【23話(2/5)】黒刃と鮮血
課長は美咲の手を引き、とある部屋へ向かっていた。
美咲の片腕には、幼木の鉢が抱えられている。
「おばちゃん、さくらちゃんとどこいくの〜?」
「安全なところよ。危ない人が近くまで来ているの」
二人が入ったのは、ソファとテーブルが置いてある応接室だった。
「ここなら大丈夫。美咲ちゃん、この部屋にいてね。危ないから外に出ちゃダメよ」
「えっ、ここ、だめなの?」
「いいえ。外に危険な人がいるの。だからこの部屋の中にいて。いいわね」
「えっ……ん……」
課長は扉を閉め、出て行った。
美咲は困ったように「さくら」を見つめる。
『美咲、何してるの!早く逃げてってば!』
先ほどから、さくらがずっと逃げるように騒いでいるのだ。しかしその声は美咲にしか聞こえない。
「だって、おばちゃんが」
『さっきから何だか嫌な感じがするの!前に逃げた時みたいに、さくらが案内してあげるから!』
「んんー、でもぉ……」
迷う美咲に、さくらは懸命に発破をかける。
そうしているうちに、足音が近づいてきた。
『あぁっ、気をつけて!何か悪しきものが来る!美咲、しっかりさくらを持っててね!』
美咲は鉢植えを抱え、ソファの後ろにしゃがんで様子を窺った。
扉が開き、姿を見せたのは——小昏だった。
「あっ……!」
美咲を普通じゃないと言った人。
そして、湊さんが戦っていた人。
「久しぶり、美咲ちゃん」
笑みを貼り付け、小昏が近づいてくる。
美咲は距離を取ろうとして立ち上がった。
その腕に抱えられているのは、薄い桃色の苗木。
小昏は感嘆の声を上げた。
「おぉ、それが幼木!神木さまの御子!あぁ、なんと美しい!」
小昏は猫撫で声で美咲に迫る。
「ねぇ、美咲ちゃん。それ、お兄さんにちょうだい。然るべき人間が保護してあげないと……そう、僕のような、神木さまへの理解がある、優秀な信奉者が……!」
『美咲、逃げて!早く早く!』
さくらに急かされ、美咲は幼木の鉢を抱え、部屋の奥へ逃げた。小昏はじりじりと美咲を追い詰める。
『あぁっ、違う違う〜っ!出口!出口に逃げないと!』
美咲は少しずつ後ずさり、部屋の隅に追い詰められてしまった。
「大丈夫。素直に従うなら痛めつけないよ。ほら、ちょうだい」
美咲は鉢を抱きしめて、背を向けた。
「だめっ」
「はぁ……どうして?」
「おともだちだもんっ!みさきといっしょ!」
小昏は苗木に手を伸ばそうとしたが、美咲はぶんぶん激しく身体を揺すって、その手を振り払った。
「やだっ!」
小昏は苛立ちを隠せず、乱暴に美咲の肩を掴んだ。
「ガキが!いい加減にしろっ!」
「いやぁっ!やだっ!」
美咲は丸まって懸命に苗木を守る。
「どうして?どうしてこんなガキがっ……!どうして僕が選ばれなかったんだ!?」
涙を滲ませた美咲に向けて、さくらの声が響く。
『美咲、もういいよ!それにさくらを渡して!さくらが頑張ってみるから!』
「いやっ、さくらちゃん、おともだちだもんっ」
『いいのよ!さくらが制してあげる!さくらを出してみて!』
やがて美咲は小昏の方に向き、涙目で苗木を差し出した。
「ん……」
「おや、分かってくれたんだ?いい子だねぇ」
小昏は猫撫で声に戻り、美咲の頭を撫でた。
「うぅ……」
美咲は震えながらじっと耐える。
小昏は鉢の前に跪き、恐る恐る手を神木に伸ばした。
「お願いです。この身をもって、あなた様に僕を理解して頂きたい。さすればあなた様も、僕を選んで下さる……!」
その指が葉に触れた瞬間、桃色の火花がバチッと爆ぜた。
『悪しき分子め!さくらの全力を受けろーっ!』
「ぎゃあぁーっ!」
小昏は悲鳴を上げ、指を押さえて地面を転げ回る。
『あぁっ、もう、これだけしかできないの〜!?ほら美咲、今のうちに逃げて!』
美咲は鉢を抱えながら、ドアの取っ手を掴む。
「んっ……うぅーん!」
扉が重たくて、片手では動かない。
『えぇーっ!?もっかいもっかい!』
「んーっ!あかないよぉ!」
美咲が取っ手をガチャガチャ言わせていると、背後の小昏がゆらりと立ち上がった。
懐から何かを取り出し、分厚い布を取り払う。
——禍々しく輝く、黒いナイフが現れた。
『きゃあっ!悪しきものが来る!美咲、さくらを当てて!さくらが頑張るから!』
「んーっ!えいえいっ!あっちいって!」
美咲は苗木を振り回したが、小昏は美咲の襟首を掴み、壁に向かって突き飛ばした。
「きゃあっ!」
壁にぶつかった拍子に鉢を手放してしまい、すかさず小昏が奪い取る。
「あぁっ、さくらちゃぁん!」
小昏は枝葉に触れないよう注意しながら、鉢をテーブルに置いた。
幼木は徐々に輝きを失い、樹皮の桃色が褪せていく。
「やめてよぉっ!さくらちゃぁん!」
叫ぶ美咲の前に、小昏が立ちはだかる。
「——お前が御使だから、僕が御使になれないんだ……お前が消えたら、僕が選ばれる……!」
そう言って、小昏はナイフを振り上げた。
「ひゃ……っ!」
***
湊は全速力で階段を駆け上がる。
足がもつれながらも、一段飛ばしで懸命に急ぐ。
(やられた!罠だ!俺は外へ誘導されたんだ!)
