21話 人として龍として
目の前には死を濃縮したような気配を放つナルバレック。駆けだしたくなる衝動を抑える。今、俺がこの2人から手を離せばあいつの元に行くよりも早く2人は切り殺されるだろう。そう感じさせるほどにナルバレックの動きは人知を逸していた。
「さて、アモウ。今からそこをどいてくれれば君は傷つかずに済む。痛いのは嫌だろう?」
「誰が!今3人も殺した奴の言うことなんか!」
「戦場に死を覚悟せず来たとでも?仮にそうだとしても、戦場で私の前に立ったものがそう易々と生きて帰れると思っていたのか?」
くそ、身動きが取れない。この場であいつと僅かでも拮抗できるのはきっと俺だけ。せめて2人をジュディッカさんに預けることが出来たら。
猶予はない。今もナルバレックはこちらに悠然と近づいてきている。子龍の俺は生半可な傷じゃ死なないだろうから、加減なく2人を殺しに来る。
「アモウ様…………」
「駄目ですジュディッカさん。あなたも後ろに、」
「どのみちこの傷です、長くはない」
ジュディッカさんには肩口から胸にかけて深い傷が残っている。彼女はナルバレックの攻撃を完全には防ぎきれなかった。あれではもう右腕は上がらないだろう。
傷ついた身を押してジュディッカさんはナルバレックの方へと足を向ける。呼吸は荒く、とても戦えるようには見えない。それでも彼女はまだ生きていて、戦う意思は残っていた。
「だめ、ですよ。だめです!婆や下がってください」
「ジュディッカさん!」
「姫様を頼んでもよろしいでしょうかアモウ様。この場から逃げ切るにはこれしかありません」
彼女は気丈にも鉈を構える。ここが死地だと言わんばかりに。
「ならその役目は俺が、」
「それこそありえません。あなたには多くの人を救って貰わなければなりませんから。それにいつかいってくれましたよね、炎龍を倒すために励むと。そのために他人の死を踏みしめなさい!」
ああわかってる。俺の死が子龍の力の喪失につながることくらい。だから死は逃げる事なんだ。この重たすぎる責任からの逃避。この力を人が唯一生き残るための術を失わせるのは何よりもしてはいけないことなのだと。
でもだからって俺のせいでまた人が死ぬのか。
「ご武運を姫様。あなたに仕えることが光栄でした」
「待って、待って下さい!約束をしたじゃないですか。我儘を聞いてくれると」
ジュディッカさんは申し訳なさそうな笑みを浮かべフィオレの頭をそっと撫でる。その手にも血はついていて、そんなもの構うことなくフィオレは彼女の手を取ろうとした。けれどその手は届かない。すでに彼女は俺たちの目の前から姿を消した。
「行きなさい!」
「っ!」
2人を抱えて走り出す。足元にはフィオレの護衛としてついてきた他の3人。もうその眼に命の灯はなく、完全に死んでしまっていた。彼らの遺体すら持ち帰ることが出来ない。そんな歯がゆさを噛み締めながら遠く遠くへと走り続ける。
———
「私に1人で挑むと?」
「届かないことぐらいは承知しています、私の命と引き換えに姫様たちが生き残るのならそれで」
「そうか。ならその姫様とやらもすぐに送る。それで文句は無いだろう」
「そうさせるとでも!」
急激な加速でジュディッカはナルバレックに肉薄する。その腕にはすでに術式が刻まれていた。アモウでさえ初見では反応することが出来なかった速度をもってジュディッカはナルバレックへと仕掛ける。
「『ドンナーグレイプル!』」
雷を纏う腕、しかしそれは当たることなく宙を舞う。根元から切断された彼女の左腕は表面が焼けこげ、歪にひび割れている。
「なるほど、教会の加速術か。見るのは500年ぶりだな。龍の保護を謡っておきながら、その実我が身可愛さで龍を捨てるか」
