40.先読み
佐知絵「黒野くん…!」
佐知絵は俊作を見つけるなり、あからさまに恐がっているような顔をして、素早く黒野の背後に隠れた。
それを見据える俊作の目つきは、ただ、ひたすら鋭さを増すだけであった。
呆れてものが言えない――そんな気持ちに近いのかもしれない。
俊作は、「会社での佐知絵」と「会社外(主にクラブ)での佐知絵」を両方見ている。今、黒野の後ろから恐る恐る自分の様子をうかがう佐知絵は、ある意味滑稽に映った。
佐知絵「な…何ですか…?」
俊作「……家は松濤方面じゃなかったのか?」
佐知絵「…は? 何の話ですか?」
俊作「前にそう言ってただろうが」
佐知絵「言ってないですよ! どうして自分のプライベートを教えなきゃならないんですか!」
俊作「おかしいな。前にメシ食った時、お前は確かに言ったんだぜ?」
佐知絵「心当たりがありませんね」
俊作「…ちっ、忘れたのかよ。じゃあ、メシ食いに行ったことは覚えてるよな? 会社に“オレがしつこくメシに誘った”って吹き込んだみてーだからな」
佐知絵「人聞き悪い言い方はやめてください。あたしは事実を報告しただけです」
俊作「事実……ね。会社もアホだよな。ちゃんと調べもしねーでオレばっかり悪者にしやがって。それだったら、言い方一つで事実なんていくらでも捏造できらぁ」
佐知絵「いい加減にしてください! あたしは被害者ですよ!? あたしがデタラメを言ってるとでも言うんですか?」
俊作「だからおかしいんだって。メシ食いに行ったのは覚えてて、その後記憶がないなんて変だろ?」
佐知絵「酔ってたんじゃないですか? 酔っ払って記憶がなくなったとか」
俊作「酔ってた……? あぁ、確かに酔ってたかもな――」
佐知絵「もうこれ以上詮索するのやめてくださいよ! トラウマでまた会社に行けなくなったらどうするんですか!」
未だかつて聞いたことがないような大声を張り上げる佐知絵。言いたいことを言い切らないうちに俊作の発言は遮られてしまった。余程この話題に触れられるのが嫌なのか。
俊作は、先程佐知絵が現金を渡した男について尋ねようと思った。だが、この調子だと答えてくれそうにない。
しかし、佐知絵が俊作に対して自宅の場所を偽っていたことはハッキリした。黒野に行動を読まれていたのは計算外だったが。
――行動を読まれていた?
俊作は何かに気づいた。
行動を読まれていたということは、誰かに見張られていたということになる。
見張られていたということは、ヒナコと「源」で秋池に会ったところも見られたかもしれない。しかも、秋池には俊作と佐知絵が食事をした夜の様子について話を聞くことになっている。
――そうなると、秋池にもロック・ボトムの魔の手が迫っている可能性が出てくる。ましてや秋池は、もともと黒野とは敵対関係にある立場だ。
俊作(オレが黒野の立場なら、秋池の口を封じるために何らかの手回しをするはずだ)
佐知絵「黒野くん、早くやっつけちゃって!」
黒野「そうだな。二度と反抗できねーように体で覚えさせとくか」
俊作「おい、そんなことしたら傷害罪で警察に捕まるぞ? やめとけって」
黒野「関係ねぇ。オレらは“天下ホウメン”で悪者退治に出動できるんだよ」
天下ホウメン?
