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窮之節 捌 『燐』


     Side Selene , Zenon & Raha=Rath



 破壊と死が第三層を席捲していた。

 爆炎がのたうち回り、空気は裂け飛び、あらゆる物体が引きちぎられた。

 十トン級のトラックも行き来できそうな大通路、ヒトふたりがすれ違うのがやっとの隘路、装飾に彩られた広間、仮眠用のベッドだけが置かれた小部屋……そのすべてが目に見えない巨大なシュレッダーに掛けられてでもいるかのように、砕け、押し潰され、混ざり合って、また砕け散る(そのなかには維がモニター越しに垣間見た食品精製工場もあった)。

 豪雨のような弾丸、鋭い爪に牙、無数の触手、毒ガス、強酸の粘液、手榴弾の爆風、怪音波、そして念動力……他者を殺傷しうる、ありとあらゆる力が、何もかもを巻き添えにしながら、顕醒ただひとりへと注ぎ込まれていた。

 セレネを旗手とする妖種同盟だけではない。警備隊から施設整備係まで、生き残った《ピット》の職員達もまた、持てる限りの武装をもって鬼不動の侵攻に抗っていた。ヒトと妖種という種族の垣根を越えた総力戦だった。

 だが彼らの猛攻はまた、玉砕と同義であった。肉弾戦を挑んだ者は言うにおよばず、銃撃や超能力戦を仕掛けた者すら、次の瞬間には悲鳴を上げる間もなく光と散った。

 それでも攻撃の手は止むことがない。逃げ出す者もいない。幾人もの同僚や盟友が散ってゆくのを目の当たりにしてなお、次は自分だとばかりに、新手が顕醒へと挑みかかる。

 火と知りながらそこへ飛び込んでゆく夏虫の群れか。闘争と死に魅入られた狂奔者達による集団自殺の祭典か。あるいは、はなから彼らのなかに理由などないのかもしれない。「顕醒討つべし」という執念に取り憑かれ、操られるだけの傀儡であったとしたら…………

 ふと、顕醒はようやく足を止めた。

 広々とした円形のホールだった。この第三層の各エリアに設けらている大型交差点のようなものだ。その中央には、第四層へと降るための階段がある。

 だがその入口はいま、みっつの人影によって封鎖されていた。


「見事だ」


 漸遠の声が静かな堂内に木霊する。彼女の体は、それまでなかった赤黒い鎧を纏っていた。

 職員と妖種達による総攻撃は沈黙していた。一滴の血玉さえ残らぬ、文字通りの全滅だった。


「顕醒!」セレネが叫んだ「またアンタは殺した! 私の仲間達を、何の躊躇いもなく殺した──!」


 この場においては妖種達が先に顕醒を攻撃したのだから、セレネの怒りは横柄に聞こえる。だが彼らにとっては自分達の殺意こそが正当であり、顕醒の反撃は不当なのだ。


「やっぱりアンタは人間じゃない。鬼……殺人鬼よ! この奥底にいる奴と何が違う?!」


 足下を指してセレネはなおも糾弾する。


「なのに……どうしてあの時、私を生かした? 答えなさい! なぜ私だけ殺さなかった!!」


 今なら分かる。この男が標的を見落とすことなどあるはずがない。あれは、あえて見逃されたのだ、と。

 真っ向から問い詰めつつ、セレネは仇敵の心を透かし視ようとする。それでも、答えは返ってこなかった。

 顕醒のなかには、一片の言葉も、情動もない。完全な虚無。そんな心境が人間にあり得るのか。この男は、本当に生きた人間なのか。疑惑と不安がセレネを怖じけさせる。

 と、ラハ=ラトの手がセレネの目の前に掲げられた。無益なことに力を使うな、という気持ちが伝わってくる。


「そうね……どうせ、ることに変わりはないもの!」


 セレネはようやく顕醒の心から退いた。フッと溜息を吐き、あらためて双眸に殺気を漲らせる。それが合図だった。

 そこからの一瞬の攻防は、三人にとっては一時間のようにも、一日のようにも感じられた。

 まず漸遠とラハ=ラトが動いた。常人の目には「消えた」としか見ない動きだ。衆では《雲脚》と呼ばれている駿足の技だ。瞬きする間もなく、顕醒の前後から挟撃する。

 正面から肉薄したラハ=ラトが全身から赤い縄を展開させ、顕醒を幾重にも包囲する。

 そこはすでに鬼不動の絶対防衛の領域である。妖種のほとんどはここに踏み込んだが最後、見えない壁に灼かれるかのように消え去った。

 だが、ラハ=ラトの身には何も起こらない。


(やはりか──!)


