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破之節 肆 『殿』


     Side Shou , Reiko & Weilan


 明け方が近い。

 衆第一区支部は外観こそ平素と変わらぬ静けさを保ちながらも、内側の空気はまるで張りすぎた弦のように、いまにも裂け飛ばんばかりだった。

 職員達は粘り強くみずからの持ち場や任務を維持し続けていたが、そのじつ誰もが焦躁と悲嘆を心に抱え、次に何が起こるのか、何をすればいいのかを必死になって見出そうとしていた。

 初手こそ全員への通達という暴策に出た零子も、直後に翔本人からの連絡で所在が判ってからは、打って変わったかのように沈着冷静さを取り戻し、事態の全容把握と収拾に尽力した。

 また混乱を招いた一方で、零子の一斉送信は予想外の功を上げてもいた。維、凰鵡、朱璃からの応答がなかったことで、三者が行方不明となっていることも発覚したのだ。

 各自の捜索に派遣された情報員達によって、凰鵡の部屋からは争った跡と、床に落とされた倶利伽羅竜王が見つかった。維が調査していた地点では重症の藐都イルマが発見され、即座に支部へと搬送された。全身を孔だらけにされていたものの意識はハッキリしており、彼の口から顛末が語られたことで、衆はようやく一連の事件が、何らかの目的をもった〝組織〟による、自分達への〝攻撃〟であることに気付いた。おそらく香音の失踪も同様であろう。そして彼女以外のすべては、顕醒の不在を突いて実行されたのだ。

 敵は何ものなのか、まだ何かを仕掛けてくるのか。罠だらけの暗い森にとつぜん放り込まれたような状況だったが、零子は決して動揺を表に出さなかった。翔が無言の叔父を担いで帰還したときですら顔色ひとつ変えなかった。ハンカチで目を覆われた紫籐に向けて呪灰の眼鏡をわずかに外してみせるや、検死室へ安置するよう命じた。

 そんな彼女の態度を、翔は冷たいとは思わなかった。

感情が麻痺していたからではない。零子の葛藤が判ったからだ。


「ありがとう翔くん。私が行くまで、どうか一緒にいてあげてくれますか?」


 去り際に耳元で囁かれた言葉に翔は黙って肯き、医師に付き添われながら医療棟へと向かった。

 紫籐導星は甥と医師の手によって体を拭われ、眼のハンカチも包帯に変えられた。首から下をシーツで覆い隠せば、ただ目を病んで伏せっているだけのように見えた──寝ているのが検死台でさえなければ。

 医師が退出してから、翔は台のそばに寄せた椅子に掛け、ただただ叔父の横顔を見つめていた。のちに何度振り返ってみても、この時、自分が何を感じて何を考えていたのか、翔は思い出すことが出来ない。

 結局、一時間と経たずに零子はやってきた。


「おつかれさまです。あなたも、どうか休んでください」


 その顔に、先刻までの凜とした険しさはもう無かった。

 翔は椅子を譲り、部屋を辞した。言われなくとも出ていっただろう。自分と同じように、零子にも叔父とふたりきりになる時間が必要だ。

 だが、休めと言われて休めるはずもなかった。気が付けば、足は事務所前のラウンジに向いていた。そこに誰の姿を求めていたかは言うまでもないが、その願いは叶わない。凰鵡達が拉致された事実は、当然、翔にも共有されていた。

 ただ、翔が来たのを見計らったかのように、意外な人物が事務所から顔を出した。


「お久しぶりです」


 李巍狼だった。


「紫籐さんのこと、残念です。本当に…………」


 扉を後ろ手に閉めて、巍狼は頭を下げた。


「……なにがあった?」


 哀悼を表してくれる友人ダチに対する第一声がこれか、と内心で自分を罵りつつも、翔にはそれしか言えなかった。巍狼が来ていることまでは知らされていない。服装がオフィスカジュアル調だった以前と違って、ここで支給されるジャージ姿であることにも胸騒ぎを覚えた。

