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お門違いの復讐劇

美しく逞しく、桜の花びらが散り一直線に続く石畳の上。男は立っていた。何を言うまでもなく、前を見つめる先には巨大な校舎。黒瓦でできた屋根に似合う白い漆喰壁は設計者並びに携わった者の拘りを感じさせる。


中央に取り付けられた時計は八時を指していた。黒髪に黒目、少し鋭い一重の目を持った男。――名を伊波一郎と呼ぶ――は感慨深い表情を浮かべ一歩一歩、噛み締めるように歩いていた。


ここは日本に所在する名門と呼ばれる学園が一つ、桜ヶ岬学園高等部。それに受かった者が浮かべる表情とすれば至極当然の物だ。


留めなく舞い散る花びらが伊波を歓迎しているように見えた、本人も知らないうちに微笑んで校舎に足を運んだ。上履きを履き終えて一拍。

視線を右往左往させた後長い長い和風の木造床を歩き始める。


別に目的も無しに歩み始めた、と言う訳では断じてない。文武両道、とまでは行かなくともこの学園は生徒のやりたいことをやらせると言う点では右に出るものが居ない。それはきっと、初日だと言うのに校舎の外から聞こえる新生運動部員達の和気あいあいとした声を聞けば分かることだ。


清々しい程の青春を傍目に伊波は歩みを進める、彼がどこを目指すと言えば無論彼が彼なりの青春を始めるであろう部室であった。伊波の志にあるのは汗臭い青春ではない。


ふと懐かしむように目を閉じれば、カタカタと何かを叩き込む音が聞こえてきた。音と言ってもそれだけではない、紙に筆を、否鉛筆を走らせる音も些細な談笑も。


――それらよりも一番脳に焼き付いていたのは音ではなく匂い。昨日の事のように本の匂いが、こびりついたかのように鼻を離れてくれなかった。決して不快ではない、今はもう戻れない中学時代の青春(思い出)


齢15歳、少年は()()()と吊り看板が揺れる扉の前で立ち尽くした。何回目かも分からない、目を閉じてゆっくりと息を吸い込むと今はもう返らない、掛け替えの無い友人達との青春に別れを告げるように。


なにもこの学園に入学しようとしたのは彼だけではない、志を共にした他の文芸部部員達もである。この日本のどの学舎よりも生徒の自由、して実力主義を校風に掲げたここは奇しくも文芸部部員達にとってかの東大と同じような扱いだ。


故に倍率は物凄く高い。――故に受かった部員は、伊波以外に居なかった。


開け放たれた窓から、春風が通りすぎたような気がした。きっと伊波の背中を押したのだと思う。


そう、きっとこれから新しい青春を歩むのだ。こんなところでうじうじ項垂れていたら友達に笑われてしまう。だからこそだろうか、今まであったすべての重荷が嘘のように消え去る。吸い込まれるようにドアを開いた。


きっと今日から、今の誰から見ても眩しい自分の青春が幕を開けるのだと。


「――あら、入部希望ですか」


目を見開く。それはきっと目を見張るほどの美少女が彼を出迎えたからでも、涙目の男達が床に正座をしていたからでも、部室の窓から眩い太陽の光が彼の視界を遮ったからでも――きっとその全てのせいだ。


口をあんぐりと開けたまま、視線だけが忙しなく部屋を飛び回る。きっと端から見れば滑稽に映っただろう自覚はある。


「……ふっ」


耐えきれないとでも言うように、鼻で笑った彼女のように誰もが同じ反応を示すだろう。やがてその全てを処理し終えた少年は


怒声でもなく、 笑いでもなく、くぐもった涙声でも無い。


「ぁ、――ぅえ?」


感情がぐちゃ混ぜになった、なんとも言えない呻き声。


なにも言わず、何も起こさず。椅子に座り、床に正座した男二人に目もくれぬまま。見たものを和ませるような目に優しい栗毛、それでいてしなやかなで長い。

丹精を込めて編み込まれたであろうポニーテールを揺らしもみ上げを片方だけ耳に掛けて、はっきりと声を出した。


「ようこそ新入生さん、非常に申し訳……なくもないですね、文芸部ですが――」


そもそも誰なのか、どういう状況のなのか。質問するよりも前に、凄く嫌な悪寒が肌を走る。そんな思考の片隅の何故か冷静な部分の自分が虫酸が走るとはこういうことなのだろうと考えているのを今にも張り倒したくなってくる。


声は出なかった、少女は淡々と。死を告げるように。


「文芸部は、今日をもって廃部です」


芯のある透き通った声が今は憎たらしい。反論もなにもする暇もなく。すとんと――腑に落ちないまま心の奥底に落とされた。


冷えきった思考が回転する、それはきっと小説を書く筆が止まらなくなった時のように快速だ。一つ二つと


何故?

