24話 龍の法則
戦場に花火が咲く。それは天羽の想像するようなものではなく、絶え間なく放たれる火龍の爆発。曇天を埋め、時には地にも咲く。もはや戦場は戦場と呼ぶことすらできない。火龍は自分の存在を遠き存在に知らしめるようにこの地を塗りつぶしていく。
気温は上がり、空間に熱は籠る。それはだんだんと世界が人の領域から龍の領域へと塗り替えられる証左。法則の書換から法則の適応が行われつつある。人が紡いだベールを上から塗りつぶす荒業は龍本来の機能の在り方。
法則の定着まで龍域が進行した場合もはやその土地の支配者は龍となる。今は天羽に目標を定めて、龍域の深度を深めていないがそれも長くは続かない。ただ逃げ回るだけの存在など龍にとっては虫以下の存在だ。
大地を駆け、空を跳び、爆発の範囲から逃げ続ける。それが唯一天羽に許された行為いやそれしかできないだけだった。始めのうちは戦えていた彼も、法則が適応され始めてからは手も足も出ていない。
空間の膨張、いわばその場に存在する「熱」を極限まで高めることが「橙炎」を与えられたケツァトルの特権だった。それが非生物に限定されているのは今だけ。この世界が完成すれば、彼は常に孤独となる。それを良しとしたが故の七熾、黒炎を担うウィチトリとはまた違った強者の形。
「まだか!」
依然として龍域は破れない。何かしらしているんだろうが、爆発と爆音とで何がどうなっているかわからない。もう限界が近いのが分かる。ただの逃げ回って時折反撃するだけでこの体はもう悲鳴を上げていた。
爆発もそうだが火龍自身もアグレッシブに仕掛けてくる。ロケットのように直線的な突進しかしないのだが、それでもそれによって発生する衝撃波はナルバレックの比じゃなく、圧倒的な質量はそれだけで破壊兵器たりえる。
あれとまともに戦えと。万全の状態でも、いや雪の龍域があってようやく五分だ。俺1人じゃ…………くそ、あいつヘルウィックさんたちに眼を付けた。囮もここまで来たら効果ないか。
使える魔力は多くても、そもそも体がもたない。左腕は根元から切れかけており、右腕はナルバレックとの対峙でだいぶ傷ついた。今も何回か軽めの龍核解放は使っている。次が最後か。
火龍が地面を抉り、いや溶かし波打つ高熱の液体へと変えヘルウィックさん達を狙う。どんな原理か知らないが、熱か何かなのだろう。そんなものやらせるわけにはいかない。赤熱の津波は周囲の空間を歪めている、それほどの高温、触れる事すらできないはずだ。その大本である火龍はどれほどの熱量か、ああ考えるだけでも身が焼けそうだ。
地面を溶かしているからか俺でも追い付ける。最後、いやその後もまた逃げ回らないとか。
火龍に追い付く。いるだけで燃えるような熱さかと思ったら、意外と熱くない、火龍自体は熱くないのか。その外殻に取りつき、その隙間に沿うようにアドを突っ込む。
「吹き飛べ『アド・アストラ』!」
外殻を添うように純白の魔力が吹き荒れる。これだけの至近距離効かないはずがない。事実火龍から悲鳴のような鳴き声が聞こえて、その視線をこちらに向けた。アドを抜き離脱する。後は今までやったことの繰り返しだ。そう難しいことじゃ、
そう高を括っていた時だった。振りぬかれた拳が眼前に迫る。火龍はその巨体を2本の足で支え地面を溶かしていた腕を抵抗そのままに振りぬいていた。
ぬかった、ここまで怒るなんて予想外だ。何とか剣を間に入り込ませ直撃を避ける。受け流す、いや、無理だ、受けるしか。
衝撃を覚悟する。あの速度でやられたらもうどうしようもない。耐えられるか、いやこの体じゃもう。
けれどそんな瞬間は来なかった。眼前に迫る拳はただ1人によって防がれていた。白亜の後ろ姿。見慣れたそれはどこまでも頼もしく、この窮地の置いてもいつもの様子で来るものだから調子が狂う。その在り方はきっと戦場では稀有なもので、何よりも尊いものなのだろう。
「相変わらず無理をしますね君は」
「ヴォルフ……!」
ヴォルフは俺の体を抱え、龍の腕を弾きその場から離脱する。火龍は追ってこない。容易く自身の腕を払ったヴォルフを警戒しているのか、こちらの様子をうかがっている。
「僕も加勢を、いやここからは僕が引き受ける。君はもう戦っちゃだめだ」
「だけど、相手は…………」
まだ戦おうとする俺の意思に反して身体から力が抜ける。まずい、龍血脈動が、もう。痛み、疲労、魔力の枯渇、龍血脈動でだましだましやっていた反動がここで来た。もう、剣を握ることすら。
「大丈夫、僕一人でやって見せますよ」
そう言ってヴォルフは火龍へと向かう。俺にはもう止めるだけの余力すら残っていなかった。
———
「まだ結界の破壊はできないのか!」
龍域内部と外部の境界そこには多くの騎士が集まっており、集中して結界を攻撃していた。けれど龍の守りは破れることなく、依然としてそこに存在していた。
人々の魔力が発露するとともに空間は熱を帯び、すでに気温は40℃を超えようとしている。それは生物が生きる上で適切な温度ではない。
「ここはやはり外部からの救援を待つほかないかと」
「今戦っているアモウ様やヴォルフ殿を見捨てるつもりか」
