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15.大森には何がある?

千里を探る俊作と、梨乃を探る純。

佐知絵の人間像はつかめるか…?

清掃の仕事を終えた純は、サングラスをかけ、頭にはニットキャップをかぶっただけの格好で、マグナムコンピュータ前の喫煙スペースでタバコを吸っていた。


当初の予定通り、末広真智子か秋葉梨乃を待ち伏せ、会社から出てきたところを尾行する。


さすがに両者をいっぺんにつけるのは無理だ。真智子か梨乃の、どちらか先に出てきた方を尾行しよう。


待つこと約20分。


出てきたのは、秋葉梨乃だった。


急いでタバコを灰皿に押し込み、彼女の後を追う純。


秋葉梨乃は、果たして佐知絵に関する有力な情報を持っているだろうか。少しばかり期待する純。



少し時間を巻き戻すこと今から1時間ほど前、俊作は江坂千里が勤務する、キャミー&ジミー新宿店の前にいた。


店の外から様子をうかがう。


江坂千里本人はすぐに確認できた。

“江坂”と書かれた名札を胸につけている。


どちらかといえば、南国的なイメージの美女という感じだ。身の丈は伸子より若干高く見える。それにスレンダーな体系も手伝って、仕草や立ち振舞いが爽やかで健康的に感じられる。


彼女は現在接客中だ。

相手は大学生ぐらいの男性。


客を装って店内をうろついていれば、そのうち向こうから話しかけてくるだろう。


俊作は店の中へ足を踏み入れた。

中はさほど広くない。千里の他にも別の女性店員が接客をしていた。だが、俊作から見て、接客態度は千里のほうがよかった。

“類は友を呼ぶ”というヤツだろうか。千里も愛想はよかった。第一印象は決して悪くない。

――いや、そう決め付けてしまうのは早計だ。

俊作は江坂千里をよく知らない。今、初めてその姿を見ただけだ。実際に会話をしたわけでもないので、人となりまではわからない。

俊作は、急いで頭の中に浮かんだ言葉を打ち消した。


とりあえずここは江坂千里を観察しよう。

俊作は、目の前にあったロングTシャツを手に取り、じっと眺めながら注意を江坂千里に向けた。


20分、いや30分ほど待ってみたが、千里は依然として同じ男性客と話し込んでいる。

明らかにこの男は常連客だ。


もしかしたらあの会話の中から、何かヒントになるようなものが見つかるかもしれない。

あまり気が進むものではないが、俊作はこっそり近づいて彼女らの立ち話を盗み聞きすることにした。


千里のそばに陳列されていたカットソーを手に取った瞬間、俊作は少しばかり身体の力が抜けた。


彼女らが“小学生の頃によく使っていた文房具”の話で盛り上がっていたからだ。


俊作「何だそりゃ?」

俊作は心の中で叫んだ。


それでも一応粘ってはみたが、話は一向に終わる気配を見せない。

これ以上同じ場所にいると怪しまれる。少しだけ移動しよう。

俊作は、カットソーから隣のジャケットへ視線を移した。


俊作は思った。

これなら店員に声をかけてもらったほうがマシだ。いつもは若干うざったく感じられる店員も、こういう時に限って誰も応対しに来ない。周りには自分がどう見えているのだろうか。せめて“何を買おうかなかなか決められずに迷っている優柔不断な客”ぐらいに思ってくれたら幸いなのだが。


