23話 橙炎を担う龍
重い体を引きづる。熱がこもる傷はけれど火傷のように固まっており、出血はひどくない。今後の縫合のことを考えると憂鬱な気持ちになるが、考えるな。それはその時になって考えればいい。
今はとにかくレティたちと合流しないと、ナルバレックの情報の真偽がどうであれ、彼女たちの無事を確認しないといけない。
「けど、間に合うか、これ」
足取りは重く、体力はない。龍血脈動はまだ続いているがそれもいつ切れるか。頼む、せめてこの戦場から離脱するまでは。
戦場を見渡せる高台へと辿り着く。山間の戦場は龍の死体であふれかえり、血の池が脈打っていた。龍の血は水に溶けない。どういう原理かわからないが、油のように水を弾きドロドロの血液は、低地に流れていくことなく溜まっていた。
生物が腐る臭い、時期的に雨季の終わりのリヴィングスは空気は湿っており、かなり腐敗する速度が速かった。
何が完璧な生き物だ、そんなもの生き物なんて言えないだろ。どうしようもない痛みを、現実を、それでもと乗り越えることが生きるということだろうに。それを他人に強いるつもりはないが、現実はそういうもののはずだ。甘く、夢のような生活はきっとそれこそ夢なのだろう。
いや、今はいい。そんなこと考えたって仕方がない。ここなら、それなりに見渡せる。レティたちは。
「あれは、壁、か」
改めて遠くを見ると薄っすらと壁のようなものが見える。いや、この雰囲気覚えがある。まだ感覚としては感じる程度だが、世界が変わった。くそ、いやな事ばかり起きる、あいつの助言は確かにあっていたんだ。
「くそ、急がないと、ここはもう老級の戦場だ」
龍域、七熾の一角、ダースニック王が言っていたことが本当ならその龍は炎龍から直接火を分け与えられた存在だ。間違いなく俺が対峙した龍の中で最も強い存在だろう。離脱できるか、いやもう龍域にいる以上捕捉されている。雪がいれば話は変わるのだろうが、あいにく来ていない。くそ、こんなことなら声を掛けておけばよかった。
痛みをおして崖を下る。がりがりと削れる音がするが、今は魔力を纏っている。ただの岩肌で傷つくような状態じゃない。下は上から見るより凄惨で龍の血で地面が見えない状態で、足の踏み場がない。仕方がないから血を踏みしめ、前へと走り出す。ここから陣地までおそらく1キロ弱、そんなに離れてない。
レティたちは問題が無ければそこにいるはずだ。傷は、ああ、もう塞がってきている。龍血脈動で自己治癒も活性化しているのか、ありがたくはあるけれど、自分が人間離れしている事実に若干の不安が立つ。
「アモウ!」
山を抜け、平地へと出たところで上空から声を掛けられる。曇天で分からなかったが、カノンに乗ったレティがこちらに近づいてきていた。ああ、また心配させるのだろう。彼女のせいじゃないというのに悲しい顔をするのだからやるせなくなる。
「やあレティ、助かった。後方まで走るのは気が滅入るから」
カノンが心配そうに俺の顔を舐めてくる。ざらざらとした龍の下は汚れた俺の顔を綺麗にしていく。水龍だからか、唾液もさらさらしていて嫌な感じがしない。
「ありがとカノン、大丈夫だからもう舐めなくていい。レティも無事でよかった」
カノンから飛び降りたレティは俺へと抱き着く。もしこれが平時でナルバレックとの死闘の後なんかじゃなかったら、ドキドキできていただろうに。いろいろとマヒしてしまっている今だと申し訳なさしか感じない。
「汚いぞ、だいぶ血や泥で汚れてる」
「よかった…………本当に、生きていて、よかった…………もう、あんな無茶は」
「守れない約束は極力したく無いんだ。悪い」
振るえる背中をそっとさする。どこまでも優しい彼女を泣かせることはこれで何度目だろうか。それでもこの先も俺は彼女を泣かせてしまうのだろう。そんな自分が嫌になるし、そんな自分しか選べない事実を突きつけられる。
レティは涙をぬぐい、俺から離れる。白い印象が強い彼女が赤や茶色で汚されてしまった。それでも彼女は立派に立っていて、俺の目をじっと見つめてくる。
「話は後にしましょう、今はとにかくここを離れないと」
「そうだな、カノンまた頼む」
2人でカノンに乗り、空へと飛び立つ。こんな天気だ、上空は冷たい風が吹き、それが身に染みる。それを察してくれたのかレティが風除けの魔法をかけてくれた。
「ありがとう、楽になった」
「いえ、私の方こそアモウ、ありがとうございました。もしあの場であなたが残ってくれなかったら、私もフィオレさんも死んでいたかもしれません」
