22話 人ならざる龍の子よ
周囲が静寂に包まれ、その主たるナルバレックが一歩を踏み出す。それは未踏の速度、この世界で彼女以外到達しえない臨界点。龍眼に魔力を集中する天羽であっても、捉えることが出来ないほどの圧倒的な速さだった。
天羽の脇腹に浅くない傷が刻まれる。視認できていなくとも彼に刻まれている幾層にも積み上げられた経験が強引に致命傷を避けていた。遅れてくる衝撃波、音速を軽く超えている彼女はただ動くだけで災害たりえる。もはやそれは人という範疇を超え龍の領域へと踏みいれた証左だった。
「くっ!我は、星の名代にしてこの地の守護者!」
遅れて天羽も龍血脈動を行使する。もはや防ぐことすらままならない猛攻の中、確かに宣誓を紡ぎ、自らの内に眠る龍の血を呼び起こさんとする。
「星よ、その嬰児たる子龍に星の血の脈動を『アストロ』!」
「君の全力は見て見たかった。もう少しだけ楽しむとしようか」
身体の内から魔力が溢れる。制御できるぎりぎりまで天龍の拘束を解いた魔力はいつ暴走してもおかしくない。あいつのように完璧に制御下に置くにはいったいどれだけの時間が必要だろうか。
傷なんて関係ない。どれだけ血が溢れようが、どれだけ肉が裂かれようが、気にするな。痛みなんてもう慣れただろ。
地面を蹴る、あいつのような異次元の速さじゃなくたって、近づければいいんだ。力任せに、体から溢れる魔力の流れに沿うように、ナルバレックへと斬り付ける。
「はぁああ!」
「悪くない、だが、粗削りだな。その出力に身を任せているだけだ」
天羽の連撃をそう断じる。確かに彼の剣さばきはもはや人のそれではなく龍のような猛攻。対するナルバレックはそれを人の業をもって対処していく。互いに認められない部分をむき出しにして、相手に喰らい付く。
一合一合、彼らの剣が交わるたびに肥沃だった大地は荒れていく。龍という存在を体現するかのように、魔力は迸り、剣は大地を抉る。
ナルバレックが刻む魔術はどれも正確無比に天羽へと追従する。雷で形作られた猟犬は魔術で作られたとは思えないほどの連携を見せていた。
「邪魔だ!『アド・アストラ』!」
純白の光が猟犬を呑み、後には何も残らない。けれどそれが罠だということは天羽も承知の上だ。目まぐるしく変化する戦場においてナルバレックから目を離すことは死に直結しかねない。
数舜前まで天羽がいた場所に雷光が強襲する。龍核解放の反動でその場から離れていなかったら、ナルバレックの突きが天羽の腹を引き裂いていただろう。
「ちょこまかと、よく動く!」
「そうでもしないと、とっくに死んでる!」
眼前を通り過ぎるナルバレックの足を掴みそのまま地面へと叩きつける。魔力をすべて腕に束ね、あいつの速度を利用した叩きつけ。激しい衝撃が腕越しに俺にも響く。土煙が宙を舞い、荒れた大地の上にクレーターが形成された。
アドを構え突き刺そうとすると土煙の中で何かが光る。あれは魔術の光、可視化された魔力が雷へと変換され射出される寸前。顔を背けギリギリのところで回避する。僅かに当たった頬は焦げ、弾丸は明後日の方向に着弾し爆発音が周囲に響く。
「はは、痛いじゃないか!」
「どれだけ頑丈なんだ。でもその速さにはもう慣れた!」
「やはり君は異常だよ。私という存在に適応するのが速すぎる。その適応力は天龍の影響か、それともあの日見たもうひとりの君の影響か」
「違う、俺は俺だ。あいつとはちがう!」
「なんでもいいさ、だが私はまだギアを上げるぞ」
ナルバレックの纏う魔力の質が上がる。今まで余剰魔力として放電されていた魔力がほとんどなくなり、さながら魔力の鎧を着ているかのようだった。
くそ、まだ上がるのか、もうこっちはどうしようもないってのに。魔力の拘束を緩めるか、いやこれ以上はもう俺の制御が出来なくなる。ただでさえ今でもギリギリなんだ、このままやるしかない。
神速の踏み出し、ただ速いということはこれほどまでに強いことなのか。視界の端に写るナルバレックの残光、考えるよりも先に動かなければならなかった。
肩口にナルバレックの剣が食い込む。血が溢れ激しい痛みと熱が脳を焼くが、そんなものにかまうな。無理やり間に剣を噛ませ、それ以上傷が深くならないようにする。左腕は、ダメか。
光、後ろに魔術、挟まれた。刹那の猶予、アドに込められた魔力を解放する。ナルバレックと俺との間で炸裂する魔力、大した威力はないが体勢を崩すには十分だ。
「いい反応だ。だがそろそろ終わりにしよう」
「あの魔力、間に合うか!」
ナルバレックの龍剣に魔力が集まる。もはや龍眼で見るには眩しすぎるほどのその光は、昼過ぎのリヴィングスでさえ目がくらむものだった。
