26話 揺籃
「ようやく寝てくれたか」
泣き疲れたのかフィオレは寝てしまった。昨日からの疲れが限界に達したのだろう。部屋にあるベッドに彼女を連れて行き寝かせる。その寝顔は何かに怯えているような、悲しんでいるような、そんな顔。うなされるのも無理はない、それぐらい彼女が置かれている状況は厳しいものだった。
やはりそんな彼女に結婚を迫るのは酷ではないだろうか。側にいることで力になれることもあるかもしれないが、俺はここにずっといられるわけじゃない。そう言う役回りはカウレスや、それこそダースニック王に…………いやあの人ももうここに長くいられない。それを彼女が知っているかどうか、もし知らなかったら、更に傷を負うことになるかもしれない。
「どうにかして、死なずに済む方法を模索できないかな」
そんな独白をつい零す。俺の知識なんてたかが知れている。回避できるのなら彼だってその道を選んでいるはずだ。ノルディックは、あいつなら何とかできるかもしれない。聞いてみるのもいいかもしれないな。帰ったらアスターに頼んでみよう、最近かまってやれてないから不機嫌かもしれないけれど。いやでも確かアルバートさんところの子供2人に懐かれていたはず…………解剖とかされないよな。
外は俺が屋敷に来る前から雨が降っている。最近は晴れが続いていたからこういう空を見るのは久しぶりな気がする。来るまでは小雨だったけれど、今ではもう大雨と呼べるほどのものだった。
今日は帰れそうにないな。雪には悪いが彼女なら問題ないだろう。
しばらくの間、ぼーっと雨空を見上げていると部屋に人が入ってきた。来るとは思っていたが、俺よりも遅いとは思わなかった。父親として娘の危機に駆けつけないのはいかがなものだろう。
「遅かったですねダースニック王」
「なんだ?嫌味か…………まあいい事実だからな。それよりどうだフィオレの様子は」
「良くも悪くも、あまり人のことを言えないのは分かってますけど、溜めこみ過ぎじゃないですか」
ダースニック王はベッドで寝込むフィオレの横顔を眺める。伸ばしたその手はフィオレの頭を撫でることなく引っ込んだ。彼の表情は心配していたというよりも、どちらかといえば申し訳なさそうな顔だった。
フィオレが座っていた椅子に座りダースニック王は俺と向き合う。
「本当に言えねえな…………ジュディッカたちのことは残念だが、お前はよくやったよ」
あの場に俺がいなかったらフィオレも死んでいた。そう考えることが出来るなら楽なのに。あの場にいた他の4人を助けることが出来ずに自分を讃える事なんてできない。
「それで、勝てそうか」
「ナルバレック、火龍どちらです?」
「どっちもだよ。始祖龍討伐前にあの子龍をなんとかしなけりゃ挟撃されて終わりだ」
「正直どちらもまだ。けどナルバレックが始祖龍との戦闘に横やりを入れてくるとは思いませんけど」
何となくそうなんじゃないかと思えてしまう。ただの楽観といえばそうなのだろう。けれどあいつは始祖龍を嫌っている。力を貸す、なんてことはないのだろうけれど、それでも静観はしてもおかしくはない。
「可能性としてはあるがな、絶対なんて言えねえよ。もうあまり時間もねえしな」
「もう……近いんですか」
「ああ、自分のことは自分が一番わかってる。もう1月ももたねえよ」
ならカウレスもフィオレも立て続けに身内を失うことになる。その辛さもやるせなさも俺はよく知っている。そんな思い2人にしてほしくはないというのに、死は確実にダースニック王の身を蝕んでいる。
「ノルディックに相談したら」
「あいつだって万能じゃねえ。世界を騙せたとしても、それはただの先送りだ。いいんだよ、本当ならあの戦場で死んでたんだ、こうして生きて別れる覚悟が出来る分マシだ」
最上ではなくとも、最悪ではない。そんな誰もが傷を受け入れないといけないのが現状だと思うと悔しさがこみ上げる。
「でだ、俺の言いつけを破った馬鹿ガキには何かきつい罰が必要だよなぁ」
「え、いや、確かに言い付けは破りましたけど、そもそもとして行動を監督される立場にないというか」
「何そんなきついことは言わねえよ。結果としてフィオレが救われたのは事実だからな。そうだな…………こいつを頼めるか」
普段は見せないどこか優し気な表情でダースニック王はそう言う。前は好きにしろと言っていたけど考えが変わったのか。冗談、ではないのだろう。そんなことで冗談を言うような人ではないことはわかっている。それでもこの人からそういう言葉が出るのは意外だった。
「娘との結婚を罰扱いにするのはどうなんです?」
「茶化すなよ、俺だってこれでも色々考えてんだ。王としても父親としてもな。幸せにしてくれなんて言わねえが、ここをたつまでの間気にかけてやって欲しいんだ」
「それはもちろん、個人としても気にしているつもりです」
「なら、いいんだ…………はっ!駄目だなつい弱気になっちまう」
そう言うと自分の顔をばこばことダースニック王は叩く。その音はとても人から出て良い音には聞こえないが、本人は特段痛がっているようには見えなかった。
「そういや今回はだいぶ早く目が覚めたな。ヴォルフはだいぶ重傷って言ってたんだがな」
「あ、ヴォルフ、あいつは無事ですか?」
