新しい教師と転校生
呪いの家と呼ばれる都市伝説に終止符を打ってから数日後、輝明学園は通常の授業を再開していた。大きな地震はあったが、被害は少なかった。幸いにも校舎の耐震性にも問題なく、地裏ムカサと呪香ミツコは相変わらず、クラスに溶け込めず、溶け込もうともしていなかった。
ホームルームが始まる時間だというのに、担任の教師は姿を現さなかった。地裏ムカサはいつものように正しい姿勢で、椅子に背を預けることさえ拒否し続けていた。
隣に座る呪香ミツコは、上手に教科書を机の縁に立てる研究をしている。初めから、授業を聴くつもりなどないのである。少なくとも、ムカサはミツコよりまじめに授業を受けている自覚があった。クラスメイトからは同列に見られていたが、絶対に違うのだと主張する自信はある。ただし、現在のところムカサの主張を聞こうとする者はいない。全員が、ムカサとミツコに背を向けている。
背を向けられているのは、二人の席が最後列であるため当然でもある。
遅ればせながら、教室の扉が開いた。
見たことがある初老の男と、見たことがない二人の人物が続いた。
「教頭先生だ」
クラスの中の誰かが言った。教頭先生だったのかと、ムカサは誰にも悟られずに納得した。ミツコは、きっと興味すらないはずだ。
だが、クラスメイトでさえ、輝明学園の権力者である教頭に興味を持ったのはごく短い時間だった。続いた二人は、クラスメイト達でさえ知らない顔である。
学校という閉鎖された空間で、全く知らない顔と言うのは特別な事情がないかぎり現れることはない。ちなみに、クラスメイトのほぼ全員が、ムカサやミツコよりはるかに事情通である。
「突然の配置換えで、担任の先生が変わることになった。こちらが、今日から1年1組の担任になる黒瀬エリッサ先生です。もう一人、今日からこのクラスに転向してきた皆の仲間がいますが、紹介は黒瀬先生にお願いします」
必要なことだけ言うと、教頭先生は教室を出ていった。
何の前触れもなく、学期の中途で担任が変更になる。通常はあり得ないことだが、輝明学園では珍しいことではない。その場合、当たり前のように人智を越えた力が関わっている。
相談するとしたら、ふさわしい相手がクラスに一人だけいたが、相談する気にならなかったため、ムカサは視線も向けなかった。まだ、教科書の置き方を研究しているのかもしれない。ムカサは、教壇で自己紹介を始めた二人から視線をはずさなかった。
「ご紹介のあった黒瀬エリッサだ。今日から数学を教えることになった。よろしく頼む」
男のような言葉遣いをしているが、真っ白い肌をした背の高い女性だった。髪が黄色いのは染めているわけではないだろう。男物の白いスーツが良く似合う。造形も端正な造りをしており、口からでたあまりにも流暢な日本語に、生徒たちが驚くのが空気でわかった。
ムカサの耳に、ゴミがあたった。ムカサは無視した。消しゴムのカスだと思われる。
どう見ても日本人とは思えない黒瀬エリッサが、英語教師ではないことも驚きだった。エリッサはもう一人、一緒に教室に入ってきた小柄な少年を紹介した。
「こちらは、今日からこのクラスに転入してきた……」
真っ黒な髪と青白い顔色の、いかにも優等生ですといった風貌の少年が口を開く。
「極卒シリョウです。よろしくお願いします」
地裏ムカサの頬に、細い鞭で打ちつけられたような衝撃があった。輪ゴムだと思われる。ムカサは無視することにした。
黒瀬エリッサは極卒シリョウと名乗った少年の席を探したが、突然の転入生に席があるはずもない。
地裏ムカサの前の席が空いていた。
エリッサがムカサに向かって指を伸ばした。ムカサを指していたわけではないかもしれないが、ムカサがいる方向に指を伸ばしたのは事実である。
「ああ、あそこが空いている。明日までに机は用意するから、今日はあそこに座ってくれ」
エリッサはいかにも女性らしい高く澄んだ声で、男のような言葉遣いをしていた。一部の女子生徒には受けるかもしれない。ムカサはそれとは全く関係なく、まっすぐに手を上げた。
「何か? 地裏くん」
「俺に出ていけという意味ですか?」
