【19話(11/13)】冬雪と明日香
美咲が侍従に連れて行かれた後、冬雪は泣き崩れている妻に寄り添い、そっと肩を抱いた。
「明日香、すまない……お前がこんなに追い詰められてたのに、早く気づけなかった」
冬雪が兄姉たちに一発逆転できる、唯一の方法。
それは、明日香が男児を産んで、鹿鳴家の当主になる権利を得ることだった。
「いいえ……私のせいで、あなたのことまで、犯罪者にしてしまったわ……」
「お前のせいじゃねえ。お前を止めなかった、俺の責任だ」
冬雪が初めて心を許せた相手だから、何でも叶えてやりたかった。
たとえそれが無謀な悪事だったとしても。
***
姉に傷つけられて以来、冬雪はずっとマスクを着けて過ごしてきた。
唇や歯肉の傷が癒え、折れた前歯を治しても、唇と鼻の間のアザだけは一向に治らなかった。そのうち皮膚科に紹介されたが原因は分からず、都外まで出て色んな医者に診せても、誰一人として治せる者はいなかった。
傷害と治療のトラウマ。
醜い顔に反応される恐怖。
それらがゴチャゴチャになって、口元を触られることはおろか、いつしか素顔を晒すことすらできなくなっていた。
歯医者はもちろん、耳鼻科や眼科にも行けない。顔周りに刃物が来るので美容院にも行けない。自分で前髪を切るだけでも抵抗を覚えるほどだった。
顔から離れた位置で、雑に切り揃えるだけの長髪。
常にマスクで口元を隠し、誰にも見られないように隠れて食事をとる。
見た目も行動も普通ではない冬雪に、親しい友人などできなかった。
学生になってから許嫁となった明日香にも、もちろん素顔は見せなかった。
明日香は騒がしい女ではなかったが、やたらとマスクのことを尋ねてきた。
ある時、彼女があまりにもしつこいので、遂にマスクを取って見せたことがあった。
「……ほら、満足したか」
明日香は驚いた顔で顔のアザを見つめていた。
変な話だが、マスクをしている時よりも、外している時の方が息苦しい。
「これが顔を隠す理由だ。安心しろ、婚約は破棄するよう父上に——」
話しながらマスクを着け直そうとしたその時、彼女の細い指が、冬雪の頬に触れた。
(触るなっ——)
冬雪が反応する前に、柔らかい感触が唇を塞いでいた。
「——ごめんなさい、勝手なことをして」
口づけをした後、明日香はそう言って、顔を真っ赤にして目を伏せた。
「あなたがお顔を隠す理由、分かったわ。でも、婚約者とキスもできないなんて、寂しいじゃない」
冬雪は明日香の手を掴んだ。
「もう一回やってみろ」
「えっ!?もう一回!?」
「キスじゃねえ!手だよ!」
明日香は指先で、そっと冬雪の頬に触れた。
「……お前、触れるのか」
「えっ?」
「お前に頼みがある」
***
明日香は、冬雪の長髪に少しずつハサミを入れる。
「本当にいいの?こんなに美しい髪なのに」
「好きで伸ばしてるわけじゃねえからな」
明日香は優しく冬雪の髪を梳く。
「どうして髪が長いのか、ずっと不思議だったの。口元を触られるのが嫌だったのね」
「自分でやるにも、顔周りは切れねえんだ。短くしといてくれ」
「でも私、あなたの髪型、好きだったわ。結べるように、襟足は残してもいいかしら?」
「揃ってりゃあ何でもいい。お前の好きにしろ」
***
警察が到着して、冬雪と明日香はそれぞれ警官に挟まれて立ち上がった。
明日香が、成海に向けて深く礼をする。
「精神状態を言い訳にするつもりはございません。然るべき裁きを受け、償います。本当に、申し訳ありませんでした」
警官たちは、最初に冬雪を連行する。
「待って!」
明日香の声に、冬雪は振り返った。
「あなた……裁きと償いが終わったら、もう一度だけ、治療に専念してもいい?」
冬雪は首を振った。
「もういい。当主なんざならなくたって——」
「いいえ。私、あなたの子を産みたいの。それだけ」
そう訴える明日香の瞳は、ここ数年で一番輝いていた。
「……お前の好きにしろ。……まあ、御使さまが祈ってくれたんだから、きっと上手くいくだろ」
そう返すと、明日香は少し微笑んだ。
「そうね。ありがとう」
恐らく、御使の祈りに子どもを授ける力は無いし、胎児を守ることもできない。せいぜい祈りを求めた妊婦が安心して、幾分かストレスが軽減するだけだろう。
兄の茅秋は、御使になってからも子作りの契約とやらを続けていた。もしも御使に子どもを産ませる力があるなら、そんな契約なんて必要ないからだ。
しかし、ようやく前を向けた明日香に対して、そのようなことは口が裂けても言えない。
それに、明日香のためを思って、あんなに一生懸命に祈ってくれた御使さまなのだから、奇跡だって起こしてくれるかもしれない。
そんな思いを胸に、冬雪はひと足先にパトカーに乗り込むのだった。
読んで頂きありがとうございます!
至らぬ点があればすみません。
完結まで頑張ります!




