そして南都へ。
いきなり三年後に話が飛びます。ここから本編のようなものです。
三年後、十六歳となった梨亜は、贅を凝らした美しい白いドレスに身を包み、馬車の中で緊張をほぐすために、大きく肩で息をしていた。
「大丈夫?リアナ?」
「大丈夫よ、セリオ。」
心配そうにこちらを見てくる今日のエスコート役のセリオを見て、梨亜はにっこりと笑った。梨亜はあれから三年、リアナという名になり、公爵令嬢として恥ずかしくない知識と教養をしっかりと身に付けさせられた。そして、オーキッド王国の南都でデビュー戦…ではなく、貴族の令嬢としてのデビュタントの日を飾ることになったのだ。ただし、公爵令嬢、リアナ・マティアスではなく、子爵令嬢、リアナ・オルガ・セルバンテスとして。セルバンテス子爵というのは、マティアス公爵の持つもうひとつの爵位だそうだ。
「ほんとうはね、公爵令嬢としてだったら、南都の社交界ではなく、王都の社交界でデビューを飾らないといけないと思うんだけど、……でもね、リアナの見た目だったら、ポロネーシュに近い南都のほうが幸せに暮らせると思うよ。」
梨亜の祖父となったマティアス公爵は、にっこりと笑って梨亜に言った。
南都は港町として栄えている王国第二の都市だけれど、貴族は男爵と子爵位しか存在しない。マティアス公爵家は南都の郊外に領地を構えているけれど、社交界には全く顔を出さないので、存在感はなく、知る人も少ないぐらいだ。梨亜のかりそめの祖父となってくれた公爵は、なんと前国王の王弟で、かつては第五王子だったということだった。しかし、王子だった時から非常におだやかで、目立たない性格だったらしく、王宮内でほとんど存在感を発揮することもなく、王都からの有力貴族からの婿入りの申し込みも断り続けて、王位継承権も成人後に早々に放棄して臣下の位にくだった。そして王都すら出て行って二度と戻ることもなく、公爵とも思えないほどの小さな領地を南都の近くに拝領して、「忘れられた王弟」と呼ばれるほどひっそりと暮らしていたらしい。しかし、公爵にも遅くにロマンスが訪れ、旅先のポロネーシュで平民の娘を見初め、ひっそりと領地に連れて帰って婚姻を結ぶと、まもなく二人には一人息子が生まれた。それはポロネーシュの血を引く証として黒髪、黒目のかわいらしい男子であり、凛々しく成長して将来を期待されていたようだが、残念ながら、二十一歳の時に、事故で亡くなってしまった。そのため、気落ちしたマティアス公爵夫人は後を追うようにその半年後に急な病を経て亡くなり、公爵はいままで以上にひっそりと屋敷に籠るようになってしまったらしい。
そこへ、ヒュペリオン神の思し召しとして、梨亜が連れてこられた。公爵は表向き、一人息子だったカルロスの落としだねが見つかったことにして、梨亜を大切に育ててくれた。……公爵は掛け値なしに善人だった。そして、梨亜をリアナと名づけ、公爵令嬢として恥ずかしくない知識と教養を身に付けさせてくれたが、それは梨亜が困ることのないように、というだけであって、リアナを政略結婚の道具として、というような思惑はまったく抱いていなかった。
「リアナは、思うように生きたらいいよ。公爵家はもとより、私一代限りで終わらせるつもりでいたし、婿を取ることなんて考えなくていい。結婚するもよし、しなくてもよし、きみの生きたいように、幸せに生きると良い。ヒュペリオン様もそう願ってきみをここに連れてこられたんだろうから。」
公爵は常日頃からそう言ってくれた。梨亜はそれをありがたく思い、大きなプレッシャーを受けることもなく、楽しく勉学に励んできた。文字を覚えるのには半年ぐらいかかったけれど、言葉はヒュペリオン様の力なのかなんなのか、最初から扱えたし、歴史や文化を学ぶのも楽しかった。リズム感も悪くなかったから、ダンスの練習も楽しかった。
「リアナは優秀だね。これならどこへ出しても恥ずかしくないよ。」
公爵は優しくそう言って、梨亜の頭を撫でてくれた。どこよりも暖かい家庭で幸せに…。確かに、梨亜は幸せに暮らしていた、と思う。けれど、梨亜は不思議に思うのだ。そこまで前の世界で私、不幸だったっけ?と。
確かに、義理の母の冨美とは折り合いが悪かった。精神的にゴリゴリ削られるような嫌がらせはされていたけれど、殴られたり蹴られたりというような虐待は受けなかったし、青ネギショウガてんこもりうどんみたいな食物テロは、毎食出されていたわけじゃない。自分よりも不幸な子なんて、地球上、ごまんといる。
日本にいた時の梨亜の望みは、早く成長して、キャリアウーマンとなり、ついでに玉の輿に乗って、冨美を見返してやること、だった。そしてそれまでは、冨美の嫌がらせに細かな仕返しをしつつ、日常をなんとかやりすごすこと、が梨亜の生活だったのだ。……とてもおじいさまとなった公爵のの思い込んでいるように、「継母の虐待を受けていたけれど、それにも関わらず心の美しい子だったので、ヒュペリオンさまの思し召しで、ここに連れてこられた子」というのには当てはまらない。けれど、根っからの善人のおじいさまは、そう思い込んでいて、「私、そんなにいい子じゃなかったですよ、そこまでひどい目に遭ってたわけじゃないですし」と言ってみても、「梨亜はひどい目に遭わせてた人をかばうなんて、ほんとうに心のきれいな子だね」と、より可愛がられてしまう、という悪循環?に陥っていた。
それもこれも「ヒュペリオンさま」の言うことが、おじいさまの中で絶対だからだ。おじいさまに限らず、ここの国の人間は、信仰心に篤い。どんな貴族の屋敷にも、庶民の家にも、かならずヒュペリオンを祀る祭壇があるらしい。……日本で言う仏壇のようなものだ。そして、朝に夕にかならずヒュペリオンに感謝を捧げる。子どもが誕生してもヒュペリオンにまず感謝を捧げ、結婚式も貴族はヒュペリオン教の教会で、そして庶民の結婚式は街に置かれた大きなヒュペリオン像の前で行われるらしい。
そして、梨亜はおじいさまに、自分がヒュペリオンさまに連れてこられたこと、また、おじいさまの耳にはヒュペリオンの声が聞こえることは、絶対に内緒、と釘を刺されていた。
「いいかい、このことは絶対内緒にしておかないと、大変なことになるよ。」
「どうして?おじいさま。」
「うーん、もしかしたら、国がひっくり返るかもしれない。それぐらい大事なことなんだ。……ま、当代の王太子は、ヒュペリオンさまのお姿が見えるということだから、そこまでの心配は無いとは思うんだけど、とにかく、念のために絶対に内緒にしておいて。」
「……わかりました。」
まあ、仮にそう言ったところで、誰も信じる人はいないとは思うが。頭のおかしい子だと思われるのがオチだろう。梨亜はそう思って、口に出すことはしなかった。そもそも、ヒュペリオン自体も、あの時、梨亜が猫を抱えていたときに姿を見せて以来、梨亜のところを訪れることもないのだ。
「ヒュペリオンさまのお姿が見えたり、声が聞こえる人は、おじいさまや私のほかにもいるの?」
「いや、私の知る限り、現代では、現王太子さまだけだね。」
「そう……。」
梨亜はそうつぶやいて、口をつぐんだ。