アドに魔力を込める。直前で込めた魔力を解放したせいでナルバレックよりも遅い。だめだ、充分には溜められない。せめて相殺、いや軌道を逸らすぐらいは。
明滅する白緑の雷は何よりも気高くそれでいて獰猛。龍という存在を体現したナルバレックの心象、対するは純白の波濤は何物にも染まらなく無垢の魔力、天羽の歪まずの決意の表れ。もはや互いにその戦いの意味を見失い、その一撃に集中していた。
「『ウィリディス・アルビオン』!」
「っ!『アド・アストラ』!」
純白の光と深緑の雷が交差する。激突する瞬間、激しい衝撃が周囲を襲う。それは人という枠組みで見るなら至高の一撃、龍という存在だとしても始祖龍に準ずるものだった。
「うう、あああ!」
押されるのは天羽。全力を出し切れていないのは誰の目で見ても同然だった。瞬間的に、魔力の量が増加する。天龍に施された魔力量の上限、それを無理やりこじ開け身体の内から溢れる魔力を龍核解放の流れに乗せて、強制的に体の外へと放出する。
形勢は覆る。純粋な魔力量で言えば、この地に天羽を超えるものはいない。けれど支える腕は魔力の流れに耐え切れず、ところどころから出血する。筋繊維のはじける音が天羽の耳に届く。けれど彼は顔を顰めはすれど、やめることはない。
刹那の拮抗。永遠かに思えた瞬間は束ねた魔力が霧散したことで終わりを迎える。けれど白煙の向こう、天羽が見据える先にはナルバレックが立っている。その手には白く轟く雷を纏った龍装。彼女の龍核解放はまだ終わっていなかった。
雲耀に届かんとする速度。天羽が拮抗していたのは一撃目、彼女の龍装は二撃目をもって一連の動作を完了する。
「…………くそ」
白亜の雷撃が天羽を襲う。例え最後の瞬間であれ諦める事はしない彼であっても、龍核解放の反動でまともに動くこともできない。彼にできたのはただ魔力で身を覆うだけ、それすらも満足にできない。
「これは賞賛せざるをえないな。まさかあれを耐えるとはな」
「………………」
立つことはできている。一瞬だけ意識が飛んでいた。雷撃で体が痺れて倒れることが出来なかっただけで、もう倒れていてもおかしくない。
「……けど、まだ、動ける」
麻痺は痛覚を鈍らせる。痛みとは本来人が人たる所以の1つ。生きるということは痛みを少しずつ受容していくことにある。天羽にとってそれは何よりも重要なものであるはずなのに、今彼はそれを忘れている。
ナルバレックが一度引くとその周囲にはおびただしいほどの術式が刻まれる。天羽はそれを苦虫を嚙み潰したような顔で見るしかない。雷が空から降り注ぎ、地上には暴風が吹き荒れる。剣を使わずともナルバレックは魔術だけで天羽を圧倒しうる。1匹の老級からすべてを受け継いだナルバレックは魔力の最大量は天羽に劣るものの、その瞬間的な出力と多彩な攻撃手段は天羽よりも確実に上だった。
今どれくらいたった。ほんの数分にも思えるし、数時間戦っているようにも思える。一瞬一瞬が引き延ばされ、刹那の選択が生死を決める。迷いも苛立ちも今は飲み込んで目の前の奴に集中しないと。
近づくことすらままならない。天羽にとっては果てしない道のりでも、ナルバレックにとっては数歩進むだけでたどり着く事が出来る。雷をよけながら、身を裂く風を斬り捨てながら、それでもボロボロの身で一歩を踏み出す。自分にはそれしかできないと言わんばかりに。
「そろそろ刻限か」
ナルバレックが上空を見上げながらそう呟くと、晴天だったはずの空に暗雲が立ち込める。もはやただの自然現象とは思えないそれは、空高く聳え立つ積乱雲へと発達した。
その隙を天羽は見逃さない。身を削る風を甘んじて受け入れ、空から墜ちる雷だけをよけナルバレックへと肉薄する。
それを片眼で確認したナルバレックは天羽の奇襲を腕で受け止める。当然子龍の肉体といえど、魔力で強化された剣の一撃を直に受ければ傷はつく。天羽は当たるとは思っていなかった攻撃が当たったことに驚くも力を籠め、彼女の腕を斬り飛ばそうとする。けれど剣は固定され、そこから動かすことがかなわない。
「ちょうどいい、君も受けるか。嵐の罰を」
「何を!」
「さあ、来るぞ、避けなければ死が待っている」
ナルバレックが見上げた空を見る。さっきまで青空が広がっていたはずなのにいつの間に。いやそんなこと考えている余裕はない。ナルバレックを蹴り飛ばし、その場から離脱する。眼に見えるほどの巨大な魔力の塊、雲の間から垣間見えるのは何か建造物のようなもの。嘘だろ、あんなものが空に浮いているのか。
考えている暇はない。直感がこの場から離れろと警鐘を鳴らしている、あれは触れてはいけないものだと。遠く遠くへ、きっとここは消滅する。文字通り無くなるのだ。だから、