 そんな翔の心境を察してか、巍狼も顔を上げ、もとからまっすぐな佇まいをさらに正して応えた。


「はい。李巍狼、応援のため本部より出向いたしました。同時に、こちらへの合流をもって、第一区支部の、臨時副支部長として就任いたしました。よろしくお願いします」


 切れ長の睫毛のしたで、瞳が揺れた。


「ですが……到着が遅れたこと、本当に……申し訳ありません……」


 瞼を伏せ、肩を震わせながら。巍狼は今いちど──そしてさらに深く──翔に頭を下げた。




「そう。貴方は、最後まで翔くんのことを……」


 検死台の紫籐を見つめる零子の目に、呪灰の眼鏡はない。


「みちさんらしいですね。本当に……」


 台の上に身を乗り出し、零子は冷たくなった想い人の頬を両手で包む。ひとつ、ふたつ……二度と微笑まぬ唇に、涙の雫が落ちる。


「お願い、私にも……何か……」


 耐えきれなくなった嗚咽を隠すように、シーツに覆われた胸板へと突っ伏した。


「嫌よ、みちさん。あなたまで、私を置いて…………」


 麻霧零子の静かな慟哭が、しばらくのあいだ、検視室の空気を震わせていた。




 白んでゆく街の空を、翔は窓際のスツール席から、見るともなしに眺めていた。

 隣には巍狼が掛けていた。


「……脱出できたのは……僕ら、ふたりだけでした」


 ふたり──もうひとりは《十六夜の孤月》である。

 ここへ到着したのは、翔が検視室にいるあいだのこと。警報を感じなかったのは対妖種用の結界が孤月を感知せぬよう、あらかじめ調整されていたからだ。

 その孤月は巍狼を背負って長々距離を駆け抜けたことによる消耗が激しく、いまは医務室で安静にしている。


「いえ、おそらくは僕らだけが……追い出されたのです」


 訥々(とつとつ)と語る巍狼の脳裏には、これまで視てきたどの悪夢にも劣らぬ光景がさまざまと甦っていた。

 四対一の攻防は嵐のように凄まじかった。余波だけで大気はうねり、砂塵が吹き荒れた。烈風と閃光が渦巻くなかで、巍狼の目には誰がどこにいるのかさえ見て取れなかった。

 それでも、ひとつだけ理解できた。嵐の中心にいるのは常に雲水だった。天奉達が果敢に攻めれば攻めるほど、怪僧は逆に泰然としてそのすべてを受け止め、いなし、はじき返した。

 みずからは動かず、的確な逆撃で仕留める。不動の妙技は巍狼も真嗚から見聞きしていた。だが、その力が敵に回ったときの恐ろしさを知ったのは、それが初めてだった。

 天奉の震波撃は無力化され、源の鉄壁の防御は崩され、ハウザーの剛力は捻じ伏せられ、日谷間の念動は跳ね返された。各々の特技も、純粋な肉弾戦も、雲水には掠り傷ひとつ付けられなかった。

 天奉、源、蓮座、日谷間……いずれも巍狼からすれば、同じ人間であることが信じられぬほどの強者である。ゆえに雲水の強さは、それこそ闘神か鬼神の化身ででもあるかのようだった。

 桔梗のメンバーは恐れ戦くよりも、むしろ隊長達に加勢したくて溜まらないという悔しさを顔ににじませながらも、与えられた命令をまっとうすべく、襲いくる衝撃波や念動の流弾から孤月と巍狼のふたりを守り続けた。

