54.伸子奔走
梨乃「…佐知絵は、ホントに被害者なんでしょうか?」
秋葉梨乃は、ここ何日で態度が急変した羽村佐知絵に戸惑っていた。佐知絵は、入社以来これまで一度も梨乃や真智子に対して立ち振る舞いを急に変えたりすることはなかったのだ。
伸子「さっきも言ったけど、あたしは彼女が被害者だとは思ってないの。あたしだけじゃなくて、同期のみんなや藤堂部長だって同じ思いだよ」
梨乃「それはつまり、佐知絵がウソをついてるってことですか?」
伸子「そうね。その可能性は高いわ」
梨乃「そうですか……。あの子、どうしてウソなんか……」
藤堂「それはオレたちにもわからない。オレたちもビックリしてるんだ。まさか羽村さんがウソついてまで柴田を悪者扱いするなんて」
伸子「ねぇ、羽村さんは秋葉さんたちの前ではどんな感じだったの? 今までみたいな明るくて笑顔が似合う感じの子だったの?」
梨乃「ええ。基本的に営業部にいる時もウチらだけでいる時も態度は変わりませんでした。だから余計に気になっちゃうんです」
伸子「そう…。それじゃあ気になるのも無理ないよね」
梨乃「それと、さっき佐知絵が言ってた証拠って何ですか?」
伸子「あら、羽村さんから聞いてなかったの?」
梨乃「はい。さっき初めて聞きました」
伸子「さっきあたしが言った通りよ。柴田くんが羽村さんをホテルに連れ込もうとしてる場面を隠し撮りした写真のことなんだけど、柴田くんはまったく身に覚えがないのよ」
梨乃「身に覚えがないっていっても……写真に残ればれっきとした証拠になりますよね」
伸子「うん、そうなのよ。その写真がデタラメだって証明できればいいんだけど……」
そう言って、伸子はお冷を一口だけ飲んだ。
伸子「…そうだ、秋葉さん、羽村さんからその写真を借りることってできる?」
梨乃「え? 写真を借りる?」
伸子「そう。その写真に写ってるホテルに行って、柴田くんと羽村さんが来たかどうか確かめるの。もし2人が来てなければ、その写真が何の証拠能力もないことが証明されるでしょ?」
藤堂「なるほど。それはいい考えだ」
実は俊作も既に同じことを考えているのだが。
伸子「秋葉さん、やってくれるかな? あなたなら羽村さんと仲がいいからやりやすいと思うんだけど」
梨乃「そうですね……でもどうやって借りたらいいんですか?」
伸子「そうだねぇ――」
「“高根さんが証拠写真を見せろとうるさいから見せてあげられないか?”って頼んでみたら?」
伸子「?」
聞き覚えのある声だ。
伸子たちは左隣のテーブルを見た。
作業着姿の清掃員がスポーツ新聞を読んでいる。
純だった。
伸子「鳴海くん! いつからいたの?」
純「さっきからいたよ。高根さんと藤堂さん、それから秋葉さんが店に入って行くのが見えたからな。珍しいスリーショットだなーって思って」
梨乃「え? 何であたしの名を…? あなた確か、最近よく見る掃除の人ですよね?」
純の正体を知らない梨乃にとっては、驚くのも無理はない。
純「ええ、そうですよ。ただちょっと訳ありだけどね」
梨乃「どういうことですか?」
純「実は、柴田俊作とは昔からの友達でね。一緒にあいつの無実を証明しようといろいろ調べてるんだ」
梨乃「…そうだったんですね」
純「おっと、今言ったことは他言無用だぜ。特に羽村佐知絵には絶対に言うなよ。恐い彼氏に知れたら何されるかわかったもんじゃない」
梨乃「佐知絵の彼氏について何か知ってるんですか?」
純「うん。まぁね」
梨乃「どんな人なんですか?」
一瞬、純は梨乃がどうして黒野について聞きたがるのか疑問に思ったが、前にスペイン坂のクラブ「RYU-JIN」で一度会っていたことを思い出すと、その理由についてなんとなく見当がついた。
おそらく、佐知絵が初めてつき合うタイプの人間だったからものすごく気になったのだろう。
純「とにかく危ないヤツだよ。地元でも悪名高いみたいだしね」
梨乃「えぇー…そうなんですか? 佐知絵、どうしてああいうタイプの人とつき合ってるんだろう。今までそんなことなかったのに……」
やはりだ。
純「それはわかんないな。急に好みが変わったってこともあるだろうし」
しかし、俊作もそうだが、純は佐知絵の好みが急に変わったとは思えなかった。この時点では「そんな気がする」といった具合に留まるものだが。
