【22話(2/3)】姉か、上司か
明石耀一郎は、デスクで研究データをまとめていた。
いきなり課長がオフィスに入ってきたかと思うと、怒りの形相でツカツカとこちらに迫ってくる。
明石は思わず立ち上がり、後ずさった。
「課長?あの、如何なさいました——」
課長は明石の顎を掴み、ぐっと睨め上げる。
「っ……何でしょうか」
「あなた、あの女に何か漏らしたわね」
「あの女?」
「さっき、明石耀子がここに来たのよ。灯西の施設を嗅ぎ回って、令状を取るとか言って」
「えっ?そんな、姉が?」
「私のことについて何か話したなら、正直に言いなさい」
課長の気迫に震えながらも、明石は首を横に振った。
「いいえ……!過去にも申し上げた通り、姉が社会人になって以来、自分は会ってすらいませんし、連絡手段も絶っています」
課長はしばらく明石の顎を掴んだまま、目をじっと見る。
額にじわりと嫌な汗が滲むのを感じた。
(姉の暴虐を思い出せ!痣のひとつも付かないのだから、こんなのどうってことないじゃないか……!)
しばらくして、課長はにこりと微笑み、ようやく明石を解放した。この人の笑顔ほど怖いものはない。
「まあ、信じてあげるわ。あなたは忌まわしいあの女の身内だけど、それでも残す価値のある、選りすぐりの優秀な部下なんだもの」
冷や汗でびっしょりの明石を残し、課長は踵を返した。
しかし去り際に、彼女は何かを思い出したように足を止めた。
「……ああ、そうだった。明石くん、正面玄関の修繕、申請出しておいて」
「玄関?」
「行けば分かるわ。身内のやったことなんだから、あなたが何とかなさい」
***
冷たい風が吹き荒ぶ、正面玄関。
明石は割れたガラス戸を見て、何が起きたのかおよそ理解した。
「あっ、明石さん!」
湊が階段を降りて、玄関にやってきた。
箒とちりとりを持っているので、飛び散ったガラスを片付けに来たようだ。
「明石さんのお姉さん?支部将?が来て、それで……」
「だろうな」
明石は、湊に向けて手を差し出す。
「貸してくれ。自分がやっておくよ」
「でもこれ、あの人に蹴られて、俺がぶち破っちゃったんです」
「いいんだ。貸してくれ」
「いや、良くないですって!」
二人が押し問答をしていると、美咲がやってきた。
「みなとさぁん、あかしさぁん、どしたのぉ?」
美咲は階段を降りて、二人に近づこうとする。
明石は湊の手から、箒とちりとりを優しく奪い取った。
「美咲嬢が怪我をするといけない。湊くんは美咲嬢を見ていてくれ」
「……分かりました。すみません」
「湊くんが謝ることじゃないだろう。測定は頼んだよ」
湊と美咲がいなくなった後、明石は箒でガラスの破片を掃き集めた。
そして、最後に姉と会った日のことを思い出していた。
***
あれは、今年の春のことだった。
灯西で囚人の脱走事件が起こった後だ。
明石は両親から突然の連絡を受けたため、美咲の測定を湊に任せ、急きょ灯西の実家へ向かっていた。
隣の耀二郎は大きなリュックサックを背負い、ウキウキとした足取りで歩く。
「兄ちゃん、何の用事だと思う?早めのサプライズ誕生日パーティーかな?」
「そんな訳ないだろう。泊まるつもりは無いのだから、耀二郎は来なくていいのに」
「いいや!すき焼きとかケーキとか食べたらどうするのさ!」
インターホンを押すと、両親が一緒に出迎える。
二人の申し訳なさそうな顔を見て、何があったのか大方察しがついた。
(ああ、姉さんか……)
両親には、昔から何度も姉の暴力を何とかしてほしいと訴えてきた。しかし、両親も姉を恐れて厳しいことは言わず、彼女は今も一家の女王として君臨している。
無力な両親のことも、うっすら嫌いだった。
兄弟がリビングに入ると、大きなソファを独り占めする姉の姿が目に入った。
耀二郎が嬉しそうに声を上げる。
「あっ!姉ちゃんだ!久しぶり!」
