なつかしい顔
休みの日は相変わらず、梨亜は医師の庭に向かう。セリオは面白くなさそうだけれど、梨亜にとっては、あそこが唯一「真珠姫」から逃れられる休息の地だ。
「ブルーノとペペが育てている薬草が気になるの。」
そう言い訳しながら、梨亜は今日も診察所に向かった。送ってくれたホアキンに礼を言って鳥かごを受け取り、くぐり戸をくぐると、梨亜はまずヤコニートの畑に向かった。
「わあ!」
梨亜は歓声を上げた。一か月ぶりのヤコニートたちは、元気にしっかりと茎立ちして、柔らかな若葉を茂らせていた。
ブルーノは約束を違えず、時折畑に顔を出してくれているようで、梨亜はブルーノに会うたびに様子を聞いていたが、「今のところ順調でごぜえますよ。」というブルーノの言葉がまぎれもなく真実であることを目の当たりにし、梨亜は感動をおぼえた。いつも薬草畑で仕事をしているペペの姿が見えないので、梨亜は診察所のドアを開けて入っていった。
「ペペ!ヤコニートすごいじゃない!あんなに元気になってるの、初めて見たよ!」
すると、珍しくかまどの前に立っていたペペが鍋の中身を杓子でぐるぐると回しながら、「おう!」と笑顔を見せた。
「ねえちゃん、久しぶりだな。『真珠姫』は休みか?」
「うん、一か月ぶり。もうクタクタ…。」
医師の台所の粗末な木製の椅子に腰かけて、梨亜は伸びをする。
「へっ。街に出りゃ、あっちこっちで姉ちゃんの噂聞くぜ。ねえちゃん、英雄の花嫁なんだって?」
ペペにまで言われて、梨亜はげっそりとする。
「もう、あれねえ、あの話、ほんとに困るわ。この間も小さい女の子に『だいじょうぶよ、もうすぐアダルベルトさまがおねえちゃんをむかえにくるとおもうから、待っててね』とか言われちゃうし…。」
梨亜がブツブツと言うと、ペペは面白そうな笑い声を立てた。
「そのうち、英雄の丘の像の横に、真珠姫の像も立ちそうな勢いだな。」
「……冗談じゃないわよ。……ねえ、ピアは?」
ようやくペペひとりしかこの診察所にいないことに気がついて、梨亜は周りをきょろきょろ見渡す。
「ああ、友達の姉ちゃんの結婚式の手伝いとかで、今日は夕方にならねえと来ねえんだよ。それで、俺が代わりにスープ作っとけって言われてんだけど、…なんかうまくいかねえんだよな。」
ペペは舌打ちする。
「どうして?」
梨亜も立ち上がって、スープの鍋の中を覗き込む。スープの中身は幾分濁っていて、なんだか酸っぱいにおいもする。
「……ねえ、これ大丈夫なの?食べられるの?」
「失敬な。食いもんしか入れてねえんだから、食えるに決まってんだろ。」
ペペにしかめっ面をして言われてしまう。
「なんだか生煮えな感じなんだけど、もうちょっと火を強くしたほうがいいんじゃない?」
梨亜は下のかまどの火を覗き込み、近くにあった火かき棒で、火をかき混ぜてみると、ぼうっと音がして、火が強くなり、「あつっ」と梨亜は火かき棒を取り落とした。
「おいおい、大丈夫かよ。お貴族さまが火の世話なんかするんじゃねえよ。やけどしても先生まだ帰ってきてねえんだから、診てくれる人いねえぞ。」
「そうね。」
梨亜はすごすごと火のそばから撤退する。この世界では電気も無いので、もともと家事能力の皆無な梨亜はまことにこっち方面では役に立たない。最初はなんで庶民の私が公爵令嬢に?と梨亜は居心地の悪い思いをしたけれど、さすが神様、梨亜が庶民の家なんかに預けられていたら、ボヤでも起こして迷惑をかけるだけなのが目に見えていたのだろう。賢明な判断だったと言える。
「……さあ、できたぞ。味には自信がねえけど、食えねえとは言わせねえぞ。」
しばらくして、大ぶりの椀に、なみなみとスープを入れたものをペペが持ってきて、梨亜の前にドン、と置く。自分の前にも同じものを置いて、おかしな昼食が始まった。
パンは双子の母親が焼いているいつものものだから安心できるが、しかし、問題は。
「……まずいな。」
作った本人が真っ先に言っている、このスープである。梨亜もうっと胸をつくような匂いに辟易しながら、
「大丈夫よ。食べるものしか入ってないんでしょ?」
と言いながら、自分を励ますようにスープを口にする。
「……ねえちゃん、無理しなくてもいいぞ。」
ペペが言ってくれるが、梨亜は意地になって、
「大丈夫!作った人の気持ちがこもってるんだもの。だんだん美味しい気がしてきたよ!」
と、無理をして、その妙な液体……いや野菜スープを完食してしまった。そんな梨亜の顔を見て、ペペが心配そうに言う。
「大丈夫か?ねえちゃん、顔色悪いぞ。」
「うん……大丈夫。」
そういう梨亜の顔は明らかに血の気が引いている。たまらず梨亜は胃を抑える。
「……ごめん、気分悪い。どこか横になる場所あるかな?」
「マジかよ!じゃあ診察台の上に寝るか?」
「うん……。」
梨亜は医師の不在の診察所の診察台の上に、病人よろしく横になる。いや、本当に病人なのかもしれないが。
「腹痛いのか?ねえちゃん。無理してあんなゲテモノ食うからだバカ、素直に残せよ。ちょっと待った。……この辺の引き出しに、バシリオの野郎の腹薬が……。」
ゲテモノを作った張本人のペペは診察所の棚の引き出しをごそごそと探り始める。だが、
「ねえっ!なんで医者の家なのに薬が切れてんだ!クッソ。ちょっと俺、ひとっぱしりバシリオの野郎の店に行ってくる!それまで、ちょっと耐えてくれ。」
どうやら薬は無かったらしく、ペペは診察所を飛び出していった。ますます強くなる痛みを耐えようと、診察台の上で体を丸めながら、梨亜はうめき声をたてる。バシリオ・ゴンザレスの店なら、梨亜も知っている。ペペがどんなに急いでも、徒歩だと二時間はかかるだろう。その間、この痛みに耐えないといけないのか、と梨亜は気が遠くなるような気がした。梨亜は腹を抑えて、ぎゅっと目をつぶる。
しばらくすると、診察室のドアが開く音がした。ペペがもう帰ってきたのか、と梨亜がほっとすると、なつかしい落ち着いた声がした。
「おや、もう病人がいらしてるのですか?」
「先生?」
梨亜は痛む腹を抑えて、目を上げる。プラチナブロンドの髪が揺れているのが見える。旅装のままのロレンソ医師がそこに立っていた。




