ヤコニートの花畑
梨亜が花瓶の花を凝視していたそのとき、王宮侍女が部屋に入ってきて一礼して言った。
「王太子殿下が執務室にお呼びでございます。」
「わかりました。すぐに参ります。」
そう言いながら、梨亜はヤコニートの花から目を離せない。
「……ねえ、この花は各地から送られてきている…わけではないわよね?南方の花から北方の花まで生けられているみたいだけど。」
「は?いえ、これは後宮におられる各国の側妃さまをお慰めするように、とふるさとの花を王宮庭師が育てているのですよ。王宮の伝統でございます。」
いぶかしげに侍女は答えた。
「そう……すごい腕の庭師さんなのね、ぜひ一度お会いしたいわ。この花々の咲き乱れているところを見てみたい。」
夢見るように梨亜は行った。パープラとヤコニートを同時に咲かせることのできる庭師に聞けば、ロレンソ医師の畑のヤコニートを咲かせる知識も持っているかもしれない。
「花のお庭にはまたご案内しますから、それよりも、王太子殿下のもとへ。」
うながされて梨亜は我に返った。そうだった。セリオとリベーラの話をクリスティアーノは聞きたがっていた。
「すぐに参ります。」
梨亜は表情を引きしめて王太子の執務室に向かった。
王太子の執務室は、意外に簡素だった。
「マティアス公爵令嬢がいらっしゃいました。」
執務室前の護衛騎士が訪いを入れると、許可が下り、扉が開かれた。にこやかなクリスティアーノの表情と対照的に、そばに立つテオバルドがきつい視線をくれるが、梨亜は気にせずクリスティアーノに礼を取る。
「お呼びとうかがって、参りました。」
「ああ、早速だが、例の件だ。フェルディナント家はリベーラ派に与する心づもりがありそうか?」
真剣なクリスティアーノの眼差しに、梨亜はしばし考え、そして、口を開く。
「おそらく、そのつもりではないかと思います。」
「なに!」
梨亜の答えにテオバルドが大声を上げる。
「いままで独立派に一線を置いてきたフェルディナントがどうして”!フェルディナントは爵位を持ち、王に忠誠を誓った家ではなかったのか。」
クリスティアーノと梨亜は同時にテオバルドに視線を向け、その視線の冷たさにテオバルドはたじろぐ。
「……あなたが私をどうやってあそこから連れ出したのか、あなたは忘れたのかしら、テオバルドさま。」
梨亜ははっきりと口にする。正直、テオバルドのやりかたがあんなに乱暴でなければ、セリオの心が独立派に傾くことはなかったかもしれないのに。テオバルドの顔がゆがむ。自分に責任の一端があることに自覚はあるらしい。
「だが、あれしきのことで…。」
テオバルドの言葉は口の中で消える。クリスティアーノはテオバルドをそれ以上咎めることは無く、穏やかな口調で梨亜に問いただす。
「では、そう思った根拠を教えてもらえるか?リアナ嬢」
「はい。セリオははっきりとリベーラ側につく、と言ったわけではなく、静観する、という言葉を使いましたが、以前の彼と違い、南都を『カリエンテ』と旧国で表現しました。一度だけでしたが、それが彼の本音だろう、と私は推測します。」
開業するための下準備に十日前に王都に入った、とセリオは言っていたが、おそらくまやかしだろう、と梨亜はにらんでいる。セリオはリベーラに命じられ、王都や王宮を探りに来たのだ、たぶん。王太子の誘いに乗るふりをしながらも、セリオはもう、気持ちはリベーラに傾いている。彼の心に変化があったのは、彼の容貌の変化でもわかる。梨亜に連絡を寄越さなかったこの数か月、彼の心に重大な変化があったのだ。
「フェルディナント家全体がそうであるかどうかは、私にはわかりませんが、少なくともセリオはリベーラについた、と私は感じました。」
王太子の執務室に沈黙が訪れた。その中で梨亜は考える。クリスティアーノがいつものように梨亜の部屋で話を聞くのではなく、テオバルドや書記官のいる中で、この話をさせた理由を。
やがて、おもむろにクリスティアーノは口を開く。
「テオバルド、南都のリベーラ社を視察に行ってこい。」
「なにを唐突に…。」
紙のように白くなった顔で、テオバルドが言う。
「俺が南都の連中に良く思われていないのは、おまえも知っているだろう?そこへ単身乗り込めというのか?」
「単身ではない。十分な護衛もつける。なにも諜報活動をしろっていうんじゃない。正面からリベーラ社の視察を申し込んで、堂々と正門から入り、社の中のものに案内してもらえ、と言う意味だ。おそらく、マヌエル・リベーラは顔を見せないだろうし、隠すべきものは隠してくるだろうが、見せられるもの、見せたいものはリベーラは見せてくるだろう。それで十分だ。おまえが何を見て、何を感じたのか、帰ってきたら俺に率直にそれを語れ。今日の午後、すぐに発つように。準備もあるだろうから、今日はもう帰れ。」
諭すようにも、つきはなすようにも聞こえるクリスティアーノの言葉の前で、青白い顔のまま、テオバルドはゆらりと立ち上がり、扉へ向かった。梨亜も目礼してテオバルドを見送る。
「リアナ嬢ももう結構だ。部屋に帰って休んで良い。」
クリスティアーノにそう言われたので、もう一度礼をして、梨亜も執務室を下がった。そして、自分の部屋ではなく、急いで庭に向かった。
王宮に何人かいる庭師に乞い、場所を教えてもらって、急ぎ足で梨亜はその場所へ向かう。
いままで梨亜が足を踏み入れたことのなかった西の離宮の庭に、それはあった。ポロネーシュ原産のパープラの茂みを抜けたところに、大きな築山がしつらえてあり、その急な斜面一面が、真っ白な花に覆いつくされていた。
「ヤコニート…。」
梨亜の目になつかしさで涙がにじむ。ペペやブルーノと一緒にこの花を咲かせることに四苦八苦していたこと。梨亜がわがままを言って、最後のヤコニートの薬を軽傷の少女に使わせてしまって、ロレンソ医師が急に旅立つことになってしまったこと。良い思い出といえるものばかりではないのに、いまの梨亜にとっては、遠く懐かしく愛しい思い出だった。
ヤコニートの花の山の周りをぐるりと回ろうとして、梨亜ははたと足を止めた。そこに信じられない人の姿を見た。
「せんせい……、どうして、ここに。」
梨亜の言葉に気づいたのか、花に目をやっていたその人が、体をこちらに向け、梨亜と目があう。透けるようなプラチナブロンドに空色の瞳、ロレンソ医師がそこに立っていた。




