【第五話 ~善~】3
松本さんはしばらく黙っていた。
その小さな身体の中に、必死に感情を抑え込むように、沈黙していた。
「絶交。ねえ郁。そうしよう。そうしないとワタシ、だめになっちゃいそうなんだよ」
高橋先輩の声は苦しそうにかすれている。
「そんなこと」松本さんが小さな声で言う。「どうして? そんなこと、絶対ない。美緒がいないと――」
「郁はワタシなんていなくてもいい。郁はもう、全然、大丈夫なんだよ」
「どうして」
「分かんないの?! 嘘でしょ」
高橋先輩は大きく息を吐き出した。「郁はさ、出来ちゃうんだよ。色んなことが、普通人がもっと苦労するようなことが、出来ちゃうの。それに、頑張るから――そう、頑張れるのが郁だから、ワタシはどんどん離されちゃうの!」
先輩の頬に涙が伝った。目を充血させて、顔をぐしゃぐしゃにして、泣いていた。
「一緒にいても、惨めになるだけなの。自分の中に、ホントは抱いちゃいけない気持ちがどんどん大きくなっていくのが分かるの」
「――美緒ちゃん」
「郁の――郁のお母さんが死んじゃったとき、ワタシ郁に言ったこと覚えてる?」
郁はぶんぶんと大きく頭を縦に振った。「うん。覚えてる。当たり前だよ。美緒ちゃんは泣いてばっかりだった私に、『笑ってなきゃダメ』って、怒ってくれたの。『お母さんの分まで、笑わないと。郁の笑顔は世界一可愛いんだから』って。私は、美緒ちゃんのおかげで――」
「そう。そのあと、郁のお父さんが言ってくれた。『美緒ちゃんのおかげで、郁が元気になった』って。美緒ちゃんの――ワタシのおかげって。それがなんだかワタシ」
高橋先輩は袖で涙を乱暴に拭った。「嬉しくって。郁は、ワタシがいなきゃダメだって。ワタシの『おかげで』成功するんだって。馬鹿みたいに毎朝二人分のお弁当まで作って。郁がいなくちゃダメなのは、ワタシだった――」
「でも」松本さんが言う。「私だってそうだよ。いろんなことが、多分美緒ちゃんが背中を押してくれなかったら出来なかった。そのおかげで」
「だから、その役回りがもうたくさんだって言ってるの!」
高橋先輩が松本さんを遮って叫んだ。
松本さんが立ち上がった。目を充血させて、額にうっすら汗を浮かべて、大粒の涙を流していた。
「美緒ちゃん――私」
「郁、ごめん」先輩はおどけたような笑顔を作る。「もうワタシ、あんたに散々嫌なことしてきてるから。本性が出ちゃったって言うかさ――」
「留学行かない! 美緒ちゃんがそんなんだったら、行く意味ない!」
松本さんは座っていたスツールを倒して、病室を出て言ってしまった。
再び、病室には沈黙が流れた。
高橋先輩は、その濡れた頬と不釣り合いな笑顔を作っている。
無理やり、作っている。
「なんだか、しょうもないところ見せちゃってごめんね。聞いてた通り、ワタシはそういう役回りにしがみついてここまで来ちゃったんだよ。智視くんを紹介してもらうように動いたのも、ワタシ。あの子、もうすぐ留学なのに。失礼なことしてごめんなさい」
バチが当たったんだろうね。高橋先輩はそう続けた。
「探偵サークルなんでしょ? そしたら『事情聴取』だと思って聞いてよ。ワタシは郁の力になるフリをしながら、どんどん先を走るあの子の足を引っ張った。そうすることで、鬱憤を晴らしてたの。ネットに匿名で書き込んでみたり、その程度のくだらないことをして」
「留学生と関係を持った旨の書き込みですか? それとも片親の方ですか?」
善は質問した。思いのほか、強い口調になってしまった。高橋先輩は一瞬怯えたような表情になった。
「調べがついてるんだ。さすがだね――」先輩は両手で顔を覆う。「どっちも。どっちもワタシが書いた。もう、なんで。なんであんなこと――」
だから、今回事故にあったのは、バチなんだ。
むしろ、ワタシをひいてくれた自動車の運転手にお礼が言いたい気分。
馬鹿だね。壊れちゃってるね、ワタシ。
高橋先輩はまた、しばらく泣いていた。




