味変
私は、スーパーに向かう。
店員さんに、福神漬けのコーナーはどこかと聞き、
向かった。
ただ肝心の商品がない。
私は店員に尋ねた。
店員は端末を使いだす。
「ちょっと待ってください。在庫があるようなので、いまから補充します」
そう言われた。
しばらく待つと、ガタゴトとカートに揺られて、福神漬けがやってきた。
「お待たせしました。いくつご入用ですか?」
店員に尋ねられる。
一つと答えようか。
それとも……。
「ふたつで」
私は答えた。
店員は福神漬けをふたつ渡してくれた。
……
「ただいま」
私は吉田荘に戻った。
「おかえり」
返事がある。
あれは、すずりさん、向さん、心さんの声だ。
前は「お疲れ様」とか「ご苦労様」だったのに、
そう思った。
「お疲れ様」「おかえり」
単なる挨拶に過ぎないが、
大きな違いがある。
ねぎらいの意味か、
ここが戻るところであるという意味かの違い。
「お疲れっす」
つれさんと、なるさん。
業務を一緒にこなす戦友としての、ねぎらい。
そんな風に感じた。
私はスーパーの袋に入った福神漬けを、
テーブルに置く。
しわくちゃのスーパーの袋。
角はもう破れそうだ。
何回使ったかわからない。
「じゃあ、食べましょうか」
私は言った。
皆一斉に準備をしだす。
「じゃあ俺はレンジで」
なるさんは言った。
「なるさん。ダメよ。メラミン食器は電子レンジNG」
すずりさんが言った。
皆すずりさんに注目する。
まるで知らなかったかのように。
「そう。婆ちゃんが言ってたわ」
すずりさんは笑った。
私たちは福神漬けの汁をカレーに入れ始めた。
大体小さじ一杯くらい。
そして混ぜる。
婆ちゃんの味だ。
私は、
黙ったまま、口の中にカレーを投入し続けた。
コクがあり、まろやか。そして優しい。
「一週間がんばったね」
そんな婆ちゃんの声と笑顔が浮かんだ。
(かしゃかしゃかしゃ)
それほど広くない食堂の中に、
スプーンがカレーをすくう音だけが響く。
(ずるずるずる)
聞き慣れない音が混じる。
(ずるずるずる)
(ずるずるずる)
(ずるずるずる)
色んな方向から。
「さっきまで婆ちゃんの味だったのに……、
なんか味が婆ちゃんの味じゃなくなったよ」
すずりさんは言った。
私はすずりさんの方を見る。
彼女はうつむき、じっとカレーを見つめていた。
彼女の目から一粒の涙が落ちた。
私は食堂の棚からティッシュペーパーを箱ごと取り、
テーブルの真ん中に置いた。
皆一斉に手を伸ばす。
(ちーん)
様々な音を立て、
鼻はかまれた。
「花粉症かな」
なるさんは言った。
「急に目に来て」
つれさんは言った。
「なに言ってんだよ。みんな泣いてるじゃねぇか」
向さんは赤ら顔で笑った。
その目も薄っすら赤みがさしていた。
「向さんも目が赤いわよ」
すずりさんは、涙をふきながら、微笑んだ。
「これはあれだよ。福神漬けだ。福神漬けが目に来たんだ」
向さんは照れくさそうに笑った。
「でも、突然でしたね。婆ちゃん」
心さんは、台所にある婆ちゃんの写真を眺めた。
皆の視線は写真に集中する。
「婆ちゃん、変わった人だったな」
向さんは言った。
沈黙が走る。
「ここ、皆変わってませんか?」
つれさんは呟いた。
皆の視線がつれさんに集中する。
「いや。いい意味ですよ」
つれさんは苦笑いをした。
「違いねぇな。変わり者をまとめて世話してたのが、婆ちゃんだったんだな」
向さんは笑った。
「私、五年前に両親をなくしてね。親戚付き合いもなくて、婆ちゃんがお父さんの知り合いだったから、ここに来たの」
すずりさんは言った。
空気が沈む。
「もし婆ちゃんがいなかったら。私どうなってたか……」
すずりさんは言葉を飲み込んだ。
「あゆむを見てると、私と同じだ。そう思う。
あの時婆ちゃんがいたから、私は楽しく生きてる。
あゆむにとって、私が婆ちゃん代わりになりたい」
「そうだな。婆ちゃんがいなかったら、俺も今ごろどうなってるか……」
向さんはカップ酒を一口飲む。
「俺、昔商社マンだったんだよ。でもな。博打で借金作ってしまって、女房と離婚。会社もクビになって、そこで流れ着いたのが、ここなんだ」
向さんが商社マン。
まったく面影がない。
私はその事に少し戸惑いを覚えた。
「お前ら、俺が商社マンだって事に違和感を覚えただろ」
向さんは笑った。
「商社って言ったってピンキリだ。それに俺はスポーツやってて体育会系の枠で入ったクチだ」
その言葉に皆頷いた。
「頷いてんじゃねぇよ」
向さんは楽しそうに笑う。
こんなに楽しそうなのは初めてだ。
「私、婆ちゃんに、壊れるのがいいって事もあるのよ。
人間関係も壊れるから、大事にするし。
壊れるから、新しい出会いもある。
それに自分の人生だってそうよ。
もし私がずっと200歳まで生きたら、きっと飽きちゃうわ。
だからな、壊れるってことは、まんざら悪くもないのよ。」
そう言われた」
すずりさんは言った。
私は言葉を噛みしめる。
「婆ちゃんが亡くなって、吉田荘は一度壊れた。
それは悲しい事だったけど、でも今、吉田荘は生まれ変わった」
すずりさんは続ける。
「引き継ぐところは引き継いでいきますしね」
私は言った。
「とりあえず、カレーは引き継いだんじゃねぇの?」
なるさんは言った。
「具材がボロボロですけどね」
つれさんは笑った。
私はずっと考えていた。
料理の素人が、
婆ちゃんが残したレシピを楽に引き継ぐ方法を。
「あの。料理の話なのですが、一週間ほど連続でカレーにしたらダメですか?」
私は尋ねた。
「いいよ」
すずりさんが言い、皆頷く。
「どうしてか、聞いていい?」
なるさんは言った。
「私達、料理経験がありません。でも一週間同じメニューを連続で作ると、単発で作るのと比べて、上達が速いような気がするんですよ」
私は答えた。
「あぁそれはあり得るかもな。ラグビーの練習でも、苦手分野の練習を集中してやったことがある。しんどいのはしんどいが、伸びが速いからな」
向さんは頷いた。
「という事は、婆ちゃんのレシピ、全メニューで一週間同じメニューになると」
心さんは尋ねた。
「そうなります」
皆表情が曇る。
カレーは一週間連続でも大丈夫でも、他はきついか。
「わかった。美味くなるなら、ぜんぜん良いわ」
すずりさんは言った。
皆頷いた。




