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王宮へ。

 ヨーゼフ夫妻の住処は王宮内の別宮、通称「白の宮」だった。


 王宮内の中に、普通の貴族家の邸…さすがにリベーラ邸ほどではないが、フェルディナント男爵家と同じぐらいの邸宅が庭付きで備えられているのだから、どれだけ王宮が広いのか、と思うと元日本人、坪数二十五坪の建売に住んでいた梨亜はため息が出そうになる。


「こんな狭いところにご案内してごめんなさい。」


 ナタリアにすまなそうに言われて梨亜は絶句する。いや、確かにエリサルデ公爵家はこれよりも少しは広かったですけれども、十分これ、広いですよ。日本人の家見てみます?と心の中で答える梨亜である。


 ヨーゼフとナタリアの子は、上から十歳、七歳、三歳。男、男、女、と来ていて、なんとナタリアのお腹には四人目の子どもがいるらしい。まだ初期ということで、お腹はまだ目立たないが、当然、激しい運動などは禁止である。


「というわけで、あまり子どもたちと激しく動くことができなくて。リアナに来てもらえて良かったわ。」


 三歳の娘を膝に乗せて、ナタリアはゆったりと笑う。


 上の息子たちはダニエル、下の息子はヘンドリックという。三歳の娘アンゼルマは赤ちゃん返りしているためか母親べったりなので、必然的に上の活発な息子ふたりと、梨亜は遊ぶことになる。クリケットに似たグリローという球技を二人とも好んでするので、梨亜もぺぺと畑仕事をしていた時のような男装姿になって、泥だらけになるまで遊んだ。


「弟の言うように、あなた、本当に活発なのね。」


 泥だらけになって帰ってきた姿を見られて、ナタリアに笑われる。


「すみません、久しぶりに身体を動かせたので、ついはしゃいでしまいました。」


 梨亜はナタリアに謝る。ナタリアとしては、男の子たちとチェスの相手でも、と思っていたらしいが、梨亜としては外で体を動かすことのほうが性に合っている。


「そうしていると、まるでバネッサみたい。」


「テオバルドさまにも、それを言われました。」


 もっとも、それを連想して不愉快だ、という語句もおまけにくっついてはいたが。梨亜がここに来たのも、要は梨亜を持て余していたテオバルドが、姉に泣きついて梨亜を引き取ってもらった、ということだろう。


「そう…テオがバネッサのことを口にするのは珍しいわね……。小さいときは、テオもクリスも、バネッサの後をついて回って、たくさんやんちゃなことをしてたんだけど…。」


 ナタリアはそう言って、もの悲しそうな顔をする。


「侯爵さまから少し事情は伺いました。テオバルドさまは下のお姉さまのことを、まだ許せてないとか。」


「……そうね。テオはバネッサがクリスを深く傷つけた、と思ってるんでしょうね、いまだに。クリスはもそんなこと、気にしていないと思うけど。」


 ナタリアはこの国の王太子のことを、まるで弟のように気軽にそう呼ぶ。実際に義弟でもあるのだろうが、小さなころから実の弟とまとめて可愛がってきた、ほんとうの姉代わりでもあるのだろう。


「ナタリアさまご姉弟は、小さなころから王宮に出入りされていたのですよね。そのころから王子様たちと親しくされていたのですか?」


「そうね、母に言われて、小さなころから、ヨーゼフかフランツさまのどちらかに嫁ぐように、その心づもりで、と言われていたわ。あの頃はフランツさまのほうが王位に近い、と言われていたから、フランツさまとより仲良くするように、と母に言われていたけれど、本ばかり読んで、笑顔の一つも見せないフランツさまよりも、私は優しいヨーゼフのほうが最初から好きだった。……だから、フランツさまには申し訳ないけれど、フランツさまが病を得られて、離宮に行かれたと聞いて、私はほっとしたの。」


「そうなんですね。」


「……ごめんなさい、つまらない昔話をしたわ。さあ、湯あみをして着替えていらっしゃい。お茶にしましょう。」


 そうか、じゃあ時々話に聞く、秀才だったけれど病に倒れたという第二王子は王宮にはいないのか、と梨亜は思った。そして、なにを考えているかわからなくて苦手な王太子は、ナタリアにとっては可愛い弟のひとりであるようだ。