恐らく課長は、室長が美咲にチョコレートを与えていることを知っていた。そして美咲がその包み紙を集めていることも知っていた。
だが、最近になって美咲がその包み紙を捨てたことまでは知らなかったのだろう。
どうして課長がそんなことをするのかは分からない。
だが、湊は階下へ、外へと誘導された。
つまり本当に美咲がいるのは、3階のさらに上だ。
(美咲、美咲がっ……!)
どうして美咲を一人で行かせてしまったのだろう。
護衛として美咲を守ると、側を離れないと、その決心を新たにしたばかりなのに。
後悔がとめどなく溢れるが、それを押し潰すように歯を食いしばった。自責の念に駆られるより先に、今は美咲を早く見つけないと。
4階に辿り着いたが、誰もいない。
湊は声を上げながら、ひたすら廊下を走る。
「美咲、どこだっ!?」
どこからか、幼い声がかすかに聞こえてきた。
「さくらちゃぁん——」
美咲の声を頼りに走る。
「美咲!」
課長の執務室の隣から、声がした。
「やめてよぉっ!さくらちゃぁん!」
(ここだ!)
応接室だ。
湊は取っ手を掴み、分厚い扉を全力で引き開けた。
「美咲!」
真っ先に目に入ったのは、黒いナイフを振り上げる、小昏の姿。
その先には、立ち尽くす美咲。
湊は咄嗟に飛び込み、身を挺して美咲を庇った。
左の首の付け根にナイフが刺さり、腕がザックリと裂けた。
派手に血飛沫が吹き出す。
「あ……ぁ……」
美咲は顔面蒼白になっている。
湊は美咲の視界を隠すように、もう片方の腕でグッと美咲を抱き寄せた。
よろめきながらも部屋の外へ走り、扉を閉める。
怒号とともに扉が開かれようとするので、背中で扉を押さえつけた。
「美咲、早く逃げて!」
美咲の肩を押したが、美咲は固まって動かない。
「ひっ!……ぅ……ぁ……」
小昏が扉を叩く音にビクッと震えるが、ショックで足が動かないようだった。
「美咲……大丈夫だから、逃げて……」
美咲を抱き寄せ、頭を撫でる。
「大丈夫だよ、俺は大丈夫だから……」
絶対に大丈夫ではないのだが、何とか美咲のショックを和らげてあげたくて、その言葉しか出なかった。
血溜まりはどんどん広がり、シャツとズボンが赤く染まっていく。
その時、隣の部屋からツカツカと足音が聞こえた。
課長がゆっくり廊下を歩いてきた。
手には、黒い槍を持っている。
脱走犯と小昏の、黒いナイフ。
鹿鳴明日香に贈られた、黒いブレスレット。
そして、彼女が手にする黒い槍。
「っ、……あんたっ……!」
湊の憎しみに溢れた視線に気づいて、彼女は嗤う。
「今更分かったの?もう手遅れねぇ」
槍の先端は、一際黒い輝きを放っている。
何か不吉な、生命を脅かすような危険が、そこにある。
それを手にした課長——否、鹿鳴春花は、間違いなく「敵」だった。
何も知らない美咲が、彼女へ駆け寄る。
「おばちゃん!おばちゃん、たすけてぇ!」
(ダメだっ、美咲!)
立ち上がろうとしたが、もう力が入らない。
辛うじて動く右手は、空を切った。
「みなとさんがぁっ!たすけてぇ!」
春花は美咲を抱き止め、湊の方へ身体を向ける。
「美咲ちゃん、よーく見て」
そして、美咲に低く囁いた。
「湊くん、死んじゃうわねぇ」
美咲の顔はさらに青白くなり、潤んだ目から、涙がつーっと零れた。
「美咲ちゃんのせいよ」
(美咲っ、聞くな、そんなやつのことっ——)
声を上げようとした瞬間、脳内がぐらりと傾く感覚がして、湊は倒れ込んだ。
猛烈な吐き気に襲われ、言葉が発せない。
だんだんと美咲のひきつった顔がぼやけていく。
「美咲ちゃんがここから逃げた時、湊くんに出会ったでしょう?湊くんはそれがきっかけで、美咲ちゃんと関わるようになったの。美咲ちゃんが勝手なことをしなければ、湊くんはこんな怪我をせずに済んだのよ?」
(違う、違う……!美咲、信じちゃダメだ……!)
「美咲ちゃんのせいで湊くんが死んじゃうよ。どんどん血が出て、動けなくなって、死んじゃうの」
呪いのような言葉だけは、はっきりと聞こえてくる。
「やだっ……やだぁっ、みなとさぁん!」
泣き叫ぶ美咲の顔は、もう見えない。
そして湊は、動かなくなった。
読んで頂きありがとうございます!
至らぬ点があればすみません。
完結まで頑張ります!