伸子「ところで鳴海くん、羽村さんに真っ向から頼んだところで写真を貸してくれるかな?」
純はスポーツ新聞を二つに折りたたんだ。
純「大丈夫だと思うよ。だって、羽村は俊作がクロだと断言してるんだろ? 仮にあいつがクロだったら、写真を貸したとしても事実は覆らない」
藤堂「そうかもしれんが、事実が覆らなかったら、写真を貸さなくても同じことじゃないのか?」
純「もしそうやって断ってきたら、しつこく食い下がればいいんですよ。“あなたの言うことが事実なら貸せるでしょ?”ってね。証拠を捏造してなければそのうち貸してくれます。逆にそこで貸さないと怪しまれるでしょう? 頑なに拒否したり、写真を貸すと見せかけて何らかの工作を仕掛けてくるようだったら、向こうのほうがクロってことになる」
藤堂「そうか…なるほどな」
伸子「うん、そうだよね」
純「うまく写真を受け取ることができたら、誰にもばれないように、オレに知らせてくれ。知り合いの刑事に頼んでそのホテルへ一緒についてきてもらう段取りをつけとく。そんで、夕方になったら一緒に行こう」
伸子「うん、わかった」
伸子は頷いた。
梨乃「あの、あたしもご一緒したほうがいいでしょうか…?」
純「いや、キミは来ないほうがいいだろう。オレらに協力したのがばれたら危険だ」
梨乃「…そうですか。わかりました」
そして昼休みが終わった。
午後2時頃。
梨乃から「高根さんが証拠写真を見せろとうるさいから見せてあげられないか?」と相談された佐知絵は、不満を露わにしながら伸子の席へと踏み込んだ。
佐知絵「高根さん!」
伸子「ん? どうしたの?」
佐知絵「とぼけないでくださいよ。何で写真を見せないといけないんですか?」
伸子「あら、見ちゃいけない?」
佐知絵「いけませんよ! しかも梨乃まで利用して!」
伸子「どうして?」
佐知絵「どうしてって……」
佐知絵は言葉を詰まらせた。理由を答えることができなかったのだ。
伸子「何で見たらダメなの? あたしね、あなたがあれだけ柴田くんを加害者だって断言してたから気になっちゃったの。あそこまで言うならあたしの目で確かめてやろうってね」
佐知絵「必要ありません!」
伸子「そう? でも、羽村さん一人の証言でここにいるみんなが納得するとは思えないのよ」
佐知絵「あたしがウソをついてるとでも言うんですか?」
伸子「信憑性の話よ。もしあなたの言うことがホントだっていうことを証明できたらみんな納得するじゃん?」
佐知絵「ひどい……あたしを悪者扱いするんですね」
佐知絵は目をうるませた。
伸子「何言ってんの? 柴田くんを悪者扱いしたくせに」
オフィス内がざわつき始めた。
視線が伸子と佐知絵に集まり始めている。
その時、2人の間に割って入る者がいた。
会田だった。
伸子「会田さん!」
会田「おいおい、2人ともいい加減にしろよ。何度言い争いをしたら気が済むんだ」
伸子「いやいや、羽村さんからつっかかってきたんですよ。あたしは別に……」
佐知絵「会田さん、高根さんがあたしを悪者扱いするんです! 証拠を見せろってしつこくて……」
会田「うんうん。初めからやりとりは聞こえてたよ。ここは羽村さんが折れるべきだと思う」
佐知絵「え!? どうしてですか!」
会田「キミの気持ちもわかる。でも、高根さんも間違ったことは言ってないよ。ここは証拠を見せて、自分が正しいことを証明するんだ」
佐知絵「……」
佐知絵はふくれっ面になりながらも、しぶしぶ首を縦に振った。
写真が、伸子に手渡される。
伸子「これね……」
伸子は写真をまじまじと見つめた。
……なんだか、無性に腹が立ってきた。
無意識的に、伸子は佐知絵をにらんでいた。
だが、佐知絵はちょうど休憩室の方へ歩いて行くところだったので視線が合うことはなかった。おそらく佐知絵は、気持ちを落ち着かせるために休憩室へ向かったのだろう。
――と、そこへ、会田が佐知絵の背後から近づき、彼女にそっと耳打ちをするかのような光景が映った。
ほんの一瞬だった。もしかしたらそう思ったのは伸子だけかもしれない。
伸子(何だろう…。会田さん、羽村さんまでフォローしたのかな…)
ひとまず伸子は自分のデスクへ戻り、携帯電話のメールで純に佐知絵から写真を受け取ることに成功したことを伝えた。