 お茶のあと、やっと慣れてくれたのか、アンゼルマが梨亜の手を引いてきたので、お人形遊びにつきあったり、絵本を読み聞かせてやったりする。アンゼルマの持ってきた絵本のひとつに、フェルディナント男爵夫人がこっそり作らせた「英雄と真珠姫」の話があって梨亜はぎょっとする。


「これ、どうしたの?アンゼルマ。」


「これ、クリスが南都のおみやげだって、わたしにくれたの。わたし、しんじゅひめさま大好き!リアナはしんじゅひめさまにそっくりだから、リアナも大好き!」


 そう言ってアンゼルマは梨亜に抱きついてきて、梨亜はなんとも言えない気持ちになる。まさかその本のモデルは私です、などと言うこともできないし。……それにしても、王太子がこれを姪のお土産に持ってくる、ということは、王太子自身もこの本を見たということだろう。不敬だとは思わなかったのだろうか。梨亜は背中に冷や汗が流れる。


 夕飯も、ヨーゼフ王子一家と、梨亜はともにした。


「リアナは女なのに、グリローの球をすごく遠くまで飛ばすんだぜ!明日もまたやろうよ!」


 ダニエルが嬉しそうに笑って言う。母のナタリアに似て、金髪に緑色の瞳を持つ美しい男の子である。


「そう?鍬で鍛えてるから、なかなか腕力はあるわよ。」


「鍬?」


 ヨーゼフ王子が目を剥く。


「ええ、南都では仕事のお休みの日、知り合いの畑に行って畑仕事を手伝ってましたから。」


 梨亜が澄まして言うと、ヨーゼフ王子はお腹を抱えて笑った。


「南都の真珠姫の噂は王都でも聞こえていたから、どんなに美しくたおやかな令嬢かと思っていたら、まさかこんなお転婆だとはね。いきなり男装姿でグリローはするし、鍬をもって畑仕事とは。」


「また明日もやろうよ!リアナ。」


 弟のヘンドリックも言う。梨亜もにっこりと笑ってうなずいた。家族の食卓は温かな笑い声に包まれていた。


 そのままヨーゼフ王子の離宮に部屋をもらって泊まるのかとおもいきや、夕食が済むと、梨亜はなぜか、離宮ではなく王宮の本殿のほうに案内された。


「ごめんなさいね、こんなうるさくて狭苦しいところにお客様を泊めるわけにいかないから。」


 ナタリアにすまなそうに謝られた。その顔が本当に申し訳なさそうだったので、「狭いってどこがだ!」と梨亜は突っこみたいのをこらえ、名残惜しそうな子どもたちに明日の約束をして、一家に笑顔でおやすみなさいの挨拶をして、女官に案内されるまま、やたらと豪華な国賓室に入った。


 ベッドに横たわると、梨亜はため息をついた。テオバルドに邸を追い出され、どうなるかと思えば、第一王子夫妻に思いがけず温かく歓待されて、今日一日に限って言えば、王都に来て一番楽しい日だったかもしれない。


 でも。


 梨亜は思う。ずっとこのまま、居候のままでいてもいいはずがない。ううん、自分が居心地が悪い。仕事もろくにせず、子どもの遊び相手だけして、五年も王宮の食客でいるなんて、非現実的だ、と思う。けれど、王宮内でまさかアクセサリーの展示販売会なんてできないしなあ。梨亜はそう考えて、寝台でごろごろとしていたら、ひそやかな音でドアがノックされていることに気づいた。


「……誰?」


 ドアのところまで言って、梨亜は用心深く声をかける。


「俺だ。クリスティアーノ。」


 梨亜は首をかしげる。そんな名前の人、知り合いにいたっけ……というか、まさか。


「王太子殿下?」


 思わず大きな声が出てしまう。


「そうだ、誰かに見られるとまずい。早くドアを開けて。」


「は?」


 どうしていいかわからず、とりあえず梨亜は部屋のドアを開けた。王太子は変装のつもりか、なぜか近衛騎士の格好をしていた。部屋に入るなり、王太子は満面の笑みで梨亜に抱き着いてきて、梨亜は愕然とする。


 梨亜の耳に、思いがけない王太子の言葉が聞こえてきた。


「やっと捕まえた。俺の猫娘。」


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