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41.タッチの差

秋池の部屋は2階の角だ。走って行けば1分もかからないだろう。


俊作は、入り口からいちばん近くにある階段を駆け上がった。


踊り場に差し掛かった時、一人の男がせわしない様子で駈け下りてきた。


思わず横に飛び退く俊作。

しかし、その男の特徴はしっかりと脳内にインプットしていた。

いや、せずにはいられなかった。


体格はだいたい俊作と同じくらいか。雨が降っているわけでもないのに、全身をレインスーツでかためている。


バンダナで口元を隠し、目にはサングラス、更には野球帽をかぶっているので顔がわからない。それよりか、どう見ても怪しい。


こんな怪しい風体の男を、俊作が見過ごすなんてことは有り得ない。


しかし、純の様子も気になる。

俊作は、その男をやりすごすと、階段を2階まで駆け上がった。


秋池の部屋目がけて突撃するかのように通路を駆け抜けていく俊作。


――いた。


純が、苦しそうな顔で床に横たわっていた。


俊作「純……!」


どうやら純は気絶しているようだ。


俊作「おい、純ッ! 起きろ!」

軽く肩を叩いたり揺らしたりして、純を起こそうとする俊作。こんな時、あまり激しく動かしてはいけないのだろう。しかし、それはわかっているけれども、今現在の状況を把握するために、そして純の無事を確認するために、俊作は次第に純を強く揺り動かしていくのだった。


純「……う……うぅ……」

気がついたようだ。

俊作「純!」

純「ん…俊作か……」

俊作「大丈夫か?」

純「う…頭が痛ぇ」

左手で後頭部を押さえながら、純が唸るように低い声を絞り出す。

俊作「何があった!?」

純「…確か……後ろから殴られて…………はっ!」

純の身体が、急に跳ね上がる。俊作もビックリして後ろに飛び退いた。

純「急いで車に戻るぞ!」

俊作「え?」

純「秋池が拉致された! ロック・ボトムのヤツらがいやがったんだ! オレが来た時には、秋池はちょうど連れ出されるところだった。それを止めようとしたら、後ろから殴られて…」

俊作「何だって!?」

俊作と純は、弾かれたパチンコ玉のようにマンションの階段を駈け下りた。

俊作(――まさか、さっきのヤツが純を……?)

エントランスホールに差し掛かった時、車のエンジン音が二人の耳に飛び込んできた。

純(この音……ウイングロードのエンジン音じゃねぇ!)


身体一つ分、俊作が先に外へ出た。


その瞬間、黒く大きな物体が彼の目の前を横切った。


俊作「!!」


ワゴン車だ。

あの、黒く、いかにも怪しかったワゴン車だ。


走り去っていくワゴン車を見て、俊作はただ唇を噛み締めていることしかできなかった。


純「Shit…! 遅かったか!」

俊作「あのワゴン車、どうも怪しいと思ったら、ヤツらの車だったのか…! クソがッ! やられたぜ!」

感情が昂ぶるあまり、俊作はマンションの壁に思い切り前蹴りをぶちかました。


?「何を八つ当たりしてるんだ、柴田よ?」

俊作「!?」


聞き覚えのある声が、まるで弾んだゴムボールのように飛び込んでくる。


俊作が振り返った先から、会田が夜の闇から姿を現した。


俊作「あ、会田さん!?」

会田「よう」

仕事が終わった、その足なのだろう。スーツ姿だが、シャツの襟元が緩んでおり、心なしかくたびれているように見える。それにネクタイもしめていない。

俊作「こんな所で何やってんすか?」

会田「ちょっと友達と会ってたんだよ」

俊作「そうですか……あ、すいません、ホントならゆっくり話したいんですけど、今ちょっと急いでるんです」

会田「…そうなんだ。もしかしたら、アレか? 自分の無実を晴らすための証拠集めでもやってんのか?」

純「――!」

俊作「どうしてそれを……?」

俊作と純は思わず足を止めてしまった。

会田「やっぱりそうか。そんな噂を耳にしたんだよ。それに、お前の性格ならやりそうだしな」

俊作「噂……ですか?」

会田「ああ。だけど、今それが事実だってわかった」

俊作「……そうですか」

俊作が少し複雑げな表情になったのを、会田は見逃さなかった。

会田「何だ? あんまり嬉しくなさそうだな。もしかして、笹倉課長に知られるのが怖いのか?」

俊作「…そんなんじゃないんですけど……」

困った。

急がねばならないのに……。

会田「確かにあの人には“笹倉派”って取り巻きがいるらしいから厄介かもしれないな。だけど、お前がシロだってことはみんながわかってる。力をあわせれば大丈夫だ」

俊作「……はい」


純「……」

純は会話に混じろうとはせず、何気なく会田の様子を見ていた。


服装がくだけていること以外に、髪型が昼間に会社で見た時とはどこか違う印象を受ける。何というか、何となくスッキリした感じというか――。

スポーツでもしてきたのだろうか。


ふと、俊作が視線を会田の右手付近に落とすと、ジャケットの袖口に縫い付けられているはずのボタンが一つ欠けていることに気づいた。

しかし、今はそれを指摘してあげる猶予はない。こうしている間にも、秋池との距離は開く一方なのだ。

俊作「――じゃあ会田さん、オレらそろそろ行きますね」

会田「おう、そうか。引き止めて悪かったな。…あ、そうだ」

俊作「何ですか?」

会田「…もしかしたらさぁ、羽村さんって“笹倉派”なんじゃないか?」

俊作「え…?」

会田「あくまで推測だけどよ、会社サイドは羽村さんの証言と笹倉課長の報告だけを聞き入れて、柴田の主張は聞く耳持ってくれなかったんだろ? そうなると、羽村さんと笹倉課長がグルになって根回ししたんじゃないかって疑いたくなるんだよ。課長はもとからお前を嫌ってたし」

