大地サトルの前に現れた者
二時間目の授業が終わり、輝明学園中等部の大地サトルは次の授業の準備をしていた。
事前に教科書は読んである。ほとんどが頭に入っているが、授業がいつ中断されるがわからない輝明学園では、どれほど予習してもしすぎるということはない。
よくこれで、イノセントの学生が通っているものだと思いながら、教科書とノートを机に並べる。
取り巻きの同級生たちも、さすがに短い休み時間の間までまとわりつくということはなかった。
短いが安息の時間帯である。
ただし、予期しない訪問者があった。
クラスの入口に立っていたのは、高等部の制服を着た、人懐こそうな男子学生である。
サトルと目があった。
直感で、サトルはイノセントではないと感じた。ウィザードどうしは目を見ればわかる、という便利なものではない。
だが、この時だけは確かに嫌なものを感じたのだ。
大いなる者としてのサトルの能力の一端かもしれないが、確証はなかった。
目が会ったことがわかったのだろう。高等部の男子はサトルを手招いた。
サトルは時計を見て、まだ授業が始まるまでに時間があることを確認すると、席を立った。
「トイレかい?」
「ちょっと、高等部の先輩に呼ばれているみたいなんだ」
「気をつけてね。一緒に行こうか?」
「いや、遠くにはいかないから、大丈夫。なにかあったら呼ぶから、頼むよ」
サトルが話をしていたのは、席が近い数人である。
ただ立ち上がっただけで、自然と会話が生まれるということ自体が、サトルのクラス内での立場を表していた。
「人気者なんだね」
高等部の学生は、サトルが近づくと、爽やかな笑顔を浮かべた。見た瞬間に感じた嫌な印象は陰をひそめる。
「先輩ほどじゃない、と思いますが?」
「いや、僕は転校生だ。今日初めてこの学園に来たのでね。知り合いはほとんどいない」
「なら、中等部になんか来ていないで、クラスになじんだほうがいいでしょう。僕にご用ですか?」
「もちろん。地裏ムカサを知っているかい?」
昨日、アンゼロットから聞かされた名前だ。昨日一日は結局ムカサとは接触しなかったので、また連絡があるのではないかと危惧していたところだった。
「聞いたことはあります」
「その程度か? 君は、呪香ミツコと親類だと聞いていたから、興味があると思ったんだけどね」
「ミツコさんと地裏ムカサに、なにかつながりがありますか? ただのクラスメイトだと聞いていますが」
「ただの関係ではないだろうね。一時間目が自習になった後、二人が職員室に呼び出された。二時限目が始まっても戻ってこない。
さあっ、二人はいまどこにいるんだろうね」
サトルは、目の前の明らかに好青年といった印象の学生が、最初の印象通りに油断できない相手だと理解した。
「先輩、名前は?」
「おっと、これは失礼。僕は極卒シリョウだよ。よろしく、大地サトルくん」
二人の脇を通過しようとした女子生徒が昏倒した。
小規模の異空間が開かれたのだ。サトルは女子生徒が倒れる前に受け止めた。
クラス中がざわめく。半数は突然倒れた女子生徒を心配して、もう半数はサトルに抱かれた女子生徒に嫉妬したのだ。
展開された異世界が、ウィザードがめぐらせる月匣ではなく、侵魔が呼び起こす裏界であることにサトルは気づいていた。
「……侵魔、ですね」
「まあ、そうだね。でも、ただの、じゃない。僕と喧嘩をするときは、背後に気をつけることだ」
「ご親切にどうも」
裏界が閉ざされる。極卒シリョウは姿を消した。
クラスの喧騒がサトルの耳に入る。
サトルは、意識を失った女子を抱いたままだった。
意識せずに立ち上がり、振り返り、クラス中が見守っていたことに気づいた。
背後からは、3時間目の授業を行うために、教師が近づいてきていた。
「あ……この子が意識をなくしたみたいなんです。原因は解りませんが、保健室に連れていきます」
教師に向かってサトルが言うと、さすがに止める者はいなかった。授業中である。教師としても変な指示をして女子生徒の容態が急変しても困るので、サトルに任された。なにより、サトルは優等生だった。
保健室の校医に女子生徒を預け、大地サトルはトイレ以外では珍しく一人になった。
通話をするのが嫌でたまらないが、Оフォンを取り出した。
保健室を出て、廊下で耳にあてる。
『連絡をくれると思っていたわ』
世界の守護者は、常に先を読んだ物言いをする。実際に読んでいるとはかぎらないが。
「アンゼロット様、輝明学園の高等部に、侵魔が入りこんでいるようです」
『そういうこともあるでしょうね。でも、たいしたことはできないわ。接触したのかしら』
「はい。地裏ムカサについて聞かれました。職員室に呼び出されたまま、戻ってこないと」
『そう……地裏にはロンギヌスをつけてある。心配はないと思うけど、緊急の事態が起きたら、動いてもらうわ』
サトルは渋い顔をした。誰かに見られていた場合には、決してつくらない表情である。
ウィザードとして覚醒した時から、自分がかつての偉大な魂を引き継いでいることは自覚していた。魂の経験が、人前でいかに自分を見せるかについて語りかけてくるのだ。
『返事が聞こえないわ』
「……する必要がありますか?」
アンゼロットにやれと言われれば、やるしかないのだ。ウィザード本人の意思など必要ない。だが、アンゼロットは言った。
『もちろんよ。直接聞きたいのよ。どちらでもいいのよ。『はい』でも『イエス』でも』
「……承知しました」
『素直じゃないわね。でも、快く承諾したと思っておくわ』
通信が切れた。サトルは、アンゼロットに自主的に連絡してしまったことを、強く後悔した。