 その甲斐あって、巍狼達は念法と奇門遁甲を幾重にも駆使して、ようやく空間のなかに現世への裂け目を作ることに成功した。

 これで皆を脱出させられる──だが、そのあとは? 戻れたところで、雲水がいるかぎり、元の木阿弥となるのではないのか。

 疑念と不安がよぎったとき、孤月が巍狼に覆い被さって来た。

 雲水の巨体が──桔梗の陣形を一瞬で突破して──目前にあった。

 重い衝撃と、世界が遠ざかるような浮遊感があった。

 直後、ふたりは真っ暗闇の山中に転がっていた。自分達の開いた脱出口に叩き込まれたのだ。


「その時点で、時間は午前二時を回っていました」


 巍狼達が雲水に遭遇したのは日を跨ぐ前。異空間にいた時間は体感で三〇分もなかった。


「あれがどういう空間だったのかは、まだ分かりません。けれど、時間の流れは、あきらかにこちら側と異なっていました」


 あっちの数分が、こっちの数時間──ブラックホールを題材にしたSF映画に、そんな星の話があったな……と、翔は思った。


「僕らがこちら側に戻されたときには、脱出口は消えていました。雲水が向こうから閉ざしたのだと思います。他のみんなを救出することは現状では困難と判断して……それで、やむを得ず、ふたりだけで……」


 巍狼は声を震わせ、言葉を切った。

 なんとしても第一区に合流すべし。その目的を遂行するための苦渋の決断だった。

 雲水の目的は分からない。ただ過去の交戦記録や、異空間での闘い方を鑑みるに、源達を殺害する意図はないのだろう。その点は、孤月と巍狼のあいだで意見が一致していた。

 結果的に、雲水は衆の援軍から〝武力〟だけを削ぎ落としたことになる。それが狙いなのだろうか。だが何のために?


「ごめんなさい。僕らが雲水の動きに対処できていたら、紫籐さんも……」

「やめろ」


 二度目の謝罪を拒絶されて、巍狼は驚いたように翔を見つめる。

 かたや翔の眼は、テーブルに投げ出した自身の手へと、じっと注がれていた。

 そのまま、数秒の沈黙が流れた。


「なにが起こってるんだ?」


 叔父の死、凰鵡達の誘拐、第一区への大規模な応援、それを阻止した雲水、そして昨今の異様な静けさ……すべては一本の線でつながり、ひとつの点に集束するのではないか。翔にはそんな気がしてならないが、確証はどこにもない。状況が見えないがゆえに、自分がどこにいるのかも判らない。


「すみません。それは今は、僕の口からは……」


 そうだろうな、と、翔は相槌すら打たなかった。答えを期待してもいない。無理に問いただして、巍狼をこれ以上苦しめる気もない。

 ただその時、なんとなくだが、彼《、》と関係があるのだろうか、という予感が湧いた。

 ラウンジから見下ろせる支部の正門。そこに、ひとすじの影もなく、長身長髪の男が姿を現していた。

 顕醒が帰還したのである。


「行かないと」


 巍狼もそれを見て取ってか、スツールを降りた。

 だが翔に背を向けたところで、はたと立ち止まる。


「……翔さん」


 振り向いたその手には、一枚の紙片が握られていた。



     Side Ormu , Yui & Syuri



 凰鵡は目を覚ました。

 光に瞼を細めて狼狽える。

 またオメガの夢を視ているのかと思ったが、実際にはただの真っ白い天井だった。


「──朱璃さん?!」「ここは──?!」


 ベッドのうえで体を起こすや、隣でまったく同じ動きをしたものがいた。


「維さん!」「凰鵡!」


 互いに顔を見合わせて驚く。そしてまたふたりして、別のベッドへと顔を巡らせた。


「朱璃さん!」


 目を閉じたままの彼女の姿を見て取るや、凰鵡は跳ね起きて駆け寄った。


「ん……凰鵡、くん?」


 揺さぶって呼びかけると、朱璃はすぐに覚醒した。


「よかった。大丈夫? 痛いところない?」

「うん。私達、何が……あ、凰鵡くん、血!」


 言われて初めて、凰鵡は鼻の下に違和感を覚えた。腕で拭ってみると、赤い粉が袖を汚す。漸遠との戦闘で出血していたらしい。すでに乾いて久しいが、胸元や膝にもかなり滴下していた。


