、鬼女童の生首だった。

 気によって焼滅させ、気によって復元する。セレネの異空間から脱出する際に顕醒が鬼女童を吸収したのは、このためだったのだ。


「あ……アアアア!」


 罠役の口から、ふたたび苦悶の咆吼があがった。彼にとっては、予想外にして痛恨の極みだっただろう。


「ばけものメ……神にでもなったつもりか! 貴様こそ本物ノばけものダ! もっとも危険ダ、あってハならない! 貴様トイウ存在は、決シテ許してはナラナイ!」


 己に残された最後の復讐とばかりに仇敵を罵倒する。

 だが、その存在すら否定されながら、顕醒は眉ひとつ動かさない。


(この人は、どうして……)


 傍で聞いている巍狼のほうが胸を抑えたくなる。なぜこうも冷然としていられるのだろう。圧倒的な力量差を自覚しているがゆえの余裕なのか。「決して冷血漢ではない」とは零子や真嗚からも聞かされている。それでも、こうした態度のせいで、彼が多くの仲間──とくに天奉や源──から倦厭けんえんされているのも事実だ。


「鬼だ……貴様は《鬼》以上の鬼だ。血モ涙モ、心すら持たナイ殺人鬼め。まさかそうまデ簡単ニ、自分の姉の姿をしたモノすら──」


 その瞬間、罠役は光となって霧散した。まるで用済みとばかりに顕醒が焼滅させたのだ。


「顕醒さん──!」


 たまらず巍狼は叫んでいた。逃亡の恐れがあったとはいえ、顕醒の行為は独断による私刑──明らかな倫理規定違反だ。

 だが、若き臨時副支部長の困惑を無視するかのように、事態は動く。


「全員、中庭に集合」


 憤る巍狼の脳裏に、孤月の声が響いた。


「殴り込みの準備ができたで」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