どうして?

そしてどうすれば?


三つを軸にした思考が嵐のように入り乱れ、伊波は黙り込んだ。――はぁっと息を付く少女。先ほどとは違い少しだけ申し訳なさそうに。とりわけこの文芸部ではなく彼に同情していた。答えは変わらない。漫画や小説のように上手く行けば、現実なんて生ぬるい物だ。


「本来正式な部活動として認められるのは部員が五人必要です」


一つ


慈悲はない。淡々と子供に言い聞かせるような声音に伊波は少なからず苛立ちを感じ始めた。


二つ、人差し指に続き中指が立った


「一年間、最低一つ大会でも出し物でもなんでも実績を残すこと」


少女の下に座る男二人組が震えた。もう何をするかも分からず、伊波は思考を放棄した。


「そして最後に、猶予はありません。充分与えました」


言い終えた、と言わんばかりに少女は一息。伊波はきっとこれは彼女のせいでもなんでもない、結果を残せなかった文芸部が悪かったのだと結論が付いてしまった。――でも、だからこそ。伊波はどうすれば良いのか、この言いようのない哀しみと、憎しみを誰に向ければ良いのか。


「恨むのなら、私を恨むのです」


筋違いにもほどがある、と思う。なんにも悪くないはずなのに、きっと優しさだったか。それともただの気まぐれか。


もうすべての思考を捨てたまま、伊波は問いかけた。


「貴方は?」


ふっと笑って立ち上がる少女に伊波の顔はどう見えただろう。


「私の名前を知らないとは、勉強不足にも程があるのです」


言葉とは裏腹に、気にしては居なさそうで少し楽しそうに弾むように胸に手を置いた。


「鷹司岬――この学園の生徒会長です。頭の片隅にでも置いておくのです」


では。告げて去っていく少女――鷹司岬を伊波は見つめた。行き場の無い無力感を、誰に渡すはずでもなかった怒りを彼女がそう仕向けたからと言い訳だけして。


伊波一郎は誓った。いつか必ず鷹司岬に復讐するのだと。お門違いの復讐劇が、始まろうと――していたのかも知れない。それが予想もできない恋幕を始めるとも知らず。








うつらうつらと、何を考えるまでもなく歩いていた。端から見れば誰もが心配するであろうふらふらとした歩き方で、少女は歩いていた。生憎、この場所、この時間に足を運ぶ物好きは一人たりとも居ないのだから、それこそ彼女が疲れを隠さずただ朦朧と歩けると言うものだ。


生徒会長、鷹司岬は誰もが認める天才で、誰もが頭を垂れる……少し誇張とも言えるが、それに匹敵する努力家である。彼女は決して良家に生まれたからこそ生徒会長と言う地位を手にしたのではない。この実力主義と謳われる学園の歴史でたった一人、絶え間ない努力を得て一年生にして先代の生徒会長から座を受け継がれたのだ。


それを誇りに思えばこそろくな休みを取れない現在を憎んだことは露も無い。欲を言えば一日くらいは休みを取り女の子らしくおめかしをして外へ繰り出したいと言う欲もあるのだな。それは岬の秘密だ。


およそ38畳、学園が大きいからなのか余分すぎるほどに取られた大人数が入れる生徒会室にただ一人。もうそろそろ代替わりも近い腰掛けに座り必要な書類にだけ事前に目を通す。テーブルの上に置かれたプランターには観賞用植物が一つ。その世話をするのが岬の些細な一日の始まりだった。


やることは全て手際よく終えてしまい、暇をもて余し天井の染みを数える行為を行ったのは今日で何回目になるのだろう。この役を引き受けること既に()()、今まで変なプライドのせいか認めていなかったがこれも岬の些細な日課として今日初めて認めた。