「ひどい……凰鵡くんこそ、痛くない?」

「うん、今はもう大丈夫。ありがと」


 少し噓をついた。鼻のみならず、身体のあちこちがまだ疼くように熱い。


「おはよ。どうもアタシら、またまたさらわれちゃったみたいね」

「あ、維さん──ええッ?」


 維の存在に気付いて一瞬笑みを見せた朱璃だったが、攫われたと聞いて即座に表情を強張らせ、視線を左右に泳がせた。

 凰鵡もゾッとして室内を見回した。何もかもが白い部屋だった。壁も床も白ければベッドまでもが純白だ。不思議と、照明はどこにも見えなかった。部屋全体が光っているとでもいうのだろうか。

 白い空間なら以前にも入り込んだことがある。だがくたびれた布地に覆われていたあそことは違い、この部屋は硬質で、傷もシミもない。いま造られたかのように清潔だ。それに、簡素ながら整えられている。人数分のベッドと、すみにはシャワーとトイレ。ただし仕切りや目隠しはない。


「監房、か……」


 維が壁に触れつつ室内を歩き回る。そう言われて凰鵡も納得した。

とはいえ、扉らしきものも見当たらない。自分達はどこから放り込まれたのだろう。


「なんにせよ、今までよりは待遇がいいわね。服もそのままだし」


 やれやれ、と維は肩をすくめてみせる。さすがに肝が据わっている、と凰鵡は感嘆する。攫われたのは自分も二度目だが、維にいたっては知るかぎりでも三度目だ。


「ッたく。いまどき、こんなお姫様キャラ流行んないってのに。おーい、アタシらを拉致って無事だった奴はいないわよ! 用があるンならさっさと言いなさい」


 皮肉を交えつつ維は天井に叫ぶ。

 凰鵡はまたも背筋を寒くして身構えた。カメラは見当たらない。視線も感じない。だがここが監房なら、監視されている可能性は充分にある。


「誘拐されたご身分で、ずいぶんとお元気ね」


 声が返ってきた。聞き覚えのない女の声だ。どこから響いてくるのだろう。部屋全体がスピーカーになっているとでもいうのか。


「ようこそ、我々の《ピット》へ。私のことは《室長》と呼んでいただこうかしら」

「室長? ピットなら穴長じゃないの?」

「つまらない悪口ね。言葉には気を付けない。あなたでなくて、あとのふたりをご招待してもいいのよ──ここにね」


 《室長》がそう言うや、ベッドとは反対側の壁が、ブラインドを上げるかのようにサッと開けた。


「いやァ!」


 朱璃が悲鳴を上げて目を背けた。

 凰鵡もまた嫌悪と恐怖に全身を貫かれた。だが一方で、眼はその光景に釘付けになる。

 頭がいくつも生えたもの、髪の毛で立つ生首のようなもの、脚が蜘蛛に似たもの、掃除機のような口吻のもの、巨大なアメーバのようなもの、ヒトのようでいてよく見れば違うもの、明らかにヒトではないもの。