「メールを送信しました」というメッセージがディスプレイに現れたのと同時に、伸子は背後に人の気配を感じた。
ハッとして後ろを振り返る伸子。
背後に立っていたのは藤堂部長だった。
伸子「ぶ、部長!」
藤堂「仕事中に私用のメールか? いかんなぁ~」
冗談めかした顔で伸子を見下ろす藤堂。
伸子「や、やだぁ。脅かさないでくださいよぉ」
藤堂「ははは。すまんすまん。羽村さんから写真を受け取ったようだね」
急激に声量を落としながら、藤堂が伸子の耳元でささやくように言う。
伸子「はい。今、鳴海くんにも連絡しました」
藤堂「そうか、それはよかった。実はな、こっちも手筈が整ったところなんだ」
伸子「あ、もしかして柴田くんのパソコンですか?」
藤堂「そうだ。総務部の人と一緒に地下倉庫へ行ってくれ」
伸子「わかりました!」
伸子はハイパー・バイティングを握りしめ、まずは総務部へと向かった。
営業部へ移ってきてからというもの、伸子はほとんど古巣である総務部へ来ることはなくなっていた。懐かしい空気に包みこまれ、伸子は一瞬任務を忘れるところだった。
「高根さん!」
奥の方から、若い男性の声が伸子を呼び止めた。
伸子「前岡さん!」
前岡と呼ばれた短髪の男が、颯爽と伸子のもとへと駆け寄って来る。
前岡「お疲れ。仕事頑張ってる?」
伸子「ええ、なんとか」
前岡は、伸子より3歳年上の30歳。ちょうど会田と同じ年で同期入社だという話らしい。背丈はさほど高くなく、伸子より少し高い程度である。だが、特に太っているわけではない。そして、目が細く口が大きい。新選組局長・近藤勇のように、軽く握り拳を入れることができそうだ。
前岡「あ、部長から聞いたよ。地下倉庫に片づけた柴田って人のパソコンを使いたいんだって?」
伸子「ええ。ちょっと使いたいファイルがあったもんで……」
前岡「そうか。オレが立ち会うから、一緒に行こうか」
伸子「はい。お願いします」
前岡「まったく、撤去する前に言わなきゃダメだよ」
伸子「すいません」
伸子は気まずそうに頭を下げた。
地下倉庫へ行くには通常使用するエレベーターではなく、荷物運搬用のエレベーターか社屋裏口から繋がる非常階段を使う。
株式会社マグナム・コンピュータは、地下2階と3階が倉庫になっているのだ。
エレベーターに乗り込み、前岡が地下2階のボタンを押した。
スーツの袖から銀色の腕時計が覗く。
伸子「あら前岡さん、ずいぶん珍しい時計してますね」
前岡「あ、これ? これね、一昨年に発売された限定モデルなんだ」
伸子「へぇ~。カッコイイですね」
前岡「そう? ありがとう!」
前岡は嬉しそうに微笑んだ。
地下2階、パソコンが保管してあるスペースまでやって来た伸子と前岡。
実際、そこには何台ものパソコンが保管されていた。この中から俊作が使用していたパソコンを探し出し、LAN接続をしたうえでハイパー・バイティングを使わなければならない。
少々面倒だが、やるしかない。
伸子は早速俊作のパソコンを探し始めた。
実をいうと、伸子は俊作が使っていたパソコンの形状をしっかりと覚えていた。
モニターは薄型で、本体には誤ってボールペンでつけてしまった「十文字」が刻まれている。それはまるで、某マンガに登場する伝説の人斬りを思わせるようだった。
伸子は、モニターよりも「十文字」を手掛かりにパソコン本体を探すことにした。
――しかし、いくら探しても俊作のパソコンは見当たらなかった。
伸子「ないなぁ……。前岡さん、柴田くんのパソコンがありません」
前岡「えっ、ホント? うーん…じゃあ、もう業者が持って行っちゃったのかもしれないなぁ」
伸子「まいったなぁ…。あの、その業者に問い合わせてもらってもいいですか?」
前岡「いいけど、そんなにそのパソコンが必要?」
前岡は複雑そうな顔をした。
伸子「はい…。面倒だとは思うんですけど、お願いしてもいいですか?」
前岡「…しょうがないなぁ。電話しとくよ」
伸子「すいません、お願いします」
伸子と前岡は、一旦引き揚げることにした。
それから約1時間後、内線で前岡から伸子へ連絡が入る。
それによれば、パソコンは既に処分されていたとのことだった……。