俊作は思わず一瞬考えてしまった。
俊作「…それ“天下御免”じゃね?」
黒野「ぐっ……! どっ…どっちでもいいだろうが!」
顔を赤くしながら怒鳴る黒野。
俊作「やれやれ。そんな学識のねぇヤツに警察が個人的に治安維持を任せるとは到底思えねーな」
黒野「コラァ! 口の聞き方に気をつけろや! オレの言うことが怪しいってのか!」
俊作「ああ。街の人たちに恐怖感を植え付ける連中が信用できると思うか? 普通はできねーよ?」
黒野「黙れ。オレらは“自決団”として警察と協力関係にあるんだよ」
俊作「…“自警団”だろ? 死んでどうすんだ。よくそんな間違え方ができるな」
黒野「う……」
俊作「あーあ、なんかアホらしくなってきちまった。帰るぜオレは」
もちろん、まっすぐ帰るつもりはないのだが(秋池が心配だ)。
黒野「待てコラ!」
俊作「やだよ。何でそんな低俗な野郎の相手しなきゃなんねーんだ。隣にいる羽村の気持ちがわからんぜ。見る目を疑うよ、まったく」
佐知絵「なっ…失礼じゃないですか!」
黒野「てめえ! “凌辱罪”で訴えるぞ!」
俊作「“侮辱罪”だろうが、バカ野郎。つくづく恥ずかしいヤツだな。それに、てめーらのほうがよっぽど失礼だぞ。人をこんな目に遭わせやがって」
黒野「うるせぇ! 殺してやらぁ!」
俊作「日本語を勉強し直してきたら相手してやるよ。じゃあな」
その場を立ち去ろうとするが、瀬高とジャッカル男が既に俊作の周りを取り囲んでいる。
瀬高「逃がさねーぞ!」
瀬高が俊作の肩を掴む。
俊作「しょうがねーなぁ…」
俊作は素早く瀬高に組みつき、首相撲の状態を作った。そのまま間髪入れずに瀬高を引き摺り回し、バランスを崩したところで黒野とジャッカル男が立っている方向へ乱暴に投げ捨てる。
瀬高は、黒野とジャッカル男のちょっと真ん中辺りへ勢いよく転がっていく。
黒野「ぬっ!」
ジャッカル男「わっ!」
俊作が瀬高を引き摺り回したおかげで、黒野とジャッカル男の立ち位置が都合よく隣り合わせのような形になっていた。そんな好条件が重なり、転がってくる瀬高をよけきれなかった黒野とジャッカル男は、ぶつかると同時に尻餅をついてしまった。
黒野「てめえッ!」
黒野が野犬の如く吠えた時には、俊作は既に先程来た道を、佐知絵のマンションに向かって猛然と駆け出していた。
黒野「ぐっ……おめーら早く起きろ!」
3人とも絡まりながら転倒したため、なかなか起き上がることができない。
空手とストリートファイトで鍛えられた俊作の脚力は、プロのアスリートを除けば、同年代の男性より高い。更に、持ち前の瞬発力を活かした「マリオカート」のロケットスタートを思わせる素晴らしいスタートダッシュに成功したため、黒野たちがやっと起き上がった時点で両者の距離は10メートルを超えていた。
よし。
これだけ距離が開けば追いつかれないだろう。
あとは純のウイングロードに乗ってこの場を走り去るだけだ。
そう思っていると、5メートルほど先で純のウイングロードが俊作を急かすかのようにして待ち構えていた。
純も、俊作と黒野たちのやり取りを遠くから見ていたので、次に俊作がとる行動を予測していたのだ。
予測といっても、俊作が戦うにしろ退くにしろ、純はいつでも車を発進できるようにしておくだけなのだが。
俊作の接近にあわせて、純が助手席のドアを力強く押し開けた。
純「早く乗れッ!」
俊作が助手席へ滑り込むのと同時に、ウイングロードは急発進する。
悔しがる黒野たちを尻目に、ウイングロードはどんどん加速していく。
俊作「純、もう一度“源”へ向かってくれ」
純「何で?」
俊作「オレは黒野たちに行動を読まれてた。…ってことは、秋池が危ねぇ」
純「……そうか、そういうことか。じゃあ急がなきゃいけねーな」
先に述べたことを、純は一瞬で理解した。
ウイングロードは、影を縫うように道玄坂へと引き返していく。
俊作が「源」へ駆け込むと、これまで何度か見かけた男性店員が応対してきた。
男性店員「秋池なら今日は早退しましたよ」
俊作「えっ?」
早退しただと……?