意見は未だ分かれている。団長であるヘルウィックは若く経験も浅い。能力はあるがそれを裏付けるだけの実績がなかった。故に年上の部下には舐められがちであり、うまくまとまっているとは言えなかった。
すでにヘルウィックも龍核解放を試しており、その一撃ですら完全に防いでいた。龍域の結界を破壊できなければこのまま気温が上がり続けることは彼らにもわかっていて、何とか打開策をだそうともがいていた。
「どうするのです団長。結界を破壊するにしても、龍と対峙するにしても、我々は皆龍害との戦闘で消耗しています。このままでは!」
「分かっている。だが我らだけであの龍を討伐することなど不可能だ。何としてもこの結界を」
彼らは失念している、ここが人の世界ではなく龍の世界だということを。龍人の持つ力はどこまでいっても龍に由来するもの。龍の力で龍に対抗するには限界がある。故にここでは彼女のみが唯一この結界を破るに足る存在だった。
「変わってください。私が破壊します」
「君は、レティシア殿。魔法使いであるあなた、がですか」
数分前までヴォルフを探し回っていたレティは彼を見つけたことで、この場へと三度戻ってきた。力ある魔法使いの多くは先の龍害で消息を絶っている。今この場に十翼魔法を行使できるものは彼女しかしなかった。
けれどこの空間はすでに人が生きる空間ではない。限りなく人間に近い彼女は他の人々のように暑さに耐性がない。足取りはふらつき、顔色も悪い。それでも視線だけはまっすぐと結界を見ていた。
「どのみち何もしなくたって死ぬだけです。ですからお願いします」
「………分かりました。みんな一度引け!彼女が今から魔法を試す!」
彼らの視線はまちまちだ。魔法使いだからと侮っているものや、微かな期待に縋ろうとするもの。そのどれもがいずれ自分たちは蒸発してしまう事実を知らない。
龍域はその性質上世界を閉ざすという法則が組み込まれている。それはこの世界を構築する上で最も重要な要素の1つ。その法則を打ち消すことさえできれば道は拓く。
それは凡百な魔法ではなしえない絶技、法則はより強固な法則へと膝をつく、数千年にも及ぶ老級の神秘は本来何人さえも犯すこそのできない絶対のものだった。
レティが詠唱を紡ぐ、彼女が願うは世界と世界とをつなぐ枝葉。原初から黄昏までを見届けた悠久の観測者。
「古代樹の精霊よ、その権威と悠久とをもって開け『時代を紡ぐ始まりの古樹』!」
荒れた大地に命が芽生える。始めは小さな萌芽であっても瞬く間に成長し、結界へと向かって伸びていく。幹と結界とが激しく衝突する。世界を閉じるために存在する結界を世界を繋げていたと謡われる古代樹がこじ開けようとしていた。拮抗、どちらの法則も深く古いものであり、容易に決着がつくことはない。それでもそこに差があったとしたら、レティシアという存在そのものだろう。
幹が結界を貫く。ガラガラと音をたてて崩れ落ちた結界は魔力となって霧散する。これではもう龍域は維持できない。外の世界のより強大で普遍の法則が流れ込み、やがて元へと戻る。
「「うおおおおおおおおおお!」
歓声が上がる。期待していた者もしていなかったものも一様に助かったという事実に対して心の底から安堵していた。
だがまだ終わりではない。後方には依然として火龍が存在しており、ヴォルフは未だ戦っている。
「老級の方へ急いで援護に迎え!2人を回収し次第、この場を離れる!」
ヘルウィックの指示が行きわたる。意見が割れていた部下たちも、結界が割れた以上果たすべき目標は定まっていた。
レティは一度テントに戻り、フィオレを探す。天羽には多くの人が迎えに行っている。迎えに行きたい気持ちをこらえ、今自分にできることをこなしていた。
フィオレは与えられたテントの隅でポツンと座っていた。表情は暗いわけじゃない、ただ天幕をぼーっと眺めていて、何も考えていないのか、それとも考えないようにしているかは定かではない。それでもレティが来たことには気づいたようでそちらに視線を移していた。
「フィオレさん、結界を破壊することが出来ました。私たちも早くここから脱出しましょう」
「…………そうですね。すみませんが騎龍に乗せてもらってもよろしいですか。私の子ははぐれてしまって」
彼女の騎龍は渓谷にいた。あの時は天羽が2人をカノンに乗せたので主を見失ってしまい、まだ戻ってきていない。すでにあの渓谷は消失している。仮にあの光の柱に飲み込まれているとしたら生存は絶望的だろう。
「カノンはいい子ですから大丈夫ですよ。アモウはきっと他の人が連れてくるでしょうから問題ないはずです」
レティはフィオレの手を取り、カノンの下へと急ぐ。戦場からは激しい爆発音ととも熱がここにも届いていた。すでに多くのものが撤退を始めており、秩序だったその動きに乗れば2人も戦場から離れることは簡単だった。火龍は追ってこない。興味がなくなったからか、天羽に付けられた傷が響いたのか、それとも地下深くで眠る自らの主の下へと戻るためか。
この戦場で命を落としたものは多くない。ジュディッカを含めた4人以外の死亡は未だ確認されてすらいなかった。
問題はなかったはずだった。危険はあれど充分に排除できるものだった。けれどフィオレは多くのものを失い、天羽は傷ついた。後に残ったのは龍害討伐という結果と、老級から逃げだしたという事実だった。