 開かれた壁の向こうは、妖種の坩堝だった。

 その真ん中に、香音がいた。天井と床から伸びる触手に手足を縛められ、吊し上げられている。項垂れた顔に生気はなく、一糸纏わぬ素肌には夥しい傷が刻まれている。

 どんな責め苦を受けていたのか、想像するだけで凰鵡は吐き気がする。


「らぁ!」


 どぅ、と部屋全体が揺れた。維が手近な妖種の一体に蹴りを叩き込んだのだ。

だがその足先は敵を砕くどころか、その十数センチ手前で見えない壁に止められた。陵辱部屋にはなんの変化もない。映像か、それとも何らかの力で仕切られているのか。


「ちッ! ゲスなもん見せんじゃないわよ! こっちには未成年もいんのよ」


「ふふ、そうね。刺激が強すぎたかしら」


 現れた際と同様に、拷問の光景はスッと白一色の壁へ戻った。


「香音さん……!」


 朱璃が声を震わせる。

 凰鵡も震えていた。怒りと怖気で頭がどうにかなりそうだった。

 何とかして彼女を助けねば。そんな気持ちを押し流すように、状況は変化してゆく。


「で、何がお望み? 若い女の生気?」


 いつまた開くかもしれない壁を睨みつつ、維はゆっくりと後退って朱璃の背を撫でた。


「情報が欲しいのよ。あなた達のよく知る、顕醒という人について」


 予想外の要求に、凰鵡達はとくに意味もなく互いを見やる。


「顕醒?」

「詳しくは彼らから聞いてもらおうかしら。私は次の用事があってね」


 すると、部屋のすみに突然、みっつの闇と、ひとつの光が現れた。

 間を置かず、それぞれがひとりずつ、計四人の人影へと変わる。

 そのうちの二者に、凰鵡は悲鳴を上げそうになる。

 ひとりは先だって完敗を喫した《三世大観流の漸遠》。もうひとりは、維を捕らえた黒づくめの怪人、《命脈無き血嵐のラハ=ラト》である。

 イルマが彼を知っていたように、凰鵡もまた、その男を聞き知っていた。直接会ったことはないが、腕前さは衆内でも語り草となっている。彼の介入により任務を不首尾に終わらされた闘者も相当数いるほどだ。

 こんな手練れをふたりも引き入れている《室長》とは、いったい何者なのだ。

 その一方で残るふたり──ゴシック風ドレスの幼女と、ラフな装いの青年──には見覚えがない。


「あなた……アグイね」


 その幼女を見つめて、維が言った。

 凰鵡は心のなかで首を捻った。アグイという名、どこかで聞いた気がするが……


「……サイコイーター」


 朱璃の声でようやく「えッ」と声を上げて驚く。妖種の資料で読んだことがあるのを思い出したのだ。

 だが、サイコイーター=アグイは絶滅したはずだ。


「ええ、私はセレネ。あの男に手紙を渡してくれてありがとう」


 幼女はニヤリと不気味な笑みを浮かべてお辞儀をした。


「アグイ、三世大観流、それにラハ=ラトか。どうも目的が見えてきたわね」


 維が何を察したのか凰鵡にはまだ分からない。絶滅したはずの妖種、未来視を操る忍びの一派、名うての用心棒。この三者にどういう共通点があるのだ。


「あなた、あの男の女だけあって、よく御存知なのね」


 〝あの男〟という言い方は二度目だったが、今度の文脈で、凰鵡はそれが誰を指しているのかを理解した。兄のことだ。


「まさか。自分の手柄をベラベラ喋る奴じゃないわよ」


 ふん、と鼻で笑うように息を吐き、維はセレネの言葉を否定する。


「三世大観流の頭領さんがあいつに負けて評判落としたことだって、凄腕の用心棒さんが土を付けられまくって引きこもっちゃったことだって、まぁまぁキャリアのある人間ならみんな知ってるわ」


 ぞくり、と凰鵡の背筋が冷えた。維の言うとおり、顕醒という人は普段から、自分の任務や功績については何も話さない。ゆえにこの事実も凰鵡にとっては初耳だった。だが顕醒が勝っていたと聞かされても、心はまるで舞い上がらない。逆に、足元に暗い孔が空いたかのような気分だった。

