【16話(5/5)】夢の港
日曜日の朝。湊は電車に乗って、照東の最東端を目指していた。2時間に1本のバスを捕まえ、山奥に向かう。
限りなく都外に近い、深い山の中。湊が育った児童養護施設『夢の港』は、そこにあった。
施設に着く頃には、昼を過ぎていた。
ギラギラと眩しい太陽が、施設の看板を照りつける。
看板には大きく『夢の港』と書いてあるが、湊はその前についている、小さな文字に目を留めた。
社会福祉法人、鹿秋会。
施設に鹿鳴家が出資しているという話は、園長から聞いたことがあった。
鹿秋会。そして父親の鹿鳴茅秋。
両者の名前からして、関係があることは確かだろう。
(自分が出資してる施設に、俺を預けた……?)
***
湊は敷地内に入り、建物を目指す。
園庭に子どもたちや職員の姿は無く、賑やかな声もしない。
(静かだな……まだ昼寝の時間じゃないけど)
来客用のインターホンを押すと、すぐに園長が出てきた。湊が施設を出てから、半年以上が経っている。久しぶりに見た園長の顔は、しわが深くなったように見えた。
「先生、ただいま。元気にしてた?」
「ハルくん、おかえりなさい。私はこの通り、何とかやってるわ。遠くから来て大変だったでしょう。まずはお茶を飲んで、ゆっくりしてね」
園長は、湊を応接室に案内する。屋内を歩いていても、子どもたちの声どころか、人の気配すらしない。
「先生、子どもたちは?それに他の先生も……みんなでどっかに出かけてんの?」
「ああ、ごめんね、ハルくん……その話もしなきゃね」
***
お茶を出した後、園長は切り出した。
「ハルくんにはまだ言ってなかったけどね、先生、ここを閉めようと思うの」
「えっ!?」
「だから、ここには子どもたちも、職員もいない。今は私だけよ」
合同緊急会議後の、課長の言葉を思い出す。
『彼女は鹿鳴直系の、しかも後の御使になるかもしれなかった男児を故意に隠して育てた。その結果、鹿鳴家から御使が誕生する伝統が失われた。これは当家において重大な損害よ。無責任なことをしでかす人間に、施設を経営させるわけにはいかない』
「……まさか、俺のことで、鹿鳴家から何か言われたんですか?俺の親があいつで、それを隠してたから」
園長は、ばつの悪い顔をする。
「ああ、もうそこまで知ってるのね……でも、ハルくんは何も悪くない。ハルくんの生まれを隠していたのは私。きっと、園長として責任を取ることになるわ」
「そんな!」
「私一人がお叱りを受けるのはどうってことない。それは承知の上で、ハルくんを預かったんだもの。でも、他の先生方や、子どもたちを巻き込むわけにはいかないわ。私もこんな年齢だし、自主的にここを畳んで──」
園長の声を遮るように、応接室の扉がバタンと開いた。
「おいおい園長先生、勝手なことすんなよ。ここの権利は俺にあるんだからな」
無精髭に、着流し姿の男。
(鹿鳴茅秋……!)
茅秋はソファにドカッと座り、胡座をかいた。
「俺に聞きてえことがあるんだろ?いいぜ、何でも答えてやる」
***
園長は席を外し、応接室には茅秋と湊の二人きりとなった。
「じゃあ……俺の母親って、どうなってるんだ」
茅秋はそれを聞くなり、急に機嫌を崩した。
「あ?そんなことかよ……」
(何だよ、その態度?それ以外に聞くことないだろ!)
「そんなに母親が気になるのか?知らねえやつのことなんざ、どうでもいいだろ」
逆に、どんな質問を想定していたのだろうか。
「いいから答えろよ。何でも答えてくれるんだろ」
茅秋は明らかに気乗りしないため息をつき、ソファにもたれて天を仰いだ。
「はぁーあ……俺も知らねえ。顔も名前もな」
「はぁ?そんなわけないだろ!」
天を仰いだまま、茅秋は話す。
「成人する時、俺は候補者を募った。最初に男を産んだやつに、莫大な金をやる……そういう契約だ」
「はぁ……?」
契約なんて話は予想外だった。しかしそれならば、母親はその「候補者」のうちの誰かということになる。
「誰が候補者だったのかは分かるんだろ?」
「いいや。てか何人いたのかすら覚えてねえよ」
「……素性も分からない人を、山ほど集めたのか?」
「そうさ。試行回数を増やさなきゃあ、契約の意味がない」
「はぁ?試行回数って……」
「うちの家系は子どもができにくいらしいからな。で、報酬に目が眩んだ女共が、山ほど群がって来やがった。そんで、その中の一人がお前を産んだってわけ」
男児を産む契約。
そして、男児が生まれたら当主になれるという鹿鳴家。
「……男が生まれたら、自分が当主になれるからか」
「お姉から聞いたのか?ああ、その通りだ。でも、産まれた子どもをどうするかまでは、契約で決めてなかった。女は金だけ受け取って、お前を残して逃げたってこった……どうだ、納得したか?」
聞いていて気分が悪くなる。
どうせろくでもない事情だろうとは思っていたが、権力欲しさに行動した結果だとは想像していなかった。
茅秋は湊に向き直り、あぐらをかいた膝に頬杖をつく。
「何だよ、その顔は。ちったあ俺に感謝してくれると思ったんだがなぁ」
