得体の知れない王太子。
やがてゆったりとした曲が始まり、王子はにこにこと梨亜の顔を見つめていたが、相変わらず本心はなにを考えているのかさっぱりわからない。やがて、王太子は口を開いた。
「リアナ・セルバンテス嬢とおっしゃいましたが、お父上はなにを?」
「父はカルロス・セルバンテス子爵と申しましたが、私の小さいころに事故で亡くなりましたので、私はまったく記憶にないのです。」
「ほう。それはお気の毒に。……では、お父上が亡くなられた後は?」
「祖父の世話になっておりました。」
「なるほど。」
王子は思うところがあるような含み笑いをした。またも梨亜は背筋が寒くなる。
「……ではあなたはほんとうは子爵令嬢、ということですね?お年は?」
「もうすぐ十七になります。」
「なるほど。」
なにが、「なるほど」なのだ、と梨亜は思うが、こちらをひたと見つめて口元には如才ない笑みを浮かべる青年は、まぎれもなくこの国の王太子なのだ。薄気味悪さを感じても梨亜はこの人物の手を振り払うこともできない。
「フェルディナント男爵のご令息と婚約間近なのだとか、おめでとうございます。」
なんのつもりか、そんなことも王太子に言われる。梨亜は何と答えてよいか迷う。「いいえ、私は婚約しているつもりはありません」と答えると、まるで王太子に気があるように思われそうで、かといって、そうだ、と肯定するのも梨亜の意に反する。
「身に余るお言葉ですが、なにごとも、正式に決まりましてから、お祝いのお言葉を賜りたく思います。」
なんと言えばばよいだろう。と思いながら、梨亜は注意深く答えて、ひそかに梨亜は王太子を観察した。しかし、そう答えても王太子の表情に変化はない。王子は、そのまま梨亜から目を離さず、黙ったまま梨亜のダンスのリードに徹していた。何かを考え込んでいる様子にも見えた。
気がつけば、一曲が終わっていた。王太子は梨亜をエスコートしながら、自分の席に戻っていく。衆目を集める中、貴賓席の近くで待っていたセリオに、王太子は梨亜の手を丁重に帰した。
「美しい婚約者をお借りして申し訳ない。今宵は楽しかった。では、みなさま、よき夢を。明日は出立が早いので私はこれで失礼します。また来年、この南都に下るまで南都の民の健康と繁栄を我が神、ヒュペリオンと王宮の神殿で祈っております」
それだけ言うと、王太子は貴賓席の後ろの戸口から、さっと退出してしまった。慌てて側近の貴公子も王太子の後を追う。
王太子と「真珠姫」のダンスでなにが始まるか、と期待して固唾をのんでいたギャラリーはあっけにとられた。なんと、王太子は宴半ばで、鮮やかな口上を残し、さきに帰ってしまったのだ。慌てて宰相の息子もそのあとを追い、エルンスト館は一瞬しん、とした静けさに包まれた。セリオも梨亜もただ、あっけにとられていた。
控室に下がった王太子に、幼馴染で側近のテオバルドが詰め寄っていた。
「どうした!なんのつもりだ!あれは何の真似だクリス!」
「ん?近頃、南都の風紀を乱す『真珠姫』はなにものだ、と気にしていたのはおまえだろう?だから、俺が何者か調べてやったんだ。」
「おまえみずから?……で、なにか分かったのか?」
「ああ、セルバンテス子爵令嬢、と名乗ったぞ。」
「セルバンテス子爵?そんな名、聞いたことないぞ、俺は。実在するのか?そんな貴族。」
「おまえにはわからないか、俺には分かったぞ。納得もした。だから、あそこで引いたんだ。これ以上つつきまわすな、テオ。もう一度言うぞ『真珠姫』の件は捨ておけ、もうこれ以上なにも調べるな。」
「なに?それだけじゃわからん。理由を俺にも教えろ!クリス。」
詰め寄るテオバルドにクリスティアーノは、それ以上何も答えようとしなかった。
一方、会場に取り残された梨亜とセリオは呆然としていた。
「何が起こったの?なにか王太子さまと話をした?」
「少し話をして、名前を聞かれた程度よ。……たぶん、噂ほどでもない、と思われて幻滅されたんじゃない?お目に止まらなくて良かった。」
梨亜は肩をすくめた。こっちもいけ好かない野郎だ、と内心思っていたのだ。気に入られなかったようで何よりだ。
「……もしかして、宴が終わった後でリアナを呼び寄せようと思っていらっしゃるとか?王都にリアナを連れて帰る準備をしているとか?」
「妄想は結構。そんなことは無いと思うわよ。それより、王太子殿下が下がられたのだったら、私たちはせっかくだから、新作のアクセサリーをお披露目して帰らないと。さあ、踊りましょう。」
想像をたくましくさせているセリオの手を取り、気を取り直して新しい曲を奏で始めた楽団のメロディーに合わせて、梨亜は踊り始めた。
セリオの懸念は外れ、王太子殿下は次の日、予定通りの日程を終えて、側近や護衛たちと南都を発った。
事件は、その三週間後に発生した。