しかし、それでも千里と男性客の会話は終わらなかった。


見えない何かに押し出されるかのように、俊作は店を出ていった。


俊作「くそっ、話が長すぎんだよ」

俊作は唸った。


しかし、あれでは千里に接触するのは無理だ。ここはひとまず退却しよう。


それにしても、少し喉が渇いた。コーヒーでも飲んでひと休みするか。


俊作は、近くにあった喫茶店に入った。


アイスコーヒーを一口飲み、大きく息を吐く。


肩の力が抜けていくのを感じる。

探偵の仕事が初めてだったためか、無意識のうちに緊張で身体全体が強張っていたのだろう。ここで一息ついたのは正解だったのかもしれない。


ちびちびとコーヒーを飲みながら、先程神田中央大学で手に入れた卒業論文のコピーに目を通す。


佐知絵の論文を読むと、彼女とのこれまでのやりとりを思い出す。


信じられん。

まさかあの子に悪者扱いされるなんて。


どこがセクハラなのか、どう逆立ちしてもわからないし納得できない。


仕事帰りに食事をしただけではないか。食事をした店のスタッフに聞いても、きっとセクハラ行為などしていなかったと言うだろう。


俊作は、コーヒーカップを手に取ろうとしてやめた。


食事をした店のスタッフ……?


俊作は、わりと大事なことを忘れていたのに気づいた。


そうだ、まだ実際に店のスタッフに確認をとっていない。彼らの証言は強力な証拠能力を発揮することだろう。江坂千里に近づくのはその後でも遅くはない。


更に、店の付近で、実際に羽村佐知絵をホテルへ連れ込もうとする柴田俊作を見た人がいるかどうか、聞き込みをすればベターである。誰も見ていないか、“見たがホテルへ連れ込もうとする様子ではなかった”という証言が得られれば俊作のセクハラ疑惑はかなり薄くなるに違いない。


携帯電話の電話帳から、純の番号を探し出す俊作。


そして、通話ボタンを押した。


純『俊作か? わりぃ、これから電車に乗るんだ。後でこっちからかけ直す!』

通話開始と同時に、まくし立てるような純の声が飛んできた。

俊作「あ、あぁ、わかった」

つられるように、俊作の口調も慌ただしくなる。

「すまん」と言おうとした時には、既に通話が終了していた。


仕方ない。純がかけ直してくるまでしばらく待つか。



帰途についた秋葉梨乃の後をつけていた純は、山手線に乗り込んで品川方面へ向かっていた。


どうやら彼女の家がこっちの方角らしい。


電車に乗っても、梨乃に変わった様子は見られない。


電車が品川に到着すると、今度は京浜東北線・大船行きに乗り換えた。


梨乃は、品川から二つ目の大森で降りた。


海岸方面とは反対側の出口を出ると、彼女は駅前の坂道をせっせと上った。


ふと、純は上を見上げた。


パチンコ屋が入ったビルの最上階にスポーツジムがあるではないか。


純「…そーいや最近運動不足だな……」

誰にも聞こえないぐらい小さな声でつぶやいた。


純が視線を前方に戻すと、梨乃がバッグから携帯電話を取り出していた。


電話か? それともメールか?

彼女が送信側か? それとも受信側か?