 勝利を確信しながら、漸遠も装甲を双剣へ変化させて背後から襲いかかる。鎧と見えたのはラハ=ラトの一部なのだ。

 顕醒の気の正体は〝彼自身の意志〟。消えろと念じれば相手を消せる。ならばこちらも、存在し続けようとする強い意志を持てば対抗できるのではないか。自己の強さ──それが三人の結論であり、勝利への賭けだった。

 それでも、相手は鉄の精神を持つ鬼不動。ひとりひとりが気力を奮い立たせたところで各個撃破されるのは必定。ゆえに漸遠達はセレネの力を使い、三者の精神をひとつに同調させるという手段に出た。

 いま、セレネと漸遠とラハ=ラトは三人にしてひとり、分体にして一体だった。そして自己の存在に対する三人ぶんの意志の結集が、ついに鬼不動の必滅の技を破ったのだ。

 さらに精神の同調は、各自の力の共有をもたらしてもいた。

 変幻自在の血塊と強力な未来視を併せ持ったふたりは、もはや如何なる状況、如何なる可能性にも対応できる無敵の存在と言えた。

 顕醒の背に狙いを定めるさなかにも、漸遠の力は未来に起こりうる無数のパターンを頭のなかに展開させ、その結末までを一瞬にしてシミュレートする。突くか、払うか、斬り降ろすか──手段の数だけ結果は変わる。その先も、そのまた先でも、際限なく枝分かれしてゆく。それを〝視る力〟こそが三世大観流の未来視だ。そして数多の未来から最良の一筋を、いかに素早く正確に選び取り、実行するかが、使い手の優劣を決める。

 一秒にも満たない思考のさなかに、漸遠は完全勝利への糸筋を見出す。あとはその糸を手繰り寄せるのみ。

 漸遠が刃を袈裟斬りにせんと構えるや、顕醒が動いた。距離を取ってきっさきかわす気だ。だがその一歩が命取りとなる。

 ラハ=ラトの縄が有刺鉄線のような針を展開させて顕醒に絡み、動きを封じた。その機を逃さず、漸遠は刃の向きを巧みに切り替えて、背後から宿敵の喉と胸を刺し貫いた。

 勝った──ついに鬼不動を降した。三人ぶんの歓喜と陶酔がひとつに重なり、無上のハーモニーを奏でる。

 が、その総奏は、瞬く間に崩壊した。

 貫かれた顕醒の姿が、光となって消えたのだ。


「カーン」


 不動明王の妙号がセレネの背後から聞こえたときには、何もかもが遅かった。

 いつからそこにいたのか。どこでダミーと入れ替わったのか。そして、どうやってセレネと漸遠の力を欺いたのか。

 何ひとつ分からないまま、三人は顕醒の放った必滅の光に呑まれていた。



     Side Ormu , Yui & Syuri



(──竜王!)


 闇の《扉》を抜けた瞬間、凰鵡は念を送った。懐の宝剣が右手に現れ、光が巨腕を裂いた。


「う……!」


 縛めを脱した凰鵡だったが、地上に降り立つや、目の前の光景に絶句した。

 壁一面に、異色の光が渦を巻いていた。チャクラメイトの生んだ妖胎児──廣距おぶせこはるの変じた妖蛾──そしてこれが三度目の邂逅となる、〝世界を喰らう光〟にして〝向こう側への扉〟……異界門だ。

 一体、何が起こっているのか。状況を把握できないまま、凰鵡の眼は、異界門の前に据えられた祭壇を捉えていた。

 組み方からして神道のものだろうか。その壇上も足下も、血と肉とでドロドロに汚れている。生贄の儀式でも行われたのか。

 すると──べしゃり──赤黒い壇に、粘液まみれの鬼女童が落ちた。生まれたての小馬のように震えながら、血に滑り、肉片を蹴散らしつつ、立ち上がろうとする。

 唐突に出現した妖種に驚きつつ、その出所を追って、凰鵡は視線をさらに上へと巡らせる。

 腹の裂けた鬼女童がいた。彼女が《母体》と呼ばれる存在であることを、凰鵡は知らない。まして、自分とどういう繋がりがあるかなど…………

 そして、度重なる混乱を抱えたまま、凰鵡はついに、そいつの全貌を認めた。


(あ……ぅ……!)