 漸遠の流派もラハ=ラトも、兄に敗れた。ならば、彼らは復讐のために結託したのか。自分達や香音すら標的にして。

 これが、兄の成してきたことの代償なのか。強いということは、それだけ敵を増やし、他人をも巻き込んで恨みを買うということなのか。


「それにしても妙ね。アンタら、空間転移なんて使えたかしら?」


 凰鵡はハッとして、いつのまにかうつむいていた顔を上げた。維の口振りからするに、今さっきここへ現れた彼らの力は、もとから備わっていた超能力ではないらしい。

「知りたい?」セレネが言った「でも駄目よ。知りたきゃ力尽くで聞き出してみなさい」

 ふふん、と鼻で笑ってみせるセレネに、維はチッ、と舌打ちを返す。


「まぁ、今はいいわ。アンタは別枠みたいだけど──」


 維は話の矛先を最後の青年へと移した。


「──妙な力使うわね。ニューフェイスかしら?」


 その疑問は凰鵡も同じだった。先だっても彼ひとりだけが青銀の光から現れた。空間転移の一種にしても、他の三者とは異なる力らしい。


「あれ、無視されてるのかと思ってたら、オレだけ無名だった? ひどいな」


 青年は顔をしかめつつ、指で空中に円を描く。


「まぁ、獲物はみんな消してきたから、知られてないのも無理ないかも?」


 描かれた円の内側が、硬質な青銀色の輝きを帯びる。

 次の瞬間には、そこから真っ赤なバラが青年の手のひらに落ちた。


「《ミリアン・ザ・ブルースチール》。よろしく」


 バラが朱璃に向かってポンと投げられる。

 が、それは相手へ届く前に、横から割って入った維の中指に弾き飛ばされた。


「アタシの妹分に安っぽい色目使ってんじゃないわよ」

「《室長》の言うとおり、口の利き方には気を付けた方がいいよ」

 バラを投げた青年の手が、こんどは維に向けられる。


「でないと、さっきのオバサンより酷いことになるかもね。ほら、次はあんたの番だ」


 たちまち、青銀の輝きが維を包んだ。


「維さん!」


 凰鵡と朱璃の叫びも虚しく、光は空間の一点に集束し、その向こうの何処かへと維を連れ去った。


「それじゃ漸遠さん、ラハ=ラト、あっちをよろしくね」


 セレネが請うと、最初から無言だったふたりはなおも返事ひとつなく、その体を闇に変えて部屋から消えた。


「維さんをどうする気だ?!」

「安心していいわ──まだね。あなた次第よ」


 くっ、と凰鵡は奥歯を噛み締める。漸遠とラハ=ラトという二大脅威はひとまず去ったものの、残るふたりの力も未知数に等しい。


「あなたが、あの男の弟だか妹だかね。噂には聞いてるわ。けど、お兄さんのことはよく知らないみたいね」

「どういうことだ? お前も、兄さんを怨んでるのか?」

「怨んでる? あはは」


 セレネの口から乾いた笑いが上がる。顕醒に対する無知ぶりを馬鹿にされているようで、凰鵡の苛立ちは募る。


「やっぱりアグイについては、なぁんにも教わってないのね」

「何が言いたいんだ。アグイは絶滅したんじゃないのか?」


 ふっ、と幼女の顔から笑みが消えた。


「いいわ。視せてあげる」


 その瞬間、凰鵡のなかに何かが入り込んできた。

 ──アアアアア!

 最初は断末魔の悲鳴だった。そして光が爆ぜ、血肉が弾け飛んだ。

 ──ママ!

 歯を食いしばって叫ぶのを耐えた。決して声を上げてはいけない。そう言い聞かされていたからだ。ゆえに口を閉ざし、心も殺して、その光景を見つめるしかない。

 朝焼けの射し込む霧深い山中に、いくつもの叫びが木霊しては、光と血玉と肉片のなかに消えてゆく。

 破壊者はとつぜんやってきた。立ち向かった者も、逃げる者も、命乞いする者も、そいつは容赦なく爆散させた。隠れている者も、徐々に見つかって狩られてゆく。生き延びる道はどこにも残されていない。

 ただその場でじっと、自分の運命を待つほかない──昨日まで一緒に遊んだ友達、まだ思いを告げていない初恋の人、そして優しい家族……彼らの最期を否が応でも受け止めながら。

 絶え間ない恐怖のなかで、一刻も早い死を願いすらした。いま立ち上がれば、この身を隠す落ち葉の山は崩れ去り、破壊者はたやすく自分を見つけて葬り去ってくれるだろう。だが、それでも動けなかった。心のどこかで、まだ生きていたいと望んでしまう。

 ──お姉ちゃ──

 妹が消された。叫びを我慢出来なかったがために、見つかってしまったのだ。生意気で口うるさいクセに泣き虫で、手のかかる嫌な奴だ……と昨夜までは思っていた。今は彼女の死が、ただただ理不尽でならない。

 自分が隠れている葉山に、妹だった肉片が降り注いだ。目の前が崩れ、霧のなかに立つ破壊者の顔が見えた。

 限界を振り切れた恐怖に、意識が暗転した。


「やめてぇぇぇ──ッ!」


 隣から上がった絶叫で、凰鵡は目が醒めたように現実を意識した。


「朱璃さん!」


 頭を抱えてうずくまる朱璃の体を抱きしめる。凰鵡自身もまた、凍えたように震えていた。


(いまのは……!)