念のため、純はICレコーダーをセットした。


実はこのレコーダー、高性能集音マイクがカスタマイズされていて、かなり遠い場所の音も拾うことができる。

そして、元がレコーダーであるため、拾った音は即時に保存することができる。

しかも、外見がポータブルMP3プレイヤーに似ているため、誰もICレコーダーだとは気づかない。


一言でいえば、すごく便利なのだ。


ちなみにこれは、純が探偵事務所を開く際に黒木創から記念として贈呈されたものである。

たまたま仕入れたICレコーダーがポータブルMP3プレイヤーに似ていたため、同じくたまたま仕入れた小型高性能集音マイクを取り付けたのだという。

それにしても、相当の改造技術である。


そんなエピソードが詰まったICレコーダーを、梨乃の方向へ向けた。


梨乃が、携帯電話を耳にあてた。


電話だ。

しかも彼女から誰かにかけた様子。


しばらく経つと、梨乃が携帯電話をバッグにしまい込んだ。相手が何らかの理由で出なかったらしい。

純も、ICレコーダーをマウンテンパーカーのポケットにしまい込んだ。


結局、この時はこれ以外梨乃に目立った動きはなかった。


とりあえず大森駅前まで戻り、俊作に電話をする。


純「遅くなってすまん。秋葉梨乃をつけてたもんでな」

俊作『何かわかったか?』

純「さっき誰かに電話してたみたいだけど、出なかったらしい。それ以外は特に変わった様子はなかった。そっちはどうだ? 羽村の友達には接触できたのか?」

俊作『いや、長いこと接客中で無理だった。顔は確認できたけどな。今は近くの喫茶店にいる』

純「そうか。それでいい。ヘタに周りをうろついて怪しまれたらちょっとまずいからな」

俊作『あのさ、今から渋谷に向かおうと思ってんだけど……』

純「何で?」

俊作『オレと羽村が食事をした店のスタッフに聞き込みをするためだよ』

純「聞き込み?」

俊作『あぁ。オレがセクハラで訴えられたのは、彼女と食事をした時の行動が引き金になったわけだろ? それなら、食事をした店のスタッフや店周辺、道玄坂のホテル街へ出向いて聞き込みをして、“セクハラは事実無根だ”って証言を得ればこっちも少しは有利になるんじゃねぇ?』

純「なるほどな。いや待てよ、ホテル街で聞き込みをするのはちょっと面倒だぞ。羽村の訴えによれば、お前は彼女をラブホに連れ込もうとしたんだよな?」

俊作『そうだけど?』

純「だったら、ラブホの防犯カメラをチェックしたほうが早くないか?」

俊作『あぁ、なるほど』

純「確か、お前と羽村がラブホへ入ろうとする“疑惑の写真”があったんだよな? どのラブホかわかるか?」

俊作『いや…それがな、あの写真、うまいことホテルの名前がわからないように写してあるんだ。しかもアップだったから周りの風景もよくわからなかったし』

純「でも、ホテルの一部分は写ってるんだろ? そこからどこのホテルか割り出せない?」

俊作『うーん……わりとありふれた外観だったような……』

純「そうか……」

俊作『あの写真さえあればいいんだけどな。実際の風景と照らし合わせてホテルを割り出すことができる』

純「そうだな……。お前、その写真の持ち主わかるか?」

俊作『わかんねぇ』

純「だよな…。ちょっとここはロッキーの力を借りるかな」

俊作『ロッキーの?』

純「正確にはロッキーの人脈を頼るんだ。あいつは仕事を通じていろんな情報屋と知り合ってるからな」

俊作『そうか、その情報屋にお願いしてあの写真は誰が持ってるか調べてもらうんだな?』

純「そうだ。幸い持ち主の見当はついてるし」

俊作『羽村佐知絵か、戸川って弁護士か』

純「あぁ。的がだいたい絞れてるから、すぐにでもわかるだろう」

俊作『よし、写真はロッキーの人脈にお願いしよう。オレは今から渋谷へ向かう』

純「いや、店の聞き込みならオレがやろう。お前には羽村の友達に探りを入れる仕事がある」

俊作『だけどよ……』

純「いいんだ。オレは今日はもうやることがねぇ。店の名前を教えてくれ」

俊作は、仕事帰りに佐知絵と2人で食事した店と、白鷺堂返還祝と称して佐知絵、会田の3人で飲んだ店の名前を教えた。

純「……よし、わかった。お前は引き続きキャミジミへ行ってくれ。調査が終わったら今日はお互い直帰しよう。ただし、メールで簡単に調査報告することを忘れずにな」

俊作『あぁ。わかった』

純「あと、キャミジミ近辺でいい店あったら教えてくれ」

俊作『どんな店だ?』

純「もしアレだったら歌舞伎町まで足を伸ばしてもいいぞ」

俊作『……まさかお前……』

純「いやぁ、たまには息抜きもねぇ……」

俊作『そういうのは自分で調べろよ!』

純「Just kidding!(冗談だよ) 真に受けんなって」

俊作『……やれやれ』


電話を切り、純は大森駅から京浜東北線に乗り込んだ。


俊作も、素早く会計を済ませて再び江坂千里のいる店へ向かった。


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