「…………教会の理念はあなたなどには理解できないでしょうね」
「いいやしているとも。天龍に盲目的に従うだけの腑抜けた害虫だ。龍という存在を理解していないにもかかわらず、共存を掲げるなど虫酸が走る。っといかんな、あまり時間を掛けてはアモウに逃げられる」
雷光が迸る。昼過ぎにもかかわらず、太陽の光は渓谷に届くことはない。代わりにまばゆく光るナルバレックの電雷が世界を明滅させる。魔力はそれ単体では現象たりえない。しかしナルバレックはその圧倒的な魔力量をもって法則を捻じ曲げていた。
「これでも敬意は忘れない方でな。人の身でありながら私の一撃を防いだことは褒めておこう。だがもう奇跡は起こるまい」
「私の役割は、時間、稼ぎですから。そのためならばいくらでも奇跡を起こして見せますとも」
ジュディッカの眼に血が滲む。見る事すらできないナルバレックの攻撃を死を賭して見るために。だが、奇跡は1度限りだからこそ奇跡と呼ばれる。たとえ全てを投げうったとしても彼女とナルバレックとの間にある差は絶望的だった。
「では死んでもらおうか」
「っ!『ダウンストリーム』!」
ジュディッカの龍装に魔力が走る。上空から吹き下ろす風のように振り上げた鉈をナルバレックの剣目掛けて叩きつける。
ジュディッカの目には細身の剣が鉈を切り裂き自らに迫る光景が映る。それが彼女が見た最後の光景だった。
龍核解放でもないただの魔力の発露。たったそれだけでナルバレックは彼女の全てを打ち破って見せた。
「………………」
「2度目の奇跡か、だがそんなもの喰い破るまでだ。さらばだ教会の龍狩よ。安心しろすぐに寂しくなくなるとも」
渓谷には何も喋ることはない人であったものが4つ。もう彼女たちが目を開くことはない。その魂は星へと帰り、静寂へと包まれる。
———
「カノン!」
渓谷の上層で待機していたカノンにレティとフィオレを乗せる。彼女は嫌がる素振りを見せず2人を落とさなかった。
「駄目です、アモウさんも逃げて下さい。婆やもそれを望んでました」
「駄目だ、3人だと確実に追い付かれる。相手はナルバレックだ、そう簡単には逃がしてくれない」
「アモウがまだ戦うのは!」
「だとしても3人死ぬよりかはいい。レティは急いでヘルウィックさんに連絡して保護してもらえ。頼む、これ以上俺の目の前で死ぬ人を見たくないんだ」
それでもと2人が食い下がろうとした時、渓谷から轟音が響いた。もう、時間はない。きっとすぐにでもナルバレックは俺たちを見つけ殺しに来るだろう。
「大丈夫、あいつの狙いはフィオレたちだ。俺を殺す意思はない。だから、」
「そうだな、君を殺しはしないとも、多少傷を負うことになるだろうが、なに子龍なら2日で治る」
「っ!カノン!」
「キュラァ!」
カノンの尻尾を叩き離脱させる。龍が近くにいる以上あいつがフィオレたちを攻撃することはないだろう。くそかなりの距離があったんだぞ、それをほんの数秒で。それに奴が来たということはジュディッカさんは。
意識を切り替えろ。時間を稼ぐ、それだけに集中すればきっと2人を逃がすことが出来はずだ。
「水龍か。流線的なフォルムが実にいい。まったく龍を盾にするとはひどいな君は」
「黙れ、ジュディッカさんは」
「ジュディッカ……ああ、あの龍教会の。死んだぞ、今回は確実だ」
もう戦わない理由はない。あいつは敵だ。まごうことなき人類の敵。俺がその剣を振るうべき相手。
アドを刻印する。純白の刀身は俺がどれだけ罪を重ねても、濁ることはないのだろう。
「君とは戦いたくないんだがな。仕方がない、少し痛い目を、」
「『アド・アストラ』!」
純白の光が空間を埋める。あいつの戯言に耳を貸す必要はない。俺を殺さないというのなら、こちらは全力で行かせてもらう。
