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8/12

あゆむ


翌日ひぐらしさんが弁護士に電話をし、

その日のうちに、あゆむは吉田荘に戻ってきた。


僕達は、その他のメニューの解析も進め、

仕事と吉田荘の運営、

あゆむの世話の両立をする下地は着々と仕上がりつつあった。


しかし、

あらためて婆ちゃんの偉大さが分かった。

なかなか優秀な仕事人だ。

そう思った。


あゆむが吉田荘に到着する。

しかし、

吉田荘のドアの前から動こうとしない。


「どうした?」

なるさんは尋ねる。


あゆむは首を振る。


でもピクリとも動かない。

弁護士は背中を押す。

ピクリとも動かない。


ただじっと吉田荘の中を見つめる。


時計の針だけが、

ただ動いていく。

誰も口を開かない。


30分ほど、動かぬまま、

時間だけが過ぎた。


「ただいま」

すずりさんが帰ってきた。


すずりさんは、

あゆむの前にしゃがみ込み、

あゆむをじっと見つめる。


「お帰り」

そう言い、そっとあゆむを抱きしめた。


あゆむは、涙を浮かべた。


「ただいま……。僕ここに居ていいの?」

か細い声で、あゆむはそう言った。


「もちろんよ。ごめんね、準備に時間がかかっちゃって」

すずりさんはあゆむの頭を撫でた。


「僕、いらない子じゃないの?」

あゆむは言った。


胸が締め付けられる。

僕たちのせいだ。

そう思った。


僕はあゆむの前にしゃがみ込み、

視線を合わせる。


「ごめん。あゆむ。あの時は自信がなくって、でも今はカレー作れる」

僕は言った。


「婆ちゃんのカレー?」

あゆむの顔は少し緩んだ。


「あぁ。かなり練習して、ようやく婆ちゃんのカレーが再現できた。お前も食べてみてくれ」

なるさんは言った。


「あゆむ。もうお腹空いてるか?」

ひぐらしさんは尋ねた。


あゆむは頷く。


「じゃあ食べよう」

すずりさんは、あゆむの背中をそっと押した。


吉田荘の前に漂っていた緊張がほぐれる。


「弁護士さんも良かったら」

ひぐらしさんは尋ねた。


「いえ。お気持ちだけ、それではこれが資料です。疑問点があればいつでも連絡ください」

弁護士はそう言い、帰っていった。


その後姿に、一仕事終えたという解放感と、少しの淋しさが同居しているように感じた。


……

僕たちは、食事を用意する。

少し遅れて、向さんが帰ってきた。

今日はカップ酒を持っていない。


「おぅただいま」

 

「おかえり」

皆それぞれ挨拶をする。


「あゆむじゃねぇか。おかえり!なんかお前大人っぽくなったな」


「そう。僕大人になった?」


「あぁ、なんか見違えたぜ」

向さんは顔をくしゃくしゃにして笑った。


なんか、

この人……、良い人なのかも。

そう思った。


「あぁそうだ。これパチンコの景品だ」

そう言い、向さんは菓子箱をあゆむに手渡した。


「向さん。ギャンブルやめたんじゃ」

僕が言いかけると、

向さんは、しーっと指で合図した。


向さんは僕に近づき、

「子供におやつをやるとき、どう言ったらいいのかわからないんだよ。

パチンコの景品だって言っとけば、カッコつくだろ」

そう囁いた。


「このお菓子ね。

向さんが、あゆむの為にわざわざ買ってきたのよ。

でも恥ずかしいから、パチンコの景品だってウソついたの。

おかしいよね」

すずりさんは、あゆむに耳打ちするように、でも皆に聞こえるように言った。


「うん。それはおかしい。

だって買ってきてくれたほうが、僕うれしいもの。

ありがとう、向さん」

あゆむは言った。


向さんは照れくさそうに笑った。


「しかし珍しいですね。カップ酒ないの?」

なるさんは言った。


「あゆむのよく食べてたお菓子を思い出してたら、買うの忘れた。

今日は酒は抜きだ。

教育に悪い」


「じゃあ。教育に悪いから、パチンコの景品だってウソつくのもナシですからね」

すずりさんは言った。


「もう婆ちゃんみたいだな」

向さんはバツが悪そうに笑った。


すずりさんが、婆ちゃんとかぶったのか。

皆クスクス笑う。


「もうやめてよ。私15歳。か弱い女子高生なのよ」

すずりさんは、ほっぺたを膨らませる。


「空手少女が、か弱いかは疑問だな。たぶん喧嘩したら、すずりが一番強いだろ」

なるさんは言った。


皆頷く。


「なにそのキャラ設定。やめてよね。まぁたぶん喧嘩は強いけど」

すずりさんは頭をかく。


「ねぇ、すずりちゃん。喧嘩強いの?」

あゆむは言った。


「そうよ。お姉ちゃんは強いわよ。戦い方教えてあげようか?」


「うん。教えて!僕強くなりたい」


カレーの匂いがする。


「もう温まりましたよ。心さんがまだですが、先にいただきましょう」

ひぐらしさんは言った。


「ただいま」

声がする。


「ナイスタイミング。心さん。カレーできたから、早く来て」

すずりさんは、食堂の扉を開ける。


「はい。すぐに」

心さんは、あわてて部屋に戻った。


僕たちは、カレーを入れていく。

あゆむの前にも運ばれる。


「婆ちゃんのカレーと同じ匂いだ」

あゆむはよだれを垂らしている。


「もうあゆむ。よだれ垂れてるわよ」

すずりさんは、ティッシュペーパーでよだれを拭く。


「お待たせしました」

心さんがやってくる。


「おかえり」

皆の声がした。


あぁ、なんかこの吉田荘は、ようやく一つになれたんだ。

そんな気がした。


全員の目の前にカレーが到着する。

「いただきます」


皆一口食べ、

頷いている。

そして、

視線はあゆむに集中する。

あゆむは黙々と、

カレーを食べる。


「婆ちゃんのカレーだ」

そう言った。


僕たちは、ふっとため息をついた。

なにかのテストに合格した。

そんな心持だった。


「婆ちゃん帰ってきたの?」

あゆむは、周りを見渡した。


僕たちは言葉を失った。


心さんが立ち上がり、

あゆむの前にしゃがみ込んだ。


「婆ちゃんの姿は見えなくなった。

でもね。

このカレーに。

この吉田荘に。

あゆむの心のなかに、

そして皆の心のなかで、

ずっと生き続けるの。

だからね。

寂しいなんて思わないで、

心のなかの婆ちゃんが悲しむから」

そう心さんは言った。

その目には薄っすら涙が浮かんでいた。


皆それ以上、言葉を発しなかった。


きっと心さんも、

寂しいと思っているのだろう。

でも、

婆ちゃんが悲しむ。

その一言で、

自分の気持ちを封印する。

そんな人なんだと僕は思った。


それがあゆむにとっていいのか、

どうかは判断がつかない。


僕はただ心さんの言葉を、

反芻した。

ちゃんと消化できるように、

ちゃんと婆ちゃんが心の中で生き続けられるように。

ただ反芻した。


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