05話 例えどんなにくだらなくても
日も沈み、龍の行軍は足を休める。いくら龍害が収まったとはいえ夜の行軍は危険が伴う。巨大な土龍は揺れが少ないとはいえ、一日中移動し続けるには乗る人にも負担がかかる。そのため土龍は明日の朝まで休憩をいれ、翌日の夕方ほどにマルセレスに到着するそうだ。土龍が足を止めるたことでようやく俺も足を止めることが出来た。
「死ぬかと思った」
迫りくる土龍の轍が血に濡れることはなく、俺もそれにダースニック王も無事に走り抜けることが出来た。
息も絶え絶え、子龍の肉体といえど不眠不休が可能なわけじゃない。最近はずっと魔力による身体強化に頼り切っていたし、基礎体力はそこまで鍛えているわけじゃない。だから2,3度死にかけた。いや実際に死ぬわけじゃないんだろうけど、地面の滲みにはなりかけたのは確かだった
そんなわけで疲れ果て、地面に座り込んで息を整えている俺にカノンとニースから降りた雪とレティが来た。
「大変そうだったね天羽君。お疲れ様」
「雪も走ってよかったんだぞ」
「あはは~私はほら警戒を怠るわけにはいかないから」
警戒なんてそれこそ第二兵団の人たちがやってくれているから、雪の出番なんてほとんどないだろうに。でも仮に雪が走っていた場合、きっと今以上に俺が苦労していただろう。たぶん背中を押してあげないと途中でばてるだろうから。
「水でも飲みますか?」
「ああ助かるレティ。……………………ふぅ、生き返る」
持久走後に給水機で飲む冷たい水が何よりもおいしいように、持久走と比にならないほどしんどかったこの走りの後に飲む冷たい水は、きっと週末のビールよりうまい。飲んだことないけど。
「みんなはそろそろ夜ご飯を作るんだって。天羽君も軽く体を洗ってきたら?向こうに川があるから」
「そうする。悪い、タオルか何かあるか?」
何の準備もなしに土龍から投げ出されたから何もない。俺を投げ出した当の本人はけろっとしており、俺と同じ距離を走ったとは思えないほど元気だった。きっと鍛え方が違うんだろう。いやそれにしたって怪我人が出していい速度ではなかった。数百年も生きると人はああも人間離れしてくるのだろうか。
雪からタオルを受け取り近くに見える川へと向かう。そこまで大きい川じゃないけど汗を洗い落とすにはちょうどいい深さだった。
僅かに香るのは硫黄の匂い、風上から流れてくるこの匂いは少しだけ昔を思い出させる。みんなで行った温泉、そこでもこんな匂いがしていた。きっとあの温泉地もいまではもう崩れ去っているのだろう。復興はまだ終わっていない、それほどまでにあの災害はみんなに傷を残した。俺にも、そして雪にも。
「ふぅ、やっぱり風呂に入りたいな。テノティトにはあったけど、ほとんどが大衆浴場で個人用のはなかったし。1人でゆっくりと湯船につかりたい」
「ならご用意しましょうか?私と土、水属性の方がいれば簡易的なものであれば作れますよ」
独り言だったはずの呟きが誰かに聞かれていた。独り言は誰にも聞かれないから吐露するものであって誰かに聞かせるものじゃない。だから恥ずかしい。
俺の呟きを聞きそれに応えた少女には見覚えがある。赤い髪を後ろで一つに束ねたまだ幼さの抜けきらない少女。どことなく顔立ちがカウレスに似ている彼女の名は、
「フィオレさん、あなたも来ていたんですか?」
「フィオレでいいですよアモウ様。年はともかく見た目はこれですから」
「なら俺のことも様だなんて畏まって言わないでくれ、こそばゆい」
フィオレ、カウレスとは腹違いの妹、彼女のことはあまり知らない。前に一度会ったことがあるぐらいで、それも形式的なものだった。だから今回の件に彼女が関わってくるのも当然知らなかったわけで、そして俺は今あまり人に見られていい姿をしていない。なにせ汗を洗い流していたんだ、上裸の男と中学生ぐらいの女子が一緒にいて良い道理は無いだろう。それにあまり見られたくもない。
「そうですね、ふふ、それじゃあアモウさんと呼ばせていただきます。それにしても傷が多いですね」
「ああ、悪い。あまり見ていて気持ちのいいものじゃないよな」
天龍の子龍だからか傷の治りは早い。きっと腹を裂かれても次の日の朝には治る。複雑な傷ならともかくそういう単純な傷はもう気にしなくなった。でも時間が巻き戻るわけじゃない、傷は傷としてどうしても残る。長い時間が経てばそれもなくなるのだろうけれど、あの龍害からはまだそんなに経っていない。だから当然、俺の体は傷だらけなわけだ。
「いいえ、いいえ、そんなことはありません。その傷に悲しみと感謝を思うことはあっても、不快な感情を抱くことなどありえません。少なくとも救われた私たちが抱いていい思いではないのです…………ですから、ええ、はい、隠さなくていいのですよ?」
最初の方は深窓の令嬢の如く物静かな印象を与える言葉だったけど、どちらかというと最後の方に感情がこもっていた気がする。どちらも本当なんだろうけれど、多分素は最後の方だ。
「最後、何か私情が入ってなかったか?」
「まさか!私はまだ花も恥じらう乙女ですよ。異性の肉体などとてもとても、ただ私はそのお身体は見苦しくないと言いたかっただけです」