守りきれた自信はない。だからこそ彼女たちをカノンに乗せて逃がしたし、時間をできる限り稼いだ。それが出来たのもあの渓谷でジュディッカさんが時間を稼いでくれたからだ。
「2人を逃がすことが出来たのもジュディッカさんが時間を稼いでくれたからだ。だから俺はせめてその死に報いなきゃいけない」
「あまり責任を背負わないでください。あれはあの子龍がやったことです、アモウのせいじゃありません」
ああそれは確かな事実だ。ナルバレックがジュディッカさん達を殺した事実は消えることはないし、俺たちが龍を殺していた事実は変わらない。理解はできる、そこがきっと腹立たしいんだ。同族嫌悪と言っていい感情は同時に俺があいつと一緒だと似ていると認めているようなもの。近くもなく遠くない、いくつもの合わせ鏡に映る1人の自分のようなそんな存在。
「それでもその死から目を逸らすわけにも忘れるわけにもいかないんだ」
「私だって誰かが死んだら悲しいです。でも、それでもアモウやユキが死んだらきっとそれ以上に」
そうだな、それできっといい。本心でさえ他人の死と身内の死を同列に語るような俺なんかよりきっと。
数分も空を飛ぶと、ようやく陣地が見えてきた。まだ人が大勢おり、どこか立ち往生している印象を受ける。まさか、この龍域出ることが出来ないのか。
「降りようレティ、フィオレもそこにいるんだろ」
「今はヘルウィックさんに保護してもらっています。本当なら誰よりも泣きたいはずなのに気丈に振舞っていて」
ああ、彼女もまたこの地の王族なのだろう。ダースニック王もカウレスも似たようにどこまでも王族としてあろうとした。痛ましいほどにそれが彼らにとって当然のことなのだろう。
カノンが地上に降下する。眼下にはフィオレも迎えに来ていて、ああ、確かに痛ましい。そんな顔をするくらいならまだ見た目相応に泣いていてくれた方がまだましだった。
「まず最初に、私などの命を救ってくださりありがとうございます。そして生きて帰ってきてくれて心から嬉しく思います」
「………………そうやって演じるのか」
「え?」
「いや、悪い配慮に欠けてた。あとなどなんて言わないでくれ、その命は決して軽くなんかないだろ」
どんな命だって軽くなんかない。相対的な違いなどないんだから、重さの違いなんてないのだろうけれど、それでも雑に扱っていいものじゃない。
「報告を聞いたときは本当に驚きましたがまさか本当に子龍様だったとは」
「すみません、ヘルウィックさん。恭弥じゃなくて天羽です」
「いえこちらこそまだまともに挨拶していなかったですね。ヘルウィック・ハートランドと申します。今はこの危機を乗り越えるためにともに力を合わせましょう」
差し出された手に応え握手しようとする。血に汚れた手で握るのに躊躇したが半端に出した手のひらを思いっきり握られる。ヘルウィックさんは人当たりの良い好青年といった感じだ。
「ではまず治療ですか。麻酔の魔術は用意できますが、だいぶ痛むはずです」
「いや、まだ龍血脈動が続いてるんです。下手に麻酔なんかしたら集中が途切れる。すべてが終わるまではこのままで」
今横になったら何かが途切れる気がする。集中も魔力も何もかも、まだだ、まだ倒れるわけにはいかない。
「よろしいのですね。なら状況を説明しましょうか。我々は今謎の結界に閉ざされていて内と外とで分断されている状況です。何人かの龍核解放で破壊できないか試しましたが、瑕一つない状態です」
フィオレをレティに任せ、ヘルウィックさんと共に結界がある内と外との境界に立つ。確かに傷一つなく、付きそうにも思えない。俺でも出来るかどうか、万全の状態でも怪しい気がする。
「おそらくは龍域です。それも七熾をもつ老級の」
「今、なんと?」
「七熾の龍域です。不確かな情報筋ではありますけど、これだけの龍域はそうでもないと説明できない」
俺の言葉を受けてヘルウィックさんは考え込む。ほぼ初対面の俺の言をどの程度の確度か判断しかねているのだろう。
「わかり、ました。もしこれが七熾の一角、今現存している2匹の内どちらかの龍域ならこの現状にも説明がつきます、が…………」
「にわかには信じられないかもしれませんが信じて下さい。このままだとすぐここにも老級が来る」
迎え撃つのは、おそらく不可能だろう。老級をそれも龍域内の老級をこの人数で倒すことなんて不可能だ。
ひとまず一度テントへと戻って対策を立てるようだ。テントの中の空気は重苦しい。本来ならとっくに終わっているはずの龍害討伐が未だこんな形で続いているんだ、誰だって参ってしまうだろう。建設的な案はなかなかに出ない。そもそも情報がボロボロの初対面の俺からもたらされたものだ、疑い半分に聞いている人も中にはいるだろう。