 たったいま脳裏を埋めた光景が心を圧倒していた。朱璃も見たのだろう。

いや、視させられたのだ。


「ええ。アグイが滅ぼされた、その日のことよ」


 凰鵡は愕然とする。アグイは他人の心を見透せるだけでなく、己の心を〝与える〟ことも出来るという。その力によって、自分達はセレネの記憶を追体験させられたのだ。

 それは虐殺の記憶だった。

 かつて目にした資料に、アグイが絶滅した詳しい理由は書かれていなかった。そのため凰鵡は、それを環境の変化や、他種族との生存競争の末の衰退によるものだと、勝手に想像していた。

 だが違った。彼らはたったひとりの人間の手によって滅ぼされていた。

 そして凰鵡にとって、それは余りにも残酷で、目を背けたくなる事実だった。

 なぜなら彼女らを滅ぼしたのは──セレネが最後に見た〝破壊者〟の顔は──若かりし頃といえど見紛うはずもない────


(噓だ……!)


 顕醒その人だったのだから。



     Side Kensei , Weilan and Othes



 顕醒と零子が地下隔離棟の一室に入ったとき、さして広くもない室内はすでに四人の人間でさらに手狭になっていた。

 医務室から復帰した孤月とイルマ。翔と別れてこちらに合流した巍狼。彼ら三人に囲まれるようにして、ベッドの縁に掛けているのは────


「お早いお帰りだが、少し間に合わなかったな。鬼不動さん」


 昨日、紫籐に仲間の捜索を依頼した妖種であった。保護されていた別組織から連行されてきたのだ。幾分か強引な手段が取られたようで、両手足には紋を刻んだ呪帯が幾重にも巻かれている。

 少し前から、この部屋では孤月らによる尋問が行われていた。だが成果が芳しくないのは彼らの表情から伝わってくる。


「色々と、手を尽くしてはいるンだけどね……」


 素顔のイルマが切れ長の眼をさらに細める。彼にして幸運なことに、その美貌はラハ=ラトの串刺しを免れていた。


「あたりまえだ。オレからはなんの情報も取れん。なにせ、さっきまで自分の役割すら忘れていたくらいだ」


 憮然とするイルマとは対照的に、依頼人は嘲るような笑みを浮かべる。


「忘却術だけやない」孤月が言った「呪い、薬、催眠に外科手術。あの手この手で記憶を全部引っこ抜いて、ミチ(、、)めるための台本みたいなんを植えつけられとった。ここまでメチャクチャなんは、そうお目にかかれへん」