 肌から骨の髄までが、一挙に凍りついたようだった。《母体》を腹に宿した巨影は手足を壁に埋められながらも、もの言わぬままに凰鵡を圧倒し、立ち竦ませた。

 《鬼》──形容でも二つ名でもない。凰鵡にとっては初めて目の当たりにする、本物の鬼だ。憎悪を湛える眼、怒りを剥き出しにする顎、殺意を体現した角──それでいて、岩塊にも似たむくつけきその肉体はなぜか、歓喜にうち震えているように見えた。

 さらに凰鵡を怯ませたのは、偉容だけではなかった。


(こいつだ……!)


 脳裏に閃く確信が心を磔にし、不穏と混乱の鎖で身体を縛りつけていた。

 先刻から感じていた、呼び声のような怨念の正体である。

 なぜ《鬼》が自分を? 判らない。だが、間違いなくこいつだと感じる。その矛盾に、凰鵡は当惑するしかない。

 ダメだ。今は、呑まれてはいけない──怖気を振りはらい、強風に抗うように、両足で大地を強く踏みしめる。

 祭壇のうえで蠢いていた鬼女童が立ち上がった。しかし襲いかかってくることもなく、血と粘液にまみれた凄惨な顔で、静かにこちらを見下ろすだけだ。

 その時になって、凰鵡ははじめて女の容貌に、誰かの面影を見た気がした。


(──!)


 瞬間、足下から噴き上がってきた殺意に、凰鵡は居場所を譲った。

 幾本もの巨大な指が大地を突き破って、凰鵡のいた場所を握りしめた。その指の一本一本が、鬼女童の身体だった。跳び退っていなければ完全に手中だっただろう。

 ──オオオオォン──

 風の唸りが壊れたような大音声が穴底に響いた。

 《鬼》が、鬼女童達が、一斉に吼えていた。

 来る……ふたたび確信が凰鵡を貫く。《鬼》の憎悪と忿怒はいま、確実に自分へと向けられている。理由は分からない。だが、闘わねばならない。

 この《ピット》に渦巻く悪意の元凶がこいつならば、自分が倒してみせる。


おん……! 倶利伽羅竜王、ボクに力を──!)


 光刃が勢いを増した。凄まじい霊気と闘志を受けた刀身は二メートルを超え、身幅は膨れ上がって枝分かれした──あたかも神剣・七支刀のように。


「悪鬼、その瞋恚しんにを鎮めるならば、我も剣を納めん。さもなければ……討つ!」


 剣を霞に構え、七つのきっさきとともに、最後通牒を突きつける。

 ──ォォオオオオオオン──

 唸りは止むどころか、いっそう激しく鳴りすさぶ。

 壁から、床から、何十という巨腕が突き出てくる。ロボアームは旋回し、ケーブルまでがひとりでにちぎれて、蛇か触手のようにのたうって凰鵡に狙いを定めた。




 がらんとした食堂のなか、イルマはひとり椅子に掛けて、待っていた。

 細筆で引いたような眉が、クッと顰められる。

 ピリ……と、空気が焼けるような違和感が鼻を突いていた。

 と、その瞬間、部屋の隅の扉をぶち破って、維が駆け込んできた。


「イルマ──元気そうね! 香音さんは?!」

「いまは向こうで診てもらってるよ」


 頭上を指さして答える。白魚のような食指の先には、まだ闇が口を開けていた。《ピット》と支部とを繋ぐ《扉》である。妻の救出後、イルマはこの《扉》の場所を守備しつつ、脱出してくる維達を待っていたのだ。


「そう! 凰鵡と朱璃ちゃんは?!」

「まだだね」

「まだァ?!」


 香音の無事に安堵した維の表情が一転して焦躁に染まる。


「まさか鬼女童に……足留め喰らって」


 やられた、とは心が裂けても考えたくない。顕醒から託された力もあって自分はなんとか突破して来られたが、凰鵡のほうは朱璃が一緒で、思うように対処できていないかもしれない。鬼女童達が溢れ出したときになぜ気付かなかったのだろう、と頭を掻きむしる。


