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人質は労働してはいけません。

 ふだんの日の午前中、梨亜はなにもすることがない。尋ねてくる友人もいなければ、仕事もない。貴族の令嬢らしく、刺繍でもしていればいいのかもしれないけれど、



「針仕事、あんまり好きじゃないんだよなあ…。」



 一応、一通りのことは習ったからできるにはできるけど、仕事人間だった梨亜には、部屋の中で手芸だけしているなんて、なんだか不毛な趣味のようにも感じる。



 くさくさするので、紙とインクとペンをもらって、たくさんのアクセサリーのデザインを描いてみた。だが、ここではフェルディナントの職人集団の工房からは程遠い。これが形になる日がくることはないだろう、そう思うとなにか虚しい。



 えいっとペンを放り出して、梨亜は自分の部屋を出た。国王の妃たちの住む後宮以外は、梨亜はどこでも出入りが許されている。



 王宮の中をあちこち歩きながら、忙しくしている侍女たちに、



「何か私がお手伝いできることありませんか?」



 と聞いてみるが、



「ええ、まあ……大丈夫ですわお嬢さま。」



 と言ってあまり関わり合いになりたくないように去っていく。そうこうしていたら、護衛の騎士をずらりと連れた国王に出会った。梨亜は廊下の端に下がり、臣下の礼を取る。梨亜の前でぴたりと足を止めた国王は、



「元気にしておるかリアナ嬢。」



 と、声をかけてきた。政治手腕は今一つなものの、気が優しそうな国王は、枢密院の食えない爺さんたちよりも、よほど好感が持てる。梨亜に王都五年滞在の勅命を出した張本人にも関わらず、ほのぼのとした顔を見ると、文句を言う気も失せる。



「叔父上……いや、公爵さまにはいろいろお世話になっているからの、そなたもこの王宮で好きなことをしてゆるりと過ごされよ。なんぞ欲しいものはないか。」



「はい。」



 梨亜は返答して思いきって顔を上げた。



「皆さん良くしてくださって、不満はありません。けれどとても退屈です。どうか、私に仕事をください。掃除でも洗濯でもなんでもいたします!」



 梨亜は国王に訴える。すると国王は目を丸くしたのち、顔をさっと蒼ざめて後ずさりした。



「せ、洗濯……じゃと?」



「はい。やったことはありませんが、教えていただければなんでも。」



「ならぬ!」



 国王の大声が降ってきた。



「ポロネーシュの血を引くものは、どいつもこいつもそうやって我を陥れようとするのだ。いいか、掃除、洗濯、その他労働をそなたがこの王宮内ですること、一切を禁ず。これは勅命である。」



「え……。」



 梨亜は呆然とする。国王はさっさと去ってしまい、その場で国王のそばに控えていた秘書官がさらさらと書面を書いた。



「いまの国王のご発言、あとで印を頂き、お部屋にお届けします。」



 秘書官に宣言された。ほんとうに国王の発言することは勅命になるんだ。梨亜はがっくりとした。



「下手なこと言わなきゃ良かったなあ。」



 梨亜は肩を落として、すごすごと部屋に帰って行った。



 その晩、久々にクリスティアーノが梨亜の部屋に遊びに来たので、労働禁止の勅命が下ってしまったことを言うと、大笑いされる。



「そりゃ、えらい地雷を踏み抜いたな。温厚だけが取り柄の親父を怒らすとか相当だな。」



「暇だから働きたい、って言って何が悪いのかしら。」



 梨亜はふくれる。すると、クリスティアーノは真面目な顔になる。



「あのな……、親父が国王になって間もなく献上されたポロネーシュの姫の話、聞いたことないか?」



「ない。」



「そっか、だいぶ昔だからな。この姫は後宮で退屈だからって、ほかの妃の部屋を回り始めた。そして着終わった服を集めて回って、『わたしが洗濯いたします』って、後宮内の洗濯をやりはじめたんだ。洗濯女に混じって。本人がやりたいって言ってることだからって、親父は好きにさせておいたらしい。そうしたら、このポロネーシュの姫は、一年あまり後に、ふとした風邪をこじらせて死んでしまったんだ。そうしたら、南都で噂が流れたらしい。『国王はポロネーシュの姫を洗濯女としてこき使い、挙句の果てに過重労働で死なせた』ってな。ポロネーシュに親しむ南都の民の間では、就任そうそう国王の人気はダダ下がりだ。それに加えて、例の失政。親父は南都を恐れて足も向けないよ。」



「ああ……。」



 そういうことか。梨亜は合点がいく。ポロネーシュ人に似た風貌の梨亜が早死にしたポロネーシュの姫にダブって見えたのか。



「そんなに私はヤワじゃないから、心配しなくてもいいのにな。」



「そういう問題でもないだろ。だいたい、ポロネーシュ人は島を離れると、体調を崩して早く死ぬ、って言われてるからな。公爵夫人も早くに亡くなったろ。黒の女神の加護が切れるから、とか言うらしいな。おまえが王宮で健康でいるかどうかは、結構重要なんだぞ。」



