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第十話

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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「……時雨、大丈夫?」


 斜面を下りながら、何度も振り返る玄兎に時雨は苦笑を浮かべる。


「ええ。……薬のお陰で、もう熱は下がりましたから」


「なら、良かったけど……あんまり無理すると、またぶり返すからね? 疲れたら、教えてね?」


 もう何度もかけられている言葉に時雨は小さく頷きを返す。

 きっと、またすぐに同じことを繰り返されるのだろうと笑みを浮かべていた。










 数日かけて山を越え、木々の隙間から久しぶりに平らな地面が顔を覗かせた。


「このまま行くと、街道に出られそうだけど……」


「……玄兎?」


 足を止めて、少し眉を下げる玄兎に時雨は首を傾げる。


「……本当は、こんなので隠したくはないんだけどね」


 そう呟きながら、玄兎は時雨に外套を手渡した。

 

 普通よりも大きな外套。

 

 頭から被れば、時雨の顔の淀みに侵されている部分を覆い隠してくれる。


「……用意して下さったんですか」


 このまま人目に晒せば、不信感や不安を周囲に抱かせかねないと、時雨自身も悩んではいた。


「うん。本当はいつでも時雨の顔見てたいけど……周りに見られると気になるでしょ?」


「ええ。……ありがとうございます」


「じゃあ、はい」


 玄兎が笑顔で差し出した手に時雨は首を傾げる。


「前が見えにくくて危ないでしょ?」


「……ですが、この先は人目がありますよ」


 男性二人で、しかも一人は外套を深く被って、手を繋いで連れ立っていれば、あまり良くない注目を集めるだろう。


 玄兎が嫌な思いをするかもしれない。


「うーん……危ないからってのは建前で、顔も見えにくいから手くらい繋いでたいなって思ったんだけど……だめ?」


 眉を下げる玄兎の手を時雨はやはり取ってしまうのだ。









 街道を少し進めば、道が広くなってくる。


 日も傾き始め、道は橙に染まっていた。

 そろそろ、夜を明かす準備をしなければならない。


「あ……」


 玄兎が短く漏らした声につられて、時雨は顔を上げる。

 

 道沿いには家屋と納屋。

 山との間には小さな畑。


「……納屋でも良いから、今夜の宿を貸してもらえないか、聞いてみようか」


 時雨の手を一度強く握ってから、玄兎の手が離れていく。


 駆け出した玄兎の背を見送り、時雨は一人、道の端に立ち尽くした。


 畑を青々とした葉が埋めている。

 脇には収穫した野菜が積まれた荷台がある……あちらには近寄らないようにした方がいいだろう。

 

 風が外套を揺らし、慌てて手で抑えた。


 木の葉が擦れる音がする。

 村で過ごす日々の中にもあったはずのその音が、やけに新鮮に思えた。



 


「時雨! 納屋を貸してもらえる、って……」


「……玄兎?」


 時雨の元へ駆け寄ろうとした玄兎が足を止め、時雨は首を傾げる。

 

 一拍置いて、玄兎は口元をふにゃりと緩めて、時雨の手を取った。


「玄兎……」


 家主に見られてしまうのに、と指摘しようとした時雨の声は玄兎の満面の笑みの前に静かに散った。








「狭いところですけど、寛いでくださいな」


 案内された納屋は確かに、物も置かれ、狭かった。


 しかし、寝床代わりに藁を敷かれ、少しでも寛げるようにと、場所を空けてくれていた。


「それで、薬師様……」


「ああ……すぐに行きますね」


 荷物を下ろした玄兎に家主がおずおずと声をかけた。

 玄兎はそれに頷きを返し、時雨に視線を向ける。


「ごめん時雨。俺ちょっと薬を卸すのに……母屋に行ってくるね」


 一人納屋に残された時雨は、腰を下ろして息を吐く。


 