俊作「それで、彼女が“笹倉派”だと……?」

会田「ああ。だが、さっきも言ったようにこれはあくまで推測だ。よく調べてみろ」

俊作「…わかりました」

会田「じゃあな。頑張れよ」


会田は明治通りの方へ歩いて行った。


俊作「…羽村が……“笹倉派”……」

純「有り得ない話じゃないな。それは米本さんに人事部のデータベースで調べてもらおう。オレらは秋池の行方を追わなきゃなんねぇ」

俊作「そうだな。純、一応聞くけど、お前が秋池の部屋の前まで行った時、敵は何人いた?」

純「……5人だ。オレを後ろから殴ったヤツも含めてな。5人のうち2人はRYU-JINに行った時カメラで撮影したヤツだった」

俊作「なるほど、ロック・ボトムのヤツらが秋池を拉致したってことか。人数は5人。まだそんなに遠くまでは行ってないはずだ。ロッキーに連絡して、情報屋を総動員して捜索にあたろう」

純「オレの情報屋にも頼もう。より多い人数で秋池を捜すんだ」

言い切らないうちに、純は携帯電話を取り出して自分が抱える情報屋に片っ端から連絡を入れた。

俊作も創と連絡をとり、情報屋に秋池の捜索を依頼した。


車で連れ去られたとしてもさほど遠くには行っていないだろうということを考慮して、捜索範囲を渋谷区と、それに隣接する新宿区・港区・目黒区・世田谷区・杉並区・品川区に絞った。加えて、渋谷区以外に関しては、渋谷区に近い場所を重点的に捜すよう指示した。更には、以前スペイン坂のクラブで撮影したロック・ボトムのメンバーと黒いワゴン車の画像をメールで送信しておいた。


純「…よし、急ぐぞ」

俊作「おう!」

俊作と純は、急いでウイングロードに乗り込んだ。


しかし、交通量の多い都心で特定の車両を見つけるのは非常に困難な話である。


捜索開始から3時間以上経過しても、それらしい目撃情報は入ってこない。また俊作と純も未だ発見には至っていない。


更に2時間が経過すると、俊作と純を眠気が襲うようになった。疲労のためだろう。


人通りの少ない裏路地に車を停め、仮眠をとる俊作と純。


3時間ほど寝ただろうか。

先に目を覚ましたのは純だった。


あくびをしながら、純はタバコに火をつけると窓を少しだけ開けた。


携帯電話をチェックする。

電話やメールは何一つ来ていない。


外はぼんやりと、暗闇が朝光に消され始めてきている。雀の鳴き声も聞こえてくる。


俊作「む……もうこんな時間か……」


助手席で寝ていた俊作も目を覚ましたようだ。


純「起きたか、俊作」

俊作「何か連絡あったか?」

純「Nothing! まるで連絡なしだ」

俊作「そうか…なかなか見つかんねーなぁ」

純「そうだな。それよりもよ、あの会田って人なんだけど…」

俊作「ん? 会田さんがどうかしたか?」

純「あの人、何で“笹倉派”を知ってたんだろう?」

俊作「…さぁな。会田さんも社内の事情に詳しいからな」

純「そうなのか……」

俊作「ああ……」


俊作と純は秋池の捜索を再開した。


しかし、やはり秋池は見つからなかった。


朝日が昇り、会社や学校へ行く人たちが街を往来し始めた。


仕方なく二人は捜索を中断し、情報屋たちに後を任せると渋谷駅へ向かった。


純は新南口付近に車を停めた。

純「よし、ここで一旦別行動だ。悪いけど俊作は電車でアキバへ向かってくれ。オレはお前の会社で掃除の仕事があるからな」

俊作「わかった。頼んだぜ」

純「それから、疲れてきたら無理しないで休めよ。いざって時に体力がなけりゃ何もできねーからな」

俊作「大丈夫だ。その辺はちゃんと考えて動くよ」

純「よし。じゃ、何考えてあったら連絡しろよ」


そう言い残し、純はマグナムコンピュータへ向けてウイングロードを発車させた。


独りになった俊作は、通勤ラッシュでごった返す山手線に乗り込み、秋葉原へと向かった。



高根伸子は、営業部に姿を見せるなり、ハキハキとした態度で周りの社員たちと挨拶を交わすとパソコンの電源をオンにした。


それとほぼ同じタイミングで、羽村佐知絵が出社してきた。


いつもの通り周囲への挨拶を済ませると、いつもの通り着席しパソコンの電源を入れ、いつもの通り末広真智子と軽い雑談を始めた。


何から何までいつも通りの出勤風景だ。


伸子「……」


やはり疑わしいと思いつつ、メールをチェックする。社会人としての基本だ。


受信トレイを開くと、米本から新着メールが届いていた。


伸子「――!?」


メールを開いて伸子は動揺した。

驚くべき内容が本文に書かれていたからだ。


その内容を、原文のまま紹介しよう。


『社員各位


おはようございます。


この度は、元営業部法人営業一課・柴田俊作解雇の件で皆様をお騒がせいたしまして誠に申し訳ありません。


中には「不当解雇ではないか」と疑問を抱く方もいらしたようで、人事部としても配慮が足りなかったと深く反省しております。


しかし、当事件につきましては、被害に遭われた法人営業二課の羽村佐知絵さんや柴田の上司である笹倉課長の証言をもとに裏付け調査を行ったところ、紛れもない事実であることを確認致しました。


したがって、皆様にはこれ以上騒ぎを大きくして被害者をいたずらに傷つけるようなことはお止めいただけるよう、ご理解ご協力のほどよろしくお願い致します。


人事部人事課

米本幹夫』


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