本当だろうか、いや追及してもどうしようもないか。それに相手が気持ち悪いと思わないならそれでいいし、とはいえ服を着ない理由にもならない。首にかけておいたタオルで軽く体をふき服を着ると、小さく「あぁ」なんて聞こえた。気にしない気にしない。
「ああそうだ、聞きたかったんだけど、この指輪って何か意味とかあるのか?」
「あら、ふふ、つけていてくれたのですね。せっかくの贈り物ですから、ええはい私としてもつけてくれる方が嬉しいです。理由の方はそうですね、縁起がいい、とでも思っていてください。あなたの傷が早く治ってくれるようにと祈りましたから」
「ありがたいんだけど、貴重なものなら返すよ。貰う謂れは、まあなくもないんだろうけど見返りを求めているわけじゃない」
「返してくれなんて言いませんよ。もともと誰かに差し上げるためにその指輪は作られたのですから。でもそうですね、もし無くされたら、ふふ、私泣いてしまうかも?」
誰かに渡すためのものなら貰っておこう。きっと他の人にもお見舞いとして渡しているのだろうし。とはいえ泣かれるのは困る。無くすつもりも手放すつもりもないけど、気を付けておかないと。
「さて、そろそろ晩ご飯だろ。みんなの所に戻ろうか」
「そうですね。あ、申し訳ございません、アモウさん戻るとき少しお力を貸していただけませんか」
「力を?」
———
「姫様―!何処へ行かれたのですかー!姫様―!」
こだまする声、周囲には誰かを探すために忙しなく駆け回っている人たちの姿が目に入る。彼らが捜すのは「姫様」と呼ばれる人物、そしてこの国にはそう呼ばれる人物は1人しかいない、はず。いや少なくともこのキャンプ地にいるのは俺と一緒に岩の影に身を隠しているフィオレのみだろう。
「お転婆な姫様だな。花も恥じらうって言ってなかったか」
「お転婆と清廉さは必ずしも両立しないものではないのです。ですから、はい、もう少々お付き合いください」
自分で言うかねそういうのは。とはいえ目的地である彼女用に建てられたテントまでそこまでの距離はないけど、それでもこの人数だ。かなり難しいだろう。
そもそも素直に見つかればいいだろうにわざわざ隠れる理由は、侍女の1人にとても怖い人がいるらしい。素直に怒られた方がいいのでは、とも思い始めたけど、まあ乗り掛かった舟だ。それにこういうのはそれなりに経験がある。夜に施設を抜け出した子供たちを雪のお母さん、春香さんに見つからないように寝室に連れ戻したことなんていくらでもあるんだ。だから上手くいくはず。
ブラックモアがあれば話は早かったんだろうけど、あいにく龍車の中だ。だから別の手段でフィオレを隠さなきゃいけない。
「どうする?俺が引き付けている間に走り抜けるか」
「いえ、それだと目聡い婆やの目はごまかせません。最低限あの人をここから離れさせないと私たちに勝ち目はないです」
勝ち目って、何と戦っているんだか。とはいえフィオレの指さす先にいる人物、彼女が婆やと呼ぶ人の目は確かに見覚えがある。冷静な狩人の目、懐かしさ覚える深夜の春香さんの目と同じ目だ。きっと生半可なごまかしは通じない。
俺たちが隠れている岩陰にはまだ人の手が回っていないが時期にここにも人が来るだろう。そのまえに片をつけたきゃいけない。
すると視界の端に明かりが灯る。日がほとんど地平線に隠れている今ではその火はそれなりに目立つ、そしてその火を俺は見たことがある。あれは確かベルクスで、子供たちを、
「隠れて」
「きゃ!」
フィオレの腕を取り、俺の背中で隠す。ほどなくして人が近づいてきた。暗く、まだ顔は見えないが、あの魔法は間違いなく彼女のもの。
「こんなところで何をしているのですか、アモウ」
「ん゛、レ、レティ。い、いや何もしてない。ただちょっと岩の陰で涼んでいただけ」
レティが小さな火を引き連れてこちらへとやって来た。彼女の周りにフヨフヨと浮かんでいる火の1つがさっきこちらに近づいてきたのだろう。それが無ければ見つかるところだった。フィオレのことは見えてないはず。彼女の体は小さいし、レティとの間には俺がいる。しかしこれ以上誤魔化すのは難しい。
「今、いなくなったフィオレさんを探しているのですが、何か知りませんか」
「いや、悪いけど見てない。別の場所にいるんじゃないか」
「おかしいですね。私の魔法だとこのあたりにいるはずなのですが。それとアモウ、誰かと話していませんでしたか」
「そんなことない。まだ火照ってる体を冷ましてただけだ」
苦しい言い訳だけど、見つかるわけにはいかない。レティ1人だったらなんとか誤魔化せる可能性はある。
「………………1つ言い忘れてました、アモウ」
「ん?どうした」
「私の魔法はある程度感覚を共有できます。例えばこの子たちの聴覚を私と同期させることぐらいはできるのです。改めて聞きます、アモウの後ろにいる人はどなたでしょうか」
後ろで俺の服の裾を掴み縋ってくる少女を見放すのは心苦しいが、無理なものは無理だ。レティは確信をもって俺を問いただしている。もう誤魔化すことはできない。
すると観念したのか、フィオレが俺の後ろから出てきた。
「ばれちゃいましたか」




