第十三話
賑やかな声。
少し熱気を帯びているような風。
道を行く一人と目が合ってしまった気がして、時雨は俯き、足を少しだけ後ろに下げる。
「……時雨、大丈夫?」
気遣わしげな玄兎の声色に、心配をかけてしまったと、時雨は慌てて顔をあげて首を振る。
「……大丈夫ですよ」
確かにそう伝えたのに、玄兎は時雨の肩を抱いて寄り添うように歩き始めた。
「……一人にしないから、安心して」
柔らかな玄兎の声。
包み込む体温。
あれだけ気にしていた視線への怯えは薄れていた。
日用品の補充と宿探しのために、二人で並んで町を歩く。
変わらず時雨の肩に回る玄兎の手に、時折ちらりと視線を向ける人もいるが……玄兎はなにも気にしてない様子で明るい声色で時雨に話し続けていた。
「あ、あのお店……美味しそうな団子。後で買って宿で食べよっか?」
忙しなく動く玄兎の目線の先は、いくつもの食べ物の屋台に止まっていく。
そんな様子に時雨は少し息を吐きながら、口の端を持ち上げた。
「……玄兎は、食べるのがお好きなんですね」
「ん? うーん……好き、だけど、それ以上に時雨と食べたいから」
さらりと返された言葉に、時雨は俯き、頬を熱くする。
そんな時雨の様子に、玄兎はますます笑みを深めていた。
そんな時。
「あ……すみません」
玄兎が人とぶつかる。
「ああ……こちらこそ、すまねぇ、な?」
目の前の男の目が見開かれる。
同時に、時雨もひゅっと息を飲んだ。
時雨も知っている顔。
儀式の前に社で村長に付き従っていた男だ。
「……玄兎? お前、こんなところで」
玄兎を映していた瞳が時雨へと向けられる。
外套の奥にある顔を確かめようと細められた目が、大きく見開かれた。
「……玄兎、お前」
後退りながら、呟かれた言葉は、か細い咳で止められた。
「……お、父ちゃん」
「ああ、ああ……話すとまた咳が止まらなくなるぞ。ほら、お父ちゃんに凭れて、楽にしてな」
男が背負っていた少女は、小さく頷くとその肩に寄りかかるように力を抜いた。
「あー……ここじゃなんだからな、ちょっと落ち着けるとこにいかねえか?」
男に連れられ、茶屋に入ると、衝立で仕切られた座敷に案内された。
男は背負った少女をゆっくりと畳に下ろし、頭を優しく撫でる。
「まず最初に言っておくが……俺はお前らを探しに来たわけでもねぇし、捕まえるつもりもねぇ」
男の瞳は真っ直ぐと玄兎を捉える。
嘘を言っている様子はない。
玄兎は少し力を抜いて、畳の上に胡座をかいた。
「……なら、なんで村から町に来たの?」
「そりゃあ、この子が風邪を引いちまって……熱は引いたが、良くねぇ咳が残っちまったんだ」
玄兎は少女の側に寄り、喉の辺りや額に手を当て、様子を診ている。
男はそれを止めようとはせずに、眉を下げながら話を続けた。
「高いのは分かってるが、一度町の薬師か医者に診せてやれないかと思ってな……ほれ、あの村の薬師は人は良いが腕の方は、な」
男の言葉に玄兎も眉を下げて、ただ口の端を少し持ち上げる。
暫くして、診察を終えた玄兎は少女から手を離し、時雨の隣に座り直した。
「そっちのお連れさんのことは……あの後、一騒動あったんだ。玄兎、お前のことを色々と言うやつもいたが」
その言葉に目を伏せた時雨の肩を玄兎はそっと抱き寄せる。
時雨は、顔を上げられずにいた。
「ただ、まあ……村長がな。憶測でものを言うなと一喝して黙らせてたよ。村長も目を光らせてる中で、お前さんの家になんか言える奴なんてそうそういねぇからな」
その言葉に時雨はほっと息を吐いた。
顔を上げ、男の言葉の続きを待った、その時。
少女が激しく咳き込み始めた。
苦しげな呼吸音に時雨は思わず、側にある茶の入った器を少女に差し出そうとする。
「や、やめろ……この子に近寄らないでくれ!」
時雨から庇うように少女を抱き締め、悲痛な叫びを放つ。
あの社で向けられた視線。
時雨は不用意な行動の結果に、何も言えずに少し顔を俯かせる。
しかし、手を震わせる時雨が手を下げようとする前に、男ははっとした様子で首を横に振った。
「す、すまねぇ……つい、かっとなっちまったんだ。気遣ってくれたのに、すまねぇ」
男の言葉に時雨は息を飲んだ。
そんな時雨の様子には目もくれず、男は時雨から受け取った茶をゆっくりと娘に飲ませてやる。
喉が潤ったおかげか、喉を痛めそうな咳は小さくなっていった。
男がほっと息を吐く。
「……ありがとうな」
男は少女をそっと横たえた後、時雨に頭を下げた。
「……いえ、大したことはしておりませんので」
時雨は首を横に振り、胸の辺りに手を当てた。
「……それじゃあ、俺たちはこの辺りで」
娘の呼吸が完全に落ち着いたのを確認すると男は膝に手をついて、腰を上げた。
「……俺が、薬を用意しようか?」
玄兎の言葉に男は瞳を見開き、娘に伸ばしかけていた手を止める。
「……ここじゃ薬も高いでしょ? 俺は材料費さえ出して貰えればいいよ」
「……いいのか?」
玄兎の提案に、男は一度畳に横たわる娘を見てから、玄兎の顔をおずおずと見つめる。
「いいよ。……ただし、俺たちのことは黙ってて欲しい」
「あ、ああ……そりゃあ、勿論」
男は何度も玄兎に頷きを返していた。
玄兎から差し出された薬に、男は目尻に涙を滲ませながら何度も頭を下げて礼を言う。
「暫くの間、こっちを朝起きてすぐに飲ませてあげて。こっちは毎食後に」
「ああ、わかった……!」
男は薬を丁寧に手拭いに包み、懐へとしまう。
そして、顔を上げ、時雨の方へと視線を向けた。
少し距離は取ったまま、何度か口を開いては閉じてを繰り返し、ようやく言葉が出てくる。
「……あんたも、まあ大変だよな。安心してくれ。誰にも言わねぇ」
それだけ告げると、男は二人に背を向けて立ち去った。
時雨はその背を見送りながら、ポツリと呟く。
「……早く、元気になれるといいですね」
玄兎は眉を下げ、隣に立つ時雨の身体を慣れたように抱き寄せた。
「……そうだね」