外からやっと運動部員の声が聞こえてきて岬は一日の始まりを実感した。三度目に迎える春、各々の新入生が好きな部活に顔を出し始める時間になった。そういえば今年は廃部になった部活がないなと岬は思う。()()は一つ、そう文芸部だっただろうか。


伊波一郎――岬は名前を知らない――が復讐を約束してから、実に一年が経過していた。彼女だって悪気があって廃部にしたわけではない。一年と言う猶予を与えてあの二人組がなにもできなかったからこそ満を持して文芸部を廃部にしたのだ。岬は別に、当然のことをしたのだと思う。生徒会長として当然の責務を全うしたのだからたかが三人に恨まれた所で痛くも痒くないと。


――そういえばあの場に新入生が居たなと思う、彼がもう少し早く、一年でも早く文芸部に来ていたら話は違っていたのか。三人でなんとかできる現状だったかと言われればノーと答えるしかないのだが。


それは置いておくとしてと、岬は姿勢をただして扉を見つめた。今日は新二年生から学園満場一致で新しい副会長が選ばれたとの事だ。岬が生徒会長になってから一年、二年生時には空席だった右腕とも言える役がやっと埋まるのだと岬は安堵していた。別に自分でどうとでもできるのだが一息つく時間は欲しいと、だからこそ少しだけ――そう少しだけ、鼻唄を唄いながら待つぐらいにはわくわくとしていた。


「――すみません、遅れてしまいましたね」


三回のノック、知らない声。入ってきたのは意思が強そうな太眉で目付きが些か鋭い、髪は短く切り揃え制服の整った本人は断じて認めていないのだがかなり身長が低い岬が立てば肩にすら届かないだろう。高身長の青年だった。


遅れた、と彼は言うが。まったくもってそんなことはない、むしろ岬は速すぎるぐらいだし他の役員は一人と来る気配もない。岬はこの男の爪の垢を煎じてかの役員達にも飲ましてやりたいと思った。


なにか懐かしむわけもなく、なのに目を一瞬細めた青年に気づかず岬は席を立った。疲れきった顔を内に留め笑みを浮かべる彼女は曲がりなりにも生徒会長だと言うことが良く分かる覇気のような物を纏っている。


「ようこそ、貴方が新しい副会長ですね?」

「はい、伊波一郎です。一年間よろしくお願いします」


まあ、と素直に頭を下げる伊波に岬は感動を覚えた。他の役員は頭を下げるどころか天井を突き抜けてしまいそうなぐらいには礼儀と言う物を知らないのだから、それだけ岬にとって高得点だったのは言わずもがな。一郎と時代にしては古くさい名前だとも思いながら彼の手を取り握手する。


伊波は少し面食らったようだが、すぐに応じた。


「期待しているのですよ、伊波君」

「ええ――任せてください鷹司生徒会長」


目の前の他人が頼もしく見えたのは何年ぶりだろうか、こほんと場を整えまずは何をさせようかと思考していると伊波から一つ。


「なにか淹れましょうか?鷹司会長」


些細な気遣いに岬は目を白黒させる。授業に出る前には必ず自分で入れたお茶を飲み心身を整えるのは彼女の日課の一つだったのだ。シンプルに言ってしまえば、感激していた。顔には出さない、生徒会長の威厳と言うものがあるからだ。


「そこの棚の三番目、お茶を淹れてもらって良いですか?」


もちろん、そう言った彼は慣れた手つきで茶を淹れ始めた。まるで練習してきたようだと岬は思う。茶を淹れる姿はなんとも似合っていた。


やがてテーブルに出された湯飲みには茶柱が一本


「縁起が良いですね、会長」

「……ですね」


今すぐこの席を立ち上がり万歳しながら神に頭を垂れたい気分だった。もちろんしない、だが岬の感情を言い表すならこれ以上でも良いぐらいだろう。他人に淹れられた茶が身体に染み渡り岬の目が少しだけ潤った。きっと縁起が良いのは彼のお陰だ、と思いながら一息。


きっとこの一年、少しぐらいは心が休まるだろうと伊波の存在に感謝をした。


「では伊波君、授業の前に少しだけ仕事をするのです」

「書類ですか?取りますよ?」

「そうです、ではあそこの引き出しに――」


彼の策略にも気づかず、岬は伊波に少し甘えるのだった。



目標は書籍化、日々精進して参りますので何とぞ応援よろしくお願いします。

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