 この妖種は〝依頼者〟を演じさせられていた〝罠役トラッパー〟だったわけだ。背後に本隊がいるのは間違いない。だが、そこへの糸口は完全に断たれている。


「この徹底ぶりは」巍狼が零子に囁く「おそらく支部長の眼力を封じるためでしょう」


 つまり相手方は突発的に衆と対立したのではなく、綿密な計画のもとに作戦を仕掛けてきたのだ。


「わかりました。顕醒さん、お願いします」


 零子の要請に、す……と音もなく顕醒が罠役の目の前に立った。


「どうだ。さすがの貴様も、ちょっとはガックリきてるのではないか?」


 衆最強の闘者を前にしても、罠役は挑発的な態度を崩さない。

 だが顕醒もまた、眉ひとつ動かさなかった。


「……あいかわらず、血も涙もない奴め」


 期待していた反応が皆無だったことに、罠役は初めて苦々しげな表情を見せた。


「知っていることをすべて話せ」

「おいおい、いまの話を聞いていたか? でくの坊。知りたければ、俺の時間を戻してでもみるのだな。ああ、だがひとつだけ、力を授かっていたのを思い出した」


 罠役の体がみるみる闇色に変わってゆく。


「貴様の無念顔が拝めないのなら、こんなところにいる理由もない。俺は帰らせてもらう」


 闇が渦を巻き、空間の一点に罠役のシルエットを吸い込んでゆく。昨朝、山房で妖種が姿を消した時と同じだ。


「転移?!」「させるか!」


 巍狼が印を組み、孤月は部屋じゅうに呪符を展開する。

 だが、そんなものでは止められないと知っていてか、罠役は嘲笑とともに言い放つ。


「あばよ、偽善者ども」


 闇が集束し、主の姿を部屋から消した──かに思えたが──


「唵」


 顕醒がひと声発するや、闇はふたたび膨張し、主をベッドに吐き出した。


「……?! 貴様、なにをし! ──ゥァガ」


 目を剥いて動揺したのも束の間に、罠役は白眼を剥いて仰け反った。全身で見事なブリッジを描きつつも、いまにも崩れ落ちんばかりにブルブルと震える。


「顕醒さん──?!」


 声を上げた巍狼の肩を、零子が掴んで制する。そして逆の手で呪灰の眼鏡を外した。

 罠役の肉体が変化を始めていた。頭部と四肢が胴体に同化しつつ、口と目玉は肥大化して突出してゆく。ナメクジに似て非なる軟体──それが彼本来の姿なのだ。


「マヅチ……?!」


 巍狼がその種名を口にした。ヒトの姿が擬態であることは分かっていたが、種族の特定までは出来ていなかった。あるいは本人すら忘れ去っていたのかもしれない。

 だが巍狼が真に驚いたのは、罠役の正体そのものではない。マヅチであるはずがない、という整合性の齟齬だ。彼らはヒトへの変身能力を持たない。まして空間転移など……


「視えました。ありがとうございます顕醒さん」


 零子が眼鏡をもとに戻した。


「巍狼くん、あとをお願いしても? 私は至急、作戦の準備にかかりますので」

「……わかりました」

「気を楽にしてください。顕醒さんにお任せすれば大丈夫ですから」


 支部長の気遣いは、巍狼にとっては少し的外れなものだった。顕醒が罠役の逃亡を阻止したところまでは分かる。問題はその直後だ。情報を引き出すために、さらに気で何かを仕掛けたのは明らかだ。零子の態度から察するに、彼女はそれを把握していた。

 だが顕醒は何をしたのか。そしてそれは衆の倫理規定の範疇なのか。説明を求めたい一方で、いまは零子の判断を信じたい気持ちが勝っているのも事実だった。


「おばさまは私と一緒に」

「はいよ」


 孤月がふたつ返事で零子に従い、ともに部屋を出た。巍狼、イルマ、顕醒、そして罠役がその場に残された。


「何をしたんだい?」


 室内に静寂が戻ったところでイルマが訊ねた。

 顕醒はその問いを無視した。そして、なんの感情も見えない声で罠役に問うた。


「その力をどこで手にいれた?」

「お、《鬼》……」


 巍狼はふたたび目を円くし。イルマも息を呑んだ。


「最初から、すべて話せ」

「お、わ、我々は……団結した」


 顕醒に問われるままに、罠役が答え始めたのだ。


「アグイ、豹猩ひょうじょう、かさね、ソギグモ……」 


 彼になにが起こっているのか。それを理解しているのは顕醒と、退出した零子だけだった。

 顕醒の力は、罠役の時間を逆行させていた。

 たとえ記憶を完全に失ったとしても、肉体そのものが別人になったわけではない以上、当人の〝過去〟は、〝現在〟を構成する素因として、その体に残っている。

 コンピューターに例えて言うなら、過去とは〝決して消すことの出来ない内部ログ〟のようなものである。顕醒はそこにアクセスし、現在の罠役の表層意識へと強制的にアップロードさせつつ、衝動性と紐付けることによって、否が応でもその口から語らせているのだ。


「そのほかの、名もない大勢の連中……三世大観流……命脈無き血嵐……我々はたとえ、《鬼》に魂を喰らわれるとも……すべては……復讐ために」


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