「無事といえば、って感じだな。七熾とやり合ってんだ相応に傷を負ってる。だがお前ほどじゃねえから安心しろよ」
無事か、ならよかった。あいつがどういう存在がいまいちわからないが、それでも救ってくれた事実は変わらないんだ。
ホッとする俺とは裏腹にダースニック王はじろじろとこちらを覗きこんでくる。左側を包帯でぐるぐるにまかれたその顔は以前のものとつい比べてしまう。
「眼は大丈夫そうだな、視力の方も回復してるか。龍の血が体に馴染んできてるのか。良くも悪くも、だな」
「何かそれで不都合でも?」
「人としての割合が目減りしてるってことだぞ。少しは気にしとけ」
ああ、そんなことを気にしてくれているのか。大事にしないといけないのは分かっている。でもそれを捨てることで誰かを助けることが出来るのなら、きっと俺はいつかそれを捨てるのだろう。
「その分龍の治癒能力も魔力の容量も増えてはいるから、一概には良し悪しを語れないがな。気をつけろよ、周りの連中もお前に不幸になってほしいわけじゃない」
「分かってます。俺だって傷つきたいわけじゃない」
ダースニック王の目はこちらを疑っているが、いま目を逸らしたら余計に突っ込まれるだろう。俺だって俺が傷つくことで悲しむ人がいることを知っている。けれど仕方がないじゃないか、今更そういう生き方を変えられるほど器用じゃない。
「しばらくは魔力も使えないんだろ。ナルバレックが来たらどうしようもないが、あの家よりもここの方が守りやすい。しばらくは泊っていけ」
「そうします。フィオレの件もありますし、それにローランドにも悪い」
最近ローランドは俺たちの家を寝ずに見張っていてくれている。こちらからの差し入れは貰っても家に入るつもりはないのか、ずっと屋根の上にいる。寝ないことにはなれていると言っていたけど、流石に気が引ける。アルバートさんが見張りの時はそもそも向こうの家にお邪魔したりもしているので、何というか色々親衛隊には無理をさせている。
「ま、たしかにあいつもここでなら屋根があるところで寝られるか。後で俺からユキにも言っとく。どうせユキが来るならヴォルフもついてくるだろ」
「ですね。あいつがいるなら安心できる」
話す話題も尽きたのでダースニック王が立ち上がり部屋から出ようとする。その時ふと何かに違和感を覚えて、あたりも見る。
何かが変なような、いやでも特に異常はない、はず。でも何か、どうしようもない焦燥感こみ上げてくる。
「おい、大丈夫か。きついならお前も寝とけよ」
「いや、そう言うわけじゃ。けど何か猛烈な違和感が」
落ち着くために紅茶へと手を伸ばすと、違和感の正体がそこにあった。手を触れてもいないのに水面が波打っている。誰かがテーブルを揺らしたわけでもない。
いやな記憶が蘇る。それはもうずっと昔に経験した震災の記憶、色鮮やかに、けれど暗鬱としたもう2度とは経験したく無い唯一の後悔。
「ダースニック王伏せて!」
急いでフィオレの下へと駆け寄る。天幕付きのベットは上の金具が外れるかもしれない。そうなったら天幕そのものが彼女へと落ちていく。王族ならそんなもので傷つきはしないだろうけれど、打ち所が悪ければあるいは。上に被さりフィオレに当たらないようにする。
僅かに揺れ動いていた館が大きく揺れ始める。天地を揺るがす程の揺れは経験したあの震災以上のもの。もはや立つことすらままならないこの災いは数分にわたり続いている。
怖い、怖い、怖い、魂から漏れだす恐怖という感情が俺自身を支配する。忘れていたわけじゃない、けれど記憶よりもなお鮮明にこの地震は俺の恐怖心を呼び覚ます。
弱音を吐いてなんていられないのに、それでも零してしまいそうだ。
嫌な予想というのは得てして当たってしまうもので、天幕の留め具が外れる音がする。頭上から天幕が落ちてくるのが分かった。痛みを覚悟するがそれは来ない、予想とは違って頭上に熱が走る。横を見るとダースニック王が刻んだ術式が発動した痕跡が残っていた。
ようやく揺れが収まるとフィオレの部屋は酷い有様になっていた。元々ものがそこまでなかったからか、家具の倒壊はほとんどないが、壁が、天井が、崩れてしまっていた。
余程疲れているのだろう。あれほどの揺れがあっても、フィオレはまだ寝ている。今はまだ起こさない方がいいだろう。
「おい!大丈夫か?!顔が真っ青だぞ!」
「平気、です。すみません、俺あいつのところに行かないと」
壊れていた窓から飛び降り、屋敷の外へと飛び出す。俺はまだマシな方だ。未だに膝は笑っていて、気分だって悪いけど、それでも平気な振りをし続けられる。雪の混乱に比べたら、俺なんて。
後ろからダースニック王の静止の声が聞こえる。外の様子も酷く、地面は割れ、遠くに見えるまなみは倒壊している建物も多い。せっかく復興が終わりそうだったのに、災害が容赦なく牙を向いた。そういうものだということを忘れたつもりはないはずなのに。
「クソ、まだ余震が!」
再び地面が揺れ動く。今度のは前回よりも小さいものだったがそれでも立つのがやっとだ。子龍の肉体を持ってしても動くことができないでいる。
早く、早くあいつの元へ。未だにあの地獄に囚われている雪の元へ少しでも早く!




