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胃薬の貯蔵は充分か

伊波一郎がこの学園で過ごした一年、この実力主義を謳う些か奇っ怪な学園で培われた常識の一つ。――鷹司岬は、生徒、教師、果てには校長。誰からも畏怖を向けられる天才なのだと。


授業を傍目に伊波は窓際を見つめ、重いため息を吐いた。今朝、伊波は鷹司岬と()()()の座を手にしてから初めて言葉を交わしたのだ。


この一年間に想いを馳せれば出てくるのは血も滲むと表現できる切磋琢磨の毎日だった。文芸部と言う居場所を失い数日間、途方に暮れていたと言う言葉が一番合うだろう。ただそれも生徒会に副会長の座が無いことを聞くまでだった。お門違いとも自分で思う憎しみ、それでも叶わないからと目をそらしていた復讐心に――火がついた。


学園上位の成績は当然、慈善活動にも率先して手を添え他人との関係も広く浅く。最初は確かに躓いたが次第に土台は整っていた。


「以上で今日の授業を終わります」


気づけば放課後。今朝は鷹司岬の簡単な手伝いをしたのみ。彼女曰く放課後からが本番と云われていたのを思いだし姿勢をただした。廊下を歩けば生徒達が道を開く。この右腕に輝く『副会長』の腕章こそが誇りであり復讐に欠かせないキーアイテムなのだから。


長い長い、夜に歩けば永久にも思える木造廊下を歩いていく。この先あるのは生徒会室のみ、よって生徒は一人も歩いていない。開け放たれた窓から風にのって()の香りがした。少し緊張が和らいだらしい。


この学園、海に近いお陰か食堂では海鮮料理が多く提供されている。初めて食べたときは伊波も舌鼓を打ったものだ……とつい一年前を老人のように懐かしんでいると既に威風堂々とした両開きの扉、桟唐戸(さんからど)の前に立っていた。現代ではあまり見なくなったせいか、その前に立つだけで伊波は身が引き締まる思いだった。


今朝もそうだったなと思う。学園に行く前四時と言うよっぽど勤勉な生徒しか起きてこないであろう時間からそわそわと身をただし茶の淹れ方やどうやって会長を助けるか試行と錯誤を繰り返していた。


結果的にその努力は杞憂として終わったのだが、事前に予想していた人柄とは少し違う。丁寧ではあるがあまり厳しい雰囲気は無かった。故に少しだけ油断していたのかもしれない。これぐらいなら簡単に甘やかせる、簡単に復讐ができるのではないかと。


「失礼します」


扉を開いた一瞬、始めに目に飛び付いたのは目に余る書類の山。そしてそれに埋もれながら作業をしている生徒会長、鷹司岬そのものである。今朝はただのフォルダー一枚程度しか無かった筈の書類、どこから沸いてきたのかと考えながらこんなもので狼狽えている場合じゃないと歩みを進めると彼女に気付かれたようだ。その些か感情のわからない瞳が伊波を見つめていた


「関心です、初日からちゃんと来てくれるとは」

「それはまあ、もちろん仕事ですし」


まるで初日からちゃんと来ない輩が居るようじゃないか、なんて思うがこの生徒会に限ってそんな事は無いだろうと伊波は思う。なにも副会長になるにあたって勤勉なライバルは幾人と居たのだから他の役職だってそれに似合う優秀な生徒なのだろうと。思考を振り切り一つ、書類の山から適当な書類を引っ張り出した。


バドミントン部のこれから、じきに始まる大会のについての記述がされていた。


「自分も書類を処理すればいいでしょうか?」


少し意外そうに見上げ彼女は微笑んだ。何故そんな安堵したような表情を浮かべるのか少し思ったがすぐに結論はついた。この書類の山なのだからいくら学園の天才であろうと人手は必要だろう。伊波は少しだけ凝り固まっていた生徒会長への完璧と言う先入観をどこかに捨てて書類の山の一角を取る。自分の席だと言われた、鷹司岬のすぐとなりの席に座り引き出しを開く。


一通りの道具は揃っていていて綺麗に整頓されている。鷹司岬曰く副会長の座が空いてからはあまり手を着けていないらしいので前の副会長がなかなか綺麗すきな方だったのだろうと思う。少しだけ貯まっていた埃を払った。


「貴方は書類の内容を確認して問題がないようでしたら私に渡すのです……そうですね、各教室の委員などについては貴方が判子をしてしまっても良いですよ」

「了解です、任せてください」


なにも全てを任せられるとは端から思っていない、少しずつ毒のように、彼女が自分に依存するように助けていけばいいのだと結論は付いている。タイムリミットは一年。伊波は張り切って書類に目を通していった。主なのは部活動の予算案や新年早々に発足された同好会などなど多種多様なもの。


ある程度書類を処理し終えた後、待てよ?と伊波の思考が引っ掛かった。何かを探すように辺りを見回す。


「どうしたのです?」


それに気付いたのか、少し怪訝な表情で鷹司岬は伊波に聞いた。一泊、少し思考を整理して伊波は言った。


「さっきからこの書類ですが……」


何故自分はこうも愚鈍なのかと伊波は思った。確かに生徒会長は生徒会を総括する役職ではあるがそもそも書類や予算案を処理する役職は他にも居るではないかと。


「これって全部書記や会計の仕事じゃないですか?彼らは一体どこに?」


こてんと首を傾げた鷹司岬のリアクションに少し面食らった、彼女は手に持った書類を置いてまるで常識を説く前のようにこほんと言った。


「まず、私は生徒会長なのです」

「そう、ですね?」


今さら当然の事を何故そんな畏まって云うのかと伊波は思うが、口には出さなかった。


「だからこそ書類の処理も、私のではないですか」

「いやまさか」


少し頭痛がして伊波はこめかみを押さえた、まさかこの人この数年間そうやって自分で処理してきたのかと。そもそも何故書記や会計はこのオーバーワーク状態を放置しているのか?そう思考していると先ほど彼女が『関心です、初日からちゃんと来てくれるとは』と言ったのを思い出した。