「いや、君の前が空いているだろう。君の席に座れと言ったわけじゃない」
言われればなるほど、ムカサの前の席が空いていた。ムカサは納得して席に戻る。しかし、エリッサは『地裏』の名前を知っていた。事前に予習したのだろうか。
頭に鋭いものが当たった。ボールペンだろう。そろそろ注意しないと、次に何が飛んでくるかわからない。
ムカサが隣に顔を向けると、呪香ミツコがカッターナイフを振り上げていた。
「俺を殺す気か」
「この程度じゃ死なないじゃない。せいぜい、流血事件でしょ」
「十分大問題だ。何か用か?」
「用がないのにあんたを呼ぶはずがないでしょ」
「物を投げる前に声をかけるという選択肢はなかったのか?」
「あんたが言葉を理解できるという確証がなかったからね」
クラスメイトに向けて発すべき言葉ではない。ムカサは色々と言いたいことを飲み込んで、体をミツコに向けて傾けた。
「で、何だ?」
「あらっ、言い返さないのね」
「話が進まないだろう。ホームルームが終わるぞ」
「そっ、関心ね。あんた、あの先生、どう思う?」
ミツコに聞かれるとは思わなかった。もっとも、ミツコ以外に誰かが尋ねると思っていたわけではない。
「美人だな」
「そんなこと聞いていないわよ。何を言っているのよ」
カッターナイフがムカサのこめかみにあてられる。
そのまま切られたとしても、ムカサは動じなかっただろう。なにしろ、昨晩も血が吹き出るまで背中を鞭打ったばかりなのだ。
「じゃあ、何を聞きたいんだ?」
「あの人、ウィザードじゃないの?」
「たぶんな……たぶん、ロンギヌスだろう」
ロンギヌスとは、神話に出てくる槍の名前ではない。世界の守護者と呼ばれる絶大な力を持つ存在の直属の配下である、ウィザード集団の呼称である。当然腕が立ち有能である、逸材揃いだと聞いている。
「どうしてそう思うの?」
「服の趣味」
根拠にならないことはムカサも自覚していた。だが、外れたとしても何も問題はないのだ。
「仕掛けてみたら?」
「どうやって?」
「いつものやり方で」
ミツコが言う『いつものやり方』とは、クラス全体を覆う月匣を展開するというものだ。ウィザードではない通常の人間、イノセントは意識を保てないため、ウィザードとイノセントを見分けるもっとも効果的な方法である。しかし、問題は大きい。
「朝からクラス全員を眠らせていたら、本気でお前はテロリストだと思われるぞ」
「どうして、私がやることになっているのよ」
「俺がやるはずがないだろう」
月匣を解除しても、意識を失ったイノセントが目覚めるのには自然回復を待つほかないのだ。学年内では、1組は授業が遅れているといわれている。何しろ、定期的に事業が休みになるのだから、進むはずもないのだ。
「仲が良くてうらやましいね。よろしく」
突然、予期しない方向から声をかけられた。
目の前に、いかにも爽やかそうな青年が笑っていた。予期しない方向とは、ミツコが居る場所以外のすべてである。ミツコ以外がムカサに話しかけてくることはほとんどなかったのだ。
「誰だ?」
クラスの中に、クラスメイト以外の同世代の人間がいるはずがない。
「転校生だ。聞いていなかったのか? それと、出席をとるために君の名前を呼んだはずだが、それも聞き逃したようだな。隣の女子と仲良くするなとは言わないが、先生の話ぐらいは聞いた方がいいぞ」
また、別の方向から声がかかった。こちらはわかる。新任の教師として赴任してきた黒瀬エリッサだ。確かに、転校生という紹介でもう一人いたことは覚えている。
だが、ムカサが反応したのは別のことだった。
「『仲が良い』? こいつと?」
隣も同じ反応をした。
「いつでも席を離してくれて結構です」
呪香ミツコの言葉に、クラス中が拒否反応を示した。地裏ムカサの相手ができるのは呪香ミツコだけであり、呪香ミツコの相手が地裏ムカサ以外に勤まるはずがないとみなされていたのだ。
「わかったわかった。とにかく、今日一日はここに座らせるから、よろしくな」
エリッサは転校生をムカサの前に座らせた。まるで転校生に詫びるような言葉を残してから、ホームルームを終了させた。