どうせこの程度じゃ死んでない。威力を重視しなかったのもあるが、それ以上にあいつがこの程度で死ぬとは到底思えなかった。ある種の信頼とも呼べるそれに嫌悪しつつ同時に安堵する。人を殺していないという事実に。
土煙の中から人影が現れる。ギリギリ眼で追える速さのそれは傷一つないナルバレックの姿だった。あれを受けて傷がない、無力化なんて今の俺では不可能か。
振り下ろされる剣をアドで受ける。速度によって威力が増したこいつの剣はその細身とは裏腹に異様に重い。まるで丸太を叩きつけられたかに思えた。
「酷いな君は、だがいい判断ともいえる。ああ惜しいな君のその腕龍を守るためにあれば」
「今更何を!もう俺は龍を殺している。あんたにとって敵のはずだ」
周囲に術式が刻まれる。空気すら震わせるナルバレックの魔術は受けるわけにはいかない。アドに魔力を込め、距離を取る。放たれた魔術は雷の槍、直線状に飛んでくるそれは道中の木々を吹き飛ばし接近する。
総数3本、そのうち2本を斬り落とし、残りを身を捻って回避する。後方に着弾した魔術は激しい音をたてながら、地面に小さなクレーターを形成する。
「いい、いいな、実にいい!天龍の子龍という力に振り回されることなく、その力を制御できている。この前のような圧倒的な技術はないが、今の方が好感が持てる」
「そんな賞賛嬉しくもない。とっととここから失せろ」
ナルバレックのような速度ではないにしても、出せる全力で地を駆ける。相手は完全に格上だ、子龍というポテンシャルに数千年単位の経験。そんなものに勝てる道理はない。でもだからといって諦めるわけにはいかない。
あらゆる攻撃が防がれる。どれだけダースニック王に人との戦い方を鍛えてもらっても俺にはその土台に立つ資格すらない。
「露骨に首や胸を狙わないのはなぜだ?今の攻防で私が誘ってものらなかっただろう。それが罠だと分かったわけでもあるまい。ただ純粋にそうしなかったな」
「………………そんなこと今は関係ない」
「いいやある、まさか君は私のことを人扱いしているのかな」
……痛いところを突かれる。だがそんなことで結末は変わらない。どのみち俺にはあいつを殺せるほどの実力はない。けれどそれを知られるとまずい、俺が殺せないということはつまり、あいつは本来守るべき急所を守らずにいられるということ。
だがそんな俺の予想とは裏腹にナルバレックが見せたのは常に余裕のある笑みではなく、心の底からおかしいと感じている笑顔を見せていた。
「ふ、ふふ、ふはははは!まさかここまで虚仮にされているとは。舐めているのは私だけかと思っていたのだがな。まさか君も舐めているとは。こんな屈辱久しぶりだよ」
「くっ!」
ナルバレックを中心に風が吹き荒れる。手で顔を覆う彼女の顔はうかがい知れない、けれどそんなものなくても不機嫌なのは読み取れた。
もはや風は突風などとは呼べないほどの威力があり、周囲の木々はなぎ倒されていく。俺自身もたっていることが難しいほどの風で明らかにナルバレックの様子が変化していた。
「児戯は終わりだ。龍が龍たる由縁を君に見せつけるとしよう」
最早嵐ともいえるほどの風と雷。これだけの魔力、くそ、一手遅れた!
「我、嵐龍に反逆せし龍の賢者。罪、咎、罰、その全てを担いし者。風雲の戒律に基づき嵐の血の脈動を!『グランセスタ』」
吹き荒れていた風が一点に集まる。不自然なほどに静まり返った更地には俺とナルバレックのみが残った。見た目に変わりはない、けれど纏う魔力がもはや別物へと変わっている。嵐かに思えた以前の無駄の多いものとは違い、全ての魔力が彼女によって統率されていた。
「さあ、その魂に刻むといい。私という龍を」