 納屋の入り口の方から、かたんと音がした。



 そちらを見れば、中の様子を窺うように覗いてくる子供がいた。


「……旅人さん!」


 目が合い、大きな声を出しながら納屋に入ってきた子供に、時雨は目を瞬かせる。


「……え、ええ。そうですが」


「楽しいお話して!!」


 拳を握り締め、瞳をキラキラと輝かせる少年に、時雨は眉を下げる。


「申し訳ありませんが、私もまだ旅は始めたばかりでして……楽しいお話、は出来ないんです」


 時雨の言葉に、子供は眉をひそめ、唇を尖らせる。


「……ですので、代わりにあなたのお話を聞かせてくださいませんか?」


 静かに問い掛ければ、子供は勢い良く顔をあげて、矢継ぎ早に話し始めた。


 まだ幼い彼の言葉は辿々しく、話があちらこちらへと飛んでいく。


 家の手伝いを褒められたこと。

 畑の作物が美味しく実っていること。

 山に入って探検し、帰りが遅くなって叱られたこと。


 どれもに時雨がきちんと耳を傾けて、相槌を打てば子供は嬉しげに声をあげた。


 ふと、幼い頃の玄兎を思い出し、時雨はつい笑みを浮かべてしまう。


 その時。


「……っ」


 身体に軋むような痛みが走り、時雨は床に手を付いた。


 ここ数日、大人しかった淀みが突然暴れだしたような苦痛に時雨は息を詰まらせる。


「……お、おにいさん?」


「っ……来ないでください!」


 泣きそうな顔で駆け寄ろうとする少年を、時雨は大きな声で静止した。


 びくりと小さな肩が揺れ、ぼろぼろと涙を流しながら、泣き声をあげる。


 淀みの苦痛ではない痛みが、胸の奥に走った。


「あ、あらあら……どうしたの?」


「……時雨!」


 戻ってきた玄兎が慌てて、蹲る時雨に駆け寄った。

 

 少年は母親の胸に飛び込み、泣き声を大きくしている。


 玄兎の手が外套の下、時雨の頬にそっと触れた。

 

 淀みが蠢くような感覚。

 少しずつ和らいでいく痛みに時雨は恐怖を覚え、玄兎から離れようとするが、それが許されることはない。


「……大丈夫かしら?」


「……ええ。少し、発作が出たみたいです」


 少年を胸に抱いたままの母親の問い掛けに、玄兎が落ち着いた様子で答える。


「なら、良かった。もし、うちの子のせいならごめんなさいね……ああ、これ落ち着いたら食べてちょうだいね」


 ことりと置かれた器には二人分の握り飯と少しの漬物が乗っている。


「ありがとうございます」


「いいえ、いいのよ……薬のお返しには足りないくらいだもの。それじゃあ、ゆっくりしてちょうだいね」


 納屋の扉が閉められて、玄兎と時雨、二人だけの空間になる。


「……時雨」


「……いけません。これ以上、直接触れないでください」


 外套に伸ばされた手から逃れるように、時雨は後ろに下がろうとする。


 しかし、玄兎のくしゃりと歪められた表情に思わず、動きを止めた。


「……一人で抱えないで」


 外套が床に落とされ、頬を合わせるように腕の中に抱き寄せられる。

 時雨はそれに抗う術を知らない。


「……申し訳ありません」


「……謝らないで」








 痛みも落ち着き、二人は向かい合ってゆっくりと握り飯を頬張る。


 粟や稗の混ざり込んだぼそりとした食感が、どこか懐かしく思えた。


 こうして、誰かと食事を摂るのは幼い頃の玄兎との昼食以来かもしれない。


「……なんか、小さい頃を思い出すね」


 ぽつりと呟いた玄兎の声に時雨は瞼を瞬かせてから、ふふっと小さく笑い声を漏らしてしまう。


「……時雨?」


「いえ、申し訳ありません。……私も、同じことを考えていました」


「……そっか」


 玄兎は隠しもせずに目元を和らげ、口角を上げる。

 

 いつまでも見ていたい。

 けれど、どこかくすぐったく思えて、目を逸らしたい。


 そんな気持ちを抱えて時雨は残った食事に目を落とし、楽しげな玄兎の様子を何度も盗み見ていた。





 


 なんとか食事を終えて、荷物を整理する時雨に玄兎が声をかけた。


「時雨。そろそろ休もう」


「そうですね。もう、すっかり日も落ちましたし……?」


 振り返れば、寝床にと敷かれた藁の上で玄兎が時雨に向けて腕を広げていた。


「時雨?」


 固まってしまった時雨に、玄兎が首を傾げながら呼び掛ける。


「いえ……その、どうしたらいいのかが、分からなくて」


 何を求められているかは分かっている。

 けれど、それを行動に移すとなると羞恥心が邪魔してくるだけだ。


 しかし、玄兎はキラキラとした瞳を、そんな時雨に向けてくる。


「……来て欲しいな?」


 上目遣いでねだる玄兎に、時雨は頬を熱くしながら、おずおずと近くに座る。


「……捕まえた」


 声を弾ませながら、時雨を腕の中に抱き寄せ、玄兎はそのまま横になった。


 玄兎は楽しげに時雨の頬や首に触れ、背中を辿るように手を動かす。

 

 優しい手付き。

 移る体温。


 甦る記憶に息が詰まり、つい身体に力がこもる。


「……大丈夫。流石に病み上がりの時雨に無茶させないよ」


 玄兎の手が時雨の背中を撫でる。

 ただ、時雨を安心させようとする温もりに、少し力が抜けた。


「それに、時雨が嫌なことはしないよ。……時雨を愛したい気持ちはあるけど、今はただ時雨に触れてたいだけだから」


 耳まで赤くなってしまう時雨を、玄兎は更に抱き寄せた。

 

 ゆっくりと髪を梳かすように頭を撫でられ、少しずつ時雨の瞼が重くなる。



 規則的な鼓動に耳を傾けながら、時雨は穏やかな眠りへと落ちていった。



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