天から地に向けて巨大な光の柱が降臨する。もはやそれは龍ですら起こすことが不可能な神秘。罰を受けながらも、その身に宿る力を引き出した咎人への戒め。それは本来高度100キロメートル上空を飛行するとある始祖龍の楽園。ナルバレックにとってかつて挑み敗北した風の龍の頂き。その権能の一端がこの戦場に顕現した。
「嘘、だろ。こんなことありえるのか…………」
眼前に広がる光景を脳が理解するのを拒む。たった数秒前まで存在していた大地が消え失せた。大地があった場所には巨大な穴が開いており、その深さは底が見えないほどだった。
「あいつは、いや今は、とにかく誰かと合流しないと」
痛みを感じない左腕を抱えながら歩き出す。あれはナルバレックが起こしたものか。いや、いくら何でもそれは無いだろう。自分も巻き込まれかねないほどのものだった、自爆したとも思えない。それにあいつは嵐の罰だと言っていた。それが何を意味するのか、嵐龍が関係しているのか。
ナルバレックの姿は見えない。あれで死んだとは思えないが、だからといって無傷で済むわけがない。あれだけの規模の攻撃、いったい何のために。レティとフィオレは無事に逃げることが出来ただろうか。カノンがいるから大丈夫だとは思うけれど、ここは龍がひしめく戦場だ。レティはともかくフィオレは消耗している。急がないと。
「なに、そう焦ることない。もう少し私に付き合ってくれ」
「…………あれを喰らってまだ動けるのか」
「君にそれを言われたくないな。頑丈さ、いや我慢強さなら君の方が上だ」
眼前にナルバレックが現れる。ところどころに傷が見えるがそれでも致命傷は負ってない。けれどすでに戦う意思はないのか、剣を構えることもせず、魔力を滾らせることもない。ただそこに存在しているだけだった。
「何が、目的だ」
「君を連れ去るにはちょうどいい、と思わないか」
「………………」
「いや、冗談だ。適当に笑い流せばいいものを、君は真面目過ぎるな」
そんな笑えない冗談を笑い飛ばせるだけの余力も、まともに返す体力もない。ああ本当に倒れてしまいそうだ。でももしここで隙を見せればあいつは確実に冗談を現実にする。だからまだ耐えるんだ。
「もう一度聞く。人は君が救うに値しないと思わないか。今日の君たちが龍害と呼ぶ龍達もただここにいただけだろう」
「だとしても、あれらは一度テノティトを襲っている。それだけでも充分だろ」
「そうか?あの中にはこの地に住んでいた龍もいた。忌々しくも始祖龍の配下に加えられたがな。そんな無垢な龍もこの地では多く死んだぞ」
「言われなくても!俺はそもそも誰かを、それに龍を殺すことを正当化したつもりはない」
俺は人を選んでしまった。きっと自分が人であったという理由だけで。それを後悔するつもりはない。それでも生きている以上何かを犠牲にするしかないんだ。
「知っているか、龍は何かに依存しない。生きている以上必要な食事ですら彼らには必要ない。言っていることが分かるだろう」
「違う!この世界に生きる以上、龍は完全なんかじゃない。今いる命を犠牲にしてでもおまえはそんな停滞した世界を目指すのかよ」
「いいや、それは完成した世界だ。停滞も進歩もない、それ以上はないんだ」
それがきっとあいつの星。届くことはないと割り切らず、それでも手を伸ばす原初の憧憬。俺にとってそれが人による争いのない世界であるように。なら俺はそれを否定しなければならない。それが俺の在り方で、存在理由だから。いつからだろうか、そう思うようになったのは。あの星の夜からか、雪を選んだ日からか、それともこの世界に来てからだったか、もう思い出すことが出来ない。けれどそう魂に刻まれている。
「君は悲しいな。願いではなく、責務で動くとは。人という理性の表れか、それとも別の何かか。何にせよ、その在り方は人でも龍でもないある種の機構の在り方だ」
「それの何が悪い。俺は、この力は人を救うためにあるんだ。そのためなら俺は喜んで人を捨てれる」
交わることはないと分かっていた。人と龍と言う守るべき存在の違いとその向き合い方と、俺とナルバレックは捻じれた存在へとなり果てた。
「チッ、嵐龍の息吹で七熾の一角が目覚めたか。あの子はダメだな、炎龍の祝福がその魂すら犯している。では私はここで引こう。あの小娘たちが命拾いするかは、ここからだな」
ナルバレックがその場から去った。飛びかけた意識を何とか保ち、情報を整理する。あいつが零した情報は目覚めさせるのに十分だ。わざわざ知らせたのは、俺を死なせないためか。最後まで、いや、今はまずみんなの所に行かないと。
朝までにはもう一話、24時間耐久動画が心の支え。