「大丈夫。もうすぐ来るよ」


 なぜそんなことが分かる、と維が問う前に、イルマは腕をまくって見せた。キャンバスのような白い肌に、眼球に似た呪紋が刻まれている。


「さっき孤月さんに描かれた」


 維も納得した。《ピット》の構造図だけなら、自分も思念として受け取ったが、いまのイルマは呪紋の力で、より正確に全体像を把握できているわけだ。


「けど、まずいね」


 そう言いながらイルマは立ち上がり、覆面を被った。


「は? なにが……」


 眉を顰めた瞬間、維も違和感を覚えた。

 ヤスリが触れたような、ザラリとした不快さ──異空間が消える前兆だ。


「《ピット》が、末端から消えようとしてるらしい」

「末端って……つまり、ここから?」


 維が言い終えるが早いか、食堂が裂けた。ふたりのいるわずかな場所を残して、壁といい床といい、ありとあらゆるものが虚空に霧散し、不安定な〝色〟の世界へと還元されてゆく。


「維さん!」


 その彼方から朱璃の声がした。皮肉にも壁が消えたおかげで姿が見えたのだ。そして脱出路も一直線に……と思いきや、翔とふたりして、消えゆく床に立ち往生させられている。こちらまで距離は十メートル弱か──朱璃を担いだままの翔に跳び越えられる距離ではない、と維は見切った。

 見下ろせば、第二層の床が遠い。翔はともかく、落ちれば朱璃はひとたまりもあるまい。

 アタシが行くしか──ふたりのもとへ跳ぼうと身構えた刹那に、疑念が思考を駆け抜ける。


(凰鵡は──?!)


 それが維を出遅れさせた。


「朱璃ちゃん動くなよ!」


 翔が朱璃を抱えて跳んでいた。


「い、いやぁぁあああ──!!」


 そして、朱璃だけが突っ込んできた。

 空中で翔が突き飛ばしたのだ。


「バ……!」


 維も思わず罵倒しかける。叔父のような必中の力を持っているわけでもないというのに。

 だが、射ち出された朱璃の体は下向きの放物線を描きながら、吸い込まれるように維の腕へと飛びこんだ。

 それでも、ふたりに安堵する暇はない。空中で何かを投射すれば、射ったほうは反動で減速する。とうぜん、翔に着地する足場などない。


「翔!」「翔くん!」


 はるか下方へと落ちてゆく翔──地面に直撃かと思いきや、消え残っていたカフェテラスのオーニングテントにバウンドして、無事に着地してみせる。第二層が商業フロアだったために叶った奇跡だ。


(いや、アイツ一瞬でぜんぶ把握して──?!)