姉はサッとソファから飛び降り、耀二郎を蹴飛ばした。
「2号は呼んでないだろうが!帰れ!」
「あぁ〜っ!」
耀二郎は隣の和室まで吹っ飛んで行き、ゴンッと引き戸にぶつかる音がした。
こうして姉が人や物に当たり散らすため、障子や襖は全て撤去され、家中の扉を頑丈な引き戸に作り変える羽目になった。
明石は暴虐な姉を睨む。
「姉さん。親を通じて連絡しないで下さい」
「だってあんた、あたしの番号ブロックしてるじゃないの」
「あなたと話すことなどありません」
耀二郎が和室から這い出てきた。
「で、姉ちゃんはどうして兄ちゃんを呼んだの?」
耀子は再び耀二郎を蹴り飛ばす。
「うるさいわねえ!あっち行ってな!」
「あぁ〜っ!」
同じ家庭環境なのに、耀二郎は両親と姉を嫌っていなかった。
兄弟共々相応に暴力は振るわれているのだが、殴られようとも蹴られようとも、耀二郎は屈託なく姉に話しかける。年齢が大幅に離れているからか、それとも単に耀二郎が能天気だからか、理由は分からない。
両親をリビングに残し、姉弟は外の廊下で対峙した。
「例の事件。あの女が関わってるんでしょ」
「守秘義務ゆえ、外部に漏らすことは——」
言い終える前に、姉は胸ぐらを掴んでくる。
「つべこべ言うな。こっちだって調べてんだよ」
灯西で研究員に配属されてから、課長と姉が派手に言い争うのを何度も見た。双方の身内として、恥ずかしい思いをしてきたものだ。
あの二人は、灯西訓練校で同級生だった時から反りが合わなかったらしく、互いを異様に嫌っている。
「あの事件、恐らくあの女が起こしてる。犯罪の片棒担ぎたくなきゃ、今すぐ辞めな」
「何を根拠にそんなことを……確かにあの人は度し難い部分もありますが、神木研究の第一人者としては尊敬できる人です」
姉は不機嫌に鼻を鳴らし、明石を壁に突き飛ばした。
「まあ、今はあの凶器の解析が不十分だし、灯西の奴らも揉み消そうとしてるし、すぐに逮捕はされないでしょうね。でも、そう遠くないうちに、あんたはどっちに着くか、選ぶことになる……あたしか、あの女か」
明石は姉を睨む。
「少なくとも、課長は腹を蹴ったり胸ぐらを掴んだりしたことはありません。どちらが人としてまともかは自明でしょう」
「あっそ。あんたが共犯者として逮捕されたら、父さんと母さんは悲しむでしょうね」
「そんなことにはなりません。姉さんこそ、家族にこれ以上の心労は与えないで下さい」
「ふん、忠告はしといたわよ」
姉はドスドスと足音を立て、2階に上がって行った。
今日は家にいるつもりらしい。一秒たりとも姉と同じ空間にいたくない。
リビングに戻ると、耀二郎が楽しそうに両親と話していた。
「あっ、兄ちゃん!話は終わったのかい?」
「用が済んだから帰る。耀二郎は泊まるといい」
「えっ!?待ってよ兄ちゃん!父さん、母さん、これお土産ね!」
耀二郎は慌ててリュックサックから大きな箱を何個も取り出す。
「姉ちゃん、またね〜!」
耀二郎は階段に向かって大声で叫んだ後、さっさと家を出た兄を急いで追いかけるのだった。
***
明石は新聞紙を床に広げ、掃き集めたガラスを包む。
課長の恐ろしい瞳の前では、春に姉と話したことなど到底言い出せなかった。
(課長には嘘をつく形になってしまった。だが、姉には何も漏らしていないし、あんなの話した内に入らないだろう)
姉の言葉を思い出す。
『そう遠くないうちに、あんたはどっちに着くか、選ぶことになる……あたしか、あの女か』
(そんなの、どちらも選びたくないに決まっている。だが、ここには湊くんと美咲嬢がいる。それに室長も……。少なくとも、ここを捨て置く選択はできない)
不燃ゴミのカゴに新聞紙を放り入れ、明石はその場を後にしたのだった。
読んで頂きありがとうございます!
至らぬ点があればすみません。
完結まで頑張ります!




