王宮の日々
俺が生涯だれも娶らないのは、適当な人間がいないからだ。バネッサという舵取り役になる予定がいないまま、枢密院の娘たちだけ娶るのはどう考えてもアンバランスだ。
そして、ヨーゼフ兄のところには、エリサルデ侯爵の娘が産んだ王子たちがいる。バランスを考えるなら、あの子たちが王位を継ぐほうがいいんだ。
俺はそう考えて「生涯独身」と宣言したんだが、枢密院たちは俺がバネッサを失ったから誰とも結婚しない、みたいに話を捻じ曲げて流布させた。俺が誰も娶らないのは宰相一家の責任だ、と皆に信じ込ませることで心理的責任を侯爵家に負わせたんだ。
宰相夫人には心労をかけたと思う。彼女が早くに亡くなり、テオバルドがバネッサのことを深く恨むようになったのは、俺の責任かもしれない。
そして、宰相はこの一件で、少しずつ発言権を削がれ、テオバルドの考えは徐々に枢密院寄りになっていった。俺が洗脳できないとなると、宰相一家の力を削いでいった枢密院たちはじつに姑息だ。ま、そんなことに負けてられないけどな。俺は対抗して、ヨーゼフ兄の枢密院の洗脳を解いていった。あっちにはナタリア姉さんもいるし、俺の意見に賛同してくれて、子どもたちは家庭教師ではなく、貴族の学校に入れることにした。そこだってある程度枢密院の作った間違った歴史が教えられてはいるが、家庭教師に寄ってたかって洗脳されるよりずっとマシだ。少々の間違いは親たちや俺が訂正してやればいい。
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長いクリスティアーノの話を聞いて、梨亜はうーんとため息をついた。
「なんだか、王族って大変だね。結婚さえ自分の意志でどうにもできないって。」
そう言うと、クリスティアーノは穏やかに笑う。
「そうか?俺は孤独の代わりに自由を手に入れた。負い目が少ないほうが国の改革はしやすい。今では俺は、バネッサが逃げてくれて良かったとすら思う。もし予定通りバネッサを妃として迎えていたら、バランスを取るために、枢密院の娘たちも何人か後宮に入れなくてはいけなかっただろうからな。」
「そう……。」
梨亜はじっと考え込んだ。
「……クリスティアーノの相手って、枢密院か宰相のご令嬢たちでないとダメなの?」
「そうだなあ……。」
クリスティアーノは頭の後ろで腕を組んだ。
「現枢密院たちが幅を利かせてる間は難しいだろうなあ。下手したら毒殺されるかもしれないし。」
「毒殺……。」
そうか、王宮はそういう世界なんだ。梨亜は背中がぞわっとするものを感じた。クリスティアーノは優しく梨亜の頭を撫でてくれた。
「大丈夫だ。おまえは枢密院にとっては大事な人質なんだから、傷つけられることは絶対にない。安全だと思うからこそここに呼び寄せたんだ。」
人質などと言われてあんまり嬉しくはないけれど、安全と言えばそうなのかもしれない。仮に梨亜の身に何かあれば、おじいさまが南都側につくかもしれない、と枢密院の人々は考えるかもしれないのだから。
「宙ぶらりんの状態は苦しいだろうけど、近いうちに俺が国をなんとかする。ここからも出してやる。テオバルドとの婚約話もなんとか取り消してやる。だから、おまえは堂々と食客になってろ。」
「うん……。」
梨亜はうなずいた。猫をかぶってた王太子はあんまり信用できなかったけど、本音を話してくれるクリスは信用できる。梨亜はそう思って、うなずいた。
「今日は俺がいっぱい話しちゃったから、明日はおまえの話聞かせろ。南都でどういう生活してたとか、おまえの好きなヤツの話とかさ。遅くまで悪かったな。もう寝ろ、明日もグリローやるんだろ。」
クリスティアーノはそう言うと、梨亜の頭をまたひとつ撫でて、梨亜の寝室から出て行った。
こうして、梨亜の王宮での生活が始まった。
午前中は、朝食後は基本、自由だ。昼食はヨーゼフ王子一家と取り、末娘のアンゼルマと遊んでいたら、学校からダニエルたちが帰ってくるので、グリローなどのスポーツをして遊ぶ。夕食もヨーゼフ一家と食卓を囲む。たまにクリスティアーノもそこに加わる。
ヨーゼフはクリスの皿を見て、顔をしかめる。
「ナタリア、クリスティアーノを甘やかすな。クリスの皿にだけ、野菜が少ない。きみが料理長にそうするように言いつけたんだろう。」
「あら、野菜全部じゃなくて、ピーマンだけ減らしてもらうようにシェフにお願いしただけよ。」
「それが甘いっていうんだよ。クリスはもう大人だ。好き嫌いする大人なんて、ダニエルたちの教育にも良くないだろう。」
「そうねえ。いつまでもクリスは私にとって小さな可愛い弟のようで。」
ナタリアはそう言ってふんわりと笑う。クリスティアーノはにっこりと笑って、
「さすがナタリア姉さん。バネッサとは違う。バネッサなら、自分の皿のピーマンまで俺に押し付けてた。」
クリスティアーノはそう言うと、にやりとして皿の料理を平らげていく。ナタリアは嬉しそうにそれを眺めながら、妹の想い出話に乗る
「そうそう、『ちゃんと食べないと大人になれないよ』なんて偉そうに言って。自分だってニンジンは残しているくせに。」
「バネッサらしいな。」
ヨーゼフ王子も笑う。この一家の話を聞いていると、バネッサの話はほんとうにクリスティアーノにとってタブーでも何でもないとよくわかる。そう考えると、枢密院にいいように騙されているテオバルドが哀れにも思えてくる。
夕食後はクリスティアーノは子どもたちに囲まれ、髪の毛がぐしゃぐしゃになるまで遊んでいた。そんな姿を見ていると「奇跡の天啓の王太子」とみんなに崇められている気取ったいつもの姿が嘘のようだ。クリスティアーノが仮面をはがしてくつろげる場所があってよかった、と梨亜は思った。
……しかし。
「退屈だーーーーーっ!!」
梨亜は自分の部屋で叫んでいた。