俊作「早退…って、何かあったんですか?」
男性店員「さぁ…詳しいことはわかりませんが、急に体調でも悪くなったんじゃないですかね」
俊作「そんなはずは…。だって、さっき会った時は元気そうでしたよ?」
男性店員「じゃあ急用でもできたんでしょう」
俊作「じゃあ…って、本人から何も聞いてないんですか?」
男性店員「はい。いつ帰ったのかもわかりませんでした」
俊作「それじゃ、どうして早退したってわかるんです?」
男性店員「聞いたんですよ、他のスタッフから」
俊作「そのスタッフって誰ですか?」
男性店員「彼も、もう帰りました」
俊作「そうですか……」
男性店員「あの、もう仕事に戻っていいですか?」
俊作「あっ、あと一つだけ!」
男性店員「……何ですか?」
男性店員は嫌そうな顔をした。
俊作「秋池さんをこの店に紹介したのはどなたですか?」
男性店員「は?」
俊作「彼はもともとクラブのオーナーだったと聞いてます。クラブが無期限の営業停止になってしまい、再開までの間にここを手伝っているとか……」
男性店員「知りません」
男性店員はきっぱりと言い切った。
俊作「いや、だけど……」
男性店員「申し訳ありませんがお引き取りください。まだ仕事中ですので」
言うと、男性店員は店の奥へ引っ込んでしまった。
仕方なく退店し、再びウイングロードに乗り込む俊作。
俊作「次は秋池のマンションだ。急げ!」
純「OK! ヤツは既に店を出てたんだな?」
アクセルを踏みながら純が言う。
俊作「ああ、そうだ。急がんと大事な証人を失うことになる」
純「そうだな。めんどくさくならんうちに秋池の安全を確保しなきゃな!」
純のウイングロードは、ハチ公前のスクランブル交差点から一気に加速し、ガード下を通過して宮益坂交差点を減速することなく左折すると、明治通りを颯爽と走り去っていった。
原宿に差しかかり、車は裏路地へと入っていく。
間もなく、秋池のマンションが見えてきた。彼は無事だろうか。
俊作「――ん?」
俊作が、マンションの前に灯る赤い光に気づいた。
純「どうした?」
俊作「車だ。マンションの前に車が停まってる」
純「車…?」
前方に視神経を集中させる純。
確かに、黒いワゴン車がマンションの前に停車している。テイルランプが点灯していることから、エンジンはかかったままだ。俊作が見た赤い光はこれのことだろう。
純「何だ、あの車」
俊作「一応調べてみるか。お前は先に秋池の部屋へ行っててくれ」
純「よし。そうしよう」
純が車を、ワゴン車の7〜8メートルほど後ろに停めると、先に純が車を降りた。
俊作は、助手席からじっとワゴン車の様子をうかがう。
エンジンがかかっている、ということは車内に誰かがいる。そう考えるほうが自然だ(中にはエンジンをかけっぱなしで車を離れる人もいるが)。
しかし、ワゴン車の窓ガラスにはスモークがびっしりと貼られているため、車内を肉眼で確認するのは難しそうだ。
原宿の一角で、黒いフルスモークのワゴン車がアイドリングストップ。誰が見ても怪訝に思うのではないだろうか。そもそも、アイドリングの時点でマナー違反である。
念のため、ナンバーを控えておこう。メモをとるより、この万能カメラで撮影したほうが早い。
俊作はカメラをセットした。
俊作「――!」
なんと、ナンバープレートの半分から先が、直角に折り曲げられている。
気がつかなかった。
これでは、近づかない限りナンバーがわからないではないか。エンジンが稼働中である以上、車に接近するのは確実に怪しまれる。
誰の車なのだろう。
ナンバーをわかりづらく細工してあるということは、走り屋か、暴走族か、それともあるいは……。
こうなれば、このワゴン車を見張るしかないだろう。
俊作は、携帯電話で純に連絡をとろうとした。
ところが、一向に出る気配がない。何度かけ直しても虚しく呼び出し音が鳴り響くだけだ。
おかしい。
秋池の部屋を見に行くだけなら電話に出られるはず。
純の身に何か起きたのだろうか。
俊作は、小走り気味にマンションの中へと入っていった。
純に何があったのか?




