【第五話 ~善~】2
高橋先輩は、今週に入って同好会に来ていない。それだけでなく、松本さんとの連絡も途絶えてしまっているらしい。
「松本さん、かなり心配してて。コンテストの日も、少し様子がおかしかったみたい」
智視が言う。
松本さんは、本当は高橋先輩が同好会に顔を出さない理由も、連絡が取れない理由もわかっているのではないか。
善はうがった見方をしてみた。高橋先輩が松本さんを羨んでいるという説に立ってみると、今回のコンテストで賞賛を得た松本さんを見るのは、耐えられたものではないのではないか。
資料にあった匿名の書き込みをふと思い出した。
〈I・Mさん、留学生のマイクとヤったらしい〉
〈あいつ、片親だったろ? 留学なんて行く金あんの?〉
周りの人間から差別的な発言まで浴びせられていた松本郁。
高橋先輩はあれを見ただろうか。
どんな気持ちに、なっただろうか。
「こればかりは、どうしようもないか――」
そのとき、善は妙な身震いを感じた。
確証はない。ただ、嫌な予感が頭をよぎった。
「片親。差別発言――」
「ん? どうしたの善」美那未先輩が心配そうに覗き込む。
そうだ。「リリー」だ。
「英会話同好会のコミュニティ。『ランク3』でしたよね? 設定規則は――」
美那未先輩も智視も険しい表情になった。
先輩がカバンから資料を引っ張り出し、確認する。
「ごめんなさい。少し遅れて知り得た情報だったから、気が付かなかった――」
美那未先輩が声を落とした。
〈人を差別せず、グローバルなコミュニケーションを目指すこと〉
そうだ。同好会ではそう「規則」にある。
過去、「ランク3」の団体で起きた事故の数々。その関連性は未だ証明できていない。が、もしあるとすれば。
「匿名掲示板で『片親』のこと書き込んだやつ。早く見つけないと、まずいことになるかもしれない」
そのとき、智視のスマートフォンに着信があった。
「――松本さんだ。ちょっと出てくる」
小走りで店の外へ出て行き、ほんの一分足らずで戻ってきた。
智視の顔には表情がない。
「高橋先輩が、交通事故に遭った」
病院にたちこめる、消毒液のつんとしたにおいが、善は嫌いだった。
においだけやたらと主張してくるくせに、健康な人間にはずいぶんと無愛想だ。まるでこれから死ぬ人々を、必死にかくまっている感じがする。
高橋先輩は家の前の比較的小さな横断歩道で、軽自動車と接触。二メートルほど跳ね飛ばされて頭部を強く打った。幸い命に別状はないし、後遺症の心配もなく、今は意識を取り戻している。数日間、検査入院をすることになった。
美那未先輩は面識がないため、喫茶店で解散していた。「幽霊部員」の漆崎先輩にも連絡を入れて、野球部の件も含めて捜査を加速させると言っていた。
待合室で松本さんに会ったとき、彼女の目は真っ赤に腫れていた。
高橋先輩の個室から、彼女の母親が出てきた。松本さんが目に入り、顔をほころばせたあと、善と智視にも頭を下げる。二人もそれに合わせて、頭を下げる。
善は最初、少し不思議に思っていた。
高橋先輩とは松本さんも連絡がついていなかったはずだが、どうして事故直後に松本さんがここにいるんだろうと。
本人聞いて分かった。松本さんは今日、高橋先輩に呼び出され、待ち合わせしていたと言う。待ち合わせ場所は、幼い頃二人が毎日のように遊んだあのマンションの共有部分だった。
松本さんが待っていると、横断歩道の向かい側に先輩が見えた。軽自動車が突っ込むのも見えた。
松本さんは事故を目撃していたのだった。
先に松本さんだけで見舞いに行かせたほうがいいと思ったが、本人にそれを伝えると、全力で首を横に振った。
三人で個室のドアを開け、中に入る。
ベッドに横たわっていた先輩はこちらをちらりと見たものの、なにか言うだけでもなく、すぐに天井に目をやった。
額から後頭部にかけて包帯が巻かれており、顔は青白かった。唇も、色を失っている。いつも快活におしゃべりをする高橋先輩とはまるで別人のように見える。
「美緒ちゃん、具合はどう?」
ベッドの脇のスツールに腰掛けながら、松本さんは言う。
「大丈夫」高橋先輩は素っ気なく言った。
「――うん。よかった」
しばらく静寂が流れた。
もう窓の外はとっぷりと夜に包まれている。看護師なのか患者なのか、遠くで話し声が反響している。
その静寂は、あまり心地の良いものではなかった。
「美緒ちゃん。今日は、何か用事だったの? 何か、話そうとしてたの?」
松本さんが尋ねると、高橋先輩は松本さんを見て、それから善たちに視線を向けた。
「あの、僕たち外出てますね」智視が言う。
「いや、いい。隠すような話でもないし」
一呼吸置いて、高橋先輩は言った。
寂しそうな笑みを浮かべて、言った。
「絶交しよう、郁」




