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リリー  作者: かねとけい
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【第一話 〜善〜】3

 3


 高橋先輩からの「ヨロシク!」と書き文字されたスタンプを受信した。中庭にて、半ば強引に依頼を受諾させられて別れた、ほんの三分後だ。ちょうど今日はサークルで智視と会う予定だった。さっさと話して、このタスクは放ってしまおう。この時はまだそのつもりでいた。


 集合場所へと足を進めながら、善はぼんやりと考える。

 松本郁。彼女は結局、智視が好きなのだろうか。先輩に相談し、仲の良い知り合いまで割り出して、連れ立って突撃してくるくらいだから、好きなのだろう。どうして好きになったとか、どこが好きなのかとか、そんな野暮ったいことは聞かなかった。同じクラスなのだから、何かしらきっかけがあれば、憧れの気持ちのひとつやふたつは抱くのだと思う。


 高橋先輩は、「勢いをつけないと、郁は飛べない」と言った。棒高跳びじゃないんだから、と思ったりしたが、まあでもあの子は背中を押してもらったり、引っ張ってもらったりする人が必要なんだろうな。


 善は附属中学校に通っていた頃、「いいな」と思っていた女の子がいた。

 それは、はっきりと恋愛感情だった。中学二年の秋、宿泊学習の自由行動の班で一緒になったあたりから、明らかに脳のCPUが彼女にメモリーを使い始めた。彼女の髪型や目の大きさ、耳のかたちをなんどもストリーミング再生した。休み時間の教室では、どんなに騒々しい中でも、その子の声だけを聞き取ることができる能力を身につけた。

 結局、その感情は外部出力されることのないまま、女の子には別の彼氏ができた。どうしてだか、「まあそうだよな」とあまり衝撃を受けることなく、次第に熱が冷めていった。

 恋愛経験と呼べるものがあるとしたら、そんな程度だ。

 松本さんも、おれと同じで、ダメだったら「まあそうだよね」と諦めるタイプだと思う。

 ただ、今は高橋先輩というエンジンを搭載している。

 こっちが面倒なんだよな……善は、ため息交じりに、先輩へ「了解です」と返信した。


 修学院大学附属高校の東門を出てた隣りの区画は、公園になっている。適度に樹木を間引いたよくある森林公園なのだが、「木漏こもれ日緑道公園」という、どこかの田舎の斎場みたいな名前が付けられていた。高校と同じくらいの敷地面積で、意外と広い。木々のあいだを横切るようにして遊歩道が通っている。こぢんまりとした小川もいくつか流れており、夏でも比較的涼しいので、善はいつもこの公園を通学路にしていた。実際、この立地なものだから、修学院大附高の生徒がよく通る。

 目的地は、木漏れ日緑道公園を突っ切った先、ひとつだけ横断歩道を渡ったところにある。

「フィリップ・マーロウ」という喫茶店だ。



 古びたオーク材の扉を開けると、取り付けられている銅製のドアベルがからんと鳴る。


「おや、荻原くん。いらっしゃい」

「こんにちは」


 いつものようにマスターがカウンターの内側で出迎えてくれた。

 善はマスターの年齢を知らない。白髪まじりの髭もじゃで、時々――本当に時々語ってくれる昔話から推測するに、齢五十以上であることは、おそらく間違いない。ここに通い始めてもう一年になるのに、実は名前すら知らなかった。


「原くん、もう来てるよ」

「ありがとうございます」


 さして広くはないが、余計なものがなく、すっきりした店だ。家具はダークブラウンの、木目がはっきりしたオーク材で統一されていた。

 カウンターを横切った奥のボックス席に、智視が座っていた。座ってはいたが、壁に頭をもたれてうたた寝している。口がぽっかり空いていた。


「また徹夜でもしたのか」


 善がため息交じり向かいに腰掛けると、それはもぞもぞと動き出した。


「……ん、あーゼンちゃん、お疲れ」

「お前こそ」

 智視はあくびを咬み殺す。「見始めると止まらなくてさ」

「今度は何だ?」

「『ワイルド・オーシャン』。海洋生物のドキュメンタリーシリーズ」

「手広いな」

「いやあ、泣けたよ。後半に登場したザトウクジラ、あの子は今年の主演女優賞を受賞する」

「何のだよ」

「うーん、『インド洋沖アカデミー賞』とか?」


 智視は、首を回したり目を擦ったりして眠気を追っ払おうとしていた。

 彼は、映画やドラマに限らず、映像作品に関してはかなり広範囲で網羅している。ドキュメンタリーも、深夜アニメも、地方局でやっているようなローカル・バラエティも、何でもだ。


 原智視。歴史の授業でも習う「岩倉使節団いわくらしせつだん」の全権大使でお馴染みの岩倉具視いわくらともみとは一文字だけ違う。それは名付けのとき、彼の父方の祖父の意見が通ったらしい。曰く「『具』はつまびらか、細やかというように横方向の広がりだ。しかし、『智』はわきまえ、理解、というように、深さが加わる」とかなんとか。

 読み方はそのまま「ともみ」なので、幼い頃はよく女の子みたいだとからかわれたそうだ。

 彼が、このサークル唯一の、善の同期である。


美那未みなみ先輩は今日も来ないの?」


 本来もう一人ここへ来るはずだったが、見当たらないので聞いてみた。正確にはさらにもう一人、合計四人になるべきなのだが、最後の一人は見込めないので最近は言及していない。幽霊部員ってやつだ。


「うん、弓道部も追い込みだろうからね」


 智視が歌うように言った。こいつの声は割と高めだ。甲高い、というわけでもないが、頭のてっぺんをこすってから出て来たような声をしている。ちなみに、歌唱に向く声質ではない。

 三年の鈴木美那未すずきみなみは、うちと弓道部の掛け持ちで、その上受験も控えており忙しい。二回連続の欠席である。

 まあいい。今日の用件はこいつに関わることだ。

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