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王太子の本心


「ちょっと、殿下、離してください。」


 固い胸板にぎゅうぎゅうと抱きすくめられていた梨亜がそう言うと、「ああ、すまない。」と王太子の体はあっさりと梨亜から離れた。


 梨亜がひそかに王太子の顔を伺うと、王太子はにこにこと嬉しそうに微笑んでいるが、捕食者のようなぎらついた瞳はしていない。言うなれば親愛の情に満ちていて、梨亜は少しほっとする。


「どうかなさったんですか?こんな夜中に。」


「うん、少し話がしたくて。よし、そこの椅子にかけろ。積もる話もあるんだ。いろいろ聞きたいこともあるしな。」


 二人は丸い二人掛けの小さなテーブルの前に腰かけたが、王子はしばらく嬉しそうに梨亜を見つめているばかりで、何も話そうとしなかった。


「なにかご用なんですよね。」


「うん、……しかし、おまえ、大人になったなあ。どういった事情で公爵家の娘になったんだ?おまえヒュペルに攫われてきた異世界人だろ?」


「はあっ?どうしてそれを……。」


 梨亜は息が止まりそうになる。ロレンソ医師しか知らないと思っていた事実を、いともこの王太子は簡単に口にする。


「どうして、ってそりゃ、俺が俺だからだろ。」


 自信たっぷりに言う王太子で、梨亜はピンときた。


「ヒュペリオンさま、から聞いたんですね。」


 そうだった、この国で唯一、ヒュペリオンの姿形も、声も聞ける人だった。


「うん、それだけじゃない。おまえ、この国に連れてこられて、一番先に来たの、俺の部屋だったんだぞ。そのときにヒュペルに姿も見せてもらった。そのままここにおまえを置いてけ、って言ったんだけど、アイツ、またおまえを隠してどっかに持っていきやがった。」


「そんなことがあったなんて……。」


 梨亜は絶句する。


「うん、俺に会ったことは記憶から消したってヒュペルが次に来た時に言ったから、ヒュペルの野郎を殴り飛ばしてやろうかと思ったけど、一応俺、アイツに忠誠誓ってる身だからな、そういうわけにもいかなくて。」


 この国で唯一絶対の万能神のことを、まるで友達のことを言うように気軽に話す王太子に、梨亜は度肝を抜かれる。そして、いろいろと聞き捨てならない。


「なんで私をそばに置いておこうと思ったんですか?じゃあ、私がいま王宮ここにいるのは、王太子様の意志だ、ということだと理解していいんですか?」


「おい、王太子とか殿下とか呼ぶのはやめろ。あと、敬語も崩せ。俺はお前の生まれ育った国の王太子でもなんでもないんだ。普通にしろふつうに。俺のことはクリスと呼べ。」


 王太子が少し拗ねたように言う。


「えーと、クリスさま。」


「敬称もいらん。」


「クリス……私の質問に答えてよ。」


「ああ、おまえをあの時置いておこうとした理由か?そりゃおまえが『天啓』持ちだからだよ。俺のほかにそんな人間いないだろ?だから話し相手が欲しかったのが一番かな。異世界人ていうのも興味あったしな。」


「はあ。」


 妃にしたい、とか愛妾にしたい、とかそんな理由ではなかったのか。と梨亜はほっとする。そう言えばこの人、生涯独身の誓いを打ち立てているんだっけ。


「……で、いま、おまえがここにいるのは、一番は身の安全の確保だ。おまえ、独立戦争に巻き込まれたくないだろう?異世界から勝手に連れてこられただけでも可哀想なのに、独立戦争の旗頭にされるとか、どう考えてもおまえの本意じゃないだろ?」