 もしそうなら驚嘆すべき判断力だ。しかし落下中にオーニングが消滅していた可能性もあると思えば、やはり蛮行というほかない。

 それに、そこから維達のいる脱出地点までの高さはかなりのもの。足場になるものもない。復帰は絶望的だ。


「維さん! 朱璃ちゃん! 先に行っててくれ!」


 立ち上がった翔は、余裕だとでも言いたげに、笑顔で手を上げてみせる。

 維も朱璃も、己の眼と耳を疑った。


「翔くん! まさか凰鵡くんを……!」


 床の端にかじりつくようにして朱璃が叫ぶ。


「凰鵡──」ハッとして維は朱璃を見る「──凰鵡は、まだ下に?」


 朱璃は泣き出さんばかりの顔で肯く。


「大丈夫! 絶対に連れて帰る!」


 彼女の表情を彼方から見て取ったか、翔はなおも笑顔で叫び返す。


「バカ、無茶すんじゃないわよ! ならアタシも行くわよ!」


 自分も跳び降りようとした維だったが────


「好きに、させてやってくれないか」


 イルマの声がそれを止めた。


「彼も、大きなものを失ったんだ」


 違和感と不安が、維のなかを駆け抜けた。

 無いのだ──こんな時、必ず翔の近くにいるはずの彼の気配が、どこにも。


「やめて!!」


 イルマの声が聞こえなかったのか、朱璃がなおも呼びかける。


「きみに何かあったら、紫籐さんが悲しむよ!!」


 数秒の沈黙があった。翔の眼が遠くに泳いでから、ふたたび朱璃へと笑みを送る。

 それで、維の不安は確信に変わった。


「もう、その心配はねぇよ!」


 そう言い残すや、翔は消滅の進む第二層から、さらに下層へと飛び降りていった。


「……え?」


 朱璃は言葉を失った。何かが……あってはならない恐ろしい何かが起こったのではないかという暗い予感が、心を覆っていた。




 《鬼》の猛攻が穴底を揺るがせる。

 なにもかもが凰鵡の敵だった。

 合体と分離を繰り返しながら襲い掛かってくる鬼女童達。縄や網となって体を絡めてくるケーブル。その質量を容赦なく振り回すロボアーム。

 嵐か怒濤か、あらゆる方角から休む間もなく迫ってくる殺意のなかを、凰鵡は縦横無尽に駆け抜け、跳び回った。

 鬼女童の波状攻撃を撫で斬りにし、巨腕を真っ向から両断した。ケーブルに絡め取られれば気を送って破裂させ、鞭のようにしなる先端に打たれても追撃を許さず斬り払う。ロボアームが迫れば回し蹴りで真っ向から蹴り飛ばし、怯ませた隙に壁へと剣を投げ、根元から断ち切ったところで手中へ呼び戻す。

 かつてないほどの多勢に無勢にもかかわらず、凰鵡は一歩も退かない。動きも顔つきも、これまでとは別人のように鋭い。

 それでも、闘志はゆっくりと蝕まれつつあった。敵の攻撃を完封している一方で、凰鵡のほうも《鬼》に有効打を決められないでいた。なんどか懐に飛びこんで斬りつけはしたものの、頑健な肉体を浅く斬り裂くのが精一杯だ。しかもその傷さえ、次の瞬間には塞がって癒えてしまう。

 オメガと融合して格段に霊力の増した自分が揮う倶利伽羅竜王が、ほとんど無力とは。

 鬼女童も同様だった。胴体をふたつにしようが首を落とそうが、意に介さずそのまま襲いかかってきたり、別の群体へと加わってしまう。気で爆散させても同じだ。肉の一片が、血の一滴が生きている。

 一糸乱れず連携してくる様は、まさに壁に埋められた本体の意志を忠実に実行する手足であり、武器であり盾でもあるようだった。

 これが《鬼》か──強靭さと再生力では、あの邪願塔の巨人すら軽く凌駕しているのではないか。せめて兄と同じくらい強力な気で、完全に焼滅できさえすれば…………


(そうだ……やるんだ、ボクが──!)


 兄と比べてしまう己の弱気癖を振り切って、凰鵡は着地と同時に、全霊で意志を放った。


(近寄るな!)


 強い拒絶の気である。半径五メートルほどの見えない球状の壁が張られ、触れるすべてを弾き返した。


「ナウマクサマンダバザラダンカンマン──!」


 不動明王の真言を唱え、剣にさらなる闘志を注ぎ込む。


(ボクは倒す……お前を、この世から、消す!)


 闘志だけではない。相手を亡き者にせんとする殺意、怒気、そして倒さねばならないという使命感をも一点に集中させる。

 倶利伽羅竜王の竜頭が光刃を呑み込み、顎を閉ざした。炎の舌先のような光を口の端から漏らしつつ。掌のなかでガクガクと震えはじめる。


(竜王、もうすこし、ボクに力を貸して!)


 それは凰鵡流の《無極の殺法》だった……真嗚や顕醒のあやつる最大最強の奥義を、宝剣を用いて再現しようとしているのだ。


「カァーン!」


 絶対に討ち滅ぼす。その一念を持って、凰鵡は剣を突き出した。

 鬼女童の群体……ケーブルの束……本体を守ろうと壁になったあらゆるものを貫いて、光刃が《鬼》を撃った。

 太陽が爆発したかのような閃光が、穴底を包んだ。



     Side Shou



 ──およそ三分前に遡る。

 頭のなかの構造図を頼りに、翔は目的の部屋を見つけ出した。この最下層はまだ消滅を始めていない。

 上層が消えているのは《鬼》が不要な箇所を切り捨てているからなのか……ここへ辿り着くまでのあいだに、翔はそう推理していた。

 ロックされた部屋の扉に異銃の一発を見舞って、蹴り破る。

 球形の室内は〝世界を喰らう光〟で満たされていた。外に漏れ出てこないのは、天井に接続された導管から《鬼》のもとへと流れているためだ。

 部屋の中央には、花のように変形した鬼女童と、その花芯のうえに浮遊する眼球がひとつ……翔は躊躇いなく異銃を放った。

 光の奔流が鬼女童を呑み込み、壁から色が消えた。

 浮力を失った眼が地面へ落ちる前に、翔は左手に構えていた呪符で素早く掴み取った。このために零子がくれたものだ。包んでおけば外部からの破壊をあるていど防げるうえに、腐敗も遅らせられるという。