「感謝?俺を後継者争いの道具にしといて?」
湊がそう言うと、茅秋は得意げに鼻を鳴らす。
「フン、その後だよ。俺はお前をあの家にぶち込む予定だった……が、結局は、ここに預けた。あの家にいるより、ずっとマシな人生送らせてやっただろ?ありがたく思え」
(権力欲しさに俺を産ませて、施設に入れたことをありがたく思えって?イカれてる……)
「……あんたみたいなクズ、会わなきゃ良かった」
「フン、そうかよ」
茅秋は吐き捨てるように言ってから、席を立った。
「俺ら四つ子は全員どっかが破綻してるからなぁ。マトモだと思う方が悪いんだよ。ま、この先も御使のおチビに関わるってんなら、他のやつらには気をつけろよ」
園長が、遠慮がちに扉を開ける。
「茅秋さま、お茶を……」
「ああ、悪いがもう帰る。閉園の手続きはすんなよ」
茅秋は着流しの裾をひらめかせ、応接室を去って行った。
***
茅秋が帰った後、園長は応接室にアルバムを持ってきた。
「茅秋さま、不器用なんだから。本当はハルくんといっぱい話したかったと思うのよ」
「先生、あいつはそんなこと思ってないよ。最低なやつだった」
園長は、アルバムの一番最後のページにあった、園庭の風景写真を引き抜く。写真の裏には、もう一枚、別の写真が隠されていた。
「特別に見せてあげる。あの方には内緒よ」
自分とそっくりな風貌の男が、生後間もない赤ん坊を抱いている写真だった。
腕に抱かず、手のひらだけで赤ん坊を支えていて危なっかしい。それでも、その緊張した表情からは、大事に扱おうと恐る恐る触っていることが伝わってきた。
「私と茅秋さまは、本家のお茶会で会ったのよ。ご一緒するうちに、私が養護施設を経営しているとご存知になってね。興味がおありだったのか、何度か視察に来られたわ」
園長は、写真の中の男を指す。
「分かる?髪が濡れてるの。あれは、土砂降りの夜だった。生まれて間もない赤ちゃんを懐に抱いて、お付きも連れず、一人で訪ねて来られたの。そして、自分が施設に出資するから、この子をここで育ててほしいと仰ったわ。あの家に染まらない、普通の子にしたいって」
幼少期、湊は「普通」になりたいと願っていたことを思い出す。親がいる家庭が「普通」だと思っていたから。
でも、親元の鹿鳴家で育てられていたら、自分は「普通」ではなかったのだろうか。少なくとも、あの男はそう考えていたことになる。
(普通って、何なんだろうな……)
「対外的には、赤ちゃんは母親と都外へ逃げたことにした。でなきゃ、赤ちゃんはあの家に連れ戻されてしまう。次の後継者の候補者として」
湊は園長の話を聞いていて、ひとつ腑に落ちたことがあった。
どうして、自分だけがずっと施設にいたのか。
『夢の港』は、乳幼児の養育施設だった。施設に預けられた子どもたちは、ほとんどが小学校に上がる前に里親に引き取られて去っていく。なのに湊だけは園長の養子という扱いで、15年間も施設で過ごすことができた。
小さい頃は、引き取り手が見つからないから仕方なくそうされたのだと思っていた。今から考えれば、最初から里親に引き渡すつもりなど無かったのだろう。
「ハルくんを預かった日から、男の子の赤ちゃんが来なかったかという問い合わせが頻繁に来るようになったわ。中には直接尋ねて来る人たちも……。だから1年くらいは女の子の服を着せて、追及のほとぼりが冷めるのを待っていたのよ」
「じゃあ、俺を先生の子どもにしたのは?戸籍で怪しまれないようにするためだったの?」
湊が尋ねると、園長は少し躊躇った後、答えた。
「……実は、戸籍上、あなたはまだ鹿鳴のままよ」
「えっ?」
「どちらの姓を名乗るか、どんな生き方をするのか、それはあなたの自由。大人になってから、ハルくんが自分で考えて、自分で決めてほしいの。もちろん、どちらを選んでも、私はあなたを本当の子どもみたいに思ってるけどね」
そう言って園長が微笑むと、目尻のしわがぐっと深くなる。明らかに母親と呼べる世代ではない彼女に対して、湊は言葉を返す。
「俺は先生の子どもでしょ。湊陽子先生」
施設に預けられた名前の無い赤ん坊に、園長は幾度となく名前をつけてきた。しかし湊の知る限り、陽子の「陽」の字は、陽輝という自分の名前にしか使ったことがなかった。
(俺を引き取って、俺に名前を付けてくれた時から、先生は一生俺の面倒を見てくれる覚悟だった……俺はそう思うから)
「俺の戸籍、正式に先生と一緒にしといて下さい。あと2年経っても、考えは変わらないんで」
「ハルくん……ありがとう」
***
夕方の最終バスが、バス停にやってきた。
園長は、爪先立ちで湊の肩を抱きしめる。
「ハルくん、元気でね」
湊も背を屈めて、ほっそりした肩を抱いた。
「先生もね。俺、仕送り頑張るから、辞めないでよ」
「いいのよハルくん、本当は先生が仕送りしないといけないのに……こっちのことは心配せず、自分のために使ってね」
自分の生まれにどんな事情があろうと、愛してくれる人のもとで育ったことには変わりない。それを再認識した湊なのだった。