「私は長寿の日本人だから、心配しなくてもいいです、って言うわけにもいかないしなあ。」



「まあ、しばらくはおとなしくしておけ。近いうちになんとかしてやる。退屈なら街に出たらどうだ。」



「そうなんだけどね。私なんかのために護衛の騎士さんの手を煩わせるのが申し訳なくて。」



 国賓と言う名の人質の梨亜が街に出るには、どうしても侍女に護衛の騎士が二人ぐらいつくことになる。国家公務員を三人も私用に使うということが申し訳なくて、梨亜はなかなか外出申請できない。



「おとなしく庭でも散歩しておくよ。」



「そうしてくれ、悪いな。……そう言えば、好きな男と連絡はついたのか?」



「全然。職業・旅人、みたいな人だから、今は南都にいないのかもね。」



 王宮に引っ越してから、梨亜は南都の人々にまた手紙を書いた。侯爵家を出て、王宮の居候になっていること、第一王子夫妻や王太子によくしてもらってること、などを書いた。だが、もともと手紙の往復に合計で一か月以上かかるのだ。しばらくはエリサルデ侯爵家のほうに南都からの手紙が着くと思われる。実際、宰相の秘書官が男爵夫人からの手紙を持ってきてくれたりもした。しかし、そっちのほうにも、ロレンソ医師の手紙はさっぱり届かない。



 クリスティアーノには、ロレンソ医師のことをかいつまんで話すと、大笑いされた。



「借金背負わせた相手を好きになるとか、どんだけだよ。借金返済のためにあの『真珠姫』やっていたっていうのも笑えるし、おまえ、本当に予想外だな。」



 ……これでもロレンソ医師のことは猫の死体を拾ってきては解剖する悪癖があるため、南都で『猫殺し』と呼ばれていることは名誉のために黙っておき、有能な外科医であることだけ話したのだが、それでも王太子を笑わせるには十分だったらしい。



「相手の男はお前のことはどう思ってるんだろうな。」



「さあ、たぶん、同情心と責任感と、好奇心だけだと思うけど。」



「同情心と、借金負わせた責任感はわかるけど、好奇心てなんだよ。」



「先生は、私が異世界人だっていうことに気づいた唯一の人なんだよね…。」



「……どうやって?」



 王太子が驚いた顔をする。



「私が腹痛起こしたときに診察されて、そのときに手術痕を見られた。」



 梨亜はロレンソ医師に虫垂炎の手術痕を見られ、さらにポロネーシュ人との人種的な違いも指摘されて異世界人だと見破られたことを話した。王太子はふうむ、と腕を組んだ。



「さすが医師だな。医師だからって、全員が気づくわけでもなさそうだけど。おまえが有能っていうのもほんとうなんだろうな。それだけで異世界人って断定できるってのも、相当頭が切れそうだしな。」



「そう、変わってるけど、ほんとうにいいお医者さまなのよ。」



 梨亜は言いながら切なくなってきた。ああ、先生、会いたいなあ。

 梨亜が目が赤くなってくるのとごまかすようにそっぽを向くと、不意にクリスティアーノに手を引かれ、王太子の胸に梨亜は抱きとられた。



「ごめんな、国のせいで、好きなヤツと引き離しちゃって。俺がそうさせたようなもんだから。」



 梨亜は、それに答えることなく、ただ静かに王太子の胸で泣いた。梨亜にもわかっている。いまの状況がクリスティアーノだけの責任ではないこと。でも、実際に連れ出したテオバルドにも枢密院にも国王にも謝罪されなかったことを、クリスティアーノは唯一、責任を感じて謝ってくれている。



「クリスはいい王太子さまだね。さすが天啓の王子だよ。」



 少しだけ泣いた後、梨亜はごまかすようにそう言って笑いに紛らせた。クリスティアーノは苦笑した。



「まあ、こんな結果になっちゃったけど、俺はおまえがここに来てくれて嬉しいよ。ずっと話してみたかったからな。だけどおまえには負担を強いてるのはわかってるから、早く南都の問題をすっきり片付けて、おまえが胸を張って南都に帰ったり、国中その男と旅できるように、なんとかしてみる。」



「お願いします。」



 梨亜は頭を下げる。唯一、国のために私利私欲を投げうって働ける王太子。梨亜はいまではクリスティアーノのことをそう思っている。クリスティアーノはいっとき黙って、それから言った。



「なあ、ヒュペリオンは『天啓』はただの偶然だっていうけど、俺は最近、そうじゃないんじゃないか、って思い始めてるんだ。」



 と語り始めた。


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