「独立戦争……。」


 梨亜は愕然とする。南都独立問題は、そこまで切羽詰まった話になっているのだろうか。


「ほんとうはマティアス公爵本人も保護したかったんだけど、公爵はどうやっても中立を貫き通したいみたいだからな…。」


 クリスティアーノは腕を組んで思案顔になる。


「この国……内戦がはじまるの?」


 梨亜は恐ろしくて震えてくる。国内が火の海になり、たくさんの人が死ぬ。この平和な国がそんなことになるんだろうか。

 すると、クリスティアーノは椅子を梨亜の近くに引き寄せてきて、ぽんぽんと梨亜の頭をやさしくたたく。


「そうならないように全力で取り組んでいるところだ。幸い、フェルディナント家は独立派にくみしないと言ってくれたしな。テオバルドのおまえの連れ出し方が乱暴だったから、穏健派のフェルディナント家を刺激したんじゃないかと、俺は冷や冷やしたがな。」


 クリスティアーノは顔をしかめる。


「じゃあ、テオ……バルドさまが私を連れ出したのは、やっぱりクリスが命じたの?」


「いや、俺は一応、捨ておけっつったんだけど、おまえが公爵家の娘と知ったら、あいつの取る行動はひとつだろうから、まあ俺がそそのかしたようなもんかな。」


「……なんでそんな回りくどいことをしたの?」


「あいつはただでさえ南都人に嫌われてるからな、南都で人気のおまえをつれだすようなことをしでかしても傷は最小限で済む。でも、俺がおまえの南都脱出に関わってるとなると、少なからず俺の好感度が落ちるだろ?あくまでも俺はなにも知らない、手を出してない、ということを、テオバルド自身にも思い込ませる必要があったんだ。」


「腹黒……。」


 思わず梨亜は口にした。クリスティアーノはふん、と鼻を鳴らした。


「仕方ないだろう。いま、南都と王都は一触即発状態なのに、その均衡はギリギリ俺の人気で保ってるんだぞ。南都人はあくまでも俺を『英雄アダルベルトの生まれ変わり』と信じているからこそ、俺は信頼と人気を保っている。南都に行ったら、いつも化けの皮が剥がれないように、俺、必死なのよ。」


「猫かぶり……。」


 梨亜はまたも一国の王太子に失敬な口を利いてしまう。だが、クリスティアーノは嬉しそうに笑った。


「南都で見たおまえだって、『真珠姫』っていう猫をかぶってたな、だからあいこだ。テオバルドの家で起こした騒動を聞いて、俺は腹を抱えて笑ったぞ。今日は兄貴の息子たちと男装してグリローしてたそうじゃないか。」


 そう指摘されて梨亜はふくれる。


「仕方ないじゃない。私はもともと公爵令嬢なんてたいそうなご身分のものじゃなくて、ただの一般人なんだもの。」


「うん、それでいい。それぐらいたくましいからこそ、おまえはヒュペルに無理やりこっちに連れてこられても、なんとか適応して生きてこられたんだ。おまえはおまえらしくあれ。俺はとがめんぞ。」


 そんなことを言われ、不覚にも梨亜は涙腺がゆるみそうになり、ぐっとこらえる。


「よし、おまえは今日から俺の妹だ。兄とよんでもいいぞ。俺もうれしい。ずっと気心の知れた年の近いきょうだいが欲しかったんだ。」


 そう言われて、クリスティアーノに肩を抱かれ、梨亜はほっとして身体をクリスティアーノに預ける。

 王都に来て、ずっと身の置き所がない気がしていたけれど、やっと自分がここに連れてこられた真の理由が明かされ、思いがけず温かな王太子の本心に触れ、梨亜は自分の心がほどけていくのを感じた。


 すると、急にクリスティアーノが梨亜の肩をつかむ力が強くなり、梨亜は驚いた。クリスティアーノの身体が緊張に包まれ、背筋が伸びている。


「来る……あいつが。こっちへ。」


 そう言うと、王太子のたくましい両腕が梨亜をひょいと抱え上げ、梨亜は後ろからすっぽりとクリスティアーノに抱きすくめられてしまった。


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