「やはりもう一度、皆で破壊を試みてはいかがでしょうか。噂に聞く子龍様もいる。試す価値はあるでしょう」
「下手に消耗するのは下策では?ここは外部からの救援を待つべきかと。依然として龍が出る様子もない。それにいくら子龍様からの情報だからといっても元は敵対している子龍の忠告なのでしょう?逆に罠の可能性もある」
「だが、そもそも救援を期待できるのか?マルセレスには陛下がいますが今は療養中、親衛隊も街を出ますまい」
それぞれが思い思いに話し合い、この現状への対応を考えていく。俺は決定に従うが、どうなる?正直今すぐにでもここから離れた方がいいはずだ。
「皆さん落ち着きましょう。今はひとまず、慎重に、」
ヘルウィックさんが過熱していた議論をなだめようとした時、空気が変わる。曇天の湿った空気ではなく、熱を持った乾いたものへと変じる。まるでジャングルから砂漠へと無理やり飛ばされたようなそんな感覚。これだけの異常感じたのは俺だけじゃない。周囲の人も確かに感じていた。
「これは!」
全員が異変に気付いたと同時に、テントの外が騒がしくなる。周囲も気づいたのだろう。けれど事態は予想以上に深刻だった。
「報告!前方に巨大な龍を確認。おそらく老級だと思われます!」
「くっ!早い。応戦いや、勝てるわけがない。だが退路は、」
「俺が時間を稼ぎます。その間に結界を」
「いえですが……………………そうですね。お任せしてもよろしいでしょうか」
「こちらこそ、俺の命は結界が破れるか否かです、お互い死力を尽くしましょう」
テントを出る。身体は、まだ動くな。大丈夫、この一瞬でも保てば十分だ。垂れ流していた魔力を束ねなおし、龍がいる方へと向き直る。
前方、かなりの距離があるが龍が見える。ここからでも視認できるほどの巨体で大地を踏みしめ、悠然とこちらに近づいてくる。狙いは、俺か、それともただ人を狙っているのか。どちらにせよ、戦わないといけない。
周囲は忙しなく動いていて、固定砲台を展開している。下級の龍には有効打になりえるがそれ以外には目くらまし程度にしかならない。それでもしないよりはましだろう。
地を駆ける。出せる速度は大してでなくとも、それでもいち早くあの火龍をどうにかするために走り出す。
近づけば近づくほどにその太陽のような黄金色の体躯が煌めく。そういえば龍域内での戦闘はこれで3回目か。でも今回は時間稼ぎ、勝たなくていいんだ。死ぬな、止まるな、ただ目立て。俺に残された活動時間はそんなに多くないんだ。
火龍との距離が50メートルほどになった時、突如として空間が爆ぜる。目の前がオレンジ色に染まっていた。地面を転がる。突如として起きた爆発に反応できなかった俺はもろに喰らってしまった。
「かはっ!」
肺から空気が漏れる。ナルバレックから老級の火龍との連戦。もう体のがたとっくの昔に、それでもまだ動けているのは意地みたいなものだった。
受け身も取れず、地面にアドを刺してこれ以上吹き飛ばないように努める。何とか立ち上がる。それだけの気力はまだあった。
「いやになる。期待をさせたんだ、応えるのが義務だろうに。だから、まだ」
アドへと魔力を込める。溢れ出る魔力は例え七熾を持つといえど無視できないもの。圧縮し、廻す暇なんてない。ただ垂れ流すだけだが食いついてくれた。
怒りに燃える双眸が俺を睨む。何に怒っているのだろう。いやナルバレックが言っていたか、あの一撃が怒りの原因なのだろう。その攻撃の主は天空にあのとき垣間見えた建造物にいるのだろう。あれは何だったのか、いや今は関係ないか。
「さあこっちだ。こいよ火龍」
莫大な魔力に食いつき火龍はこちらへ向かってくる。まるでそれはロケットエンジンのような、後方の爆発を強引に推進力へと変えて突進してきた。
老級の巨体はそれだけで脅威たりえる。可能な限り距離を取り、爆風と衝撃波とで再び吹き飛ばされそうになるのをこらえ、アドを構える。
「止まれ!『アド・アストラ』!」
至近距離での龍核解放。まともに圧縮できていなくともこれだけ近ければ…………有効打にはならないか。でも注意は完全に引けた。
火龍の鋭い爪はそのものが炎で形成されており、地面に触れただけで溶解している。その連撃、きっとまともにうければ今の俺では致命傷になりかねない。だから軌道を逸らし、受け流す。
ああ、俺はここで違和感を覚えるべきだった。重体の俺が七熾相手にここまで戦えるはずがないことに。七熾はまだ実力の一端も見せていなかった。
今日中にあと一本、最後の方にはサライが流れてるはず




