南都の鋼鉄王
帰りの馬車の中で二人ともしばらく無言だった。
「とにかくね…、僕は先生の話を聞いても全く納得がいかなかったよ。先生の話はいっけん耳ざわりがよさそうだけど、あの口車に乗って旅に連れ出されたら、リアナは借金のカタに身売りするみたいな話じゃないか。」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。」
梨亜はむくれる。セリオは静かに言う。
「とにかく、先生に他意があろうがなかろうが、梨亜は旅に出るべきじゃない。」
セリオの言葉に答えず、梨亜はセリオに半ば背を向けるようにして、馬車の窓枠にもたれかかり、窓から外を眺めた。梨亜は、さきほどの医師の言葉にショックを受けた自分に驚いていたのだ。
医師の庭で、誰よりも先に梨亜の異変に気付き、重荷を取り去ろうとしてくれた人、梨亜が異世界人と知っても動揺もせず、ありのままを受け入れてくれた人、『真珠姫』の重圧から逃れるため、一緒に旅に出ようと言ってくれた医師に、梨亜は知らず知らず、心惹かれてしまっていたのだ。
…でも、ロレンソ医師には、そのつもりはない。医師として、そして多額の借金を負わせた張本人として、責任感を感じているだけ。そうきっぱり言われたも同じなのだ。……でも。
「泣かぬなら、泣かせてみようホトトギス。」
梨亜は口の中でこっそりとつぶやいた。一緒に旅に出て、しかも長旅になるというその期間に、
医師の気持ちに変化が訪れないともかぎらない。自分を「責任をもって面倒を見なければならない相手」から、違う対象に進化させることができるかどうかは、梨亜次第だ。梨亜は決意のこぶしを、心の中で握りしめた。
セリオはそんな梨亜…リアナの背中をじっと見つめていた。医師の言葉を聞いて、あきらかにリアナが落胆していたのは、セリオの目にも見て取れた。いくら医師がそのつもりがなくても、リアナは若くて魅力的な女の子だ。一緒に旅に出たら、あの変わり者でも心が動かないなんてあり得ない。絶対に旅に行かせてはいけない。
二人はそれぞれの想いを抱えながら、黙ったままフェルディナント家へ帰る。……今日も夜会に二人は呼ばれている。仕事のパートナーとして、二人は今日も手を結ぶ。それぞれ、思惑を持ったまま、フェルディナント商会の継嗣として、広告塔としての役割を演じていく。
それから幾夜か経て、とある夜会で、梨亜は妙な男に会った。
その男の年のころは五十代なかばだろうか。胸板が厚く、濃い茶色の髪とヘーゼルの瞳が鋭く周りを睥睨する。その姿は妙に威圧感に溢れていて、まわりの扱いもその男に対しては妙に丁重だった。南都の夜会に出るようになって、もう数か月経つが、梨亜はこの男に見覚えは無かった。
セリオと踊る最初の曲で気づけば、セリオにあれは誰か聞けばよかったのだろうけど、残念ながら二曲目で主催者に誘われて踊っているときに気づいてしまったので、セリオに聞くこともできず、梨亜は気になってしょうがなかった。
踊り終わって、主催者の貿易商を営むラウージャ男爵は、梨亜に言う。
「相変わらずお美しいですね。……ところで、フェルディナント商会のほうで、うちの新商品をお取り扱いはしていただけないでしょうか。」
「そういうお話は…セリオかフェルディナント男爵のほうにしていただければ…。」
梨亜は答える。……こういう話は南都の夜会ではいつものことである。南都の夜会はただの夜会ではなく、商売の場でもあるのだから。梨亜の回答も決まっている。
「ええ、もちろん、それはセリオさまにもお話しようと思っていますが、セリオさまの婚約者であるあなたのほうからお口添えいただければ心強いことですから。」
それに回答しよう、と梨亜が口をひらいたとき、横から「失礼。」と声がかかった。
「私もそちらのお嬢さんと踊ってみたいのだが……いいだろうか?」
先ほどの濃茶の髪の男が、梨亜の前に立つ。
「これはこれは議長さま。どうぞ、真珠姫さまの素晴らしいステップをお楽しみください。いや、私が言うことではありませんね。失礼しました。」
主催者であるラウージャ男爵は、一礼して去って行った。少し顔色が悪いようにも見えたが、梨亜はそれよりもさきほどの男爵が言った言葉を驚きを持ってとらえる。
「議長さま…ということは、リベーラさま?」
「いかにも、私は、マヌエル・リベーラ。」
短く男は答え、鋭い眼光で梨亜を見つめる。……南都の鋼鉄王、と言われる南都の議長、マヌエル・リベーラの名は梨亜も聞いたことがあった。一年の大半を南都の端のほうにある鉱山で過ごし、鉄製品の生産にあたっているリベーラ社の経営者として、その辣腕を振るっているという。爵位は持たないが、南都で一番財力と権力を持つ男、とも言われている。
いつものようににこやかに微笑んでいよう、と梨亜は思うものの、強い緊張感であまり自然に微笑むことはできない。リベーラのほうも鋭い目で踊りながら梨亜を観察するばかりで、何も言葉を発しようとしない。いつになく無言で、梨亜は一曲踊り終えた。
曲が終わり、一礼すると、リベーラはやっと言葉を言った。
「噂では出ていて、とても信じられなかったのだが、ほんとうなのだな。なぜ、あなたはこんなことをしている?公爵家の娘が、こんなおかしな真似をしているのだ。『英雄の花嫁』とはなんの冗談なのだ?どうしてさっさとセリオ・フェルディナントと結婚しない?それをあなたの祖父も望んでいるはずだが。」
梨亜は驚きのあまり、すぐには言葉が出ずに、その場に立ち尽くした。