いやまさか


「そうですか……ちなみに書記と会計は一体どこに?」

「はい?そこに居るのです」「――は?」


慌てて彼女が指差した場所、自分の後ろ。端にあり自分に背を向けたソファに人影が一つ。そんなところに居たのかと、この異常事態についてなにか文句を言ってやろうとずかずかと歩いていった。顔を出したのは風変わりの男とその膝に座る小柄な女の子。


「お?あんたが噂に聞く副会長サンだな?」


なに食わぬ顔、あっけらかんとした声音で言ったのは目に隈を付けたあまり肉付きの良くない長身の男、怪しい笑みを浮かべていた。少女に覆い被さるようにした手には伊波が泣く泣く買うのをやめた新型ゲーム機が握られている。


「兄、さっさと尻尾を切るの役目でしょ?」

「ちょっと待て妹よ、今俺は意味深な微笑を浮かべるミステリアスキャラを演じるつもりで――」


こちらに目を向けるまでもなく同じくゲーム機を握った呼び方的に妹らしい女の子が鎮座していた。頭意外にも腹が痛くなってきた気がして伊波は巨大なため息を一つ。


そも何故仕事をしていないのか、そも何故ゲームをしているのか。それ全てをひっくるめて伊波は兄弟のうち兄の方に視線を移した。


「で、あんたが書記か?それとも会計?」


既に伊波のとってこの男は敬語の要らない、尊敬に値しない人間としての枠に入れられた。


「いんや違うな」


したり顔で男は言う


「我ら二――」「私達は二人で一つの会計なの」

「妹ぉ……」


どうやらこの兄はとことん良いところを持っていかれる運命にあるらしい。呆れ返る伊波を尻目に二人はこそこそと喋りはじめる。タイミングを合わせるだのせーのだの、もはや伊波がこの二人を置いて仕事に戻ろうとした時に二人はゲーム機片手に立ち上がった。


「良く聞け新人!この俺こそが二条一斗」

「この私こそが二条二科」

「「人呼んで我ら二人二条二乗の生きる計算機である!」」


……暫し、もしくはこの兄弟にとっての刹那。伊波は目を閉じて、言いようもない感情を押し殺し順番に整理していく。


まず大した反応を得られなかったせいか目の前で慰め会っている痛々しい兄弟について。ひとまず伊波はそっとしておくことにした。そもそも彼にとってこの兄弟が仕事に戻らないか戻るかは多少仕事が減る程度の利益しかないのだ。そもそも今も彼らの後ろで書類を処理している鷹司岬を甘やかすに当たってはむしろ利益がない。


思考を始め秒にしてたったの三、伊波は結論を弾き出した。




「――分かった、もう好きにしろ」

「お、おお!分かってくれたか、新人にしては要領が良いじゃないかなあ妹よ」

「ですです」

「イッッッ!」

「あ、兄ぃ!!」


こめかみに青筋を浮かべた伊波が一斗の脛を蹴ったのは言わずもがな。意味のわからない兄弟を置き去りにして伊波は踵を返した。すぐさま席に戻るのではなく茶を二つ淹れる。


「俺はちゃんと助けますからね」


茶を彼女のデスクに置いて、伊波は微笑んだ。あの兄弟の事は忘れてこの些かワーカホリック疑惑のある生徒会長の懐柔に打って出た。茶を淹れられるのに慣れていないのか今朝のように目をまんまるにして彼女は微笑んだ


「ありがとうございます、あの二人もたまには役に立つのですよ?」


たまには、と言う部分を強調されてはなんの気休めにもならない。伊波は思考を放棄して席に座った。隣に座る鷹司岬(超人)はなんてことのないように微笑みながら書類の山をすでに半分も処理していた。


「それにですね」

「それに?」


おうむ返しした伊波のなにかが面白かったのか少しくすりと笑った。


「彼らが『生きる計算機』と呼ばれるなら私はぱーふぇくとなひゅーまんですから」


威風堂々、自信満々。胸を張って砕けた横文字を口にした彼女を前に伊波は動きを止めた。まさか彼女も()()()と同類なのかと……そう考えたが、やめた。


「なるほど、流石会長。でも俺は頼って良いですからね?」

「はい、頼らせて頂くのです」


この会長、信用できないなと実直に思った。あの兄弟をああなるまで甘やかした張本人なのだ。伊波は違う意味で身が引き締まるのを感じこの会長を一年で自分に依存させることができるのかと未来の自分に思いを馳せる。


「ちなみに書記は?」

「あいつは神出鬼没だぞ~!」


ソファからの間延びした声。それを聞いて伊波は胃がキリキリと痛み始めるのを感じた。


生徒会一日目、胃薬でも買っておいた方がいいだろうかと考えながらすべての面倒ごとを明日の自分に託したのだった。



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