 本当なら、この眼の奪還こそが自分の任務だった。だが途中で凰鵡と朱璃が逃げあぐねているのに気付いて、つい加勢してしまったのだ。

 こんな眼さえなければ……翔は包みを握った拳を額に当て、項垂れる。

 邪眼の魔力は〝向こう側〟に通じる力──いつか叔父はそう言っていた。

 《妖界ようかい》。それが〝向こう側〟の、もうひとつの呼び名だ。自分達が住んでいる《人界》とは、あらゆるもののバランスが逆転した世界だという。そして妖種とは本来、《妖界》に生息している人類なのだ。

 平素、ふたつの世界は見えない壁のようなもので分断されている。だが何かの拍子で偶然綻びが生まれ、妖種や、その因子がこちらの流入してくることがある。その因子に曝露したヒトは謎の病に罹患したり、ごく稀に異能を獲得したりする。また曝露者が妊娠中の女性だった場合には、本人ではなく胎内の子に発現することもある。

 紫籐導星はまさに後者の例だった──それも、物理を捻じ曲げるほどの強力な魔力を眼に宿して生まれた。ゆえに、異界門を開くための絶好の触媒として、《室長》達に狙われたのだ。

 呪符に包んだ叔父の眼を左手に握ったまま、翔は走った。壁や床に飛び散る血塊を避けながら、狭い通路を進んだ。

 やがて『管理室』と銘打たれた扉へと辿り着き、正面から開け放った。

 室内の惨状を目にしても、翔は眉ひとつ動かさなかった。

 通路以上の血の海だった。職員は残らず頭を吹き飛ばされて絶命していた。

 ひとりだけ生きている者がいた。乱れた髪、破れた服、露わになった素肌……全身が血肉片で汚れていた。奧の壁に背を預けて、肩で息をしながら、射ち尽くされた拳銃をなおも握りしめていた。


「触媒を取ったのはあなた?」


 虚ろな表情で問うてくる《室長》に、翔は無言で肯く。


「無駄よ。いまさら触媒なんかなくたって、《鬼》はもう自分の力だけで〝向こう側〟に繋がっているわ」


 関係ない、という答えが喉元まで昇ったが、翔は何も言わなかった。言ったところで何の意味も無い。


「……男なんて、脆いものね」


 《ピット》が壊滅して自暴自棄になったのか、《室長》は訊かれてもいない事の顛末を話し始めた。

 システムは《鬼》に乗っ取られ、セレネ達は全滅。脱出は不可能。下には《鬼》、上からも《鬼不動》。死は不可避。最下層に残された職員達は完全なパニックに陥った。


「自分から死んだ奴はまだマシ。仲の悪かった者同士がこれ幸いに殺し合ったり、すべての責任を私に押し付けて〝抱かせろ〟なんて言う輩まで出てきて……今までさんざん鬼女童を抱いてこられたのは、誰の計らいだと思って……ホント、男って最悪」


 まとまりに欠ける独白を右から左へと聞き流しつつ、翔は床から拾ったケーブルで《室長》の両手脚をしっかりと拘束した。

 ガタガタと揺れる窓ガラスに近寄って、最下層のさらに奥底を覗き込む。

 探していた姿はそこにあった。もう翔などでは助太刀の「す」の字にもなれないような激戦を、たったひとりで繰り広げていた。


「あの子も残念ね。気付いてないみたいだから、しょうがないけれど」

「何にだ?」


 《室長》の言葉に、翔は初めて反応した。


「《不動》というのは意志を力にするのでしょう? けれど《鬼》は思念や感情を喰らうの。つまり、あのお嬢さんが頑張れば頑張るほど、《鬼》に栄養を与えるのと同じよ」


 翔は舌打ちをした。


(凰鵡──!)


 取り縋るように、窓へと顔を近づける。

 その瞬間、室内を白く染めるほどの閃光が、穴底から迸った。


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